<掲示板・議事録>


     
  「将門雑記(風と雲と虹と)」01〜07話


<朝川 渉さま 2008/06/21(Sat) 19:38>

将門雑記(風と雲と虹と)を拝見しました。海音寺さんの作品は去年からぼちぼち復刊されているので、もしかして将門も期待してよさそうにも思ったりします。
平将門関係では、永井路子さんの「悪霊列伝」もありますね。



<小野寺維道さま 2008/06/23(Mon) 00:24>

ごぶさたしてました。

将門雑記、拝見致しました。
「平将門」は中学か高校の頃、読んでそれっきりで、すっかり忘れていましたが、こたつさんの将門雑記を読んで記憶が蘇りつつあります。
「はとり」「しだ」など現在の土地を推定するのは楽しいですね。信太庄なんていうのも聞いたことがあります。
次回の更新を楽しみにしています。



<こたつ城主 2008/06/23(Mon) 17:44>

土日おらなんでm(__)m。


>朝川 渉さま

「将門雑記」ご覧ありがとうございます〜。
古本でいいんですが、どうも定価が高そうだし、どの出版社のが何巻編成なのか編集社のサイトにも書いてなく(^^;)。。図書館の目録で調べればいいのかな(汗)。。
復刊は文庫が望ましいですね(笑)。永井さんの書籍の事ありがとうございます。


>小野寺維道さま

「将門雑記」と「城主のたわごと」ご覧頂き、ありがとうございます!!
小野寺さまは読まれてるんですね〜まぁ学生の頃じゃ覚えておられなくて当然ですけどね(^_^;)。私は取り合えず小説じゃなく、歴史関係の本を読んでおきました(^^ゞ。

地名は(例によって:笑)結構あちこちに同じ地名があるんで何とも言えないのですが、「しだ」は東石田じゃないかと思います。「はとり」が茨城県だと筑波と石岡の方にあって、千葉県だと栄町(利根川の所)辺りにもあるんですが(他にもあるかも)、たぶん筑波山付近のじゃないかな〜と(^^ゞ。
 
     

     
  「城主のたわごと」2004-04(奥多摩編2)


<YORIさま 2008/07/06(Sun) 11:32>

そうそう、こたつさんにお礼を言わなきゃ〜(*^^)v
先日、八王子城に行って参りましたよ。
こたつさんのレポもコピーして持って行きました。
御主殿の所に行くのにとても参考になりました。
この場を借りてお礼を申し上げますm(__)m
どうも有難うございました(^_^)/~



<こたつ城主 2008/07/07(Mon) 17:43>

>YORIさま

八王子城には無事に行かれたようで何よりです。
コピーして持ってって下さったんですね〜! 感激です〜。
ただ、八王子城については殆どやっつけレポでした(^_^;)。。
全部廻ったわけではないし、写真もダメが多くて〜とてもじゃないけど参考に出来る物ではなかったと思います〜。。。(汗)
 
     

     
  「城主のたわごと」2008-06(麻賀多神社2・我孫子編・牛久編1)


<こたつ城主 2008/06/26(Thu) 18:59>

題名:「城主のたわごと」2008年6月

↑アップしました〜。宜しくお願いします(^^)。
他「今週のご挨拶とお知らせ」。

※過去更新状況
06/19「作品の広場」の「将門雑記(風と雲と虹と)」01〜07話と、「今週のご挨拶とお知らせ」。
05/30「城主のたわごと」2008年5月



<YORIさま 2008/07/02(Wed) 21:57>

こたつさん、こんばんは〜(^。^)
「城主のたわごと/6月編」お疲れ様でした(^。^)
コメントを寄せて貰うのが遅くなりましたm(__)m
で、待ってましたよ、『麻賀多神社』!!ヽ(^。^)ノ
ありがとう〜!!♪♪

千葉を訪れた時にたまたま知った神社で、どんな感じの場所なのかな〜?とずっと思ってました。写真も豊富に紹介されていて嬉しかったです(^^♪
麻賀多神社は佐倉と成田にあるんですね。
大杉の大木の大きさには驚きました。
こたつさんが"米粒"みたい〜〜(笑)

佐倉の方は佐倉総鎮守で藩主の堀田正愛(まさちか)着用の胴丸があるそうです。
その堀田氏は、大河ドラマ「篤姫」でちょうど出て来ているので感心が湧いてます。
旧堀田邸を訪ねた時の事を思い出しながら「篤姫」を見ています(笑)

「麻賀多神社」って名前が変わっているので、どんな謂われがあるんだろう?って思いますよね。
なるほど『麻』がキーポイントだったんですね!(^^)!
確かに「マ」で始まる地名や人名は、千葉に多いような気がします。
「馬加城」や「真里谷城」「万木城」「馬武根陣屋址」などなどね・・・
って、みんな城跡じゃんねえ(笑)(^^ゞ

