<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」2004-05、2

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2004/05/18(Tue) 20:02>

やっぱり、北条の名の由来が方丈記ってことはないかぁ(←当たり前だっつの(笑))

で、後北条の祖(になるんですよね?)である早雲は、下克上の典型なのですね。

下克上の典型というと、斎藤道三のことを思い出したのですけど、彼の場合は、その婿が、領主でありながら一介の足軽を引き立てる人物だったからか、それとも、司馬遼太郎さんの「国盗り」のせいか、悪い印象がありませんでした(笑)
でも、道三も「蝮」って呼ばれたんでしたっけ。

やっぱり、「仁義」とかそういうものを重んじる、武士社会において、「主を倒す」というのは、かなり印象が悪かったのですね。

名前、ということからもいろいろ想像できるもんなんですね〜(#^.^#)

さて、「SENGOKU」は、やっぱり700%ホラですか(笑)
でも、確かに、おかげで名前を覚えられるのと、時代の前後関係が少し頭に入りました。



<kazuさま [関東] 2004/05/18(Tue) 22:26>

こたつ様こんばんわ。
のりちゃんの話題に北条氏が出ていたのでちょっと口出しちゃいますね。(笑)

北条早雲、自分も当初は乱世に突如として現れた腹黒い梟雄のイメージだったのですが、司馬さんの「箱根の坂」を読んでイメージが変わりました。
実に堅実で地道な人が、最終的に一国の主となった感じで。謀略を駆使したというよりも、日頃の民政に力を入れて、人の心の動きに機敏という感じがいたしました。
実際の早雲も恐らくそんな人柄だったのではないかと、自分思いたくて早雲も好きになりました。(笑)

ただ、戦国期において早雲以下北条氏ほどの善政を敷いた大名はいなかったといいます。おおらかで、それでいてしっかりとした行政システムが確立されていた印象が強いですね。
最もそれが故に、秀吉に攻め込まれたときに「小田原評定」などといわれて敗れてしまうのでしょうけれど。(^^;



<いずみくんさま [関東] 2004/05/18(Tue) 23:27>

続いちゃお
kazuさんと同じく神奈川の人間です

神奈川の各地に北条ゆかりの地があって・・遺構も残っているけれど・・
本の解釈はものの見方によって変るので何とも言えないのですが・・5代も続いたことで・・揺るぎがあったのだろうと思います

善政があるにせよ、時代に機敏に反応できなかったのが残念ですね〜
今の世にも言えるけど・・・温故知新・・
そんなんでしょうかね?

こた様如何思われる?



<一海さま [近畿] 2004/05/19(Wed) 03:29>

こんばんは。一海です。
旅行記ですが拝見いたしました。中でも早雲寺のレポはじっくりと読ませていただきました。司馬遼太郎氏の『箱根の坂』で早雲が好きになりましたので、一度は行ってみたいです。それと新田義則のお墓にも興味を抱きました。調べましたが義貞の弟・脇屋義助の孫だったんですね。ちなみに検索の途中で同姓同名の大学教授がいらっしゃいまして驚きましたが^^;



<こたつ城主 [関東] 2004/05/20(Thu) 20:47>

>のりちゃん様

早雲と道三は、並び称されて「下克上の典型」に位置されてて、物によっては、「道三は早雲を真似た(意識した)」という見方を底辺に感じる事すらあります。
そういう意味では、早雲の方が先ですから、早雲の下克上の方が、より「オリジナリティが高い」と言えます。

が、「下克上」と「腹黒さ」(「梟雄」という言葉になりますか)は必ずしも同類ではなく、乱世においては「下克上」も治世スタイルの一種ではあったと思います。
また、司馬さんが「国盗り」を書いた頃は、特に下克上も一種の「快男児」と扱われたので、爽快感すら漂いますよね(笑)。

「SENGOKU」。知らない人にも詳しい人にも、それなり楽しめる物を提示するのって難しいと思いますが、その点はクリアしてた方ではないかと。
特に知らない人には、北条・毛利・本願寺あたりなんか、人名だけ字で並べられても印象に残りませんものねぇ(^^;)。


>kazuさま

司馬さんに限らず、一時期早雲を扱った書き物も多かった気がするんですが、それらは「一介の浪人あがり」という向きが強く、むしろ「梟雄」を「男らしい」として描かれがちだった覚えがあります。
ただ、どうも私には、早雲は非常に質素堅実な人というイメージが強く、ややもすると「吝嗇家」ですらあった印象があります。
例えば、強いて有名な戦国大名に例えると、「徳川家康」に近い印象を持ってます。(これは私の場合、「良い意味で」なんですけどね(^^;))

