<掲示板・議事録>


     
  志賀高原旅行&「城主のたわごと」2005-09(上州〜信州4)、3


<こたつ城主 [関東] 2005/10/07(Fri) 19:20>

題名:更新しました〜

↑まずは「今週のご挨拶とお知らせ」。あと「議事録」と「石和川中島合戦」の議事録。
詳しくは「今週のご挨拶とお知らせ」と「更新歴」をば。



<こたつ城主 [関東] 2005/10/08(Sat) 19:29>

題名:明日はおらぬです〜

↑毎度(^^ゞ。



<さま [関東] 2005/10/08(Sat) 21:21>

こたつさま、こんばんは。
遅ればせながら、松代のレポを読ませて頂きました。
松代には10回行っているのですが、いつも駅周辺しか見られないため、レポでいろいろな史跡が見られて楽しかったです。

明日は、松代の真田まつりに行って参ります。
ウワサの『豆州庵』も見つけたいと思っていますが、私はコーヒーが苦手なので、コーヒー専門店では入れませんね。(汗)
とりあえず、外観だけでも拝んできます。

『豆州』と言えば、やはり『真田太平記』ですね。
普段から昌幸は信幸のことをそう呼んでいたのですが、一番印象に残っているのは、犬伏での密談の時に、信幸が「父上は混乱に乗じて世に出るつもりでは」というようなことを言った時に、昌幸が「豆州!!」と叫び、雷鳴が轟くシーンです。
あの辺りの緊迫した雰囲気は、なかなか良かったですよね。



<たみいさま [東海] 2005/10/09(Sun) 11:41>

今週のご挨拶から、

「熊の湯」、ですが、
実は、今、ウチに来ている職人さんが、
この夏、そこへ行った時の話をしてくれましてね、
「良いトコじゃった」、そうです。
一家四人で車で行ったそうです。
破格値段の、何とか言う公共施設に宿泊したそうです。

>明日はおらぬです〜

ほんと、毎度でございますわね。
今日は、昨日までの猛暑は去り、丁度よい気温です。
雨も上がりました。
松代の真田祭り、かなり集合なさっているのでしょうか。
第一報を城に持ち込むのはどなたでしょうね。
・ ・城主殿、と言うのは有り?。



<こたつ城主 [関東] 2005/10/10(Mon) 19:20>

>紫さま

「城主のたわごと(旅行記)」読んで下さって、ありがとうございました。
松代の史跡はどこもいい所なので、何回行っても同じ所に行く事もありますよね(^^ゞ。
私も車で行くようになったのはここ2回ばかりなので、その前はエンエン歩きでした(笑)。歩きの目線の方がいい所ですけどね(^^)。でも遠い所は本当に大変。
紫さまも、あの松代マップを頼りに歩かれるのでしょうか(笑)?

松代の祭りを見学したのは、紫さまに初めてお会いした2001年の秋が最初で最後でした。
松代は秋がいいですよね〜。私は春にも一度、あと夏にも2回ほど行った事ありましたが、残りの十何回は全部、秋〜冬でした(^^ゞ。
紅葉の美しい頃の「白鳥神社」はいいですよ〜。山が特に美しい季節ですね。

で「豆州庵」!(笑)
ええ、外観だけでもぜひ見て来て下さいまし〜♪
他にも松代城の再建にともなってでしょうか、前に紫さまと一緒に見た時より、グレードアップした建物が多くなってた気がします(^^)。いい所を見つけたら教えて下さいネ。

「たわごと」では「草の者が見てるから気をつけて!」とか書きましたが(笑)、実は私、中でコーヒー飲みながら、犬伏の陣における昌幸・信之のセリフを店内で絶叫してました(爆)。
「豆州、冶部少輔が決起したことは存じておろうな」
↑ここから雷鳴の後の「これで決まったのぅ」まで全部(^^;)。。。


>たみい様

え(゚.゚)? たみい様の所に来てる職人さんが「熊の湯」に?
はいはい、そちらに書いてありましたね〜(修繕ご苦労さまです(^^ゞ)。
一家とか団体とか、大勢で行くにはイイ所だと思います。
特に史跡とかは無いんですが(あんな山奥は開発できる時代じゃないと人は入れないだろう(^_^;))、ハイキングコースがた〜くさんあります。何度行っても全部攻略するのに何回もかかりそうで(笑)、家族や仲間と「また来よう」と言い合えます。
スキー場なので、スポーツが好きな人でも好みそうですし、何しろ安いし(爆)。

