<掲示板・議事録>

南北朝総覧、2

     
  <筑後川さま [東海] 2004/08/28(Sat) 22:16>

こんばんは。

>名和氏のサイト
ええ、一応^^ 私以外にする人間が絶対にいないので、作って見ました。南北朝はほとんど分からないんですけどね><

>河内太夫判官さんへ
わざわざのご挨拶ありがとうございました\(^-^)/



<さま [関東] 2004/08/29(Sun) 12:01>

こたつさま、こちらではお久しぶりです。

>南北朝
私も南北朝大好きです。特に楠木一族。
「好き」と言えば正成が一番ですが、「興味がある」というと正成の末子の正儀が一番です。あまり人気はないんですけどね。(笑)



<河内太夫判官さま [近畿] 2004/08/29(Sun) 15:55>

>幸村はそれで大阪でもウケたのかな(笑)。
あの当時、実は楠木正成はそんなに人気があったわけではなかったと思われます(^o^;。だって河内の住民はけっこう徳川軍に協力してたり、なかには、幸村に追いかけられた家康を匿ったのもゐるらしいです(苦笑)。

>又いろいろ教えて
いや、そんな(^^ゞ。教えるやなんて。ときどき間違ってることをとうとうと述べてたりするので注意が必要です(苦笑)。

>紫さま
はじめまして(^^ゞ。こたつ城に出入りさせてもらってます、河内太夫判官と申します。以後よろしくお見知りおきくださいまし。

>正成の末子の正儀が一番です。
>あまり人気はないんですけどね。(笑)
はははは(^o^;。いったん足利方についてしまったのが痛いですね。しかし最近ではかなり正儀のファンも増えてきてますよ。河内長野で楠木正儀をテーマにした講演会があったのですが、会場満杯になってました(o^-^o)。



<こたつ城主 [関東] 2004/08/30(Mon) 04:16>

>筑後川さま

私も南北朝はよく知らないんですが(^^ゞ、名和氏の名和は地図で見たら、鳥取の中でも島根に近いですね。
私の主人が島根出身なんですが、鳥取側に近い月山富田城の付近なのです。ちょっと親近感を感じたり……(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2004/08/30(Mon) 04:18>

>紫さま

ウチの方は戦国時代は、メジャーな時代(天正とか)より前の、太田道灌の頃の史跡が多いものですから、戦国初期のことが判らないといけないんですが、南北朝の色分けも微妙に絡んで来るので、南北朝はぜひ興味を持ちたい時代です(^^)。



<こたつ城主 [関東] 2004/08/30(Mon) 04:19>

>河内太夫判官さま

家康はけっこう大坂の人々に助けられて天下を取ったんですね(笑)。
まあ家康と楠木人気が両立してもいいわけですが、江戸期、郷土の英雄の慰霊を立てるなどは幕府も奨励したそうで、そちら関係も影響あるかも?

私はご存知の通り、楠木一族の名がスラスラッと出て来るとついてけないぐらい、南北朝ダメダメなので、嘘でも何でも教えてくれる人は貴重です〜〜。
で、正儀は正成の末子φ(。。)mメモメモ。
足利氏についてしまったと(゚.゚)? え〜楠木氏にそんな人が居たんですね〜、意外。
ファンが多いのは、野心があったから? それとも非業の最期を遂げたとか、ですか?
 
     

     
  <河内太夫判官さま [関東] 2004/08/30(Mon) 23:04>

>江戸期、郷土の英雄の慰霊を立てるなどは幕府も奨励
まぁ地元ではこっそり楠木氏を祀ってたりはしてたのでしょうけどね、何と云っても朝廷から見れば朝敵ですから(^o^;。桶狭間の頃に楠正虎ってのが朝敵赦免をもらいましたけど(なんと松永久秀の口添え(笑))、やはりまだ警戒はしてたのでしょうね。

>ファンが多いのは、野心があったから?
うーん、けっこう人それぞれで理由が異なると思うんですよ。謎が多い人物ですから。

判官が正儀を好きなのは、実は「吉野朝太平記」(鷲尾雨工)って小説が原因です(笑)。正儀が主人公ですが、またカッコいいんですよ(o^-^o)。去年でしたか、ハードカバーで復刊されてます。



