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<河内太夫判官さま
[外国] 2004/09/16(Thu) 20:47>
○延喜の治
>天神サマの子孫
そう云えば、四国お遍路で有名(笑)になった「菅直人」もそうですね。もっとも、彼の場合はちゃちな汚れた振る舞いをしてしまいましたが(^o^;。
〇後醍醐天皇
>これも醍醐天皇に似てるんでしょうかね(^^ゞ。
むしろ後醍醐天皇が、醍醐天皇に自らを似せようとしてゐたのでしょうな。ただ、醍醐天皇より覇気を感じます。
〇平将門
>飛んで行く途中でどっかに落ちた
大垣で落ちて封印されたはずなのに、また脱け出してしまったんですな(^o^;。さすがです。判官が最初に好きになった人物なことはあります(笑)。
>当時の地方における反乱者
具顕御所のおっしゃるように、藤原純友は何してたんでしょうね(^o^;。祟りはしたのでしょうけど、やっぱり将門の派手さに覆い隠されてしまったのでしょうか。
○ 祟り神@関西代表(笑)
>崇徳上皇
確かに太平記でも後醍醐天皇の上座に座ってゐておっとろしいには違いないんですが、何せ讃岐におられるでしょう。今ひとつ実感がわかないんですよねぇ。それに崇徳院の宿願である「皇を取って民となし民を皇となさん」は、昭和天皇の人間宣言で実現されたようにも思えます。今も怒りが静まってゐないのが後醍醐天皇です(・・;)。
>トーナメント
「怨霊勝ち抜き選手権」か……。おもしろそうヾ(^o^;こらこら。一回戦から屈指の好カード、崇徳院vs早良親王!
……どうか罰が当たりませんように<(_ _;)>
<のりちゃんさま [近畿]
2004/09/17(Fri) 07:04>
道真公の祟りは、結構有名ですか?
私は結構最近まで知らなかったと思うんですが、日本史の授業をとってなかったからかも。
で、二年で死んだところに、「憤死」の凄まじさを当時の人は感じたところもあると思うんですよね〜。
左遷されてから、10年も20年も平和にその地を統治しちゃってたら、怒りも分散されちゃうじゃないですか。
2年で亡くなっちゃったから、もう怒りビンビンの時に霊になったわけで(笑)
その時代に、ハーンがいて、その本(かけひき)が出版されてたら、醍醐天皇が太宰府へ行って、
「本当に祟る気なら、そこの石に噛み付いてみよ」
とか言えたんでしょうけどね(笑)
で、判官殿やたみぃ様も書いておられる通り、
崇道天皇とか、崇徳上皇とかも、かなりな祟り神ですよね??
なのに、今、崇道天皇陵の祟り、とか、崇徳上皇の分陵の祟りとか聞かないのは、考えてみたら、不思議ですよね〜。
将門公は、近所のオフィスの机の位置まで気にさせる元気ぶりなのに。
やっぱ、「祟りトーナメント」で、本番になるまでに、力使いすぎちゃうんでしょうか(^^ゞ
いわゆる「御霊神社」に祀られている神様はすべて、祟ったことのある神様ばかりですが、最低でも八柱おられますからね。
そういえば、関係ありませんが、坂本竜馬と中岡慎太郎のお墓(?)は、「霊山護国寺」っていうお寺にあったような。
「霊山」と「御霊」は関係ないのかしら?
<こたつ城主 [関東]
2004/09/17(Fri) 20:13>
>河内太夫判官さま
菅直人の年金払い漏れって、役所のミスではないのかな(^^;)?
〇平将門(と藤原純友)
判官さまは将門ファンだったのですね(^^ゞ。
地元の私が「平清盛の前にもいた平氏らしい、どっかで戦死したらしい」ぐらいしか知らない時期が長かったのに(爆)。
将門の首は、大垣で一度封印されたのですね。どっかでバウンドしたのかと思ってました(^_^;)。
で、純友については、こんな所を発見。
藤原純友:http://www.tsukudo.jp/hito-sumitomo.html
(築土神社HP:http://www.tsukudo.jp/より)
兼続と三成みたいな、東西挟み撃ち計画の噂があったんですね。住友財閥の家祖が子孫ってのがスゴイ。
○関西祟り神トーナメント(笑)
早良親王あたりの怨霊は、だいたい安倍晴明が片付けたんじゃないですかね(^^ゞ。
で……そうそう(^^;)、崇徳上皇は太平記にも出て来るらしいですね。
金の翼をして? 淳仁天皇や後鳥羽上皇と天下を乱す相談をした???
こういう「天狗の親分」みたいな所が、幕末に動乱の統領と目された点なんでしょうかね(笑)。
流されたのは讃岐でも、祟ったのは京のようで……でも皇室が崇徳帝の慰霊を京に戻して和解したそうなので(それまで放置してたんですね(^^;))、そろそろ後醍醐天皇の時代ですか(笑)。
>「皇を取って民となし民を皇となさん」
これ意味よく判らなかったんですが、天皇家から天皇を引き摺り下ろして、他の人を天皇にする、という意味ですか?
