<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」2008-10(将門ツアー@茨城編3)

     
  <こたつ城主 2008/10/20(Mon) 16:20>

題名:「城主のたわごと」2008年10月

↑昨夜アップしました〜。
宜しくお願いします(^^)。(他「今週のご挨拶とお知らせ」)

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<林 光明さま 2008/10/20(Mon) 20:22>

たわごと、拝見しました。お疲れ様だったと思います。

薬王院の「慈覚」って、慈覚大師円仁ですね。東北地方は円仁の開いたお寺が多いと聞きましたが、ここもそうなんですね。

>国司の着任とかあるたびに、国許は何かと物入りだったんじゃないかと(^_^;)。。
これは当時、そういう儀式があったみたいですね。国司が正式に国入りする時に、国境まで迎えに行って、そこで小宴を張って、それで国司のお供をして国府に入る。
国府に入ってからも色々儀式とか宴会をしなくちゃいけなかったのでしょうね。

常陸国府跡の柱穴、径1.5mって、柱穴としては、とてつもない大きさですよ!
普通の国府跡の柱穴、だいたい1mもないですよ!さすがに大国の国府跡だなって思いました。

取手市・桔梗塚、桔梗の漢方のお話、参考になりました。さすがですね。

国王神社の本殿・拝殿は、藁葺きですか?茅葺きにも見えるんですが…?
その重厚感は、じわっと伝わってきます。

取手市「延命院・神田山・将門胴塚」、時宗2代他阿真教の「南無阿弥陀仏」の文字、顕彰とは違った意味で、供養の真剣さが伝わってきます。
観音様と六道地蔵も、供養の一環なんでしょうね。

それと、常総市「平将門公赦免供養の碑」、謂れも含めて、なんか、いいなあ、って思いました。



<こたつ城主 2008/10/21(Tue) 17:20>

>林 光明さま

「城主のたわごと10月」早速ありがとうございます(^O^)!
慈覚=円仁サンは、こないだ行った山寺(立石寺)でも円仁団子とか売られて、東北では一大地名人だと思いました(笑)。
将門の時代より前の人なんですが、三毳山が出身地だと、山寺で買った本には出て来ます。これは将門の戦歴だと最後の方の「下野国境(付近)の戦い」があったと推測される地と同じ所かもしれません(^^ゞ。

国司の国入り、やっぱスゴイ大変だったんですね(^_^;)。
そうそう、ドラマでも迎えに来ないのがダメだとかいう話になってて、そういうたびに賄賂も出さなきゃいけなくて、「面倒臭〜」という感じがしました(笑)。

国府の柱穴は、その直径の太さまで考えが到らなかったですが(笑)、そんなに大きいんですね〜(*o*)。
確かに常陸は他と比べて権威が高かった感じはしますし、礎石とかなら、近くに石材の宝庫みたいな筑波山があるので、大きな石を持って来る事が他より可能だったと思いますが、柱の大きさまで差をつけるとは……この時代って、そういうトコにまで違いをつけたのかしら〜!!(汗)

桔梗の話は有名すぎて、何がどう派生したのか調べるだけで大変そうなので、何となくコジツケてしまいました(笑)。

「国王神社」は、アレ茅葺ですかね(^^ゞ? そうかもしれません。
建物自体についての説明は、残念ながら見掛けなかったのです。スゴイ重厚感でしょう?

私はナント首塚の方にまだお参りしてないんですが(^_^;)、胴塚の傍らに、真教上人の拓本の字を配した慰霊碑がある事は、行ってみるまで知らなかったので、ちょっと感動しました。
東京の神田と、そう物凄い距離ではないんですが、各々別々に祭祀して来たと思いますので、合体供養とは良い事を考えついたものです。
ウチあたりでもそうですが、如蔵尼については地蔵信仰が伝わっているので、今回の茨城ツアーで、地蔵に至った理由がちょっと判ったような気もしたような……?

赦免供養の碑。
北条時頼が行脚したとかいう話って全国にあると前に聞いた覚えがあるんですが、それでも将門終焉の地で、私もやっと慰められた逸話でした(^_^A)。



<北畠具顕さま 2008/10/30(Thu) 21:46>

たわごと読了。

将門編終結、まずはおめでとうございます(笑)
伊勢平氏だのなんだのいっても
伊勢はあんまり平家の興味がないのか(笑)
「清盛の冠が当たった木」とかくらいですわ。
あと、亀山の関氏とかね。

ですので将門の話は大変興味深く拝見いたしました。
あの時代は保元平治の乱まで何かしら源平が関東で大騒ぎしてるので、武家にはストレスのたまる時代だったんだなぁ、と思いました。



<こたつ城主 2008/11/01(Sat) 00:42>

題名:明日より三連休なので

↑(日付変わって今日か)だいぶ出方が不定期になると思います〜スイマセン毎度(^^ゞ。

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>北畠具顕さま

「城主のたわごと10月」ありがとうございます〜(#^.^#)。
私は逆に伊勢に興味持ったんですが、伊勢は平氏に無関心なのね(;_;)。。
実際、伊勢に行った頃の詳しい事はよく判ってない感じします。。
京に張り付いて西海進出に血道を上げて、地元に密着してたワケでもなかったのかなぁ……(土着しきって叛逆企ててもアレでしょうが:笑)。