<こたつ城主 [関東] 2004/08/31(Tue) 15:27>

>河内太夫判官さま

>桶狭間の頃に楠正虎ってのが朝敵赦免をもらいましたけど
>(なんと松永久秀の口添え(笑))、
そんな時代まで赦免されなかったとは(゚.゚)。都に近いのも難儀ですね。
平将門なんて、朝敵ってレベルでは楠木どころじゃないんですけどね(爆)。

>楠木正儀@「吉野朝太平記」(鷲尾雨工)
あ〜なるほど。そこに出て来る魅力ある主人公なんですね! 足利尊氏に乗り換える(?)過程がカッコイイのでしょうか。謎の多い人物を使って、魅力ある構成をするのが歴史小説の醍醐味でしょうしね。



<河内太夫判官さま [中国] 2004/08/31(Tue) 22:30>

>都に近いのも難儀ですね
皇居に殴り込みをかけ警備を殺害して火をつけ三種の神器を奪いました。ときどき将軍の生命も狙います。周辺に檄文をまいて叛乱をあおったりもします。……兇悪テロリストだ(^o^;。

>乗り換える(?)過程がカッコイイのでしょうか
い、いやいや(^o^;。その部分はラスト数行、「正成の子であり正行の弟であるという名を捨てた」で片付けられてます(笑)。

まぁ南朝は徐々に力を失っていって最後には北朝に吸収されてしまうのですが、それでも後村上天皇の時代は何度も京都を奪還したりしてがんばってゐたのです。ただそれは南朝の力がすごいのではなくて、足利幕府の内輪もめに乗じただけでしてね(^^ゞ。

しかし、この内輪もめを引き起こしたのが正儀なのです。あるときは女を使い、あるときは変装して敵地に潜入、またあるときは怨霊の力で……。知力の限りを尽くして南朝に捧げ尽くします。この戦いがカッコいいのですよ(o^-^o)。

うん、真田太平記の昌幸に似てるんですわ(o^-^o)。楠木八忍衆という忍者部隊も出てきますし(笑)。女好きやし(爆)。文章のテンポもよくて面白い小説だと思います。



<さま [関東] 2004/09/01(Wed) 22:23>

>こたつ城主さま
南北朝はちょっと複雑ですが、なかなか面白いですよ。私は戦国時代の次くらいに好きです。
やはり、楠木一族が一番いいですね。次が地元贔屓で新田一族。(笑)
↓とりあえず、私が持っている南北朝・太平記関係の本のリストです。
http://sanadasandai.hp.infoseek.co.jp/sample/rist01.htm
やっぱ、楠木関係のものが多いですね〜


>河内太夫判官さま
ご挨拶ありがとうございました。遅くなってしまって申し訳ありません・・・
最近は、正儀も人気が上がっているんですね。ちょっと嬉しいです。彼は、味方の北畠親房からも「父(正成)にも兄(正行)にも似ない心のびたる者」と酷評されていましたから・・・
彼の父兄の時とは、南朝をとりまく状況が違うことが、公家たちにはわからなかったんでしょうね。
北朝に降伏したのだって、衰退する一方の南朝をなんとか救うために和平交渉をしていたのが公家には理解できず、「裏切り者」と呼ばれて南朝にいられなくなったのだと思います。

>「吉野朝太平記」
私も10年くらい前に読みました。
知人に勧められたのですが、古い本のため全5巻の文庫本はなかなか見つからなくて。
たまたま立ち寄った上田市の古書店で全巻セットを見つけました。
この本の正儀はカッコイイですよね。

実は、楠木一族に興味を持ったのは、真田本に「真田の戦法は楠木正成の千早城の戦いを参考にしていたようだ」というような記述があったからでした。
動機が不純。(笑)