崇徳上皇の時代が先だったら、将門も道真よりコレを利用したかもな〜。
>……どうか罰が当たりませんように<(_ _;)>
トーナメントで忙しい上に、罰当たりなカキコも見付けなきゃならん、と(笑)。
<こたつ城主 [関東]
2004/09/17(Fri) 20:16>
>のりちゃん様
道真は「祟りだけが有名」という感じでもないです(^^ゞ。
崇徳上皇のように「祟ってやるから、みんな待っててね〜(^O^)/」とシッカリ意思表明したわけでもないから(汗)。っていうか逆に、9年も呪い続けて死んだって所が、何となく恐かったり(^^;)。。
が、「左遷の悲劇」は少なくても有名です。
左遷から僅か二年で死亡、というのは知らなかったのですが、源氏物語が語られる時、必ず菅原道真が例にあげられるので。
流刑も初代は悲劇だったと思います。が、二代三代と行くと土地に馴染むというのはありそうですね〜。
>ハーンがいて、その本(かけひき)が出版されてたら、醍醐天皇が太宰府へ行って、
>「本当に祟る気なら、そこの石に噛み付いてみよ」
お(゚.゚)。これはどういう話ですか?
で、私はてっきり、早良親王陵や崇徳上皇陵を気遣ってる(机の位置まで変えるかは置いといて:笑)のだと思い込んでました(^^ゞ。
その点、将門は……そう、どうしてでしょうね(笑)。ただ、これは個人差があって当然ですが、神田明神はホントに望みをよく適えてくれるんですよ(^^ゞ。
>「祟りトーナメント」で、本番になるまでに、力使いすぎちゃうんでしょうか(^^ゞ
各派閥の調整が難しい地区になりますかねぇ。小選挙区制の限界ですか。(何の話だっ(^^;))
>いわゆる「御霊神社」に祀られている神様
お、どういう面々なのでしょうか♪
「霊山護国寺」かな。そう、幕末の志士の墓が集まるお寺があると聞いた事はあるんですが、京だと最近まで知らなかったり(^^ゞ。
<北畠具顕さま [東海]
2004/09/17(Fri) 22:45>
>「皇を取って民となし民を皇となさん」
崇徳天皇が血で書いた供養の経文を京都が受け取ってくれなかったからこんな呪いを賭けられるのですよ(笑)
確か「功徳のために書いたこの経文を地獄の釜に投げ込んで・・・」見たいな恨み言いったような気がします。
<河内太夫判官さま
[外国] 2004/09/18(Sat) 22:31>
>菅直人の年金払い漏れって、役所のミス
社会保険庁の管轄官庁って厚生省で、菅直人は厚生大臣でしたから……(・・;)。
〇平将門(と藤原純友)
>判官さまは将門ファンだったのですね(^^ゞ。
はい(o^-^o)。関西人のくせに、なぜか将門には好感を抱いてゐます。小学校低学年の時に読んだ将門の伝記がよっぽど気に入ったらしい(笑)。
>で、純友については、こんな所を発見。
をを〜、ありがとうございます(^^ゞ。橘遠保が純友討伐の功により河内に所領をもらい、そして土着して、のちに楠木正成が出てくるってことになります。
しかし共謀説はどうでしょうかねぇ(^o^;。将門の叛乱は成り行きっぽいような気もしますけどね。親房が共謀説か……。これにヒントを得て、南朝勢力の一斉蜂起計画なんて立案したのかもしれませんな。
○関西祟り神トーナメント(笑)
>安倍晴明が片付けた
……映画やん(爆)。ってか、早良親王ってどんな祟りしてましたっけ(^o^;。単に桓武天皇が気に病んでただけだと云う気がしてきました。
>崇徳上皇は太平記にも出て来るらしいですね。
ええ。太平記って、一面ホラー小説ですから(笑)。たくさん怨霊が出てきます。ほかに後鳥羽院、淡路廃帝(淳仁天皇)。太平記読んだらトーナメント組むのは楽かもしれません(^o^;。
>流されたのは讃岐でも、祟ったのは京のようで……
よくよく考えたら崇徳院もどんな祟りをしはりましたっけ(^^ゞ?「呪ってやるぞ」とは云ってましたが、実際には何が起こりましたっけ。
>そろそろ後醍醐天皇の時代ですか(笑)。
この間の地震の恐怖が(苦笑)。ってか、明治新政府はなぜ後醍醐天皇を京都に戻さなかったんでしょう。天龍寺で事足りると思っておったんでしょうか。
>罰当たりなカキコも見付けなきゃならん、と(笑)。
ネットって誰が見てるか判らないですから。告げ口されたらかないません(笑)。 |
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