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武田勝頼
<たみいさま [東海]
2005/04/14(Thu) 17:51>
題名:武田勝頼
昨夜の歴うごは、良かった。
名誉回復をさせたい人は、あまた居るけれど、
「そうよ、勝頼はベスト3に入るわよ!」、と、
思ってしまった。
なるほど時節も悪かったし(いつだって悪いんだけども)、
組織となれば老害はつきものだし、
私はとっても同情してしまいました。
狸爺ィは家康では無く、信長だったのだ。
いや、信長はキツネ顔だわね。。。
ゲストの方も、「武田が破れる時に当主だったのが悲劇だった」、と言ってましたよね。
北条の姫君の事は、幾度か、こちらでも話題になりましたが、あの辞世の歌、19歳と言う年齢・・胸打たれます。
<こたつ城主 [関東]
2005/04/14(Thu) 19:49>
>たみい様
実はきのうは外出してて、帰って来たらモロその時間っ(爆)。
「くたびれたぁ~(*o*)」と、そのまま座って全部見ちゃいましたっ(笑)。
うんうん(^^)。こたつも昨日の「歴うご」は高得点いれます。
あの番組でよくやる「スゴイ新事実を発見!」(汗)とかじゃなく、地味に「甲陽軍鑑」を洗い直してくれたのが良かったと思います(^_^A)。
いわゆる信玄の遺言(3年喪を隠す路線)が「現実的には不可能」とは、家臣の誰もが内心では思ってたでしょうし(笑)、あれだけデカイ組織を率いるのに、肩書きが「息子の代理(^^;)」では綻びも出ますよね(笑)。
でも、いわゆる悲哀路線で終わらず、一応高天神城の話も筋立ててやってくれ、けっこう面白く見ました。
北条氏の姫(勝頼夫人)の辞世で締め括ってくれたのも良かったですよね(^^)。
勝頼の妻と子は他人同志ですが、最後まで勝頼から離れず、肩を寄せ合って死んだ様子がしのばれる歌ですね。
その親子3人の墓を家康が立てたってのは、実は初耳でありました(^^ゞ。
<ぽろぽろさま [関東]
2005/04/14(Thu) 22:44>
たみい様、こたつ城主様
レスを見に来たら、下の書き込みを見て、つい、私も一書き・・・
何を隠そう、私は、隠れ、「武田勝頼」ファンなのでございます。
というのも、昔武田の攻防の本を読んで、勝頼があまりにもかわいそうで、泣いてしまったのでした。
勝頼の功績を見れば、彼がなかなかに賢くて、ちゃんと機を見た戦も出来れば、裏工作も出来るしたたか者であることは歴然です。それなのに、無能とか言われてるのは、譜代からも外様からも憎まれてたからだと思ってたんだけど、まあそれもあるけど、信長の流した偽情報のせいだったのね~~(ρ_;)
私は、信長も嫌いじゃないんだけど、昨日のテレビ見てちょっと嫌いになったかも・・・(笑)
戦国なら当然のことかもしれないけどね。でもでも~~・・・
もうひとつ好きな理由は、彼が妻や子どもをとても大切にしてたこと。男色家の信玄ちゃんに比べて、まあまわりからの圧力がすごい分、家族に癒しを求めてたのかもしれないけど。でも、だからこそ、最後まで勝頼に付き従ったのでしょうね。
昨日は、感動の「歴うご」でした~~(ρ_;)
<こたつ城主 [関東]
2005/04/15(Fri) 20:51>
>ぽろぽろ様
ええええ(゚.゚)。武田勝頼の出て来る本を読まれた事が? しかも隠れファン! おお~~!
信長は敵陣を極限まで追い詰め、その怨嗟を敵のトップに向けさせるのがウマイと言うか……少なくてもよく計算した人だと思います。
信長が高天神城の降伏を許さず攻め落としたのは、「信玄ですら落とせなかった城」という勝頼の評判を逆手に取ったのかもしれませんね。
「高天神城は武田がわの守備範囲を超えている」と周囲に納得させるために。
勝頼に対する「無能」の定評は、信玄の守備の強さを裏返した言い方が多い気がします。
例えば「信玄は城を作らなかったのに勝頼は」とか、築城への不満が領内に満ち溢れていた、といった具合。
後に家康の子から武田氏が(瞬間的にですが)出ますので、死んで武田を一度終わらせるのが勝頼の運命だったにせよ、織田氏を母に持ち武田家の正当な嫡男である信勝が、父勝頼と死をともにした時、信長に対してどんな思いがあったでしょうね。
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