<掲示板・議事録>


     
  NHKドラマ「真田太平記」、2


<のりちゃんさま [近畿] 2005/01/01(Sat) 02:09>

>大人の思慮
そうですよね。
三成生存時の、猪突猛進的な行動と違い、
若い秀頼公を暖かく支え、思慮を促し・・・たせいもあって、暗殺されたということなんでしょうね。
あとやっぱり戦上手だったのでしょうね。

しかし「イノシシ侍」とは、ピッタシ(笑)
メモっとこ〜っとφ(..)

家康はこれからも楽しみなんですね。
またちょっと追いつかなくなってきちゃったんですが、
国家安康のイチャモンのくだりまで見てます。
も〜・・・。
本当に悪い奴!
でも、カッコイ〜〜〜♪

信之はこれからの変化が楽しみなんですね。
渡瀬さんのファンなので、楽しみにしてます!



<こたつ城主 [関東] 2005/01/01(Sat) 18:55>

>のりちゃん様

加藤清正。関ヶ原と大坂の陣って、出て来る人の違いで時代の違いは書き分けられるんだけど、同じ登場人物についてはそう変化ナイんですよね、基本的に(^^ゞ。
その中で、1人加藤清正だけがすごく大人になってる感じはありますね。関ヶ原前の前田利家の役回りに近付いてると言うか。
真田太平記では、熊本城の天守閣(絵図面)について秀頼から質問されてましたね。あの一場面だけで「育てる人の不在」という感じがよく現われてました。
で、「イノシシ侍」ですが(笑)、昨日は咄嗟にああ言っちゃったけど、「イノシシ武者」と言います一般的には。

「国家安康のイチャモンのくだり」ってのはちょっとビミョーですね(^^ゞ。
その後で信之が言ったセリフを聞いてますか? あれが今後のキーです。
あと、そうだ。昨日「城主のたわごと」で沼田城レポを出しました。信之は変貌して行くんですよ〜(笑)。

それから家康。ごめんなさい(^^ゞ。私が昨日言った注目シーンは、冬の陣の後だったかも。
どう言うのか……ただ悪い奴ってだけじゃ天下は納まらないと納得したと言うか。



<のりちゃんさま [近畿] 2005/01/06(Thu) 16:57>

>育てる人の不在
淀殿と修理の関係が怪しい・・・という話しは結構よく聞きますが、それを全く盛り込まずに、「秀頼の不遇」がよく表現されていますよね!!

>信之が言ったセリフ
「歳をとるとこうも浅ましくなるものか」
・・・かしらん。
信之にそういわせておきながら、家康は、「浅ましい」という雰囲気を露も見せませんよね。
やってることは浅ましいんだけど、でも、梅康を見ていると、それが「カッコイイ」。

今後も注目します!!
・・・でも、また溜まり初めてます(^^ゞ



<こたつ城主 [関東] 2005/01/06(Thu) 19:41>

>のりちゃん様

真田太平記は、そうそう、信之が「今度の戦に出たら、自分は大御所様(家康)に槍を突きつけるやもしれぬ」と言いますね。
もちろん表立ってはそんな事は無いわけですが、裏では攻防が繰り返されたと(笑)。
ちょっとそんな視点で沼田取り潰しの顛末を知って貰えたら、と思います。
 
     

     
  伊達政宗の側室と寵童(多田・只野)


<とめ@伊達男さま [関東] 2004/12/24(Fri) 01:01>

伊達政宗の側室と小姓の"只"ならぬ関係

他のサイトのブログのやり取りの中で面白かったネタを・・
伊達政宗の側室多田氏勝女(三女岑姫、十男宗勝の母)と、
伊達政宗から寵愛を受けた小姓只野作十郎(只野伊賀勝吉)は・・・

姉弟!!

政宗から作十郎に宛てたラブレターは現存しており、かなりの寵愛ぶりだった事は文献・史料によく出てきています。
苗字が違うので一瞬気がつきませんが・・
2人とも多田伊賀吉広の子です。
ちなみに多田伊賀吉広の父は毒沢孫市と言います。
孫市の時に独沢から毒沢に改姓
吉広の時に多田に改姓、勝吉が只野に改姓。
即ち3代で
独沢→毒沢→多田→只野
と改姓をしまくったのです(苦笑)
古い解説本や小説などでは側室の多田氏を只野氏と別人のように扱ったりしていますが現在では同一人物であるとされています。
もしも別人だったら妹もいて・・って話になりそうで、それはそれで"萌え"なのですが、流石にそこまでは・・・(笑)
はっ!!側室只野氏って作十郎か!?(爆)



<こたつ城主 [関東] 2004/12/24(Fri) 18:41>

>とめ@伊達男さま

>伊達政宗の側室多田氏勝女(三女岑姫、十男宗勝の母)

宗勝は、後の伊達騒動で黒幕として暗躍したという「伊達兵部」ですね。
大河「樅の木は残った」では佐藤慶が好演して、子供心に凄く強烈な印象が残ったので、私はずいぶん長い間、佐藤慶を見ると「兵部、兵部」と呼んでました(^^ゞ。

しかしこれの叔父(ですね、母の弟と言うと)が政宗の寵童であったとは……(^_^;)。。
でも考えてみれば「ありがちな話」ですよね。
そろそろ寵童では済まなくなる年頃、手放すのが惜しいあまり、「その方の姉か妹を」とか言ってね(笑)。

にしても、姉弟の祖父の名前がスゴイですね(・・;)。
「毒沢」!(爆)
元の「独沢」の方がマトモな感じがするんですけど……(^^;)。。鬼庭左月もそうだけど、凄味のある名の方が尊ばれた地域だったんでしょうかね?

