<掲示板・議事録>

祟り神トーナメント(爆)〜平将門、4

     
  <たみいさま [東海] 2004/09/22(Wed) 20:31>

題名:番組解説

>城主さま、
>DNA鑑定の話だったのですか?
>奥州の藤原氏のミイラを公開したんですね(゚.゚)。

金色堂の傷みが酷く、早く何とかせねば、と言う状況に、
とても、寺や檀家の力では修復できるものでも無く、
そこで住職は国の力を借りるしか無いと考えた分けです。
(えっと、私が赤ちゃんの頃かな?)。

しかし、其処にあるのが本当に藤原三代の骨かどうかは明確では無かったらしいのです。馬の骨とか言う噂まであったようで。
それでは国の予算など付く筈がありませんからね。
鑑定に委ねると言うのは住職の一大決心だったようです。

800年の眠りを覚ますと言うのは、震えが来ますよね。
正式に確認されて初めて国宝に指定されました。
(大修復までは、それから又、長い年月を要したのですが)。

棺の蓋を開けた映像でした。全身のお姿は映しませんでした。
私には頭蓋骨にしか見えませんでしたが、皮膚もあったとナレーションが言ってました。

柱の絵にも漆は使われていました。
夜光貝も埋め込まれて居たんですね、知らなかった、
と言うより、第一、私はナマで見た事が無い。(^^;)。



<こたつ城主 [関東] 2004/09/23(Thu) 19:29>

>たみい様

にゃるほど(゚.゚)。鑑定依頼の決断に焦点を当てたんですね。それで「歴うご」ではなく「プロジェクトX」。
で、その費用は住職さんが借金したんでしょうか。本物じゃなかったら寺が傾くどころの騒ぎじゃ済まなかったでしょうね……。

確かに、いま我々が歴史の旅や話で楽しめるのは、それらを調べたり保存したりの、実に地味な維持活動のお陰なんですよね。
前に歴史民族博物館だったか……ちょっと場所はウロ覚えですが、史料を保管する時に金属製のクリップを用いたため、錆が史料についてしまった反省を明かす展示がありました。
私がエライな、と思ったのは、そういう保管側の「恥」と隠すのではなく、むしろ公開して、一般人が何らかの史料に出くわした時の対処を促している点でした。

ところで実は私、中尊寺に行った事があったと思うです(^^ゞ。
が、子供の頃だったので、「え? え? なぜ東北に藤原(゚.゚)?」(←「藤原は平安時代の京都」という先入観がある:笑)と思っただけでした(笑)。
あるいはその時はまだ、修復中だったのかも……あまり印象に残ってないんです。残念。

あ、そうだ。「炎立つ」もスカパで来月から再放送です。



<たみいさま [東海] 2004/09/24(Fri) 11:53>

城主さま、
>で、その費用は住職さんが借金したんでしょうか。

あ、鑑定費用ね・・。聞き逃しました、(-_-;)。
住職さんは1ヵ月間、断食をして身を浄めて臨んだそうです。

>あ、そうだ。「炎立つ」もスカパで来月から再放送です。

む〜、スカパーか..(ー_ー;)。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/09/24(Fri) 19:06>

確かに、「死んで恨みを晴らしてやる」なんて感覚は、日本人独特かも。
ハムレットのお父さんも、「殺されて始めて」亡霊になったって感じですもんね。
んで、「亡霊の言葉」を信じるかどうしようか、と息子は悩む(笑)
日本ならば、父親の亡霊が「あいつが殺した」と言ったら、一も二もなく信じそう(笑)

橘逸勢は・・・、実は空海と一緒に遣唐使として唐に渡ってるんですよ。
その間に、空海からキッツイ祟りの方法を教えてもらったかと(爆)

吉備真備については、私もよく知らなかったのですが・・・。
特に不幸な死ではないようなんですよね。
だから、なんで御霊に入れられてるのかは、よくわかんないんです(笑)
ただ、反対に、不遇な扱いを受けた人の救済措置をとったこともあるようなんで、
「祟り封じ」のために入れられてるのかなぁ???



<こたつ城主 [関東] 2004/09/24(Fri) 21:17>

>たみい様

断食して鑑定(・・;)。。確かに並々ならぬ決意ですね。
「炎立つ」はスカパですが(笑)、奥州藤原三代を唯一扱った大河ドラマでしたね。
きっと住職サンの熱意が、何らか効を奏して制作されたのでしょう(全然違ってたり:汗)。



<こたつ城主 [関東] 2004/09/24(Fri) 21:21>

>のりちゃん様

シェークスピアの頃は、西洋でも迷信は多かったんでしょうね。
でも確かに言われてみれば、ハムレットは父の幽霊だから言い分を「信じた」のであって、幽霊も「何か訴えに出る」程度なんですよね(^^ゞ。
日本で「化けて出る」と言ったら、ただ姿を現す以上を示唆しますよね。憑依とか。

