<掲示板・議事録>

島根、出雲大社・尼子氏、5

     
  <こたつ城主 [関東] 2004/03/08(Mon) 17:34>

>のりちゃん様

10月に何かが海を渡って来るのですか(゚.゚)?
ところで相変わらず「カンナ=神鳴り」にこだわるとして、「神鳴り」って、字では「雷」がそうですよね。10月は今で言うと8月とか9月ぐらい? 雷の季節ってもアリかな?

奈良の「八咫烏神社」では、お使いにヤタガラスが用いられたのではなく、自分から出掛けていって、その時必要だった役を果たした事になってるのですか(笑)。

「天照大神は案内役に誰が良いか判らなかった」、「そこで私が〜〜」と言ってる感じは負けず嫌いだけど、逆に「名乗りを上げたからやっと認知された」のを、記紀で「最初から良い評判を聞いていた」と持ち上げた、って感じもしますね(笑)。

で、アジスキタカヒコネですが、つまり出雲のオオクニヌシの子で、奈良に土着して葛城氏になって、加茂氏になった、という事でしょうか?
オオクニヌシの子は一人は信州にいき、一人は出雲で後を継いだのでしたっけ(この辺りいつも判らなくなる(^^ゞ)。
さらにもう一人が、大和朝廷の家来にでもなったのかしら。



<こたつ城主 [関東] 2004/03/08(Mon) 17:35>

>北畠具顕さま

すいません。北島を「北畠」と書いてました(そう見えたんだもん(^^ゞ)。

伊勢は拍手8回ですかっ。
今は二回お辞儀して、二回叩いて、最後に1回お辞儀ですよね。
最後のお辞儀を「二回」と書いてある所、そういやどっかで見た覚えが〜〜〜。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/08(Mon) 18:40>

10月に、海蛇が流れ着くんだそうです。
それを「龍蛇様」として、「神々の到来の先触れ」と考えるとか。
でも、ご亭主様のおっしゃるとおり、10月に八百万の神が〜云々って話しはそれほど古いとも思えず。
としたら、昔は、「何がやってくる先触れ」と考えてたのかな、と思います。
なんか、ちょっと面白いでしょ?

「カンナリ」=「雷」はうかつにも気づきませんでしたっヽ(^。^)ノ
そうか、確かに、雷だ!!
あぁあああ、なんで今まで気づかなかったんだろう!
ばかばか!私のバカっ!!

そうか、雷は、まさに「神」が「鳴って」るのですね。
そうか、それで、「カンナリ」も、雷と同じような現象と考えられてたのかも・・・。
ううう。
面白いです〜〜(>_<)

で、オオクニヌシという人物はモテモテだったらしく、奥さんがとってもたくさんおられます。
当然子供もむちゃくちゃ多いと思うんですが・・・(^^ゞ

そのうち、タケミナカタは諏訪ですね。
それ以外の主要な息子は、皆大和に鎮まった(つまり墓がある・・・ということでしょうか)ということに、「出雲国造賀詞」には記されてます。
出雲は誰が継いだ・・・ということはなく、大国主のための大きな宮殿をたてて、アメノホヒ(天照大神の息子だけど、出雲にお使いにやったら、大国主命に惚れて、高天原へは帰ってこなかったとされる神です)が、世話をすることになった、とされてます。

一応、「出雲」は「国譲り」しちゃったので、大国主命の息子は継げなかったことになってるんですね(>_<)



<こたつ城主 [関東] 2004/03/09(Tue) 19:41>

>のりちゃん様

なるほど〜、ウミヘビ! これほどハッキリした「龍神様」は無いですものね〜(#^.^#)。
ではウミヘビ様は他の神様の露払いをしてるのかしら? それとも体が長いから、他の神様を背中に乗せて来るのかしら? うんっ、面白い面白いっ(^O^)。
風水のコパちゃんも「長い物は縁がある」と言ってました。道教でもそうなのかも?
何にせよ、一番最初に来る神様が長い物というのは、何となく面白いです〜(^^)。