<こたつ城主 [関東] 2004/09/02(Thu) 00:28>

>河内太夫判官さま

なるほど。楠木一族は、不法侵入、殺人、放火、窃盗の罪に問われていたのですね(笑)。
そうそう、三種の神器を盗ったり返したりする話は、確か「花の乱」にも出て来ましたね。ああいう事が室町時代じゅう起こってたのでしょうか(^^;)。
後村上天皇と言うと……m(。。)m、足利尊氏より10年ぐらい長生きしましたか。
内輪揉めと言うのは、尊氏が死ぬ8年前ぐらいからやってる、弟と妾の子とのアレ(笑)に正儀が関与したのかしら?
にしても、真田昌幸に似てるというのは面白そうですね〜。その忍者組織はどんな具合に作られたのかな?
すると、楠木正成じしんは幸隆という事に(^^ゞ?



<こたつ城主 [関東] 2004/09/02(Thu) 00:31>

>紫さま

私も戦国時代の次ぐらいに好きになりたいです〜〜〜〜!!
リストありがとうございます(^^)。
あれ(゚.゚)。私、紫さま所で、そのリスト見たかしら?(見落としてたかな?)
で、判官さまの言われる「吉野朝太平記」がありますね(^^)。
どうせなら、まとまったシリーズをド〜ンと読む方が、と思いますが、これにはほぼ全容が描かれてるのでしょうか。
また、紫さまのお薦めはどれですか?(一番悩ましい質問かも?:笑)

>心のびたる者

これってどういう意味(^^;)? 何か前後関係から察するに、あまり良くない意味なんでしょうね。。裏切り者とか?
また南朝をとりまく状況というのは、どんな具合に変化していったんですか?
全くワカランチンのパッパラパーで申し訳ないんですが、そういう「時の推移」みたいのが一番わかってないので(紫さまの仰るお公家のように:笑)、良かったらこたつにも、是非教えて下さいまし〜〜〜。
(そして来年から「南北放題こたつ城」になる:爆)

>衰退する一方の南朝をなんとか救うために和平交渉

やっぱり信之っぽい感じ。

>「真田の戦法は楠木正成の千早城の戦いを参考に
>動機が不純。(笑)

でも私も「千早城」を記憶したのは、まさにコレが原因(爆)。
 
     

     
  <河内太夫判官さま [中国] 2004/09/02(Thu) 23:15>

>確か「花の乱」にも出て来ましたね。
そうです、そうです(o^-^o)。ああいった大事件は一回きりでしたが、将軍の生命を狙ったり挙兵したりなんてことはしょっちゅうやってましたから(苦笑)。それにあの当時頻発してた「土一揆」を裏であおってたのも楠木一族だと思ってます。……そりゃ朝敵だわ(^o^;。

>内輪揉め
まず、色魔・高師直と弟・直義の権力争いですね。史実的には、秩序を乱しまくる師直が政権中枢にゐては困る直義が、師直を追い落とすことから始まるんですが、小説では、正儀が直冬(直義の養子、尊氏の妾腹の子)のもとに送りこんでゐた絶世の美女を師直に奪わせ、互いに噛ませ合うことにしてゐますね。師直が色魔なだけに、真実味があります(爆)。

>真田昌幸に似てるというのは面白そうですね〜。
かなり似てるかもしれません(・・;)。昌幸も正儀も三男ですし、兄貴二人は合戦で若死に。若くして家を背負って悪戦苦闘しました。ただ昌幸はある程度上司に恵まれましたが、正儀は……。

>その忍者組織はどんな具合に作られたのかな?
うーむ、何でしょう(笑)。唐突に現れます。親父時代から使ってゐたのではないでしょうか。

>楠木正成じしんは幸隆という事に(^^ゞ?
はい、ぴったり(笑)。

○紫さま
>私が持っている南北朝・太平記関係の本のリスト
判官よりたくさんお持ちだ(爆)。

>心のびたる者
む、これは太平記が正儀を罵倒してた言葉でしたね(^o^;。判官は北畠ファンでもありますので、親房自身は、内心では楠木一族のことをかなり買ってゐたと思うんですよ。……吉野朝太平記の影響(苦笑)。