「小田原評定」については、確かにスピード的に不利であったのは事実でしょうが、見方を変えれば、議会制民主主義に近く、「号令総動員」という独裁色を否定したシステムゆえだったのではないか、と。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/20(Thu) 20:49>

>いずみくん様

前に八王子の地元誌に「城に懲り過ぎて、意味を為さなかった」といった記述を読んだことがあって、「地元なのに辛口〜(^^;)」と驚いた覚えがあるんです(笑)。
しかし考えてみれば、「元・地元」には縁もゆかりもありませんから、愛着があるわけないですよね(笑)。特に北条の地元は都会になった地域も多いですし。

没落の原因については、信長・秀吉の時代だけ見ると、偏見に陥りやすいと思います。
が、強いて言うなら、氏康以降ですか、どこを「仮想敵国」にしたらいいのか判らなくなっちゃった時期はあったような気がしなくもないです(笑)。
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2004/05/20(Thu) 21:26>

おぉ、早雲ファンって多いんですね(#^.^#)
私、うかつにも、「早雲寺」と、初代北条の早雲の関連に気づきませんでした(^^ゞ

「元祖・下克上」なんですね(笑)
で、司馬遼太郎さんの小説にもなってる、とφ(..)
『箱根の坂』
という題名なんですね。

今、読む本が溜まってるんで、いつになるかわかりませんが、「読みたい本リスト」
に入れましたヽ(^。^)ノ



<kazuさま [関東] 2004/05/20(Thu) 22:00>

こたつ様こんばんわ。
のりちゃん、こんばんわ。
自分も早雲ファンになったのは、司馬さんの「箱根の坂」を読んで以来なんですよね。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/21(Fri) 21:33>

>のりちゃん様

そうそう。「早雲寺」という名が「寄らずにはいられない」理由です(笑)。
「箱根の坂」も、これまた途中まで読んだ早雲の小説の一つです。
私も読む本が溜まってますけど(笑)、そのうち読み直してみようかな。


>kazuさま

「箱根の坂」を読んだ時には、既に他のも読んでたので、混ざっちゃって(^^ゞ。



<たみいさま [東海] 2004/05/23(Sun) 15:37>

城主さま、
>例えば、強いて有名な戦国大名に例えると、「徳川家康」に近い
>印象を持ってます。(これは私の場合、「良い意味で」なんですけどね(^^;))

同感です。マムシの道三、イタチの早雲と言えば、良い印象ではありませんが、イタチ的な早業では無いよね。

特に早雲は還暦も過ぎてから30年の歳月をかけて、やっと、あれだけのエリアを平定した。
考えるだけでも、かっくたびれるではありませんか。

早雲が力を入れたのは民衆心理も含めた情報収集、速攻が成功するのは、やはり下地があっての事ですよね。

伊豆は彼によって大分被害ももたらされましたが、その後の半世紀(以上)は安定しましたからね。
悪いのは秀吉だわ。。

それはそうとして、この寒さは、なんざましょ。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/24(Mon) 18:38>

>たみい様

早雲の年齢は不詳ですが、一般的には1432〜1519ではないかと。
だから創作上の登場でも、せいぜい応仁の乱(1467)からぐらいで、これでも既に35歳なんですよね(^_^;)。

今は斎藤道三や伊達政宗を、ストレートに「悪人」と思う人は居ないと思いますが(笑)、何しろ早雲のイメージは長い間これらと一緒だったんですね(松永弾正なんかは今でもこれですか:笑)。
それが「時代の風雲児」というムードが巷に出て、ちょうど今の伊達政宗に近い人物像として語られる事もあったと思います。
が、やっぱりこれとも違いますよね(^_^;)。

早雲の民政については、真偽のほどは明らかではありませんが、厳しい罰則の徹底や減税・医療による捨農地民の復帰がよく言われます。頭脳ある善政であったと思います。
 
     

