<掲示板・議事録>


     
  「城主のたわごと」2012-04(山形〜福島〜栃木編4)


<こたつ城主 2012/04/26(Thu) 13:57>

題名:「城主のたわごと」2012年4月

↑も(やっと)更新しました! 宜しくお願いしま〜す☆ミ(^。^)

※ 過去更新状況
03/23「城主のたわごと」2012年3月
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<林六郎光明さま 2012/05/10(Thu) 18:40>

たわごと、拝見しました。

2012年・城主のたわごと3月ですけれど、
ちょっと見逃していましたが、新宮城出土の高麗青磁片、象の横顔の青白磁もそうですし、象嵌青磁なんて…
超レアものじゃないですか!
陣ヶ峰城跡の白磁四耳壺や青磁もそうですが、非常に吃驚しました。

続く2012年・城主のたわごと4月、
なんと言っても三一権実論争(笑)
実は学生時代に挑戦して、訳がわからんとサジを投げた記憶があります(爆)
ぶっちゃけて言えば、初期大乗の法華経から発展した中期大乗の法相唯識との争いということで、成仏への信仰と論理的手段の争い?みたいな感じでしょうか。
何にせよ、もういっぺん勉強し直してきますね(笑)

会津の三十三観音めぐり、若いお嫁さんの行だったそうですけれど、うちの近所にも昔は似たような風習があったそうです。
先輩のお嫁さんに連れられて、一家の嫁としての気構えなどを学ぶ機会だったそうですよ。
こういう風習って、いいなあって思いました。

圓蔵寺、岩盤の上に建っているお寺って、ちょっと憧れます。
菊光堂が大きくて、それで舞台造で見晴らしが良さそうなんて、高い所が好きな私の好みを全て満たしています(笑)
それに、虎と牛が狛犬のように鎮座ましましているなんて、凄く面白いです。
立派なお寺なのにちょっとユーモラスで、とても親近感が湧きました。



<こたつ城主 2012/05/11(Fri) 21:33>

>林六郎光明さま

「城主のたわごと3月」ありがとうございます!(^o^)
象嵌青磁はパネル写真で見る限り、破片のみで出土のようで、香炉や磁器台のようには元の形が辿れないのかもしれませんね(^_^;)。ただ、新宮城の頃の時代の出土例品として多くないそうですから、思うに当時の文献的にも希少価値と見れるのだろうと思います。
陣が峯城跡の方は、スラリと「摂関家領」と書かれ、鎌倉以降もそうあったのか知りたい所ですが、何が核となって、時代を隔てても、ああいう豪華な輸入品をズンチャカ仕入れる土壌たりえたのか、と確かに思います(^_^;)。私も唖然とした一日でした(笑)。

続けて「城主のたわごと4月」も、ありがとうございます\(^O^)/
>なんと言っても三一権実論争(笑)
>実は学生時代に挑戦して、訳がわからんとサジを投げた記憶があります(爆)
何を仰るウサギさん。最初に教えて下さったのは林先生じゃないスかm(^。^)9
質疑応答は多岐に渡るのでしょうが、特に注目される点が、前に教わった「五種性」を巡る論争なんだと思います。
人を五種に分け、一種のみ成仏、残りの内の一種は法華経の適用などにより成仏可能、さらに残りはダメ(厳密に言うと、残りの内二種は小乗)というのが法相宗の解釈なのに対し、最澄は「全部成仏OK」としたんですね(^^ゞ。
さらに小乗の二種に対し、一度は羊や鹿といった「成仏できない乗り物」で外に誘い出すものの、外に大きな白い牛の乗り物(一乗)を用意しているから、大乗の人と一緒に成仏させる事が出来る、というのが、三乗を否定し一乗を肯定する最澄の理論骨子のようです。

会津の嫁さん修行は、林さまの方にも似た風習があるんですね(゚.゚)。家の中の習慣って簡単に入り込める物じゃないので、近い文化圏なのかもしれませんね☆ミ
これまでの積み重ね具合から今回の位置が適当でしたが、もっと西は夏の大洪水やこの時の大型台風の影響で、道路が不通で、行きたくても行けなかったと思います(>_<)。。
しかしそれでもようやく西会津に近づき、少しだけ越後(北陸と言うべきか)を近く感じてた所なんです♪

