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天正伊賀の乱、2
<teruさま [地球外]
2005/10/05(Wed) 12:51>
忍びの話に思わず飛びついてしまいました。
私の愛してやまない森家も雇い忍にん♪(素性は今一はっきりしないのですが研究の結果、甲賀が濃厚らしい)の束ねをされておられたと言う事で、忍びの話、非常に興味深かったです。
> 紫色の装束が嘘くさかったのですけど(笑)
十数年前に行った時、伊賀忍者屋敷では赤と黄色の忍にん♪がおりました。流石に目立つ色を着ているだけはあり、何だか動きがにぶかったです(^^; ←勤まらないじゃん♪
<やましろしん子さま
[近畿] 2005/10/05(Wed) 19:07>
こたつ城主 様
teru 様
ボードの皆様
ううん、わたしは性格美人よ。
>正式にサイトオープンされるまでの繋ぎとの事ですから、それまでのご辛抱ですよね。今後もサイトオープンに向けて頑張って下さい(^^)。
ありがとうございます。や、優しいなぁ。
藤林長門守の墓が、伊賀市東湯船にあり、戒名が百地丹波守と一字違いなので、同一人物とする説もありますね。
白土三平氏も、そう言う展開をしていました(笑)。
藤林長門守の本拠地は北伊賀で、甲賀に近く、甲賀と伊賀に君臨するといったストーリーでした。藤林氏は「伊乱記」に、藤林、富士林と出ていて、蒲生氏郷の軍と戦っています。
私が今回、参考にしている「校正・伊乱記」は、明治三十年発行のもので、著者は「三重縣阿山郡友生村大字喰代在 百地織之助」とあります。
喰代って、あの百地丹波城のある地なのです。さらに名前の右肩には三重縣平民とあり、印刷者の名前の右肩には三重縣士族とあります。
ベースの「伊乱記」は江戸時代に、伊賀市の住人・菊岡如幻の記したものです。
後に伊賀を領した藤堂家の伊賀上野城・城代家老、藤堂采女元則は、服部半蔵正成と血縁関係にあり、五代目・藤堂元甫の残した、「三国地誌」は、藤堂家の領国、伊勢・志摩・伊賀の沿革、地勢、文化を記録した大冊で、配下の忍び者を使ったと推察されます。
この「三国地誌」に、伊賀の城館位置や沿革が記述されています。最近、復刻されて、伊賀上野城で販売しているように聞いています。
伊賀の乱で土豪連が籠もった「比自山砦」の東山麓にある、西蓮寺に藤堂元甫の墓所があるのも縁でしょう。
↓ご存知かもしれませんが、「家康伊賀越え」のサイトです。
http://www.m-network.com/sengoku/ieyasu/igagoe00.html
茶屋四郎次郎は、本能寺の変を知らせに、急遽、堺の家康と合流しています。
表向きは商人ですが、京都での探題を兼ねていたのではないかと思っています。
また、家康に随行していた、榊原康政は伊勢出身の武士で、出身地に榊原温泉があります。
>「抜け忍」ですね(笑)。……「廻状」って何?(爆)
「廻状」は、「○○の理由で、破門もしくは、放逐した旨」を書いて、親分衆や仲間うちに知らせるもので、これが廻るとどこも雇用してくれません。
>焼肉屋「三太夫」はイケますねっ(笑)。そういう写真も抜け目なく撮影しといて、伊賀のレポートに花を添えたらいいと思います〜(^^)。
思っても見ませんでした。
私の文章は性格同様硬いので(きっぱり)、それは良いかも(笑)。
次は、下山甲斐ですね。
<こたつ城主 [関東]
2005/10/06(Thu) 18:27>
>teruさま
こたつは忍者物には長く興味が薄かったのですが、このごろ「風神の門」という昔の時代劇を見て、はしか熱のように俄かに沸騰しました(笑)。だから忍者屋敷には行った事が無いのです〜。
森家が忍びの統領というのも初耳(゚.゚)。
地元の忍びを束ねてたのかな? 信州の出浦氏みたいに。
(出浦氏については、先々月の「たわごと」(上田)にちょっと書いたです〜)
>やましろしん子さま
カマ言葉が出始めたさっ(笑)。
あ〜、藤林と百地が同一人物ってのはどっかで読んだなぁ〜。読むんだけどすぐ忘れちゃうんですよね、この辺(^^ゞ。今度は覚えた感じがするです。
で……ナニッ、白土三平が同一人物説で書いてます?!(・・;)
え? 甲賀と伊賀に君臨? 教えて! それ何て題名〜〜〜? すぐ買って来て読んじゃう気がするっ(爆)。
こたつが読んだのは……(ちょっと恥ずかしいんだけどさ(^^;))、少女漫画なんですわ〜。服部半蔵が実は女っつぅ、こう書くだけで既にちょっと恥ずかしいけどね?(笑)
でも伊賀の乱は「ナレーション」で場面展開しちゃうの(^^;)。。で、百地丹波は「半蔵に横恋慕してる悪い奴」って感じよ〜(キャ〜ますます恥ずかしい感じ〜(/o\))。
で、史料では蒲生氏郷軍なんですね。これもどうにか転ぶと危ない〜(意味不明)。
幕末の頃ですか、「じゃあお前らそれまで何やってたんだよ(^_^;)」と思うような忍者が徘徊して、色んな勢力のボスに連絡つけたり命を狙ったりするドラマを見ますが、江戸期も生き残っていたようですよね。明治の初期だかにスゴイ体技の持ち主なんかが世に脚光を浴びた、てな話も聞きます(すごく速く静かに移動したとかね)。
百地氏は継続してたんですね〜。
あ、そういやこないだ、「その時歴史は動いた」の再放送で「藤堂高虎」を見ました(゚.゚)。
藤堂ウネメは居たかな……。いずれ藤堂という名の家来が憤死した話をやってたけど、この家って藤堂姓の家臣が多そうな気配。。
しかし実際は伊賀者と血縁関係なんて人を抜擢して、コトに当たらせてたんですね〜。へ〜知らなかった!
