<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」2008-12(下総2手賀沼南岸1)、2

     
  <YORIさま 2009/01/01(Thu) 23:11>

はい、再びお邪魔します〜(^。^)(笑)

>香取神社の近くの「光明院」ですかっ。おお〜! じゃこたつも行ってみます!
その満仲の供養塔、発見できました?(行けば判るのかなぁ)

実は光明院ですが、先日は結局行けなかったんです(涙)
戻ってから佐原の事を公開されている方のサイト↓を読んで初めて知りました。
http://www.sawara.com/tera/kou/kou.htm
供養塔は境内にあるようです。

でも一方ではこれはおかしいと言う意見もあるようですね。
源満仲が東国に派遣されたという記録は見つからなくて、それも晩年になってから遠くの東国に遠征するのは考えにくいと言う事らしいです。

真実はともかくとして、光明院は往時は「多田城」として機能していたらしいですヽ(^。^)ノ
多田城は、千葉介常胤の子胤頼が初代城主で、のちに多田氏の居城となったみたいです。
地図は↓です(^。^)
http://map.yahoo.co.jp/print?lat=35.52.25.567&lon=140.32.53.422&memoもしまた千葉に行く機会があれば私も訪ねてみたいなと思ってます(^^ゞ



<林 光明さま 2009/01/02(Fri) 16:17>

明けましておめでとうございますm(_ _)m
今年もよろしくお願い致します。

たわごと、拝見しました。

レンコン畑、いつ頃から栽培されているんでしょうね。
かつては水運の盛んな土地柄だったのでしょうが。
それとも、湿田として使われていたんでしょうか。
歴史的には湿田の方が現在の乾田よりも古そうなので、これもアリかも、と思ってしまいました。

将門神社の放れ駒、なんか、将門の一生を象徴しているような気がしますね。

鰻屋さんの建物、自然木を組み合わせて建てられたような感じで、建築の妙に心惹かれました。鰻もおいしそうでしたよ。

手賀曙橋の水面、本当に水運業が盛んだったような印象を強く持ちました。

そして出てきましたね。水運で鳴らした岩松氏。まさかここで出てくるとは…(笑)

それにつけても相馬御厨、広いし、歴史も複雑ですねぇ…
下司職の二重取りってのは、割とよくある話のような気がします。
佐竹氏の預職ってのは、下司職の上位なんでしょう。
勧農とか、やらせてたんでしょう、きっと。



<こたつ城主 2009/01/03(Sat) 03:23>

題名:明日おらぬかも〜

↑です毎度(^^ゞ。

※ 過去更新状況
12/26「城主のたわごと」2008年12月
12/15「作品の広場」の「将門雑記(風と雲と虹と)」40〜46話
(↑関連事項「城主のたわごと」2008年10月)
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を


>YORIさま

サイトと地図URLありがとうございます〜♪
境内ですか(^。^)。行ってみる気は充分にアリです(爆)。
だいたい「川西市が佐原の姉妹都市」ってのは知りませんでしたので、その意外さだけで正月から目出度いです(笑)。

う〜ん確かに、経基・頼信・頼義・義家・義朝・頼朝あたりは出て来るのですが、「満仲」になると、こちら関係の著作物で見掛けた事ないのは確かです(^_^;)。。
ただ将門関連で扱う中には、その後の、特に今回など相馬御厨の話があって濃厚ですが、それと関連するのか「祖先相伝の場所(^。^)」とか言う気配の話も入ってるので(笑)、もしかしたら鎌倉時代あたり、「ここは満仲の時代から将門の平定に一翼を担った場で〜」とか言ってた頃があったかもな〜なんて、ちょっと思ってみました(笑)。
例えば「満仲まで遡っちゃえば、佐竹氏も入って来るしな〜」とかいう具合に(爆)。

>源満仲が東国に派遣されたという記録は見つからなくて、それも晩年
>になってから遠くの東国に遠征するのは考えにくいと言う事らしいです。

経基(父)と満仲(子)は、満仲の方が年上っつー変な親子なんですなぁ(笑)。
「経基」だと「将門記」にシッカリ記されてるので(^_^;)、同時代に重複して構わない満仲って事かな〜とか色々想像しますね〜♪
あとチラチラ検索してみたら、満仲の弟には上総掾が居たとか居ないとか(笑)。
その辺の謎解きもあって、姉妹都市になったのかしらっ(≧▽≦)。

あと、多田城の事もありがとうございました(^^ゞ。

>千葉介常胤の子胤頼が初代城主

ほらほら、何か匂って来てますものね(笑)。



<こたつ城主 2009/01/03(Sat) 03:24>

>林 光明さま

明けましておめでとうございます(^O^)!
こちらこそ宜しくです〜♪

「城主のたわごと12月」ありがとうございます〜!
レンコンは、気付いた時には湖面が狭〜くなってて、「あそこに陸があったか?(^_^;)」(という具合に見えるんです蓮の下は水なんですが)と思うようになりました(笑)。
かなり急速な勢いって感じがします(^_^;)。。

鳥善、なかなかスゴイ建築なんだけど、いつ閉鎖されてもおかしくない場所って感じもして(^_^;)、そうなってからだと紹介は愚か、中に入るのも困難なので、必死こいて撮影しました(笑)。
あと、将門とウナギって組み合わせが、地元以外ではちょっと想像しにくい結び付きに思えて、思わずデカデカ取り扱ってしまい(笑)。

