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<朝川 渉さま
[関東] 2004/10/01(Fri) 20:17>
ホームページ再開のお知らせにお伺いしました。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/
URL申請に「かたつむり」とやってみたら、
ご覧の通り、katatumuri が取れてしましました。
1ヶ月ほど前、東京大手町の将門塚の前を通ったら、
神主と背広姿の5、6人がいて、朝早くから神事を
やっていました。
専務の一派が社長のイスをねらって反乱を起こし、
成功を祈願していた、なんて。
<のりちゃんさま [近畿]
2004/10/01(Fri) 20:38>
ここでも天武天皇の出自怪しい・・という話しが進行してたのですね(@_@)
実際、私も「むっちゃ怪しい」と思ってます(笑)
わざわざ「日本書紀」をでっちあげ・・もとい、編纂したというのは、かなり取り繕う必要のある人物だったのでしょうね。
しかし、天智朝自体も、なんの正当性もない、というか、ぽっと出の「天皇」だと言う話もありますから(蘇我入鹿が天皇ッであった、ということだそうです)、「皇統一系」を、天武天皇の時代に、主張する必要があったということかもしれません。
さて、
そういや、影武者の数も7人でしたね。
足利氏の「七」話しはどんなですか?
>悪い神も「供物や階級をあげ(て祀)れば宥められる程度」にしか悪くなく
さっすが、ハーン(~_~)
そう、確かに、日本人は、例えば「風の神」を、台風をもたらす恐ろしい神として畏れる反面、豊穣をもたらす神として崇拝もする、というように、
「絶対的な悪神」
ってのを作り出さなかったんですよね。
以前ちょっと触れたかもしれませんが、日本書紀には「悪神」とはっきり明記されてる神様でも、地元へ行けば、
「良い神様」
って言われて愛されてたり(#^.^#)
キリスト教で、「悪魔を崇拝してま〜す♪」なんて言ったら、
「すわ、黒ミサでもやってんのかっ!!」
と弾劾されちゃいそうですからねぇ(^^ゞ
日本人は、「死んだら神に上る」という感覚を持っている分、(自分も神様になるんだからして)、悪い神様に対しても、大らかなのかもしれませんね〜。
>ハリウッド版リング
まだ見てないんですよ。
あれはあれで面白い、とは聞いたんですが(笑)
つまり、貞子がオーメン化してるわけですね(爆)
<ヒロ男爵さま [関東]
2004/10/01(Fri) 23:45>
話がそれますが・・・・。
キリスト教の異端である「グノーソス思想」だと、「神」こそが人間を無知の牢獄に閉じ込める「悪」であり、「悪魔=蛇」が、「知恵のリンゴ」を教えた「正義」であるという全く逆の事を説いています!!すなわち、「神」は「悪魔」に勝ったから「正義」になっているというような解釈でしょうか?
現在のアメリカを始めとするキリスト教文明の行動を見ると判るとおり、「勝てば官軍」ですよね(w)
日本の神さまの方が大らかで好きです。
<たみいさま [東海]
2004/10/02(Sat) 09:07>
ヒロ男爵さま、
はじめまして。
>現代まで、ましてや戦後のGHQでさえ、将門の怨念に手こずっ
>たのは「晴明」の呪力によるものだと納得しました!!
そして今も、首都はソレに支配されているのだとか・・。
あの時、裏番組で「晴明」をやって居ましたよね。
他局と相談する分けも無いから、これまた不思議な一致。
<河内太夫判官さま
[四国] 2004/10/02(Sat) 16:06>
○七のお話
>「七難即滅、七福即生」
七生滅敵(正しくはこれ)にそこはかとなく似てゐますな。七福神を逆に周ったらえらいことになりそうです(^o^;。
>下手にこの坊主が絡むから「何かあるのかな〜」
それです、それ。どうしても豊家滅亡の伏線・陰謀に見えて仕方がない(笑)。
>「7代後で天下取ったるでぇ〜!」
ああ、それでしたか。大筋城主さまのおっしゃる通りですが、のりちゃんのリクエストもあるので簡潔に。
八幡太郎義家が「我が七代の孫に、吾れ生まれ替わりて天下を取るべし」とかいう置文を遺したらしいのです。そしてその七代後が足利家時(尊氏の祖父)に当たるのですが、その頃はまだ北条氏(平氏)全盛で到底天下が取れそうにない。なので家時は、「我が命をつづめ、三代の中にも天下をとらしめ給え」といって腹かっさばいて死んでしまうのです。そうしてその孫の尊氏が天下を取れたという……。
同時代を生きた今川了俊は「実際にその置文を見た」って云ってますけどねぇ、どうだか(^o^;。ちなみに新田氏では義貞の親父の「朝氏」が七代目です。主張したこともないようですわ(笑)。
>正成公が化けて出たのですか?
そうです。魔王となった後醍醐天皇に、大森彦七(また"七"だ)の持ってる刀を取って来いといわれて律儀にお使いを務めてます(笑)。最初は美女に化けます。
>多分に足利軍には「手柄」を取り合う傾向でもあった
まさしくその通りです。でも何度も顔を合わせてるはずなのに、何で騙されるかなぁ(^o^;。
○平将門
>将門の上司(忠平)
天神さまとの仲はよかったらしいですが、例の落雷事件の時には現場にゐたと。おそらく道真の怨霊の仕業だといい始めたのが忠平じゃなかったでしょうか。兄貴の系統が没落していちばん得をしたのが忠平でした(・・;)。熱心にお祀りしたとも云いますしね。
ほぅ(・o・)!将門の親父さん(良将)が天神さまの子供である下総国司・菅原景行と親しかったと。それで天神さまの遺骨を関東に葬ったと。でもそれに力を貸したのが将門の伯父貴・良兼と。
……誰に神託を渡せばいいんだー(笑)!
>武者が出た、塚が動いた、という類
要はうるさくて夜寝れん、と(笑)。
>あの時、裏番組で「晴明」をやって居ましたよね。
すみません、その裏番組見てました(爆)。
>↑えっと、将門の息子、将国でした。m(__)m 。
系図見たら将国は「信田二郎」ってなってゐて、信田=信太ってことから晴明ってことだったのでしょうか(・・;)。でも安倍晴明は大阪府出身なので、関東出身者にはしたくない。郷土の有名人を持って行かんでくれ〜(爆)。
>これまた不思議な一致
……そして今深夜、大阪地域では映画の「帝都物語」があります。何ちゅうタイムリーな(^o^;。各局、こたつボードを見てゐるのか(爆)?
○奈良朝時代
>吉備内親王と吉備真備
どうも同世代のようですね。内親王は?〜729年、真備は695〜775年です。しかしそれ以上のつながりは見えて来ませんです(^^ゞ。
>塩焼王・道祖王
>これの母(新田部の妻)は誰だか判らないようですね。
道祖王は、塩焼王を差し置いて称徳女帝の皇太子に指名されますから、母親の身分が違ってゐたことも考えられますな。もっとも、すぐに引きずり下ろされますから藤原氏出身ではないと。
>イカン、面白すぎて目が離せない!!(笑)
うん、なかなか面白いですね(o^-^o)。しかし井上皇后の継子に早良親王がゐて、おっとろしいことですな(苦笑)。そりゃ桓武天皇もノイローゼになりますわな。
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