今回の芦名氏の墓や城跡は、前回書いた通り、現地に行ってもまだ夢を見てるような気分だったんですが(笑)、新宮熊野神社や圓蔵寺といった凄い物を次々と見て、私もようやく「いや、夢じゃない(p_<)」という気持ちになりました(笑)。
あれほどの大雨続きの中、圓蔵寺の上に登ってる時だけ、雨もやんで見晴らしが良く、中国で見るような、スゴイ大河のウネリを眼下にして広大な気持ちでした。
虎と牛の彫り物も、赤ベコも可愛くて(#^.^#)。私らもいつの間にか長っ尻になっちゃいました!!(笑)



<Syoさま 2012/05/13(Sun) 18:32>

こたつさん、こんばんは。

「城主のたわごと」2012年4月、拝読いたしました。
改めて『山形〜福島〜栃木編』は台風の影響と歯の詰め物の不具合とデジ亀くんの不調が重なった中で強行された旅でしたね・・・。(; ̄ー ̄A

恵隆寺(立木千手観音堂)
日暮れの時間切れで立木観音(国宝)を拝観できなかったのは残念でしたね。
こちらにも滋賀県大津市石山近くにある弘法大師が観音像を刻んだのが厄年の42歳であったといわれることから、古くから立木観音は厄よけ観音とも言われる厄除けで有名な立木観音(浄土宗)がありますので興味深く拝読しました。
観音堂の建築意匠が純和風、茅葺・寄棟造なのは珍しい。
観音様は、やはり、厄除けにもご利益があるのでしょうか・・

会津めぐり(三十三観音めぐり)
一生に一度は行うべきとされたが、特に若い主婦が行うものであったらしい・・・
会津では、主婦が家を豊かにし、やがては村や会津全体を豊かにした苦しいが有難い日々だったと述懐するというのも凄い。二度は辛いですよね(+_+)

心清水八幡神社
こちらに石清水八幡宮があるなと思ったら
源頼義・義家が奥州征伐にあたり、山城国(京都)石清水八幡を当地に勧請、戦勝を祈願した事が由緒だったんですね。

柳津温泉
赤ベコくんと生まれが謎の柳津ゆるキャラ?赤べぇ
と思ったら更に ウマそうなお馬のサクラですかっ!?(≧▽≦)ぷっ
朝からゲコちゃんと豪勢な朝食、露天風呂と
天気がよくなくてもいい旅を満喫されてますね!(^-^)v

巨岩の上に建つ菊光堂も凄いですね。
こちらでは最澄VS空海ですが
こたつさんとこで読ませてもらうと更に最澄VS空海VS徳一?
天台VS真言VS法相宗という仏教論争になるのですね。
特に最澄と徳一の間の「三一権実論争」も勉強になりました。
つまりは、行き着くところは成仏ですかねO(-人-)O なむ

福満虚空蔵尊「圓蔵寺」、赤ベコ伝承と「菊光堂」
お〜狛牛と狛虎?はたまたなで牛となで虎か
虚空蔵尊ということは、知恵も下さるありがたい尊ですね。
京都の風習で十三参りが行われる嵐山の法輪寺も
文殊菩薩ではなく虚空蔵菩薩で、狛虎と牛ではなくなぜかヤギがいますが
虚空蔵菩薩は、丑年と寅年の守り本尊ですね。
そして・・こたつ殿とご亭主殿の守り本尊!(^_-)

それと、下から見た巨岩の上に建つ菊光堂も凄いけど
舞台もいい感じです!



<こたつ城主 2012/05/14(Mon) 15:39>

>Syoさま

Syoさま、こんにちは!
「城主のたわごと4月」ありがとうございます(^O^)!
そ〜なんです(>_<)。。三重苦(笑)。大凡は台風ですねぇ( -。-) =3。
デジカメは旅行後まるで支障ないので、明らかに雨の湿気すなわち台風が原因ですが、歯は……もしかして湿気が軽く影響?……という事は流石に無いでしょうかっ(笑)。

恵隆寺の立木千手観音は、その前の前に行った新宮熊野神社(前回レポ)で、今から行くより、もっとここに居ればいいのに的な事を言われて、グラ〜リと来た後だっただけに残念でした(^_^;)。熊野神社は確かに物凄い歴史ありそうで、案内の方も説明熱心で、今日はもう雨だから、このまま話を聞かせて頂く方が(^^ゞなんて思い掛けたんですが、後にまだ4ヶ所も予定があったので……。
内一ヶ所は場所が離れてたのでカットしましたが、陣が峯城は殆ど中は見れなかったものの、やっぱ行って良かったし、恵隆寺は閲覧時間もうちょっとやってるかな、と思ってたのと、隣が心清水八幡神社だったので……要するに見せ場の多い地域なんです(笑)。
でも、そうそう、観音様は拝めなかったけど、観音堂を見れて、何とか写真にも撮れてました(^_^A)。茅葺の観音堂が正面にある、確かに珍しい和風物でした!
滋賀大津の立木観音も有名ですね。弘法大師は全国行脚したと言われるけど、東国よりはまだ大津の方がありそうですね(笑)。