>公家たちにはわからなかった
それ以前に、主上がイケイケ(^o^;。これは正儀の智謀をもってしても越えられなかった。まだ後村上天皇にはかわいがってもらった恩も感じてゐたでしょうけど、長慶天皇にもなったら、ほとほと嫌気が差したんでしょうな。

>動機が不純
いえいえ(o^-^o)。判官が楠木ファンになったのは小学校三年のときでしたが(笑)、動機は「日本でもっとも有名」って教わったからでした(^^ゞ。北畠親房が好きなのは、誕生日が一緒(爆)。動機なんてどうでもええんですよ。



<こたつ城主 [関東] 2004/09/03(Fri) 10:29>

>河内太夫判官さま

あ、実は、土一揆と南北朝騒乱の関連はナイのかな?というのが、まさに私の関心事だったりします。
直接絡めはしませんでしたが、「花の乱」でも、富子の義父が神器争奪絡み、義兄が土一揆に荷担という、時代のパノラマ図としては描いてましたね。

足利尊氏の子同志が争うとか、尊氏の弟(直義)と高師直が権力を競うのは、何となく判るのですが、弟と妾の子の結託というのは、利害の一致なのか、単にハブセ同志の連携なのか、そこの所がどうも一つ。。

ところで、楠木正行・正時(あってるかな、長男と次男)は戦死するんですね(゚.゚)。
では正儀が後を継ぐのでしょうか。正儀は正成より長生きしたんですか? 長慶天皇の頃は孤軍奮闘になっちゃうの?

私は語れるほどには知らないのですが、その家康や真田と絡める話は、何かイメージしやすいし、面白いのでちょっとお邪魔を(=^m^=)。
足利尊氏って、悪人(?)としては、家康(梅康だろう:笑)より小粒という印象があるんです。死んだ年齢や、その後の動乱度の違いで持ってる印象に過ぎませんが(^^ゞ。
だから判官びいき(ダジャレやないでぇ〜:笑)なら、「秀頼、超カワイソー(>o<)」ですし、逆にピカレスク路線だと、「家康、超シビレる〜(≧▽≦)」のです。

北畠親房という人は、↑の構図だと何のポジションだろ。。



<河内太夫判官さま [中国] 2004/09/04(Sat) 00:47>

>土一揆と南北朝騒乱の関連
もちろんあると思います。有名な土一揆に「正長の土一揆」「嘉吉の土一揆」がありますが、その引き金を引いたのが近江坂本の馬借。一方楠木氏は、一説に水陸の運送業を支配してゐたとも云われており、近江の馬借ともつながりはあったことでしょう。馬借が蹶起した後にあっという間に畿内に広まったところを見ると、告げて煽って回った奴らがおると云うのはうすうす感じられるところでもありますな。

>弟と妾の子の結託
えーっと。尊氏は嫁さん怖さに直冬を自分の子として扱おうとしない。なので、子がゐなかった直義が自分の養子にしてやるわけです。直冬はそれを恩に感じて、生涯、父と正妻の子を敵にしつづけます。本人たちは利益追求ではないでしょう。しかし周囲はシンボルとして担ぐと。尊氏の子だから義詮を排除して将軍にすることもできるわけですからね。

>では正儀が後を継ぐのでしょうか。
そうです、そうです。この家督継承にちょっとしたごたごた話があり、後に池田恒興が楠木正行の子孫の家系だとか云われることになるんですな(^^ゞ。

>正儀は正成より長生きしたんですか?
はい、記録上ははっきりしませんが、1330年生れ、1389年ごろ死去。だいたい60年生きてますね。正成親父は享年43でした。ああ、後厄(o`;)。

>長慶天皇の頃は孤軍奮闘になっちゃうの?
はい。ちょうど大坂の陣直前の片桐且元状態です(^o^;。そう云えば且元は大坂城砲撃の手引きをしてましたが、正儀も幕府軍を案内して南朝皇居を攻めちゃった(>_<。)!