>独沢→毒沢→多田→只野

この改称しまくり、もスゴイですよね(^^;)。「毒沢→多田」の改称は、何らか多田って絶えそうな家でもあったのかな?
多田と只野あたりは、文献で違う字を使われる人もいるので違和感ないですけど。
家中に同じ姓の人がいる(一族以外で、例えば後で召抱えた人とか)と煩瑣なので、字を変えるなんて事はあったんじゃないかなぁ?

>はっ!!側室只野氏って作十郎か!?(爆)

只野って側室もいましたっけ?!(ややこしい( ̄∇ ̄;))



<とめ@伊達男さま [関東] 2004/12/25(Sat) 02:03>

>独沢→毒沢→多田→只野
清和源氏多田氏流で多田満仲を遠祖とし、満仲十八世孫秀義の弟盛義が独沢を称し、その後裔が孫市・・と言う事になってるらしい。一応(笑)
和賀一族だった独沢孫市が和賀氏没落に際し、独沢館内の井戸に毒を投じ浪人となり姓を毒沢と改む。
毒沢孫市の子伊賀吉広が多田姓を称い、娘(勝姫)が貞山公の側室となる。
多田吉広の長男が伊賀勝吉(只野作十郎)で永代着坐班に列し只野に改姓。
(参考:「史料・仙台伊達氏家臣団事典」、「宮城県姓氏家系大辞典」)
ただし、和賀一族の系図は多種多様な物があり、清和源氏多田氏流以外の系図も多数存在します。
別の系図では毒沢孫市以前にも毒沢姓が見受けられたりします。
毒沢→多田の改姓は箔をつける為(笑)、遠祖の姓を称したと考えられます。

>只野って側室もいましたっけ?!(ややこしい( ̄∇ ̄;))
史料によって、政宗の側室多田氏勝女が、多田氏になっていたり只野氏になっていたりしている為に、多田氏と只野氏が別人だとした解説本があっただけの事なのですが(苦笑)
ちなみに・・側室柴田氏と側室芝田氏は別人です(ややこし・・)



<こたつ城主 [関東] 2004/12/26(Sun) 00:12>

>とめ@伊達男さま

ほほぉ多田満仲の系譜から、という事になってるんですね(゚.゚)。……、一応(笑)。
多田氏と言うと……武田24将の多田淡路守満頼が、やはり多田満仲の系譜だったような記憶があったので、今ちょっと検索してみたのですが、どうも二つ流れが伝わってるようですね。
一つは満仲の六世頼盛から「点々」が続いて「満頼」。
もう一つは満仲の甥、満頼から「点々」(いちど光雲を経由して「点々」)で「満頼」。

和賀氏というのがもう一つ知らないですが(^^ゞ、「毒を投じて浪人になった」というのは、何か「タダ事」じゃないですね(笑)。
そういや、伊達兵部にまつわる逸話だったのか、「樅の木」にはやたらと「毒殺」に関わるシーンがあった覚えがありますねぇ(笑)。

勝姫の弟、作十郎は、「伊賀」とも名乗っているんですね。
……忍びの匂いが(笑)。
私はこの勝姫、小説(「嵐待つ」)では、すんごい性格の悪い女に書いちゃったんですけどね(^_^;)。
弟の存在を知ってたら、ちょっと話を膨らませたかも(そして収拾がつかなくなる:爆)。
 
     

     
  年末ドラマ・徳川綱吉、1


<たみいさま [東海] 2004/12/28(Tue) 10:39>

お正月の飾りつけを全て終わりました。
あとは最後の買出しがあるのみ。

城主さま、この後に及んで(^^;)未だバタバタしておられますか。天下を平定し、ゆとりある日々が来るのは何時の事でしょうか、嗚呼。。

忘れていましたが、例の草薙クンの、「綱吉」、は今夜なんですね。昨夜、予告編を見て気がついたから良かったわあ。
皆さま、8チャンネル、9時ですわよ、(←おせっかい婆)。



<こたつ城主 [関東] 2004/12/28(Tue) 17:43>

既に時代劇専門chで大河一挙放映(家康&信玄)が始まってますね〜〜〜(汗)。。おおっ、取りそびれた録画も入ってるっ(爆)。見る時間が無いけど(^_^;)。



<こたつ城主 [関東] 2004/12/28(Tue) 17:45>

>たみい様

はい〜〜〜。この期に及んでバタついてます!!(爆)
飾り付けか〜。大掃除と、買出しなどお正月の準備は全て大晦日になりそ〜。。

おおっ、そうか。あと天下も平定しないとならないですねっ(笑)。
それ、何時間ぐらいで出来るでしょうか(^^;)。余す所あと3日なので、では年賀状を出しに行くついでにでも〜(^^ゞ。

あっ、草薙クンの綱吉、今夜なんですね〜〜。
うぉ〜、見逃す所だったぁ(爆)! よっくぞお知らせ下さいました!!!
流石はたみぃ様、お知らせに感謝します〜〜〜〜〜〜!!



<たみいさま [東海] 2005/01/04(Tue) 20:49>

題名:年末年始番組

「綱吉」で思ったのだけど、在職30年もあったのに、1度も館林へ帰らなかったって、事実なのかなあ。
恋しく無かったんだわね。
行こうと思えば行けたハズだから。
 
     



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