松代ですが、祭りには行ってません(^^ゞ。こないだ安いとは言え散財しましたから、しばらくはおとなしく……(笑)。
ただ熊の湯に行った帰り、「一度、真田線を通ってみよう」と、もう夜に近付いてましたが、松代を通りました。
主人はここを通ると「どうしようかな、もう一泊しようか」と言い出します(笑)。
通るだけでは勿体ないですね(^^ゞ。
 
     

     
  <犬夜叉さま [近畿] 2005/10/12(Wed) 11:35>

こたつ城主さま、こんにちは。
おいで下さいましてありがとうごじゃります。

地元の祭り、私用などでバタバタしておりましたが
こたつ城へはロム専ですが入城させて頂いております。

「城主のたわごと9月」上州〜信州・真田ロード4も拝見しました。最終回、おめでとうございます。
そして、お疲れ様でした。m(_ _)m
新撰組の香取くんのポスター懐かしいです。
佐久間象山は松代出身でしたね。京都三条小橋上るで暗殺されました。佐久間象山、大村益次郎遭難之碑があります。

松代城も再建されたのですね。
淀城も再建の話があるようですが・・・どうなのかな?
桃山城もあるのですが、このお城は民間企業が遊園地のと一緒に建てたもので
文化財の価値がなく残念ながら数年前に閉園されました。
現在は京都市に管理されていますが。。。



<こたつ城主 [関東] 2005/10/12(Wed) 16:15>

>犬夜叉さま

ずいぶんご無沙汰になりまして(^^ゞ。
お祭りがあったのですね。私も秋以降なにかと忙しい方で……。

「城主のたわごと(旅行記)」見て下さって、ありがとうございました。
そちらにお書き頂いたのを転写して下さるよう、私が頼みました(笑)。
今後はこちらの話はこちらでお書き頂ければ幸いです。

佐久間象山の史跡は、「たわごと」にも書いた通り松代にはわりと多く、犬夜叉さまが言われる「京都三条小橋上る」という記述も、各所で見掛けますよ(^^ゞ。
去年は私も楽しんで見てたので、近藤@香取のポスターを見た時は嬉しかった(笑)。
ポスターは近藤なのに書いてあるのが「佐久間象山」なので、さらに笑った!

松代城の再建は、去年、私の行く数日前に完成したようでした。
淀城や桃山城にも再建の話が出ているのですね。
遊園地や動物園になった城跡ってけっこう聞きます(^_^;)。



<石野真琴さま [関東] 2005/10/13(Thu) 00:20>

>こたつ城主殿
>志賀高原
 志賀高原へ行かれたそうですね。石野真琴はまだ行った事があります。今回松代のお祭に行くついでに戸隠神社に参拝してきました。
>戸隠山・飯縄山
 戸隠高原、飯縄高原と言う案内板を見かけました。長野のあの辺も多少観光に力を入れていると見ました。
>地蔵峠越え
 こたつ様も地蔵峠越えの道、真田線を使って松代から真田へ抜けられたとか。この道は昔から地蔵峠越えと呼ばれます。真田幸隆が砥石城を攻略して後に尼飾城を攻略するのに使った道だと言われます。
>十福の湯
 石野真琴がこの地蔵温泉「十福の湯」を知ったのは四年ぐらい前の事でしょうか。やたらと広い露天風呂が気に入ってあの辺に行くと必ず入ります。タオルだけ用意すれば600円で入れる日帰り温泉施設は、大変便利でありがたい存在です。
 今年も松代からの帰りはこの地蔵峠を越えたので、「十福の湯」で1時間程のんびりしてから帰って来ました。



<こたつ城主 [関東] 2005/10/13(Thu) 17:02>

>石野真琴さま

はいはい志賀高原(^^)、行って参りましたよ〜♪
石野真琴さまも松代の真田祭りに行かれたそうですね〜。梵天丸さまにご報告頂きました。

戸隠は私も一度だけ行った事があります。それもナント初めて松代に行った時!
咄嗟に予約したユースが戸隠でした〜。懐かしいなぁ。
でもその時は川中島に行くのが目的だったので、戸隠自体は宿だけでした(^^ゞ。
こんど三水村とか行ってみたいです。少し道路も判って来たのでそのうち徐々に(笑)。

で、そうです〜。や〜っとこれまた20ウン年の念願ですが(笑)、真田線を通りました。残念ながら夜でしたけど〜。。
そう地蔵峠ね(^_^;)。何で通りたいと思ってたのかも忘れてましたが、石野さまのお話で思い出しましたわ! そうよ真田幸隆が最初に攻めて来たルートと聞きましたっ。うぉ〜何年前だろ、それ聞いたの!
今度は日のある内に風景を見ながら通りたいんですが……その「十福の湯」が、やはり予想以上に良くて(笑)、あの露天はホント居心地いいですわ〜。
なので、今度通る時は昼にするか夜にするかで、すごく迷ってます(^_^;)。。
 