あ、そうだ。前……8月ごろ仰ってた貞盛ネタ。顔におできが出来る話かな?(笑)

将門の頃は、まだ武家って感覚すら成立してなくて、ちょっと想像が届きにくいですね(^_^;)。ちょうど史料的にも空白が出来たと言うか……前後の繋がりが読み取りにくい時代なのだとか。。
 
     

     
  <小野寺維道さま 2008/11/01(Sat) 13:21>

無事に接続できました。
いろいとありがとうございました。

パソコン歴は永いのですが、仕組みが全然わかっていないので・・・(笑)。

拝見いたしました。
今仕事でつくば市内のあちらこちらを回っているので、
ところどろこ、かすりながら行き過ごしている将門ゆかりの場所が多々あるのを思い知りました。

「延命院のぢぞうさま」
とても気になりました。何だか曰くありげですね。
ぢぞうさま6体+本尊1体で・・・。
将門には七人影武者いたという伝説と関係がありそうな・・・。
まあ、総数は本人を含むか、含まないかによって変わってくると思いますが、本人を含めて7とすれば合致します。

ウチの町にも、影武者伝説があり、こちらは本人+七人と伝わり八つの塔があります。

林様のところとレスで円仁のお話が出てましたね。
円仁さんは壬生氏出身でお父様は三かも(←字が出ません)の関の役人をしていたらしいです。三鴨は今も東北道が通っていますが、当時も東北への玄関口だったので、円仁は幼少の頃から通行人に出羽陸奥の話を聞き、思いを馳せていたのかも知れませんね。 三かも山の麓にはひっそりと円仁生誕の地の石碑が建ってます。

桔梗はそうでした。
お世話になってます。痰が絡むので
いつも服用している咳止めの薬に入ってます。
なぜ、キキョウエキスなのかと思ってました。
車通りは激しいところに桔梗の墓があったとは知りませんでした。ありがとうございます。

井戸伝説
わが町に板戸井と言う地名があるのですが、これまた将門の井戸伝説から来た名前のようです。



<北畠具顕さま 2008/11/02(Sun) 22:26>

>武家って感覚すら成立してなくて
そうなんですよね。でも刀持った元皇族やら貴族のボンボンてイメージも絶対に違いますし。
良家のお坊ちゃんがちょっと田舎にやってきて地元の族をシメテ(笑)調子こき始めたってイメージが一番合うのかなぁ・・・。



<こたつ城主 2008/11/03(Mon) 04:14>

三連休中につき、時間がメチャクチャで申し訳ないですm(__)m。


>小野寺維道さま1

あ〜良かった取り合えずの所は、ね(^_^A)。
休み明けたら、また調べてみましょう。こちらこそ色々とm(__)m。

「城主のたわごと10月」ありがとうございます(^O^)。
筑波は今は「つくば市」に限定されてて、それでも他と比べりゃ広い市ですけど(笑)、昔はさらに広範囲を指して「筑波」と言われてたんじゃないかな。
http://map.yahoo.co.jp/address?ac=08&type=
今回は桜川市・石岡市に行きましたが、坂東市・常総市を本拠地にスラ〜と筑波まで非常に広範囲に戦線が展開されてるので、かなりの広い範囲と言えると思います。

>「延命院のぢぞうさま」6体+本尊1体で・・・。
それには気が付かなかったっ(≧▽≦)。そうですよね!

>ウチの町にも、影武者伝説があり、
>こちらは本人+七人と伝わり八つの塔があります。
まぁ! どこにあるんでしょう(゚.゚)。私も是非拝ませて頂きたいです!!
「延命院」の「将門山」が暴かれる事なく守られて来たのが相馬御厨だったから……という所を見ますと、守谷の将門城にも昔は何か伝承があったのでは、と思いました(^^ゞ。

将門伝説に付き物の「七」は、妙見菩薩=北斗七星、つまり千葉氏との関係が伺えるそうです。影武者の墓(塚)が千葉市にあるそうなので、その内に行ってみたいと思います♪
大河ドラマ「風と雲と虹と」では、将門の最期に絡んだ影武者の話は無いんですが、「野本の戦い」に至る戦い(21話)で、将門主従が衣装を交換する場面が盛り込まれて、「あ、これ何気に影武者じゃ(=^m^=)?」と思いました(すかさずチェック〜:笑)。
http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/sakuhin/masakadozakki/21-26.htm#a

円仁さん、こたつもようやく(ちょっとは)話が出来るように〜(≧▽≦)。
やっぱり三毳(みかも)山ですか。生誕地の石碑があるなら、どうも間違いなさそうですね(^^ゞ。
秀郷が参戦した初の戦い「下野国境(付近)の戦い」で、「将門記」では、