伊賀超えサイトありがとうございました。茶屋は接待役絡みでしょうね。
榊原康政。関ヶ原で秀忠組に随行してなければ、もっと活躍したかもしれない人(^^;)。。伊賀越えでも一緒だったのか。つくづく不運。。
>「廻状」
>これが廻るとどこも雇用してくれません。
忍者は感状とかは出して貰えないで、こんなンばっか。。
<やましろしん子さま
[近畿] 2005/10/06(Thu) 20:13>
私の記憶が正しければ、「ワタリ」だったような。
謎のまま、終わりの方で判明するのです。
文庫本も出ていたような気がします。立読みしたらぁ?
女性作家の本は、あまり読まないのですが、山岸涼子の「日出処の天子」は読みました。 聖徳太子ホモ説には、いたく感動いたしました。
女性作家って画が下手くそだから嫌なんです。
でも、美内すずえの「ガラスの仮面」、あれは良い!。感動ものでした。
読むマンガなんですよね。
「生徒諸君」はもうひとつだったなぁ。
そうだ、「キャンディキャンディ」も良かったなぁ。涙がでちゃったよ。
脱線、脱線。
藤堂采女元則の名は、保田采女元則で、伊賀・服部家から紀州有田郡の豪族・保田氏の元に行き、保田の姓を継いだのでしょう。
保田氏は湯浅氏と同族で、かの地では鎌倉時代よりの名族ということになっています。荘園の地頭職で、南北朝時代には南朝方についています。
私のブログの、「阿瀬川荘に太平記の城砦を訪ねて」に保田氏の城砦を紹介しています。 さりげな〜くPR
あと、湯浅は、紀伊国屋文左衛門の「みかん船」の出港地で、味噌や醤油でも有名かな。
当時は気に入った家臣には、殿さんの姓を与えたので、藤堂姓になったのでしょう。
秀吉など、豊臣姓をバンバン与えていますよね。
達人といえば、新撰組幹部の生き残り、「斉藤一」は強いなんてものじゃなかったようですよ。
明治になって道場剣術の猛者を相手にして、手もなくひねったとか。
修羅場をくぐり抜けてきたからでしょうねェ。
同じく明治まで生き抜いた、永倉新八郎も強かったでしょうね。
沖田総司は、突きの名手で「三段突き」が得意だったとか。
三段腹じゃ、ないですよ(笑)。
そうそう、藤堂平助が藤堂公のご落胤って話もありましたね。
司馬遼太郎原作の、「燃えよ剣」のTVドラマが好きで、全話持っています。
土方の栗塚旭が良かったですね。
で、彼は○○マなんだって。知ってたぁ?。
そういえば、苦みばしった顔に涼やかな眼で、「近藤さん」って言うとこ好きだなぁ。
<こたつ城主 [関東]
2005/10/07(Fri) 19:20>
>やましろしん子さま
あ〜「ワタリ」か! ありがとうございましたm(__)m。
もしかしたらウチにあるかも(^^ゞ。亭主が持ってたような気が……(笑)。
山岸涼子の漫画は昔から好きで、『日出る処の天子』は私も持ってます(^^)。
「ガラスの仮面」「生徒諸君」「キャンディキャンディ」は興味がもてなくて(^^;)。。
>女性作家って画が下手くそだから嫌なんです。
私は「男女」より、「絵は絵」で「話は話」で決めます。
で、私の話した半蔵の女性版(笑)は、「水影草」(三浦浩子)で、この人の作品はその前の黒田如水の話の方が面白いのですが……、ま、その話は置いといて、藤林は百地丹波とは別人として登場しました。
「百地丹波」は親子二代の名乗り(世襲名)として描かれ、親が「三太夫」、子は「丹波」と区別されてました。子の丹波が親を殺して武田方と手を組み、藤林と服部は徳川方、といった設定でしたね。
服部で漫画といえば「半蔵の門」があり、美容院だったか病院だったかで最初のトコを読んだら面白かったので、自分も欲しくて、二巻まで買った後、本屋から消えました(^_^;)。
その後、古本屋でまとめ売りしてるのを見た事があったんですが、家から遠かった(全巻買うと重い(^_^;))のと、その時はお金が無かったので買わず……それきり見なくなったかなぁ〜。今でも時々古本屋で探すんですがね〜。
豊臣もそうですが、姓を与えるというのは、どっちかと言うと血族が多くなく、一族を積極的に増やしたい家の発想かな、と思います。藤堂もそうだったのかも。
で、藤堂采女元則。「保田」というのが元の姓ですか?
服部から保田に養子に入り、藤堂の姓を貰った、という事かな?
あ〜そちらの記事にね。ではそのうちまた拝見に。
新選組と言えば……去年やった大河ドラマの続編が正月番組で放映されますよ。
こないだ撮影シーンをやってましたが、斉藤一もまた出るようで。
で、そうそう、私も藤堂平助を思い出しましたわ(^^ゞ。ドラマでは落胤の噂がる事を知った近藤が、いきなり卑屈になって敬語を使っちゃうシーンがありましたね(笑)。
「燃えよ剣」は面白くて一気に読みました。でも原作の方(^^ゞ。ドラマは見た事ないです。栗塚旭さんは、確か去年は土方の兄の役を演じてたんじゃなかったかな。
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