<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」2008-09(将門ツアー@茨城編2)

     
  <こたつ城主 2008/09/15(Mon) 14:33>

題名:「城主のたわごと」2008年9月

↑アップしました〜。

「城主のたわごと9月」関連事項
「作品の広場」の「将門雑記(風と雲と虹と)」21〜26話

(「下野国府(付近)の戦い」より後のは、まだ「将門雑記」が追い付いてないので(^_^;)、追い付き次第(なるべく)アナウンス入れたいと思います)

以上、宜しくお願いします(^^)。(他「今週のご挨拶とお知らせ」)


※過去更新状況
09/08「作品の広場」の「将門雑記(風と雲と虹と)」21〜26話
08/19「城主のたわごと」2008年8月
 関連事項「作品の広場」の「将門雑記(風と雲と虹と)」01〜07話
                   〃             08〜13話
                   〃             14〜20話
他、「今週のご挨拶とお知らせ」「議事録」など〜詳しくは「更新歴」を



<林 光明さま 2008/09/15(Mon) 15:55>

たわごと、拝見しました。

回転寿司・将門のイカスミを使った「墨友」、爆笑でした!キムチを使った「火雷(カライ)天神も、良い線行ってます(笑)

桑原神社の東に新設した階段より、約12m南方台地を掘り下げた所、発見されたという石柩、かなり大きな古墳の石棺だと思いました。おそらく在地の強大な首長の古墳跡でしょうね。

八幡菩薩と菅原道真の怨霊が同時に神託を下すという、極めて稚拙にすら思えるこの下り、私は八幡大菩薩と天神とは、京都方面でかなりの神威を持った神霊だと思っていますので、個人的にはあまり稚拙とは思えないんです。むしろ、京都向けへの強い霊的なアピールのような気がしました。

川曲の戦い
郷土史家団体「つくばね会」は「川曲は地名ではなく、毛野川が迂回した旧関本・旧河内」と主張してる件、可能性は高いと思っています。地名自体が地形を表す場合も多いので、川が大きく曲がっている箇所を、地名ではないにせよ、そう呼んでいた可能性が高いかなと。

鹿島神社は「常陸国十六郷総鎮守」、古代の場合、国司が任国に赴いて一段落すると一宮をはじめ有力神社の参拝をしなければならなかったので、平安期において、国内の有力神社を一箇所に集めて「総社」とし、ここに参拝することが多いです。ここの神社もその一箇所ではなかったかなと思います。

利根川や鬼怒川の周囲というのは、つい最近まで「水害の歴史」が続く件、農作業にとっては水害は大変な被害をもたらしますので、これと戦った先人は、やはり尊敬されると思うんです。その意味では「将門」も先駆者の1人だったのかもしれませんね。

石井(いわい)の井戸、それに石井営所跡、雰囲気ありますね。
石井の営所跡は、左右に林立する樹木が大内裏の朝堂院を思わせて、こういう風に配下の武士たちを並べさせたのかなあと思ってしまいました。

薬王院の三重塔は、ちょっと見だけですが、かなり高度な技法で建設されているように思えました。色彩豊かな装飾建築というのも、保存状態が良いことを物語っていますね。



<こたつ城主 2008/09/16(Tue) 18:59>

>林 光明さま

「城主のたわごと9月」早速ありがとうございますっ(^O^)!
将門は海か陸かって言えば陸なので、寿司のネーミングは難しいと思ってたんですが、意外や色々思いつくので、自分でも驚きましたっ(笑)。
食べられない辛さを、こうやって紛らわせているのですぅ〜。。

国庁跡近くから出た石柩は、「下総開拓時代の古代遺跡」との事なので、開拓だから、かなり後の時代でも入る気がしますし、将門の頃にはあったでしょうし(^^ゞ。
で、私の頭の中では、良将・将門父子が、「我々の先人の遺跡」と大事にしてた場所が、後になって村人達に「よく訪れておられた場所(^^)」という具合に将門伝承と繋がったのだ、と勝手に(無理やり)ストーリーが膨らんでます(笑)。