「(将門側の大将達が)実否ヲ見ムガ為ニ高キ山ノ頂ニ登リテ遥カニ北方ヲ見レバ」

「高山」としか書かれてないのですが、推定で「三毳山」とされ、「栃木県下都賀郡岩舟町の西方1キロ」だそうですが、現地の地理に詳しくないので(^_^;)。。小野寺さまが仰る場所と近いでしょうか?
円仁さんが800年代、将門は900年代と、将門の方が新しいので、将門軍がここで多くの戦死者を出した慰霊に、何らか関りがあったなんて事も考えられるのかなぁ〜と。



<こたつ城主 2008/11/03(Mon) 04:15>

>小野寺維道さま2(続き(^^ゞ)

桔梗の墓は、レポだと最後の方に近く、だいぶシンミリ調で書かせて貰いましたが、実は旅程ではだいぶ最初の方で、「ウキウキ将門ツアー(^^)」と思ってた頃なんです(爆)。
竜禅寺で「桔梗の墓のお参りもしたいんですが(^^)」とか図々しく聞いて、お寺の方が、これまた懇切丁寧に地図まで書いて下さって、せっせと行ってしまいました(笑)。
確かに車通りはかなりのモンですが(^_^;)、筑波あたりに比べると、ホント取手や坂東、あと常総あたりまではわりと将門の史跡があって、行ってみて「ズ〜ン」と暗くなるような場所ではないですので、小野寺様も宜しかったら是非一度(^^)/。

>坂井戸
初耳です(゚.゚)。
そういや千葉県にも関宿あたりだったか確か野田市(坂東市の隣ですね(^^ゞ)に、そういう伝承地があるような事、読んだ気がします。
また色々教えて下さいネ(^^)。


>北畠具顕さま

いや、「刀持った王侯貴族」ってのが意外や、かなり狂暴だった可能性も無くは無い時代かもしれません(^_^;)。。
もしかしたら、「将門の乱」をキッカケに、貴族はより貴族らしく(?)、武士はだんだん後の武士らしくなっていったのかな〜という感じもします。

ただ……返って誤解を招く危険もある表現になりそうで怖いんですが……、貴族から武士になる過程の前後に、なぜか「盗賊」も入る、といった感じのする時代と言うか(笑)。



<小野寺維道さま 2008/11/10(Mon) 23:07>

いろいろと調べていたら面白くなってきて、
こたつさんのお話をもとに
将門関連の足跡を地図上に記してみました。

だいぶ古いのですが岩舟町の歴史に記載がありましたので、
一部引用して記します。

秀郷の本拠地は、唐沢山、あるいは栃本付近と言われています。秀郷は村桧神社で先勝祈願をしたとあるので、
これは三毳山から見れば北に位置し、将門記の記述と合います。この麓で円仁は生まれてます。

御門神社
将門をまつり将門明神とも呼ぶそうです。御門と馬宿という地名があり、馬宿は濠をめぐらし土塁で囲んだ中世の館跡らしいものがあり、御門にもむかしは同様のものがあったそうです。馬宿はその名前からも将門の下野攻略時の拠点との伝承があるようです。(注、御門・馬宿は小字名で現在は使用されていません。)

地図は家マークを見てください。



<こたつ城主 2008/11/11(Tue) 19:10>

>小野寺維道さま

地図拝見しました〜☆ミ
岩舟町の歴史調べられただけでなく、場所も調べて作られたんですねっスゴイ!!(*o*) お蔭で判りやすかったですー!
うんうん本拠地の唐沢山から出て来て、三毳山までの間に布陣なりしていれば、三毳山から見下ろして察知できますねっ(゚.゚)。おおおお!

円仁生誕地と三毳山って思ってた以上に近いですね!(≧▽≦)
どうも如蔵尼に関わるのは「慈覚」ではなく「慈慧」が正解(いわきの恵日寺ではそうなってる)と思えてたんですが、三毳山も少し気になってまして(笑)、円仁が修行した大慈寺と秀郷が必勝祈願した神社のこの近さも……(・・;)。

この時の秀郷軍は4000だとか言うんですが(^_^;)、よく考えたら、そんだけ大勢だと、近くのお寺に援助を受けたりする事もあったかもしれませんね(^^ゞ。
すると、どちらかと言うと秀郷軍側の慰霊という感じもしますが、将門の首を送ったのは「下野から」となってるのも事実ではあります。

御門神社も初めて知りました(^^ゞ。これまた近いですね〜!私もちょっと探してみたのですが……、
御門神社:http://www.iwafune-kankou.com/iwafune_map/mikado.html
(「岩舟町観光協会」:http://www.iwafune-kankou.com/より)
コレも、読みが「みかど」なんですね(^_^;)。
子孫が成田山新勝寺に参拝に行かない、というのに似た伝承があるようですが、小野寺さまの出して下さった地図で見ると、これまた唐沢山から遠くはないですよね……。。

下野にも将門拠点の伝承があるんですね(^^ゞ。
戦歴から見ても、下野国境で2回はやってますからね〜。
 
     



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