<掲示板・議事録>

島根、出雲大社・尼子氏、4

     
  <kazuさま [関東] 2004/03/04(Thu) 21:16>

こたつ様こんばんわ。
尼子氏のお話が出ていますね♪
尼子経久と言う人物は権謀に優れ、合戦にも強かったのですが、それより何より剛腹で所領などを大盤振る舞いしていて、国人などにたいそう人気があったとか。
だけど、その国人支配がルーズすぎたおかげで各地に離反が起こって、そこを毛利元就に衝かれて滅んでしまったと言われていますね。
それでも、北条早雲とともに経久も戦国時代の先駆け的な存在と言えるでしょう。(^.^)



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/04(Thu) 22:21>

「神有」を「かんなり」と発音するのですね?
実は、出雲とどうも関係ふかそうな「加茂氏」の神社では、多く「神鳴り(かんなり)」がするんです。

どういう現象かというと、拍手をすると、どこからかこだまが返ってくるんですよ。
ただ、それがただの「こだま」じゃない証拠には、少し場所を移動するともう、その「かんなり」は聞こえないんですよね。

ちょっと不思議な現象でしょう?

それと出雲の月が同じ音というのは、かなり興味深いですφ(..)

尼子氏は近江が出身なんですね。
近江もまた、海部氏の色が濃いように思います。
要チェックだぁあ(#^.^#)!!



<北畠具顕さま [関東] 2004/03/04(Thu) 22:43>

出雲はやっぱりちょっと変わってるのかな?
神社本庁傘下だとは思うんだけど(記憶があやふや)国造二家がそれぞれ新興宗教興してますしね。祭神論争でもわかるみたいに神道の中では「死後の世界」に向きあってるというのもほかとは違いますよね。

尼子経久。この方も息子には恵まれない方でしたねぇ。長男若死に、次男は孫に殺され三男は謀反。



<こたつ城主 [関東] 2004/03/05(Fri) 19:47>

>kazuさま

経久は大盤振る舞いで人気があったのですか(笑)。
確かに勢力は驚くべきですが、あっという間に行き着く所まで行き着いて、破綻した感じはしますよね(^^;)。

が、毛利元就が長男隆元を謀殺された時、恐らく真っ先に脳裏に浮かんだのが、歴史上の英雄より、先祖や親族より、始終自分を圧迫しぬいた、この巨大なライバルだったのではないでしょうか。
長男にあっけなく死なれ、孫の成長のために執念の長生き。
それでも滅んだ尼子氏を見て、これだけでは足らぬと、あの(三矢の訓の逸話に繋がる)用意周到な身内固めに心を配ったのかもしれません。


>のりちゃん様

>「神有」を「かんなり」と発音するのですね?

スイマセン(^^;)。今度聞いておきます(うろ覚えなんで)。

加茂氏も出雲と関係が深そうな一族なのですか。京都ですよね?
拍手は、出雲では4回打つのが習慣に思えます。現在の二回打ちは簡略されたと見て、残り二回を加茂氏は「こだま」に託してるんでしょうかね。
場所を移動すると聞こえて来ないというのも、日光東照宮の「泣き龍」みたいですね。
これはそういう仕掛けなんですが、何か「手を打つと神が答える」という約束ごとが、古代にはあったのかもしれませんね。

「海女さん」と「尼さん」が同じ音というのが、そもそも面白いですよね。
なにか「あまさん」という馴染みの何かが、元からあったのでしょうかね。


>北畠具顕さま

すいません。「国造二家」って何ですか(^^ゞ?
死後の世界に向き合ってる、と聞くと、何か仏教に近く感じるのですが、違うのかな。
日本に仏教が根付いた理由は、何らか権力者の介在とかより、原始宗教とでも言うか、少なくても民情にフィットしてたからかな、なんて思うです。

尼子経久は、「出雲の鷹」(南條範夫)という山中鹿之助の小説で、ダ〜ッとあらすじを読みました(^^ゞ。
 
     

     
  <北畠具顕さま [関東] 2004/03/05(Fri) 21:55>

>すいません。「国造二家」って何ですか(^^ゞ?