     

     
  天正伊賀の乱、1


<やましろじんごさま [近畿] 2005/09/26(Mon) 21:32>

「ありゃまぁ!」の原因がわかりました。
半角500文字、全角250文字までしか受けつけてくれないのです。(なんて心の狭いブログサイトなのでしょう)。
 グ?、グ、愚れてやるぅ。

   パソコンが死んでしまいました。
「伊賀の乱@物語風の城砦レポ」の文章も画像も、南無阿弥陀仏。
 埃を被っていた、前のパソコンをひっぱり出して・・。
また、書き直せばいいんですけどね。

このパソコン二度目なので捨てます。
お前に三度目は無いぞ!
え〜ぃ、捨てちゃる!

で、「お前はもう死んでいる BY ケンシロウ」

死んでいる、死んデル・・、。で、デルのパソコンを注文しました(大笑)。

キャンペーン中で安かったからなんですけどね。
明日、送って来るらしいけど、オイラ明日は留守だけんね。

        ナンピト
週一回の休み、「何人たりともオイラを止められない」ぜェ。



<こたつ城主 [関東] 2005/09/27(Tue) 17:22>

>やましろじんご様

そうそう! メールの返事ありがとうございました!
そうなのっ、昨日そちらの書き込みに失敗しましたっ(>_<)。
え? ブログ……ってじゃヤフーかよ原因はっ。
おのれっ正義の刃受けてみよっヽ(`Д´)ノ <ズバッ
あ、でも字数制限でしたか(^^;)。イヤン、意外と古典的原因なのネン(恥!)。
じゃ又後で……どうしよ、2つに分けて出してみるか(笑)。

で、そちらの「ありゃまぁ!」は……パ、パソ劇死ですかっ(^^;)。。
わかるっ。「おのれっ、何度も生かして貰えると思うなよっヽ(`Д´)ノ 」と言いたくなりますよね(笑)。あ〜でも捨てられるとは羨ましい。。

>死んでいる、死んデル・・、。で、デルのパソコンを注文しました(大笑)。

何じゃそりゃあっ!(笑)

今日は週一のお出掛けデーですか。元気に行ってらっしゃいませ(^^)。



<やましろしん子さま [近畿] 2005/10/03(Mon) 19:52>

こたつ城主さま
ボードのみなさま

 こたつ城主さま、あちらのボードは文字も小さく、文字数制限があり、好きではないので、こちらのボードにレスをいたします。

 忍びの者に関しては、興味はありますが、さほど詳しくありません。

 私の頭の中には、子供のころに感化された、白土三平氏の「サスケ」や「ワタリ」、「忍者武芸帳」あたりのイメージと、司馬遼太郎氏の忍者物の知識で構成されています(笑)。

 資料館で忍び道具を見たり、観光用に移築された忍者屋敷に入ったことはありますけど。

 確か、甲賀の忍者屋敷でしたが、忍者装束を着けた「くのいち」が、からくり回転戸の実演をしていました。
 紫色の装束が嘘くさかったのですけど(笑)、屋敷は現存のもので、至る所に仕掛けがあって面白かったですね。

でも、家ごと焼き討ちされたら終わりですけど・・。
だから、伊賀攻めで焦土作戦に出たのでしょうか。

 甲賀は近江に近く、佐々木六角氏の影響力も強かったのですが、ま近に信長軍の強さを見て考えたのでしょう。
 伊賀攻めの武将に、蒲生氏や多羅尾氏の名が出てきます。

 上忍は親方衆で、藤林、服部、百地などが知られ、戦国大名に雇われ下忍を派遣し、ご存知のように、諜報、撹乱、城攻めと、その技量を発揮したことでしょう。

 甲賀衆、伊賀衆、根来衆、北条氏の風魔党、真田忍者などなど興味はつきません。

 上忍から見た下忍は、家来と言うより奴隷に近く、近在の幼な子を買ってきて技を仕込んだのでしょうか。良くあったと言う「神隠し」も怪しいですね。
 (司馬遼太郎氏に感化されています)

 私、思いますには、上忍が庄屋で、中忍が自作農、下忍は小作農(水呑み百姓)と言う感じではないかと。で、上忍は利権と統制を得る為に「掟」を作って支配したのでしょうね。

