<掲示板・議事録>


     
  日本の馬の風景


<kazuさま [関東] 2004/05/17(Mon) 21:23>

こたつ様こんばんわ。
ご多忙なご様子ですね、体調維持が難しい季節になりましたがお気をつけて。何分、梅雨の走りみたいな陽気ですからね。(^^;

騎馬軍団の私の日記の話題について触れてくださりありがとうございました。
色々な方がご意見を下さり、私も勉強になりました。(^.^)

司馬さん曰く、日本において騎馬軍団を有効に使った武将というのは源義経くらいだとあちこちで語っていたようです。
確かに、馬に重い鎧を着た武将がまたがって戦うなんて、実に大変な行動ですものね。
ただ、同じ人間が(モンゴル民族など)が騎馬軍団を活用して戦っていたのに、日本人が出来ないことも無いとも思うのです。
武田騎馬隊の話が現在でも伝わっているということは、それがまるっきし嘘とも決め付けられませんものね。伝承でも何かしらの似たようなことがあったからこそ、そういう伝承が残ったのでしょうしね。

物理だけでや常識だけで判断するのではなく、そういう伝承からも含めて検証しないといけませんよね。(^.^)



<こたつ城主 [関東] 2004/05/18(Tue) 18:32>

>kazuさま

どうも先週末以来、二転三転してます(^^ゞ。
しかし気温も、ようやく1日じゅう植木を外に出しておける程度になりました。
でも雨、多いですよね〜。

地元に馬史跡が多いんですが、どうも馬については繋がった風景として掴みにくいです。各年代に「点状態」で放置されてる感じで。
国内に導入された時期が6世紀ごろ。どういう経緯か「皇室ご用達」の伝統が生まれ、平安期いきなり平将門が「牧場経営で儲かったから、独立したいんだよねぇ俺」とか出て来て、鎌倉期もいきなり義経が「軍団」で登場。
しかし放牧経営というのは、実際にはかなりの儲けだったハズ。
「奥州藤原氏は潰しとかないと」と頼朝が思った根拠も、義経の騎馬軍団だったり?(笑)
 
     

     
  「城主のたわごと」2004-05、1


<こたつ城主 [関東] 2004/05/14(Fri) 21:34>

題名:「城主のたわごと」5月、アップしました〜♪

↑箱根編のラスト。
他に「今週のご挨拶とお知らせ」更新です〜。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/05/14(Fri) 22:15>

>こたつ様

うじ4匹の墓・・・もとい。
北条五代の墓写真拝見しました(笑)
北条氏ってのも、ちゃんと抑えとかなきゃいけない武士だよなぁと思いつつ、全然イメージがわかないんですよね。
岩下志摩のイメージだけ(いつかのNHK大河で北条政子を演じてた)(爆)



<ゆうさま [九州] 2004/05/15(Sat) 02:47>

もうすぐ梅雨かな?

こたつ姫様もGW満喫されて良かったですね。
しかも沢山お城巡り出来られて何よりですね。
その上HP更新も着々と進んでられて箱根のページも壮大なページになってきてますよね。
 uuu
(^-^)すごいです〜♪



<こたつ城主 [関東] 2004/05/15(Sat) 23:59>

>のりちゃん様

早速「たわごと」見て下さったようで、ありがとうございます(^^)。
北条政子の「前北条」と、戦国期・北条五代の「後北条」は、殆ど無関係です(^^ゞ。
先祖を辿れば平将門のイトコに貞盛という人物がいて、ここで繋がりはしますがね……。

貞盛の子に維将と維衡という兄弟がいまして、兄の維将から5代目が北条氏を名乗り、その3代後が北条政子。この北条家はやがて鎌倉幕府の執権家となります。
一方、弟の維衡からは7代目に「伊勢」氏が出ます。さらに10代後が早雲。「北条」となるのは早雲の子、氏綱からです。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/16(Sun) 00:01>

>ゆう様

わりとドンヨリした空の日が多いですね〜。
GWは群馬と長野に行きました。思いのほか城廻りも出来て(#^.^#)。
「城主のたわごと」の方は、二年も前のネタを今頃書いてますが(汗)、箱根のページは3月から3ヶ月かかっちゃいました(^^ゞ。
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2004/05/16(Sun) 00:21>

が〜〜ん!(T_T)

北条政子と、徳川時代に繋がる北条氏は違うんだ!!
・ ・・やっぱりもう少し歴史勉強しないとあかんかも・・・。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/16(Sun) 20:26>

>のりちゃん様

そ〜なんです。「別物」なんです(笑)。
途中に姻戚関係ぐらいはあった事もあるかもしれませんが(^^ゞ。

謙信の前の上杉(関東管領)を謙信の先祖と勘違いする人がいても、これは「養子」なので、100%間違いでもないですし、謙信の実家「長尾」も、戦国前期に関東に出て来る同氏は全く別の流れではありますが、しかしこれも遥か昔に元を辿れば同族ですから、「とんでもない間違い」でもないのです。