橘逸勢は空海と同期の桜なんですね(^^ゞ。
吉備真備のこともあわせて聞くと、祟る前に未然に防いだとか、祟り神の慰め役に入れたとか(笑)、何か事情がありそうですねぇ。
 
     

     
  <河内太夫判官さま [関東] 2004/09/26(Sun) 12:41>

〇七福神
>天海僧正あたりのようですよ(笑)。
あいつめ(笑)。何のために。全部天台宗系寺院でもなさそうですのにね。

〇南北朝
>この九州に落ちる前に、南北から挟撃されたんですね。
あ、それですか(^^ゞ。京都に引きずり込まれて正成の「泣き男作戦」にだまされた挙句に袋叩きにされて九州に逃げていってしまいました(あはは(笑))。

でも義貞がぐずぐずしてて追撃を怠けたために、尊氏は一気に盛り返してきてしまいました……。義貞はこういうところがねぇ(^o^;。もったいないですが、時代に見こまれたのはやはり尊氏だったのでしょう。

〇「祟り一覧表」
>ぜひぜひお知らせ下さいね〜〜!
六国史を総ざらえしたり、すっごく勉強をしないといけないことに気づきました(^o^;。あと10年くらい待ってくださいね(笑)。偶然を、納得できる説明をつけないと気がすまない国民性ってのがあるのでしょうか。もりもり出てくるようです。

○平将門
>「新皇」を名乗った時点で「祟る権利」は無効
そうそう、誰に祟るかといったら京都朝廷ですから、独立政権の樹立は「満足」になってしまいますからねぇ(笑)。祟って何をしたいの、ってことになる……。

>反乱が私利私欲のためとはどうしても思えないんですね。
親分肌の義理人情に厚い男。頼られたら嫌とは云えない。なので祭り上げられて叛乱の首謀者になってしまいましたね。最初は確か親戚との所領争いだったのに(^o^;。

>祀る理由として罷り通らないから、
それこそ将門の祟りの歴史をしっかりと遡ってみないと判りませんが、昔は英雄として、神と祀られてたのじゃないですかねぇ。それが明治維新で京都朝廷が江戸にやって来て、改めて「朝敵がおる!」ってなことで神から引きずり下ろした。そうしたら祟り始めたわけで。祟りと感じたのは一部分の連中だけってことですね。

○吉備聖霊
>なんで御霊に入れられてるのかは、よくわかんないんです(笑)
御霊神社ではこう呼ばれてて、正体は不明でしたよねぇ。吉備真備は(追い込まれたにせよ)辞任でしたから、死んで祟るほどの恨みはないと。そこでもう一人の吉備、すなわち長屋王の妻の「吉備内親王」だと永井路子は書いてますね(『悪霊列伝』)。長屋王のかわりかもしれませんな。



<北畠具顕さま [東海] 2004/09/26(Sun) 22:26>

私も吉備大臣がたたる理由が全くわからないのです。
なんでやろ。
もっとたたりそうなヤツ等いるやろうにねぇ。伴善男とか(爆)



<こたつ城主 [関東] 2004/09/27(Mon) 16:15>

>河内太夫判官さま

〇七福神
これも、ちょっと将門絡みかな(^^ゞ? 「七」は将門の伝説に多い数字だそうで、↓
平将門と怨霊伝説:http://www.ochakaido.com/rekisi/mukashi/index16-1.htm
(「お茶街道」:http://www.ochakaido.com/index.htmより)
北斗七星信仰も仏教を何らか根ざす方法でしょうし、同じような意味合いで、関東だけでない全国版を新たに編み出そうとして、家康が学識のある天海に相談した結果「そういう事なら室町後期に七福神というのがあります」と懸案されたんじゃないかな、と。

〇南北朝
正成は尊氏を「泣いて騙した」のですかっ(笑)?
義貞がグズグズしてたというのは、あの「女の色香に迷って事件」でしたっけ(笑)。
にしても九州にまで落ちて、また遡って来るというのは、確かにスゴイ(汗)。

〇「祟り一覧表」
六国史(・・;)。……では10年後の今月今夜、「祟り」で月を曇らせて下さい(笑)。

>もりもり出てくるようです。
どっか(後世)で「祟り神」が「確実に増えてる」時期があるよね(^^;)。。
怨霊思想の真相:http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai09-onnryou.html
(「新説・日本の歴史」:http://home.att.ne.jp/banana/history/より)
↑によると、佐倉惣五郎、西郷隆盛、蘇我入鹿、聖徳太子、長屋王、藤原三代が有名で、中でも、崇徳、道真、将門が特にビッグネームなのだとか。また、 http://www.mipsworld.com/diary/soshuhen/soshu004.htm
こちらには、ビッグ三名(崇徳・道真・将門)について書かれてます。

