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「将門雑記(風と雲と虹と)」34〜39
<こたつ城主 2008/11/15(Sat)
00:33>
題名:「将門雑記(風と雲と虹と)」34〜39話
↑アップしました〜。「作品の広場」に入ってます。
「将門雑記(風と雲と虹と)」34〜39話・関連事項
「城主のたわごと9月」<良兼出陣「子飼の渡し合戦場」>後半以降
(今回更新分は「城主のたわごと9月」最後まででして、「城主のたわごと10月」より後のは、まだ「将門雑記」が追い付いてないので(^_^;)、追い付き次第(なるべく)アナウンス入れたいと思います)
明日はおらぬと思います〜毎度(^^ゞ。
<林 光明さま 2008/11/16(Sun)
19:14>
ご無沙汰しておりましたm(_ _)m
今回の「将門雑記」も楽しんで読ませていただきました。
特に卓見だと思ったのは、
>土地に宿る神より、父祖の妙罰の方が遥かに怖いぐらいの世代ばかりが集まって、その土地に相応しい旗を掲げようとするシーンは、日本に初めて、本当の意味で人々の違いを乗り越え、軍旗が登場した瞬間と言えるんですね。
この部分で、「火雷天神」の旗が初めて出てくるんですよね。
この直後あたりから、やっと京都では北野天満宮が創建されて、天神信仰と慰霊が行われ始めてきます。
将門の上司だった平忠平の兄の左大臣時平が落雷死して、それからというもの、京都周辺で落雷による火災が頻発し、「火雷天神」と呼ばれるようになったらしく、これは個人の祖霊をはるかに上回る神威を持っていましたから、軍旗としても、おそらく当時はとてつもない霊力を持ったものと思われたのでしょうね。
特に古代や中世の戦いというものは、大義名分がものをいいますから、「火雷天神」には、相手も吃驚したのではないでしょうか。
あなどれませんね、将門(笑)
<こたつ城主 2008/11/17(Mon)
17:11>
>林 光明さま
「将門雑記」早速ありがとうございます!!
北野天満宮って、ネットでは天慶5年(942)とか天暦元年(947)とか出て来ますねっ(゚.゚)。
ドラマではその前身みたいな社が出て来るんで、将門の乱より前って意識が何となくあったんですが(笑)、この頃になって、将門の京への影響力が言われ出して、逆に将門の方は、身内との争乱の延長に過ぎないみたい解釈が主流になりつつあるので、もしかしたら、乱の方が創建に影響したなんて事もあるのかなぁ〜?(今イチそれだけは考えた事がなかった:爆)
純友との共謀も、将門側から見ると「?」という感じになってしまうのですが、しかし純友が将門の挙兵に呼応して動いた感じに見える点は、軽々にはどけられないのです(^^;)。
「火雷天神」の旗が上がるシーンは「将門記」には無く、私の知る限りでは海音寺サンの原作が初見なんですが(^^ゞ、それでも原作ではほんのチョロ扱いで、ドラマになってドカーン!と大々的に取り上げてるんです。それだけに感動するんですが。
当時は大陸や半島の動乱で、新王朝が出来たりしてた影響もあるのか、「将門記」の作者については「革命論者では」という見方もあって、将門やその周辺が新皇即位に道真の霊を用いる点には、未だに疑問が残らなくもないのですが、そこがドラマの解釈では「近所のお友達が書いてくれた旗なんだっ(^O^)」て感じなのがカワイイんです〜(≧▽≦)。
>個人の祖霊をはるかに上回る神威を持っていましたから、
>軍旗としても、おそらく当時はとてつもない霊力を
なるほど!(≧▽≦)
ドラマみたく「考えあぐねて何気にやった事」でも、国家単位では物凄い影響があったと考えてみると、確かに将門恐るべし!ですねっ(笑)。
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