三十三観音巡りは多くの地域で出会いますが、地域に根差した信仰として解説されてるのは初めて見ました(^^ゞ。全国区だと思ってました。遠くのコースは行けないので、どこの地域もその地域の人が多く廻るもの……ぐらいにしか考えて無かったです。

前九年・後三年の役の奥州来歴を期とした、源頼義・義家の勧請伝説は東国のアチコチで多く見掛けます。畿内から東国までの間にもあるんじゃないかと思います。
東北では、坂上田村麻呂・磐司磐三郎・慈覚大師・小野小町・源頼義・八幡太郎義家・源義経・松尾芭蕉あたりを由来する場所がとても多いです。平氏伝承(いわゆる平家の落人伝説や、平将門やその遺族の痕跡と伝える物)も見掛けます。

旅館にあった赤ベェは大きなクッションで、上に乗っかってズブッと顔を埋めると、気持ちがイイです(≧▽≦)。
雨降りだらけで、始終体が湿って不快感の拭えない旅行だったので、今回は特に旅館や昼食などで入った室内がホッとしました(^_^A)。馬肉も露天温泉も、すこぶる満喫感が高かったです(笑)。
特にこの柳津に居た合間は、なぜか雨も殆ど降らず、この圓徳寺を巡りながら見た只見川の蛇行する様など、晴々とした気持ちで見れました♪



<こたつ城主 2012/05/14(Mon) 15:40>

>Syoさま、2(つづき)

圓徳寺は上に登っちゃうと普通のお寺なのに、下から見上げる菊光堂と仁王門は、何か凄まじい雰囲気があります(^_^A)。いかにも竜王が「難攻不落」と諦めそうな(笑)。
また只見川を見下ろす絶景としても、菊光堂の舞台は広々として雄大な気分になります!

徳一は書き物によっては、空海とは仲良くやってたように言われてますが、空海が本を貸して欲しくて、徳一を持ちあげた言い方をしてる書類が残ってるだけのようで、空海にもずいぶん議論を吹っ掛けたようです(^_^;)。
ただ徳一自身の書いた物は無く、最澄の遺した文献から、質疑の内容が推し量れるという事なんだと思います(^^ゞ。

徳一を藤原仲麻呂(恵美押勝)の子とする説がありますが、法相宗の興福寺が、藤原氏の氏寺でもある事から出て来た後付なのかもしれません。
奈良仏教と平安仏教の論争という点が重要だと思います。
東北には大同年間の創立伝承が非常に多いです。
大同年間は平城天皇の即位期間で、平城天皇が奈良に都を戻そうとして阻まれ、東国に行こうとしたとか、もっと前には道鏡が流刑されたのも下野ですし、東国に活路を見出そうとする古い仏教勢力があったか、或いはそのように後付する伝承が多いのかな、と思います。

嵐山の法輪寺さんはヤギですか(笑)。確かに知恵を下さる神仏という事なら、文殊サンでいいような気がしますね(^^ゞ。
思うに「虚空蔵=丑寅」という方位付が重んじられるのではないかしら?
丑寅は東北、つまり鬼門ですからね(笑)。国家的単位で厄除けする方位なので、特に力を入れた……なんて事があるかしら?(≧▽≦)
 
     

     
  「将門雑記(風と雲と虹と)」「武将診断あなたの人生」


<むらじさま 2012/05/17(Thu) 21:33>

はじめまして!
むらじ と申します。
「風と雲と虹と」つながりでたどり着きました。

武将診断をやってみたところ、滝川一益さんにお目にかかり、お言葉を頂戴しました。
^^;
深〜い箴言ですね。
なんども読み返してしまいました。
(^^ゞ

あまりにもよかったので、記念にカキコさせていただきます。



<こたつ城主 2012/05/18(Fri) 20:58>

>むらじ様

はじめまして。「風と雲と虹と」頑張って書いたコーナーなので嬉しいです(^^)。
武将診断……μ(。。)m、あ〜厳しい事を言われてますね(笑)。
でも御籤とかで背筋を糺されておくと、ここ一番の時、失敗しないで済む事もあるんで、元気出して下さい(^^ゞ。
見付けて頂き、また良いように受け取って下さって、ありがとうございました。
 
     



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