     
  <前田敏郎さま [関東] 2004/05/25(Tue) 02:26>

「城主のたわごと」拝見しました。フットワークのよさを活かして色んなところを回ることが出来て羨ましかったです。私にとって箱根は「日帰りで行くところ!」という気持ちが強いのですが、それは箱根を身近に感じている一方で、「日帰り」という枠を作ってしまって行動範囲が制約されてしまいます。太閤の石風呂とか新田塚などはなかなか行けないだろうなと思いました。それにしても、箱根あたりにも南朝の武将が来たりすることがあったんですね。意外でした。
早雲寺は「北條五代祭り」の前日に行なわれる手作り甲冑隊によるパレードの起点なんですよね。墓前供養をしてから小田原に向けて出陣すると聞いています。できるものなら、私も出てみたい。玉縄衆の一員に化けて・・・。
こちらで紹介された様々なエピソードを読んで、箱根の歴史の層のぶ厚さを感じました。

彫刻の森、20年位前に1回だけ行きましたが、ほとんど記憶に残ってなくて、新鮮な気分で読ませていただきました。自分の感性の貧弱さに愕然としました。「地面にぶっ倒れている人」の像、しばらく忘れられません。数々の作品に現れている発想の柔軟さにアートの世界の懐の深さを感じました。

写真でも紹介されていましたが、7月の箱根はアジサイに彩られて綺麗ですね。私も毎年7月には母を連れて箱根に行きます。登山電車からアジサイを眺めるんです。もうじき梅雨の鬱陶しい季節になりますが、また箱根にアジサイを眺めに行きたくなりました。(そして、帰りには小田原で地魚料理を「もう、限界だ〜」というほど食べるのが、もうひとつのお楽しみ・・・)



<ゆうさま [九州] 2004/05/25(Tue) 04:00>

おはようござりまする〜♪
箱根の「彫刻の森美術館」の彫刻ってエキサイティングっていうか独創的な彫刻が多いのですね。
なんて言うか作者が思いきり好きなように造ったっていうか・・
(*^▽^*)
九州にも以前「玄海彫刻の岬」という所があったのですが、改装の為に休むと言った(閉まってたのでtelして聞いたのです((^^*)きり、いっこうにオープンする気配が無いのです。
止めちゃったかも・・



<こたつ城主 [関東] 2004/05/25(Tue) 19:29>

>前田敏郎さま

あ(゚.゚)。読んで下さったのですねっ♪ ありがとうございます〜!
横須賀あたりで既に「日帰り」感覚なんですね〜、箱根は。ウチは鎌倉あたりでも、日帰りだとちょっとキツイっす(^^;)。
じっくり見ようと思わなければ、箱根はあのあと「日帰り」でも行くようにもなりましたが、「太閤の石風呂」は、いかにも「観光客だからこそ」って感じで、つまり「ガイドブック」を持ってったから判ったんですよ(^^ゞ。
ただ新田義則については、ホント偶然発見したんですよね。私も収穫でした(#^.^#)。

で、北條五代祭りは早雲寺から出発するんですね(゚.゚)。玉縄衆というのは本隊?
写真ではちょっと心霊スポット巡りになってますが(汗)、五代のお墓に続く石段と言い、ちょっとした厳かな印象がありまして、お祈りしてから行くのは良いかもしれません。

彫刻の森ですが、子供の頃の記憶では「すごく大きな広場」という記憶があったんですが、今行くとまた違いますね〜(笑)。
「地面にぶっ倒れている人」の像は、かなり目立つので、他にも写真を撮りたがる人が沢山いて、なかなか撮るのが大変でした(^^ゞ。

そして……そうそう(^^)、これは私も予想外だったのですが、アジサイには本当に感動しました。いい写真が撮れなかったのは残念ですけど、登山電車には私も乗ってみたいです。
で、そう、ちょっと東京より遅いので、7月ですね〜。アジサイは。

>帰りには小田原で地魚料理を「もう、限界だ〜」というほど食べる

ええええ〜(≧▽≦)! どこの店ですかっ。こたつにも教えてーーー!