牛久城・・・
昔、上野に勤務していた頃、牛久から通勤していた後輩がいました。
その後輩に牛久城の事を訊ねたことがあるんですが、その彼は城にはあまり興味が無くて、私の中では「幻の牛久城」のままで今まで来てました(笑)
牛久城のレポートもありがとうね(^^♪
今も堀切や土塁が残ってるみたいなので、一度この目で見てみたいです(笑)(^。^)

それではまた伺います♪(^_^)/~



<こたつ城主 2008/07/03(Thu) 20:34>

>YORIさま

「城主のたわごと6月」ご覧ありがとうございます〜!
麻賀多神社ね〜やっとレポ上がりました(^O^)。
境内はそんなに広くはないんですが、確かに沿道で目を引く神社ですよね〜。
あの山奥っぽい雰囲気の中に突然って感じで、尚更。
でもあの深そうな森を見ると「かなり大きいような? 山道を登って行くのかも?」と、他にも廻りたい所が沢山ある遠方から来た方だと、寄ろうかどうしようか迷うのもよく判ります!(近所の私ですらそうでしたから(^^ゞ)

「麻」を格別に由緒に上げているのは、社紋として重要だからだと思いますが、由緒には日本武尊(ヤマトタケル)も7つの玉を埋めた話があり、創始者の伊都許利(いつこり)命(印波国造)が掘り起こしたという勾玉も、これなのではないかと思いますので、勾玉と麻に関わる両方を統合した結果なのかもしれませんね。
すると、やはり「マガタマ」も(=^m^=)。

あとは、近くの印旛沼の「潟」や、「縣」も関係するのかもしれません。

>「馬加城」や「真里谷城」「万木城」「馬武根陣屋址」
>って、みんな城跡じゃんねえ(笑)(^^ゞ
そうなんですよ(^^ゞ。特に↑「マキ」というのは古いようです。
これを「馬城」と言う人もいます。馬なのか麻なのか、それとも馬も麻も後からで、もっと前から伝わる音なのか……。
ウチ辺り「松戸」も「松の郷」とされているのですが、もっと古くは「馬津郷」だったようで、「馬橋」なんてトコも近いし、「馬来田」などもあって、当て字が最初だったにせよ「馬」はかなり古そうです(^_^;)。
「馬加」は「マカ」ですが「マクワリ」と呼んで「幕張(マクハリ)」と同語源とも考えられ、いずれにしても「マ」だらけです(笑)。

私も今度、佐倉の方にも行ってみようと思います(^^)。
堀田氏の邸は、私もYORI様の所で拝見して以来の宿題になってます!(笑)
そうそう! 篤姫に出て来てますよね!

牛久にも知り合いがいらっしゃるんですね〜(^O^)。
かなり竹林が覆ってて、写真だとその合間に見る感じになって見づらいかもしれませんが、樹木の密生で上から土が被って来るみたいな事が少なくて済むからか、遺構じたいはかなりシッカリと、高地は高く、堀は深く残ってる感じがしました(逆に枯葉の駆除とかは大変かもしれないけど(^_^;))。
城跡が好きな人には、かなりそそられる状態で保存されてる気がします(笑)。



<YORIさま 2008/07/06(Sun) 11:32>

こたつ城主さん、おはようございま〜す。
成田の麻賀多神社、機会があれば私もいつか行ってみたいな〜と思いました(^^♪
それに千葉の「ま」の文字にまつわる話も面白いですね。
こうやって日本の歴史の中に埋もれた「不思議」を探すのも本当に楽しいです♪



<こたつ城主 2008/07/07(Mon) 17:43>

>YORIさま

私もYORI様の行かれた将門山や堀田邸、他にも小弓城や千葉城もまだ行ってない(>_<)。。
近いと返ってそれに甘えて、なかなか行かなかったりするものですね〜。。
千葉県の魔の多い地名(←こう書くとコワイ)、今後も意識に入れて各地を廻りたいと思います!
 
     

     
  <朝川 渉さま 2008/07/13(Sun) 19:40>

麻賀多神社は千葉県にいくつもあって、どれもが香取の海の沿岸に分布していたと考えているサイトもありますね。これのURLは失念しました。神社は鎮魂のためにつくられたという意見もあるけど、ほかにもいろいろ考えられるでしょうか?