 嫌になって逃げ出そうとすると、廻状で締め付けるのは、現代でも同様の組織893がありますね。

 伊賀を回って思うのは、在地土豪と忍者の関係です。
在地土豪はその領土を持っていて、小さくても領主なわけです。一所懸命ですね。忍びの者とは違うような気もします。

 服部半蔵正成は、家康伊賀越えの危機に、伊賀の忍びを数百人動員しているので、影響力を持っていたと思われますが、忍者と言うよりも「槍の半蔵」で有名な武将ですよね。

 おそらく、伊賀の地に血縁、地縁の服部半蔵が居て手助けしたものでしょうか。
 それとも、茶屋四郎次郎の銀を使い、雇ったものか。

 この功で、伊賀衆が「お庭番」として登用されたのは、周知のことです。

 この服部半蔵の名は世襲制で、雑賀鉄砲衆の鈴木孫市と同様と考えられます。

 伊賀市喰代に百地丹波守城は残っていますが、これが上忍の百地氏の城かどうかは判りません。
 百地氏は、第一次伊賀攻めでは、山岳ゲリラ戦で活躍し、第二次伊賀攻めでは、最後の拠点・柏原城に入っていますが、その後の消息は不明です。一説では、紀州に落延びたとか。

 名張市竜口の百地城の近くには、「三太夫」という名の、一見砦風の焼肉屋があって笑っちゃいました。

 ここ竜口には百地屋敷があり、今も子孫が住んでおられるとか。
 伊賀市にも澤村氏館(非公開)があり、今も忍者の子孫が居住されています。

 男子スケートで、織田信長の子孫と言う、織田信成くんが頑張っているので、不思議はありませんけど・・(笑)。

 「伊賀の乱」の草稿が、南無阿弥陀仏でございますので、下山甲斐等に関しましては、次回に。

長文大変失礼いたしました。
            やましろしん子   かしこ



<こたつ城主 [関東] 2005/10/04(Tue) 19:17>

>やましろしん子さま

↑だんだん変化して来ましたね(笑)。
なぜかこの板、女装する男性が増えちゃうんですよ(爆)。

>あちらのボードは文字も小さく、文字数制限があり、

ブログ〜〜(苦笑)。ご多難の事ご同情申し上げます(^_^;)。
いずれ正式にサイトオープンされるまでの繋ぎとの事ですから、それまでのご辛抱ですよね。今後もサイトオープンに向けて頑張って下さい(^^)。

私も白土三平さんの漫画、子供の頃は一つ二つ読んでましたっ(笑)。サスケは全部読んだ覚えが……。サスケやカムイは学校で貸し借りが流行ったんですよね(^^ゞ。
司馬遼太郎さんのは、ついこないだ「風神の門」を読んだのが「忍者物」としては初でした(^^ゞ。
あとは、その都度出る「忍者物」の本かな(^^ゞ。忍者物って何年に一度か流行する、という流れがあるそうで、そういう時に色んな本が出るんでしょうね(笑)。

で、そちらで書いた事の重複ですが、「上忍」とか「下忍」というのは「司馬さんの作った概念」と他のサイトで知りました。
でも山城さまのご想像、やはり私もそんなイメージでして(^^ゞ、相応する何らかの身分制があった、とは思います。うんうん、庄屋に自作農に小作農……そんな感じかも。
というのも、忍者って余程の物好きじゃなければ、自らあれを職にしないと思うんですよ。どこぞから物心もつかない幼い孤児なりを連れ去るか、兄弟を人質に取るとかで何らか弱味につけこんだり、貧乏人から買うなりってな人員もあっただろうな〜と。

>嫌になって逃げ出そうとすると、廻状で締め付けるのは、

「抜け忍」ですね(笑)。……「廻状」って何?(爆)
あと茶屋四郎次郎って伊賀超えの手伝いをしたんでしたっけ(^^ゞ。
あ〜「伊賀者は金次第」って感じですよね。あと甲賀に比べるとスタンドプレーが多いとかね(笑)。
百地氏。メチャクチャ悪役にされてる漫画を読んだ事が……(^^;)。伊賀では最後まで織田に逆らった勢力なんですね。なるほど(笑)。……藤林はどうなったんだろ。。

伊賀攻めって、「悪の温床根絶」って理想を掲げた一方で、為政者個人の好みに起因する、ともよく描かれますよね(郵政民営化みたいな物かな:笑)。

焼肉屋「三太夫」はイケますねっ(笑)。そういう写真も抜け目なく撮影しといて、伊賀のレポートに花を添えたらいいと思います〜(^^)。
 
     



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