>そうか、雷は、まさに「神」が「鳴って」るのですね。

わ〜い、ウケた〜(←子供)。
雷はコワイけど、雨をもたらす合図でもあるから、昔の人は雷が鳴ると喜んだとも聞きます。
お祭りにも必ず太鼓を用いますものね。
雨乞いの行事ってすごく神聖で、京都でも長く行われたと聞くので、雷で雨を呼ぶ仕掛けを考えたとしたら、これも神秘的ですよね(#^.^#)。

オオクニヌシは妻子がたくさんいるのですね(^^;)。なるほど……。

殆どの息子が大和にお墓を持ったというのは、それはつまり、大和が都会になり、出雲は過疎化したのだろうか(爆)。
老いたオオクニヌシは在宅介護が必要になり、ちょうどサービスを始めた天照大神系の人々は、お世話をしに訪れてすっかり洗脳された(笑)。

「最初はみんなそうなるんだ」とタケミナカタは皆を追い返そうとしたが、「親不孝者」と罵られてキレ、大和の兄弟を頼って出て行くのであった。
大和の兄弟達は「オヤジの面倒見るんじゃなかったの?」と冷たい対応。
「出雲も大和も嫌いだっ」。彼は諏訪に新天地を求めるのだった。

こんな感じですかねぇ。。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/09(Tue) 20:28>

海蛇は、先払い的なモンみたいですね。
で、やってきた神々(?)を、送るのは、なんだと思います?
・・・これは最近、人に教わったのですが、「鳥」なんだそうです。
神々が出雲を去るとき、小鳥が人知れず3羽死ぬ・・・とされてるんですって。
なんか、面白いでしょ。
意味深〜。

で、太鼓=雷ってのは、またまた目からウロコですっ(#^.^#)
雨乞いの儀式については、各地にいろいろあるみたいで、最近興味持ってるんですが・・・。
こないだ、海辺の神社に行くと、そこでは、海に竹を差して老若男女が踊りを踊って雨乞いをしたそうです。
その近所の神社では、「牛」を龍神に捧げることによって雨乞いしたと書いてました。
もともとどういう意味があったのかわかりませんが、面白いですよね。
去年、福井へ行った時には、「釣鐘を海に沈めると雨が降る」という伝承があちこちに残ってるのを見つけて、これまた面白いなぁ、と思いました。

アメノホヒは、オオクニヌシの老後介護だったのか・・・(^^ゞ
しかし、出雲氏の祖先ってのは、オオクニヌシじゃなくて、アメノホヒなんですよね。
オオクニヌシは、「遠くの親族より近くの他人じゃ。わしのすべてをおまえにゆずるよ〜」なんてアメノホヒに言ったんですかね(笑)



<こたつ城主 [関東] 2004/03/10(Wed) 19:56>

>のりちゃん様

え〜〜〜っ(>o<)、人知れず小鳥が3匹〜〜?!
それって神様が「行き掛けの駄賃よぉ」とか言って殺しちゃうのかな〜?!
(毎年来るんだから、いちいち殉死するのもアホっぽいし)
でもウミヘビが来る合図というのは、なるほど〜の一言でしたが、去る合図というのもあるとは意外でしたわ〜(#^.^#)。日本の神様はホントにストーリーテラーねっ。

雨乞いには各地に様々な特色があるんですね(゚.゚)。
牛を捧げるというのは、外国にもありそうですよね。
釣鐘や木を入れるというのは、何か五行と関連ありそうですね。(無くても関連づけられていそう)。

海に竹をさして踊るというのは、前に行った外房大原に似てます。
海に入る裸祭りみたいのがあるらしいんですが、確かお神輿を海まで引いて来るんですよね。その後海に入れるのかしら、あれは。
そして、小説になった「海中桜」というのが、本当に海に桜が咲くんだとか現地の人に聞いたのですが、それが今でもあるのかちょっと判らなかった。

