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島根・月山富田城、2
<こたつ城主 [関東]
2004/09/06(Mon) 09:50>
>たみい様
ご指摘の通り、鹿之助を見殺しにしたのは、秀吉ではなく信長だと思います。
現場の調整と信長の命令のズレに苦しんだのは、秀吉にみならず、明智や荒木も相当大変だったように思います。
<こたつ城主 [関東]
2004/09/06(Mon) 09:53>
>河内判官太夫さま、2
○月山富田城
今では亭主の城跡攻め意欲も相当なもので(笑)、月山富田城は「山中屋敷跡」という中間地点があるのですが、前はここまでしか行かなかったのを、その先の山頂まで今回は行って来たそうです。かなりの道の険しさだったようで、筑後川さまのレポにある「足元注意」が役立ちました(笑)。
>「播磨灘物語」とごっちゃになって
播磨灘も出て来ます。信長に限界を感じるのは黒田官兵衛ですが、官兵衛は、秀吉もそう感じていることを薄々感じ取る、ってな具合だったような。
<こたつ城主 [関東]
2004/09/06(Mon) 09:58>
>みほみほ様
東の歴史は西の影響を受けてますから、東の人が西に興味を持つ事はあっても、西の方が東の歴史に興味がないのは当然だと思います。
また家康や江戸時代に興味がなかったのは私も同じだったのですが、遠くに行くのが無理で関東周辺をやってる内に……戦国時代に関してのみ言えば、関東は面白いかも(笑)。
私自身は殆どタメになる知識も無くて恐縮ですが(^^ゞ、面白い話をして下さる方がおられると、私も楽しく参加させて頂いてる次第です。
<河内太夫判官さま
[北海道] 2004/09/07(Tue) 01:39>
○月山富田城
>「山中屋敷跡」
そのネーミングを聞くと、どうしても佐藤慶が浮かんでしまいますな。あ、戸浦六宏が来た(笑)。
……一瞬、鹿之助の山中家と甲賀の山中家が同族かと思ってしまいました(^o^;。鹿ちゃんの家は尼子一族だったのですな。
<こたつ城主 [関東]
2004/09/07(Tue) 17:36>
>河内太夫判官さま
○ 月山富田城「山中屋敷跡」
大変失礼いたしました。「山中御殿跡」です(笑)。
心のどこかで「甲賀が鹿之助の元に潜伏して」と期待を抱いたのかもしれませぬ(爆)。
で、鹿之助の山中家は、尼子経久の父(清定)の弟(幸久)から発生します。
が鹿之助は次男なので、いちど亀井家(家老職ですな)に養子に出てます。 |
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