八幡と天神は、当時としては反権力的要素の強い信仰と言うか……そんな感じのようです(^_^;)。
この下りは、かなり唐突な印象があるんですが、事実にせよ脚色にせよ、確かに仰せの通り、京に対する霊的アピールという要素はかなり強いのかもしれませんね。
現時点では、「稚拙な発想とは言えない」という点を重視していいと思います(^^)。

川曲の地名については、幸田露伴も今では相当に古い人なので(^_^;)、筑波山の東って言う人は、今はあまり居ないかもしれません。
一方「つくばね会」のいう関本という地名は、現在だと、私の行った野爪よりちょっと北に見られますが、どれぐらいの範囲を指す地域なのか……。
研究者は相当に古い地図も見て研究してるのでしょうから、地名でなく土地の形状を示す語意と見ると、かなり古くを見ても無いのかもしれませんね(^^ゞ。

野爪の鹿島神社は、江戸幕府が歴史的社会的な存在意義を評価したという事なので、こういう事を決めるのに、わりと調査できる時代に入ってますから、それなり吟味が入った結果だろうと思いました(^^ゞ。

>国司が任国に赴いて一段落すると一宮をはじめ有力神社の参拝を
>しなければならなかったので、平安期において、国内の有力神社を
>一箇所に集めて「総社」とし、ここに参拝することが多いです。

あ〜なるほど。国司の最初の仕事なんですねぇ(^^ゞ。
鹿島神社は地域全体に物凄く多いんですが、「十六郷総鎮守」に行き会えたのは偶然だったので、そう考えるとちょっと繋がりあるかもで、嬉しいです(^^ゞ。
常陸国府は次回出ますが、「総社」跡らしきは地図で見たものの行けてないので(^_^;)。。

水害・水運については、林様のご専門に近いように思います(^^)。
将門の戦歴についてはまだ謎が多いと思いますが、水害と抱き合わせると、理解されにくい苦悩の様子も裏に伺え、大層気の毒な感じもしますし(;_;)。。そんな苦労も無く、発展してからシャアシャアと移り住んで来た者としては、逆に尊敬の念も一層です〜!

将門の史跡の中では、やはり坂東が雰囲気濃厚でした(^^ゞ。特に井戸近くの水田の風情は〜井戸の神様が現れそうでした(^^)。
井戸跡も営所跡も、敷地は小さいですが、これからあの辺りもドンドン開発されるでしょうから、貴重な場所です。
他にも伝承地など多くあるのでしょうが、行政でHP紹介してくれてるのが何より助かりました。

薬王院は山門からして凄く古風で立派で、入らずに居られなかったです(^^ゞ。
そうですね。成田山新勝寺の建築家という事なので、名匠の作ではないかと思います。
今は南に直接行けるルートが出来て、このお寺に来る人が激減したとお寺の方が仰ってたのが、少し気になってます。。



<林 光明さま 2008/09/17(Wed) 19:54>

>国庁跡近くから出た石柩は、「下総開拓時代の古代遺跡」

画像を見た限りにおいては、平安期ではなく、それよりずっと以前の、考古学的にみて古墳時代の「石棺」と思われます。
5世紀中頃か遅くとも6世紀頃のものと見ました。
おそらく前方後円墳か、円墳、方墳の石棺と考えられます。
おそらく、あの「総の国」一体を支配していた「在地の首長」なんだろうと思います。

その意味では、城主様のご想像は実際の可能性があるかもしれませんね。



<こたつ城主 2008/09/18(Thu) 20:10>

>林 光明さま

実は次回も将門伝承地の古墳が出て来る予定なんですが、これは最近の事もあるかもしれませんが、盗掘によって古墳が失われたそうです(^_^;)。。

だから将門伝承地になった、というワケではないんでしょうが、実は今回も石柩の所で書いた千葉県市川の国府台、ここも古代の石柩が「里見弘次」「里見義弘の弟、正木内膳」の遺体を入れていた、という伝承が残ってます。国府台合戦に絡んででしょう。