○ 平将門
私も詳しくはないので(^^ゞ、あちこち検索しましたが、だいたい四段階に渡るようです。
@親族同志の領土などの争い。京時代の上司(藤原忠平)の助けで冤罪を晴らす。
A逃げ込んだ「お尋ね者(藤原玄明ら)」を匿う(「お尋ね者」モード)。
B格上の常陸国司(源護)相手に反乱→関東平定(賊軍決定)。
C「新皇」詐称。(朝敵決定)。

祟りについては、平貞盛(討伐軍)が落雷で死んだという話があるにはあるようですが、その後はド〜ンと間が飛んで家康入府(^_^;)。
清盛(貞盛の6代子孫)が熱病にかかった時も「大仏の祟り」とされて、将門の名は出て来ませんし、平家が台頭したのは「崇徳院の祟り」なのに、平家の滅亡では将門も崇徳も出て来ない(笑)。

なのに……そう(笑)! いきなり維新になって祟る祟る。まあこれは「首塚」を動かすの撤去するのだから、祟るのも道理ですけど(^^ゞ。
「帝都物語」でも加藤保憲が「起きろぉ〜!」と叩き起こすと「むにゅ〜(p_-)、あと5分だけ〜」とか渋ってますしね(^_^;)。
そいや「夜も眠れないでしゅ(;∧;)」的なお祈りはテキメンに適う事が多いような……?(笑)

○ 吉備聖霊
長屋王の妻! へぇ〜(゚.゚)、永井センセがそのような推理を。吉備繋がりとは気付かなかった。



<こたつ城主 [関東] 2004/09/27(Mon) 16:16>

>北畠具顕さま

>伴善男
この人って大赦されたのかと思ってたんですが、あちこち見ると違うのかな(゚.゚)。
戸隠に伝わる鬼女紅葉の物語:http://www1.ocn.ne.jp/~pia/momiji.htm
ここには「後で大赦」とされてるんですよ。(あ、これもまた将門絡みだったり:笑)



<のりちゃんさま [近畿] 2004/09/27(Mon) 18:07>

>七
多分、判官さんからもかきこみがあるかと思いますが、楠公も「七」とはご縁の深い人物ですよね(七生報国とか)。

実際、7という数字はかなり不思議な数だと思います。
例えば、7の倍数以外を7で割ると、小数点以下に、142857という数列の繰りかえしが必ず現れることがわかりますし、
7と142857を掛け合わせると・・・。
「7」を神聖視するムキが多いのも頷けるな、と思います。

>吉備真備
御霊が、吉備真備だとは限らないのですね。
知らなかった(^^ゞ
実際「吉備」とつく人物は、古代に山ほどいますし、多分古代、「吉備」は、独立した王国だったんじゃないか、と私は思ってますので・・・。
「吉備」という国自体を「御霊」とした可能性もあるかな〜、なんてちょっと思いましたです。

西洋の幽霊が、生きている人間に「憑依した」っていう話はあるんでしょうか?
ポルターガイストとか、エクソシストとかは、キッチリ憑依してるか(笑)
でも、エクソシストでは、乗り移るのは「悪魔」でしたよね?

まぁ、ここらへん、宗教観も入ってきそうなんで、一概に「日本の幽霊は強引」と言うわけにもいかないでしょうが(笑)
それでも、中国の幽霊は、日本の幽霊よりもっと強烈だと思う(笑)

なにしろ幽霊が、「あそこに新しい死体があるから、乗り移りたいから、交渉してきて!」と、生きてる人間をこき使う(笑)

強烈〜〜〜(>_<)



<たみいさま [東海] 2004/09/28(Tue) 10:56>

城主さま、
>(「新説・日本の歴史」:http://home.att.ne.jp/banana/history/より)

チラと拝見しました。祟り関係を見た分けでは無いのですが、久々に古代史なんどを思い起こしました。
やっぱり、日本史の曙あたりは、半島史を借りて来たとしか思えない部分がありますね。

しかし、最早、物的証拠も無いし、DNA鑑定も不可能となれば、○○説は説で終わるしか無いのでありましょう。
出来得るならば、大海人皇子の素性だけでも白日の元に曝したいと言う気持ちがあります。

しかし、まぁ、そんな事は脇に置いときまして、、
私も長屋王と吉備皇女の運命には悔しくて歯軋りを致しました。
まさにサラブレッドカップルですもんね。
極悪藤原兄弟は吉備以外の女性が産んだ男子も殺しちゃったんですよね。

しかし、長屋王には鈴鹿王と言う実弟が居たのですが、その人は難を免れています。と言う事は、子孫も永らえたのでしょうね。

何故、無事だったのか・・それは彼が無為の人で、無為に生きたから、らしいのですが、これも真実は分かりません。
何方かご存知でしたら教えて下さいませ。
 
     



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