養子(なのか?)のアメノホヒの家系は、その後もエンエン出雲で続いたという事でしょうか?
中国の皇帝で言ったら「禅譲」という王位強奪が一般的ですが、日本的には「国替え」ちゅうのが一般的ですねぇ(笑)。
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2004/03/10(Wed) 21:49>

さて、ひっそり亡くなる3匹の小鳥ですが。
これ、実は鳥インフルエンザで・・・じゃなくて!
これは、神々が乗る船の「漕ぎ手」となるために死ぬんですって。
つまり神々の国は、海の向こうにあり、かつ空の上にあるんですね。
不思議だ(^^ゞ



<こたつ城主 [関東] 2004/03/11(Thu) 19:51>

>のりちゃん様

鳥インフルエンザ、そちらは被害が広がってますね(^^;)。
というのは置いといて(笑)、なるほど、鳥は神様をお返しする担い手なのですね。
帰り道を囀らないよう、口封じって事なのか、昇天という事なのか……。
海から来て空に帰るというのは、神秘的ですね〜(#^.^#)。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/12(Fri) 06:46>

鳥が死んでしまうのは、やはり、「あの世」へ神々を送り届けるには、生きてちゃまずい。
ということなんでしょうね。
どうも「鳥」観ってのは、調べてみると面白い気がします。

記紀の中で、生まれてから一言もしゃべれない「ホムチワケ」白鳥を捕まえるとしゃべることができた。
なんてのは、はっきり「鳥は人の魂」ということを表してるんでしょうね。
それなら、生きてても神々の乗る船の漕ぎ手になれそうですが。
それが死ななきゃだめというのが、どういうこっちゃ、と(笑)
不思議です。



<こたつ城主 [関東] 2004/03/12(Fri) 19:16>

>のりちゃん様

ウミヘビと鳥の話ですが、神様が来るのが10月として、去るのはやはり11月なんでしょうかね。
ギリシャ神話みたいに、「この季節、どうして鳥が減るのか」なんちゅう話じゃ……無さそうですか(^^ゞ。

ホムチワケは白鳥を捕まえて喋れるようになったのですか(゚.゚)。
白鳥はヤマトタケルの話にも出て来ますね。人の魂と関係ありそうですよね。
鳥葬というのがありますね。チベットだったか「肉体は不要」として鳥の餌に饗するのだと思いますが、これを「人の魂を天に運ぶ儀式」と置き換えれば、何か通じそうですね。
あと、鳥にはペラペラ人の言葉を喋る奴がいるからなぁ……(笑)。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/12(Fri) 21:04>

>どうしてこの時期鳥が減るのか

わははははははヽ(^。^)ノ
そういう説明はついてないと思いますが、いかにもギリシャ神話ならばありそうな話ですね。

出雲ではそういう話はありませんが、神々が乗る船を小鳥三羽で漕げるというのは、すごいですよね(~_~)

で、鳥葬は日本でも行われてたと思います。
聞いた話では、京都にある「鳥辺野(とりべの)」は、鳥葬の場だったとか。

それも、「鳥が天へ運んでくれる」という発想だったと言われたら、大いに納得できますね。

考えて見れば「火葬」も、煙になって天へ登っていくという考えなのかしら。
だとしたら、鳥葬も火葬も大本は一緒なのかもしれません。



<こたつ城主 [関東] 2004/03/13(Sat) 23:25>

>のりちゃん様

そうそう! 実は「小鳥3羽で神々を(゚.゚)」とは思いました!
やっぱり神様達は、その上に船に乗ってるワケですか……(汗)。
何千羽もいる内の、3羽ていどは力尽きて死ぬって事なのかな?
(それとも、お勤めが終わると神様も体重が減ってるのかな)

「鳥辺野(とりべの)」というのは、鳥葬と関連があったのですか!
火葬であがる「煙」に「人の魂」を見るというのは、和歌か何かにあった覚えがあるので、幾ら「肉体は死んだら無縁」と説かれても、どこかに形見を残すという発想は拭えなかったのかもしれませんね。
と考えると、いきなり「煙→人魂」より、「肉体→鳥→昇天」の方がしっくり来るかもしれませんね……。
 
     



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