曙橋の所には今は水門があって、水流調節されてると思いますが、あの辺りは昔は洪水、今は汚水のイメージばっかりで(^_^;)、でも仰せの通り、暗い面ばかりじゃなく、水運の拠点のために砦や城が多く作られ、自然の恵みで潤ってた歴史も見詰め直したい所です。

>佐竹氏の預職ってのは、下司職の上位なんでしょう。

この場合「預職」その物を指すか判りませんが、貢納品を徴集して納入する責任者を指すようで、つまり直接的な権限に近い立場って事じゃないかと思います。
細々書くと登場人物が増えたり煩雑になるので(^_^;)書かなかったですが、ちょっと書き足すと、上分配分の問題で、根幹の原因は神宮の内部抗争にもあった、という事ですね(^^ゞ。

ただ千葉氏については、支配の全てが取り消しになったかまでは、ちょっと判らないんですが、下司は現地における荘園の管理者に過ぎないので、神宮としては問題解決に積極的ではなかった、という事のようです(^_^;)。

また御厨の管轄問題として、特に「二重」を強調してしまいましたが、これも推移が長くなりそうなので割愛してしまった所で(^_^;)、実は相馬と大庭に関する義朝の問題は、一般的には「乱入事件」として取り扱う内容かもしれません。
つまり頼朝に至る二代の源氏親子が、坂東武者を支配・統括していった過程として出て来る話なのかもしれません(^^ゞ。



<北畠具顕さま 2009/01/09(Fri) 23:50>

どもです。

吉川弘文館の「戦争の日本史 東国の戦国合戦」は
「北条上杉武田だけじゃない!千葉、小田・・・」など中小の勢力に注目したような本になってるようですね。

後、こちらでは注連縄に「笑門」と言う札がかかってるんですが
私、すっかり「笑門来福」の笑門かと思ってたんです。
ところが最近「蘇民将来子孫之門」の省略形「将門」が
「ゲ、平将門と一緒ジャン」ということで「笑」に変えた
という説を知りました。

・・・無理あんじゃないの?と思いました(笑)。



<こたつ城主 2009/01/10(Sat) 23:09>

題名:明日おらぬかも〜

↑毎度(^^ゞ。
三連休って今日知り(爆)。明後日についてはまだワカランです〜。。

※ 過去更新状況
12/26「城主のたわごと」2008年12月
12/15「作品の広場」の「将門雑記(風と雲と虹と)」40〜46話
(↑関連事項「城主のたわごと」2008年10月)
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を


>北畠具顕さま

>吉川弘文館の「戦争の日本史
コレ高くさぁ(^_^;)。。あと千葉や小田って全国版かなぁ(笑)。
ただ前回仰せの「兄弟デュオ」は何か気に入って、そっち方向(分担保険)に話をまとめて良かったなぁ〜と(笑)。

>蘇民将来
ふむふむ。蘇民将来だと「将門来福」は日本っぽいけど、前に中華料理店で「将門」という字の入った、バリバリに中国風のお札を見掛けた事があって(^^ゞ。
経営も従業員の方も中国人(もしかして台湾かな)だったので、元から中国で「門に貼るお札」などに、この字を用いる事があったのでしょうかね。

ただ、「将門と一緒だとヤバイから」となったとなると、「笑門」から先の流れは「日本ならでは」なんですね(笑)。
「笑うカドには福が来る」とは、子供の頃から知ってる言葉ですが、「取替え字」が発祥としたら、実は「笑っても福は来ない」のかしら〜〜。。。
 
     

     
  <小野寺維道さま 2009/01/31(Sat) 01:52>

どうもです。
やっと自力で入れるようになりました。
いろいろとお手数おかけしました。
早いものでもう12分の1が終わってしまいますね。

たわごと拝見しました。
12月の
「六所神社」ふむふむ御所が恐れ多いので「六所」ですね。
山形のほうの六所神社を二カ所ほど見たら確かに六神を祀ってました。
ウチの町には「六十六所神社」というのがありまして、室町期にはあったようですが、「660番地」にあったからという無茶苦茶な由来です。
日本全国聖地巡礼を六十六国を意味する「六十六部」と言い省略して「六部」とも言ったようです。
いつから言うようになったか判りませんが・・。

「高野」の地名。
ウチの町にも同じ地名があるのですが、全く同じ由来(高野山)で伝わっています。驚きました。



<こたつ城主 2009/02/01(Sun) 02:54>

>小野寺維道さま

おおっ? そっか入れましたか〜(^^)//<パチパチ
そんなになりますか、1月……て終わっちゃってますねっっ( ̄□ ̄;)。。
うぉ〜正月の後は怒涛の日々で、カウントの間も無く(汗)。

「城主のたわごと12月」ありがとうございます〜♪
いや、「御所が恐れ多いから」というのは、六所塚でも「伝承の一つ」として書かれてはいますが、「将門の埋葬地が近い所から連想された事なのかな〜」と推測の及ぶような書き方ではありました(^^ゞ。
案内版には、やはり国府の祭祀形式について補足されてはいますし、他に下妻に「五所(神社)」って所もありますし(^^ゞ。
千葉県市川の国府台公園も周囲は「六所の森」と呼ばれ、六所神社(総社)もあって、やはり周囲が下総国府跡と言われてます。

ところで「高野」の方が、書いてみて良かったですっ!
私も聞いた時期すらウロ覚えなので、「書こうかどうしようか(^_^;)」と迷ったのですが、聞いた話は確かに「高野山」でした(笑)。
やっぱり同じ由来なんですねっ(≧▽≦)。これは発見です!!
 
     



ホーム