>ゆう様

箱根「彫刻の森美術館」は、私の子供の頃はわりと騒がれたと言うか、注目される観光スポットでした。
子供の頃は気付きませんでしたが、箱根の空模様や周囲の風景を工夫に盛り入れた美術館だったんだな〜、と改めて思いました。
それと、そうそう、結構ビックリな展示もあってね(^。^)。

九州の「玄海彫刻の岬」は、これですかね(゚.゚)。
玄海彫刻の岬恋の浦:http://www.onshin.com/mytown/tuyazaki/img/tyokoku.htm
(「遠賀信用金庫HP:http://www.onshin.com/index.htmより」
http://www.yado.co.jp/tiiki/munakan/tyokoku/tyokoku.htm
(「よかとこBY」:http://www.yado.co.jp/index.htmより)
ちょっとしたテーマパークのようで。確かにお休み中ですね〜。



<前田敏郎さま [関東] 2004/05/29(Sat) 03:56>

こんばんは。

「地面にぶっ倒れている人」の象と書いてしまいましたが実際のタイトルはもっと格調高いものなんでしょうね。「地球の鼓動を聞いている人」とか・・・。作品を見てどのように感じたのかをおしゃべりするのも美術の楽しみ方のひとつでしょうか(私の感性の貧困さをさらけ出しているだけのような気がする・・・)。

早雲寺から出発するパレードは北條五代まつり前日に行なわれるパレードです。毎年5月2日に行なわれるので平日の場合もあり、私は見たことがありません。
「玉縄衆に化けてパレードに参加したい」というのは、横須賀の団体が小田原のお祭りに参加する「口実」です。仮に横須賀開国甲冑隊が北條五代祭りに参加させていただいたとしたら、お客さんは「何で横須賀の連中が来るわけ?」と思うことでしょう。まず、北條時代の小田原と横須賀との接点です。ご存知のように、三浦半島は後三浦氏が北條早雲に滅ぼされて北条氏が支配することになりました。現在の横須賀地域で北條時代が話題になることはほとんどありませんが、現在の横須賀市北部を支配していた北條氏の部将に朝倉能登守という人がいました。この人が属していたのが「玉縄衆」です。秀吉の小田原攻めの際にも山中城まで出陣したそうですから、お祭りでは横須賀の団体が氏政隊か氏直隊にいてもおかしくはないだろうと思います。
ところが、ウチの甲冑隊は「開国甲冑隊」と銘打っているところが問題です。開国期をモデルにしている団体が戦国時代に因んだお祭りに出てくるのはおかしいですね。でも、視覚的にはおかしくない。ウチの甲冑隊がモデルにしている具足は当世具足、小田原攻めの時代にはすでに存在していた具足です。要はウチの甲冑隊のネーミングの問題です。それを解決するために「化ける」という言葉を使いました。
長々と書いてしまいましたが。つまりは、横須賀開国甲冑隊を小田原北條五代祭りに出してくれ!ということです。

地魚料理のお店の件ですが、名前を出すのは宣伝になってしまいますので控えますが、私がひいきにしているお店はお魚屋さんが経営していて小田原駅前の地下街にあります。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/31(Mon) 19:13>

>前田敏郎さま

「地面にぶっ倒れている人」は、私も題名を覚えてないんですが、確か「接吻」とかじゃなかったかな(^^ゞ。
でも、そばを通り掛かると「しっ、死んでる(・・;)」という風に見えるんですよね(爆)。
それをそれなり「愛」や「自然」を主題にしてるあたり、前田さまの「地球の鼓動」も満更ハズレじゃないですよ〜(笑)。

早雲寺から出発するパレードは、どうやら前夜祭っぽい感じですね(^^ゞ。
で、ウチの方から見ると、北条も三浦もゴチャ混ぜなんですが(スイマセン(^^;))、なるほど、横須賀は三浦半島ですものね。北条氏に攻め込まれた地域ですね。
で、朝倉能登守ならば聞いた事があります。地元の武将ではなく、北条から廻されて来て地域を収めた部将なんですね。
そう、小田原攻めに絡んで見た覚えがあります。山中城でしたっけ(゚.゚)。しかし、これが玉縄衆であった、というのは初耳です。

ウチの方(高城氏)もそれで言うと(三浦半島よりさらに後だと思いますが)、北条氏の傘下に入ったのは、わりと瞬間的なんですよね。
ただ、侵略されて滅亡して……という話をあまり聞かないので、わりと様子見していて、時期が来たら上手く乗り換えたのではないかと(^^;)。

しかし、一つの地域でもいろんな時代に関係してますよね。そのあたり、何か一時代に起因した名をつけてしまうと大変ですね〜(^^ゞ。
その点ウチの方は「どっちつかず隊」とかいう名をつけたら、結構それが地域の歴史全般を如実に現してたり(爆)。

魚屋さんが経営してたら、そりゃ安くて美味しいでしょうね〜(#^.^#)。
じゃあ、小田原に行く前にこっそりお店の名を教えて貰お〜っと(笑)。
 
     



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