|
|
|
|
河内、八幡太郎義家の墓
<のりちゃんさま [近畿]
2005/01/27(Thu) 07:41>
八幡太郎について、ですが・・・。
ちょっとハマって、あちこち検索してみたら、
「不遇の猛者」
という描かれ方をされているように感じました。
確かに、褒賞がほとんどない勇者、という感じはありますね。
その点、炎では、うまく描いてたなぁ・・・と思いました。
こっちもお墓参りしたら、写真、アップしますね(#^.^#)
<こたつ城主 [関東]
2005/01/27(Thu) 19:28>
>のりちゃん様
源氏って、何も八幡太郎を宗祖(←この言い方:笑)にしなくても、たくさん色んな人が居ると思うんですけど、どうしてもこの人を……となるのは、後の征夷大将軍が出た家系がらみも勿論あるでしょうが、やっぱり何か「武士とは、総大将とは何ぞや」みたいな部分の濃厚に感じられる人だったから、って気がするんですよね(^^ゞ。
しかしその根拠が「不遇」ってのは……。
何かちょっとタメになりましたわ(笑)。
お墓参りなさったら、ぜひ又お知らせを(^^)/
<のりちゃんさま [近畿]
2005/02/05(Sat) 07:45>
>八幡太郎義家
その不遇の理由ってのが、
「清原討伐」
に対しての褒賞が全く(ほとんど?)なかったから。
ということのほかに、
良い子供に恵まれなかったというのがあるようです。
男の子は3人ほどいたようですが、何か問題を起こしたり全く活躍しなかったり、だとか。
そういや、河内にある「河内源氏代々の墓」も、源頼信公・源頼義公・源義家公の3名分ですわ(^^ゞ
で、私がまだ義家公について全く知識がなかったころ、偶然義家公のお墓に参ったことがあるのですが・・・。
全く不遇な感じでした(笑)
欠けたブロック塀の前に建ってた記憶があります。
今は少しは綺麗になってればいいんですけど(~_~)
<こたつ城主 [関東]
2005/02/05(Sat) 21:12>
>のりちゃん様
>八幡太郎義家
言われてみれば、義家兄弟は名が知られてますが、確かに義家の子の話って聞きませんよね(^^ゞ。
アレかなぁ。清原討伐で恩賞が貰えなかったので、子供はグレてしまったんでしょうかね(汗)。……あ、何かありうる感じ(^_^;)。。
そういや足利氏の主張する(?)義家の置き文。「七代目に天下を取る」とかいう奴。
あれって「何で7代も後なの(^^;)?」とか心密かに思ってたんですが、そうか〜バカ息子どもに「お前らには無理」って嫌味を言ったんだなぁ。なるほど〜(笑)。
それにしても……何故でしょうね。「河内源氏」と聞いて今いちピンと来ぬのですわ(^^;)。
墓も不遇でしたか。河内での話をやるとどうなるんでしょうね。
貧乏と無名と忍耐だらけの話になるのかなぁ(笑)。 |
|
|
|
|
|