が、この「北条」だけは「歴然と違う」ので(^^;)、それで「後北条」と呼び分ける必要が出て来るのではないかと思います。
また「前北条」と「後北条」では、史跡のある場所がそう遠くもないので、余計ややこしいんですよね(笑)。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/05/16(Sun) 21:38>

よかった〜、ここで知っておいて>北条

このままだと、一生、北条政子と北条うじ兄弟・・・じゃなくて(笑)上杉謙信と同盟した北条は同じだと思っているところでした(^^ゞ

だって、ほら、鎌倉幕府って、関東にあったんですよね?
で、後北条も関東だったんで、私の頭の中では、ごっちゃになってました。



<たみいさま [東海] 2004/05/16(Sun) 23:12>

たわごと拝見、今、やっと拝見終了、(^^;)。
いやぁ、読みでがあった、見でがあった。

毎回言ってるようですが、記憶力に驚きます。
写真があったからと言って、あそこまで詳しくは誰だって覚えていないと思いますよ。

箱根彫刻の森って・・私には良くわかりません、(^^;)。
生ある内、あそこは行くのは止そうと思います(爆)。

何か衝撃が走ったのは北条五代の墓。
薄暗くなってから行く場所では無いよねぇ。
いかな城主さまでも一人じゃ行かなかったでしょ。

ああいう場所へ行って、後ろを向いて帰ろうとすると、鳥肌が立つ事があるでしょ。
あれって、ついて来てるんじゃないかと思うんですよ。
特に、慰霊の気持ちが強かったり、話し掛けたりするとね。

まだまだ他に溜め込んでる写真、沢山あるのでしょうね。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/17(Mon) 15:46>

>のりちゃん様

北条ウジ兄弟は、確か「SENGOKU」(漫画)でも「見分けのつかない同じ顔」で描かれてましたよね(笑)。

北条政子の前北条は、宗家は鎌倉時代とともに滅びましたが、将軍にならなかった人の起こした家から多くの分家(ってのかな)が出てて、名越、極楽寺、金沢、佐介、大仏、江間、赤橋、常葉、塩田、阿曽と名乗りが変わってる子孫がいるんじゃないかな、と。

だもんで、(後)北条氏を氏綱が名乗った時「何も問題は無かったのかな(^^;)」とか、「仮にでも前北条に縁のある奥さんを貰った(その後死別した)とか、そういう経過は無いのかな」とも思ったのですが、特にそういう話も聞かないですんですよ(^_^;)。
「伊勢→(後)北条」の改名は、初めは東海に根を張ってたのが、後から関東に進出したので、「鎌倉幕府にゆかりのある土地という意識から」と言われてるようです。
そのせいか、史跡が近いだけじゃなく、鎌倉自体にもかなり縁があるのではないかと(^^;)。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/17(Mon) 15:47>

>たみい様

量多かったですか(笑)。お読み下さってありがとうございます(^^)。
まあ滅多に出掛けないってのもアルと思いますが(笑)、確かに記憶してる方なのかもしれません。私よりもっと出掛けない人にも言われます、「よく覚えてるね〜〜〜」って。

>生ある内、あそこは行くのは止そうと思います(爆)。

では、それが無くなってから是非(笑)。

北条五代の墓は、どっちかと言うと久々に写真を見てから、我ながら驚きました。
……暗っ(^^;)。
しかし暗くなってからスタートしたのでなく、1日外に居ましたから、あの暗さにあまり気付いてなかったです。
そしてどっちかと言うと、この後に続く(予定の)八王子城で妙な写真が……(爆)。

>まだまだ他に溜め込んでる写真、沢山あるのでしょうね。

大当たりっ( ̄∇ ̄;)。。超よく判ってらっしゃる(笑)。
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2004/05/17(Mon) 18:06>

題名:訂正

すいません、のりちゃんへのレス、

>将軍にならなかった人の起こした家から

「執権」ですっ(^^;)。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/05/17(Mon) 20:02>

北条氏を名乗ることになった経緯ってのも、実際よくわかってないってことでしょうか?