>足利尊氏って、家康(梅康だろう:笑)より小粒
尊氏は"お坊ちゃん育ち"ですから、大らかで物欲がないんですわ(^o^;。だから詰めが甘い。やる気がなくなればすぐに現実逃避する。土地でも物でもすぐに他人にやってしまう。すんげえイイ奴(笑)なんですが、こいつが家康並にしっかりしてれば、ああも南北朝の内乱を引きずることはなかったでしょう。

息子の義詮がまた尊氏に輪をかけてお坊ちゃんでねぇ( ̄▽ ̄;。秀忠とはえらい違いですわ。

>北畠親房という人は、↑の構図だと何のポジションだろ。。
うーん、やっぱり現実を見ずに強硬意見を吐きまくってた淀君、ってことになるんでしょうけど、しかし親房はちょっと違うような気がします。

と云うのも、淀君はまったく妥協することを知らずに突っ張って豊家を滅ぼしてしまいましたが、親房は「正義のためなら悪魔とも手を組むぞ」(何か矛盾(^o^;)っていう超現実主義者なのですな。観応の擾乱(例の兄弟げんか)の時には、まず直義が南朝に降り、次に尊氏自身が南朝に降ってきたのですが、親房はこのどちらとも手を組んでおります(爆)。打倒すべき幕府の親玉とさえ手を組んでしまったのですよ。

その結果、一時的ではありましたが南朝が北朝を吸収する形での南北合一がなされて、南朝軍が京都を占領したりしました(^-^)v。親房の正義である「正統な皇統である大覚寺統(南朝)を京都に帰す」が実現されたということです。曲がりなりにも結果を出したということで、判官は凄みを感じますね。口先だけではないな、と。

なので大坂の陣では居場所がありません(笑)。

すみませんねぇ、今回のカキコも字が多くて(^o^;。



<こたつ城主 [関東] 2004/09/04(Sat) 19:55>

>河内太夫判官さま、2

>「正長の土一揆」「嘉吉の土一揆」
この辺り関連年表を見ると、エンエン土一揆が頻発してて、どれが重要なのか掴めないという(^^;)。。
しかし近江坂本の馬借が発起人なんですね〜。あと、楠木氏が運送業を支配してたというのは、実は知らなかったのです(爆)。

>観応の擾乱
と言うのですね(゚.゚)。尊氏と弟直義の争い。
そして……なるほど〜、直義には子供が居なかったのですね。で、直冬を養子に。あ〜〜、わかったですーーーーー(^O^)。
じゃあ、そもそも、尊氏と直義が兄弟喧嘩を始めたので、直冬は実父の尊氏より育ての親の直義についたって事ですね。ふむふむ(^^)。

>尊氏の子だから義詮を排除して将軍にすることもできるわけですからね。

確か直冬の方が義詮より年上なんですよね?

>楠木正儀
池田恒興が楠木正行の子孫(゚.゚)? あ〜、叔父の正儀と甥の正行の子の間に何か確執があったって事かな?
で正儀は1330年生まれ(*o*)?! じゃ、正成が死んだ時は小学校一年生(←!)。
では、その「吉野朝太平記」を読めば、南北朝合一あたりまでの経過がだいたい判るのかな。
しかし、南朝の皇居を攻めるまでしても、朝敵の汚名は被ってたのでしょうか(^^;)。他の子孫連中が犯行続行してたという事?

>足利尊氏はおボツ(笑)
なるほど(^_^;)。確かに室町幕府って、どエライ自領の薄い征夷大将軍なんですよね。尊氏は理想家だったのかもしれませんね。
二代義詮というのがまた……まるで印象が薄くて(^^ゞ。

>北畠親房
>「正義のためなら悪魔とも手を組むぞ」(何か矛盾(^o^;)
あ〜なるほど(^^;)。「正義」を極端に尊皇と見れば、とんでもなく過激でもないのかな? 幕末よりは純粋だよね?(爆)
しかし直義が南朝に降りたのまでは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」に思えるんですが、尊氏が……てのは何か「徳川にもいたかな、そういう人、確か一番最後に(爆)」とか思ったです(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2004/09/04(Sat) 19:57>

>河内太夫判官さま、3

>すみませんねぇ、今回のカキコも字が多くて(^o^;。

私が次々質問するからだよね(爆)。
 
     



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