単に講談や芝居などの影響じゃないかとは思いますが、もしかして上古の古代人遺跡より、戦で死んだ武将の名を借りた方が怨念とか恐れる人が多かったからかな(笑)。
 
     

     
  <こたつ城主 2008/09/20(Sat) 09:24>

題名:明日おらぬかと〜

↑毎度(^^ゞ。
来週は後半ちょいと旅行すると思うので、出て来れはするかもしれないけど、レスは月曜と、その後のは週明けになるかもです〜。m(__)m



<北畠具顕さま 2008/09/23(Tue) 20:54>

たわごと読了

いよいよ、将門挙兵ですねぇ。
おじさんたちのいじめに耐えかねてっていうイメージ強いです(笑)。
あんまり知識がなかったですが、将門は初期に負けてるんですねぇ。連戦連勝で、負けるのは最後のイメージしかなくて。

お寿司は・・・・・・、凝りすぎるとお客さんつかないような気がしますよ(笑)



<こたつ城主 2008/09/29(Mon) 15:11>

レス遅くてスイマセンm(__)m。


>北畠具顕さま

「城主のたわごと9月」ありがとうございますっ(^O^)!
はい! いよいよ将門挙兵編に入りましたっ(^^)。

>おじさんたちのいじめに耐えかねてっていうイメージ強いです(笑)。

その通りでございますっ(笑)。少なくても将門を主役で見る場合は(経緯には諸説あれど)、その見方が行くのが、まさしく正解と思います!

で、そうなの、そうなの(笑)。私もそうでした(^^ゞ。
誰々が殺されたとか逃げたとか、将門の敗戦に絡んだ逸話って、ぜぇ〜んぶ最後の最後の合戦に集約されてるんだと思ってました(^_^;)。
しかし、そうじゃないんですねぇ。なのでドラマではどっちかと言うと、連戦連勝の後の敗戦劇&復活劇をすごく感動的に描いてました。

お寿司、それがね〜!
レポアップ後も「あれも載せれば良かった(>_<)」とか色々思い浮かんじゃって、ますますお客来ない向きにっ(笑)。



<小野寺維道さま 2008/10/05(Sun) 22:36>

どうもです。

将門拝見いたしました。「○間木」は「牧」でしたか。珍しい地名だとは思っていたのですが、「牧」と考えれば簡単ですね。

先日、我孫子に栗拾いに行ってきました。
道に迷っていると「日秀」という珍しい地名が・・・。
看板を見ると将門神社とゆかりの井戸と書かれた看板がありました。
寄らずに帰ったのですが、
先日の稲戸井の井戸の話といい、あちらこちらであるんですね。



<こたつ城主 2008/10/06(Mon) 17:10>

>小野寺維道さま

「城主のたわごと9月」ありがとうございます〜!!
「古間木」「大間木」は私も最初「難しい地名(゚.゚)」と思ったんですが、これが「牧」と知ると、「古い牧場と大きい牧場かぁ〜(^^ゞ」と(笑)。
その程度で印象ごと大きく変わるから、古くから残る地名って意外なんですよね〜!

そうそう、前回も稲戸井(取手)にありましたが、今回レポの「石井(いわい・坂東)」も井戸伝承でした♪
はいはい! 「日秀」ってありますね。我孫子あたり(^^ゞ。
何か互いに、相手の県ばかり訪れ合ってますよねっ。私は逆にその辺りの伝承とか、まだ行き届いてないんですよ(笑)。
しかし、やはり井戸がありましたか!
将門と井戸の関係(伝承)って、かなり広範囲なんでしょうかね(^_^;)。
 
     



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