もしかして「方丈記」の「鴨長明」のファンだったから、あやかって・・・とか、そんな風な、「えええええ?そんな理由で?」てな理由の可能性もあるのですね(笑)。

で、そうそう。
「SENGOKU」では、同じ顔に描かれてましたね。
でも、最後に出てくる「毛利」も、みな同じ顔だったけど(笑)

あ、そうそう。
あの漫画では、北条父を殺したのは、一向宗座主の息子ということになってましたが、これは、まさか史実なんでしょうか?
それとも、一向宗が暗殺して・・・っていう噂があるのでしょうか。

ああいう漫画って、「これはネタやろ?」と思ってたことが、実は史実だったり、「へぇ、そうなんだ」と本気にしてたことが、実は「法螺」だったりするので(笑)
多分、単に、「不慮の死」なんだろうと思ってるんですけど。



<東方賓従者さま [関東] 2004/05/17(Mon) 21:59>

こんばんは!
先ほど今月のたわごと拝見させて戴きました。
あのステンドグラス塔は面白そうですね!
下から上まで何かストーリーやらテーマやらがあるのでしょうか?
入場料が高くなければ、ちょちょっと観に行ってきたいものです(笑)。
箱根神社は雨や霧のほうが雰囲気ありますよね。
特に湖畔の九頭龍神社本宮は・・。
夜の神事の時はホント湖からなんか出てくるんじゃないかって雰囲気ですし。
あ、神主は箱根神社の方が摂社も兼ねているので同じH氏ですよ。
関所の方は平成19年まで復元作業の予定なのですが、建物数棟の復元が完了したので今年の4月から一部公開をしています。
ところで、前も思ったんですが、あの横に並べるパノラマ写真ってイイですね。
特に今回のステンド塔の写真と早雲寺庭園の写真はイイナーって思いました。
自分もこれからマネさせてもらおうと思います(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/18(Tue) 18:29>

>のりちゃん様

後北条は、上杉氏あたりだったかに逆賊扱いを受けたもんだから、せめて鎌倉以来の地元の坂東武者にウケ、自分と同じ平氏で鎌倉にゆかりの「北条」という名にした、ぐらいの見方でいいかと(^^ゞ。
しかしそれが当時、「どのような立場での状況」だったかに、明確な想像が及びません。

北条早雲の小説なら3作も持ってますが、長生きすぎて(笑)、どれも最後まで読めてません(^^ゞ。
読んでも、早雲の頃には「伊勢」氏ですから、「北条」にした理由はあまり出て来ないんじゃないかと思います。
早雲を描いた物は多くても、氏綱を描いた物をあまり見掛けないです。
早雲自身に謎が多いので、まずは早雲の(主に出身などの)解明が先なのかもしれません。

早雲は長い間、下克上の典型とされ、江戸時代は逆賊扱いであったろう、と思います。
それが戦後ごろかな。秀吉の出世物なんか流行った頃、「一介の浪人が一国一城の主に」といった筋立てで、むしろ「英雄」として描かれました。
が、伊勢氏の出という点が、当時としてもかなり地位があったのではないか、というのが最近の見方かと。
となると、次代に北条を名乗った経緯は、非常に微妙なものになりそうです。

また、そもそも「北条」なら本当に地元にウケが良かったのか(^^;)。
むしろ伊勢一族の「引っ張り」という事はないのか(爆)。つまり意識的に「革命」を起こそうとしたのか、こういう所も興味シンシンです。
逆に、北条という名が地元で大変な人気があったから、であれば、これはこれで又、当時の坂東武者の意識を知る上で興味シンシンです(笑)。

「SENGOKU」で殺された「北条父」というのは、今見たら、氏康(三代)ですね(^^ゞ。
戦国武将に暗殺説は「付き物」ですが、特に「SENGOKU」のは、700%ぐらい「ウソ」ではないかと(笑)。
ただ、いっぺんにたくさんの名前を覚えられる点はいいかな、と。



<こたつ城主 [関東] 2004/05/18(Tue) 18:32>

>東方賓従者さま

お待ち申し上げておりました〜〜〜〜(爆)。
ステンドグラスの塔は、「流行遅れの太陽の塔」か、もっと言うと「囚人塔か(^^;)」ってな不気味な建築物ですが、私も中を見て「わ〜(゚.゚)、キレイ!」と驚きました。
螺旋階段が急で(^^;)、じっくり周りを見る余裕が無いのが残念ですが、恐らくテーマ立てて絵が描かれてるのだと思います。上まで上ってやっと気付いたのですが(^^ゞ。

で、そう、入場料が……(^^;)。。。
維持が大変にせよ、ハッキリ言って半額でいいと思います(爆)。

箱根神社のある芦ノ湖周辺は、絶対に霧の時がいいですよね〜(#^.^#)。
この時は急いでて、あまり多く写真を撮らなかったんですが、その翌年に霧の芦ノ湖を撮影したので、それを初公開に(#^.^#)。
で、「龍神物語」は、箱根・九頭龍を兼ねてる神主さんですね!
あと関所は、今年の4月から一部公開ですか。わ〜い、ありがとうございます〜〜(#^.^#)。

>横に並べるパノラマ写真

これね〜。狭い所で撮影すると一枚一枚で千切れるんでやってみたんですが、雅之介さまもレポで(たぶん私より先に)やってるんです!(笑)
ちょっと繋げるのが大変だけど、東方賓従者さまも是非ぜひ(^^)。
 
     



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