<こたつ城主 2008/07/14(Mon) 17:24>

>朝川 渉さま

麻賀多神社の方もお読み下さって、ありがとうございます(^^)。
うん、麻賀多神社が印旛沼の東南にしか無いとかいう記述も読みましたね(゚.゚)。
印旛沼も香取海の一部と見ていいと思いますので、何か固有の事情でもあったのか……。それともアガタに「m」音がついただけかっ?(笑)



<小野寺維道さま 2008/07/15(Tue) 22:03>

私事でスミマセン。
どうやら、近いうち、旅行記で取り上げられていた「牛久城」へ行くことになりそうです。

ことの始まりは、「ほろわ」からです。昨日群馬の太田と桐生へ調査に行ってきました。
太田金山城に母衣輪神社跡がありまして、
新田氏(岩松氏)が代々武運長久の神として崇敬していたらしいのですが、家臣の由良氏(新田源氏を称す)に城を乗っ取られました。由良氏はのちに桐生に移動。この時に母衣輪も分祀しました。さらにのちに由良氏は牛久へ移動。この時にもどうやら、母衣輪も分祀したらしいのです。

話がまわりくどくて、スミマセンでした。
灯台もと暗しです。
どこにあるか、わかりませんが調べてみます。
合祀になっていたり、場合によっては、なくなっちゃっているかもしれません。

次回の更新楽しみにしています。



<こたつ城主 2008/07/16(Wed) 20:44>

>小野寺維道さま

「城主のたわごと」ご覧頂いて、ありがとうございます〜。
牛久城に行かれるんですか?! わ〜い(^O^)。私も「小野寺さんが行ったらいいな」と思ってましたー☆ミ

でも……え? 「保呂羽」絡みで(゚.゚)? おおっ?!(笑)
はいはい、今ちょうど牛久城の続きレポ作ってる所ですが、由良氏、出て来ます〜。新田氏だったんですね〜。
牛久城自体は岡見氏の城として跡地に紹介されてまして、その視点だと、後北条氏側として活躍した城なので、どうしても秀吉が出て来て以降は「小田原征伐により開城し、後で由良氏が入って来た」という軽い扱いに(^_^;)。。
なので由良氏については、あまり調べませんでしたが、そうですね〜分祠か……。

自信は無いんですが、無くなってないんじゃないかな、という気がします。
まず城跡じたい今イチわかりにくい場所なんですが(^_^;)、それでも城跡が見付けられたら、その裏手、私はこれ北東(鬼門)に当たると見たのですが(方位磁石を持ってなかったのですが(^_^;))、神社があります。
うん、言われてみれば、ちょっと変わった神社だな〜という感じはしましたね。
そうですね。ちょうど来週更新する予定なので、もしお急ぎでなければ、ちょっと見てから行って頂けるといいかなぁ……(不要かなぁ)。

暑いもんだから、パソコンが熱暴走して四苦八苦してます〜(TOT)。。
でも頑張りますね〜!



<小野寺維道さま 2008/07/21(Mon) 22:48>

毎日暑いです。
暑い序でに図書館へ行って「牛久市史」を調べてきました。
お目当ての「母衣輪」は載っていないようです。
大概のほろわ信仰は神仏習合の修験道だったので、明治の廃仏毀釈の際に神社化できたものが現在残っています。

上手くいかなかったものは、合祀や廃寺になってしまったような・・・。

地図で見ると、たしかに北東の方向に、神社と寺があります。
まあ、初期段階の地図調査と、一次資料で見つからなかっただけですから。古資料が見つかるかもしれませんし。
なによりも現地調査を重要視していますので、
次回の更新を見させていただいてから、訪問したいと思います。

パソコンうちも暑いです。何とかならないですかね。



<こたつ城主 2008/07/22(Tue) 19:08>

>小野寺維道さま

>大概のほろわ信仰は神仏習合の修験道だったので
て感じがしますね(^^ゞ。明治の廃仏毀釈の影響については、そちらにもちょっと書きましたが、安閑天皇は蔵王権現のような気がしたり(^_^;)。
日本武尊なら関東でも多いですが、これも単に武士社会=武神という流れかな〜と(^_^;)。
ただ白鳥大権現は江戸期の片倉氏(仙台伊達氏家臣)の時代からかもしれません(^^ゞ。

牛久ですが、せっかく行かれるなら城跡もご覧になりたいでしょうが、城跡は夏は薮蚊が多そうです(^_^;)。。虫除けスプレーをお忘れなく。
それでもスゴイ竹やぶなので、もし断念しそうでしたら、拙レポで恐縮ですが(^_^;)、写真をご覧頂いてからだと、何か目星がつかれるかもしれません。

神社あたりなら平地なので夏でも大丈夫だと思います。
神社は、パッと見で「変わってるかも(゚.゚)?」と思ったのは、(そちらで話した事とも被りますが)刀を祀ってるんです(^^ゞ。あと馬に乗った……武人でしょうかね?

あと私らは行かなかったんですが(偶然行けただけなので(^^ゞ)、牛久城の近くに「得月院」という寺があって、そこにカッパの絵を書いた芋銭の墓があるんですが、由良国繁の母「妙印尼」の墓や、「金竜寺」にも由良氏ゆかりの五輪塔があるそうですよ。
「妙印尼」:http://www.ushiq.net/~ushikujyou/kunishige/kunishige05.htm
(「牛久城のHP」http://www.ushiq.net/~ushikujyou/より)

はい、熱暴走に打ち勝って、何とか続きを更新しようと頑張ってます〜(笑)。
データが重いんでしょう。画像でド〜ンと動きが止まります( ̄∇ ̄;)。。。
 
     



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