ああ、説明不足でした。出雲大社の神主さんを「出雲国造」っていうんです。それが二つ家があって一つが北島家、もう一つが千家家っていうんです。

>死後の世界に向き合ってる、と聞くと、何か仏教に近く感じる
>のですが、違うのかな。

そうですね、近いかもしれない。神道ってあんまり死後
は考えてないですよねぇ。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/05(Fri) 23:17>

鴨については、ややこしいことこの上なく、正解はわかりませんが、の本拠は奈良という考え方が主流みたいです。

これまた、「出雲国造」と関係あるのですが、
「出雲国造神賀詞」という祝詞(?)がありまして、その中に、
「阿遅須伎高孫根を葛木の鴨の神に・・・坐せて鎮め祭る」
という文言があります。
つまり、葛城が鴨の本拠地となります。

その後、葛城の鴨氏に、「鴨タケツヌミ」という人物が出ます。
これが、所謂「ヤタガラス」。
ヤタガラスは、神武天皇を先導した功績により、「山城国造」を拝命した・・・ということになってます。

そんなわけで、京都に「上賀茂」「下鴨」があるんですね。
・・・多分(笑)

で、二礼ニ拍手一礼は、今は、神社の「正式な参拝方法」となってますが、これは多分、明治以降のことだと思います。
それ以前は、いろいろな参拝方法があったのを、「神社本庁」が統合したんじゃなかったかしらん。
ここらへんは、具顕殿の方が詳しいと思うのですが(~_~)

出雲は、「出雲大社教」てのがありまして。
それで、昔ながらの参拝方法が守られてるんだと思います。

でも、「神からの返事」分を合わせて、4拍手っていう考え方は目からウロコです!!

そういう考えは面白いです〜〜〜(#^.^#)

「あまさん」についても、確かに、何かありそうですよね。
「尼さん」から八百比丘尼を連想すれば、これまた「海」に関連深いですしね(@_@)



<北畠具顕さま [関東] 2004/03/06(Sat) 20:25>

>今は、神社の「正式な参拝方法」となってますが、これは多分、明治以降のことだと思います。
>「神社本庁」が統合したんじゃなかったかしらん

そうですね。もっと遅くて戦後ですね。神社本庁の「祭式行事作法」で定着してからです。これも「宮司拝礼」の行事をそのままやってるということのはなしですから本当は好きにやっても良いのでは。
だから伊勢や出雲みたいに己のやり方のあるところは自己流にやりますね。



<こたつ城主 [関東] 2004/03/06(Sat) 23:42>

>北畠具顕さま

ふぅ〜ん(゚.゚)。出雲大社の神主さんチには、北畠と千家があるんですね。
新興宗教を興してるというのは、死後に向き合ってるというその感覚を、「元はこっちが正しい(古い)んだいっ」って主張で、なのかしら?

司馬遼太郎さんは、仏教が日本に(学問的じゃなく心情的に)馴染んだ理由に「諦め」と「悟り」の感覚の近さを説いてましたけど、死後を範囲に入れれば、その点はクリア出来ますものね。

>だから伊勢や出雲みたいに己のやり方のあるところは自己流にやりますね。

伊勢では、どんな所が他と違いますか(^^)?


>のりちゃん様

亭主に聞いたぁ〜(笑)。
神在月を「かんなり」とは言わず(私の「耳のせい」か「記憶違い」かと(^^ゞ)、「かみありづき」とそのまま発音するそうです。
ただ、神様のことを「かんさん」とは言うらしい(一番高い音が「さ」)。

亭主は「神在月って言い方、本当にウチの方(島根・山陰)に元からあったのかなぁ? 10月を『かんなづき』と言うもんだから、『じゃあウチでは』という事で、後から言うようになったって事は無い?」と言ってました。

言われて私も、そもそも「かんな」という音が先にあって、漢字を当てたって事もあるかも? なんて思いました(^^ゞ。
何しろ亭主には、「神在月」という呼び方に、自分の土地から出た習慣って感じがしないそうです(笑)。

そうそう。二礼二拍手一礼は明治の頃なんですね。確かにこの時代、いっせいに整えられた全国一致の事って、神社に関する事柄に多い感じがしますね。
もしかしたら出雲の四拍手についても、他で二拍手になったものを、「ここには神様が年中いるんだから、神様の答えの分も自分で叩いてオッケー」とかいうコジツケだったり?(笑)

で、加茂については、なるほど。
奈良の葛城氏に「タケツヌミ」という人物がいて、これが「ヤタガラス」(゚.゚)?
じゃあ「カラス」は人の名についてたのかな?
しかし尼子にせよ加茂にせよ、転勤で来て地名や姓をその地に残したのですね(笑)。

>「尼さん」から八百比丘尼を連想すれば、これまた「海」に関連深いですしね(@_@)

あっ、そうですよねっ。
海女を職業と見るなら、働き手を失った寡婦を、海の方では「あまさん」と呼ぶとかね?(笑)



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/07(Sun) 04:55>

「神在月」については、私も、「神無月」がまずありき、という感じがしますっ(#^.^#)

でも、10月に何かが海を渡ってくる・・・という考え方は、そんなに新しいものじゃないんじゃないか、とも思うんですよね。

でも、これは、「本で読んだ感じでは」というだけで、イマイチピンときてるわけじゃないんですよね。現地の雰囲気をしらないから(T_T)

でも、ご亭主様の意見、参考になります。

で、「ヤタガラス」は、確かに、「人の名」ということになってます。

奈良に「八咫烏神社」というのも存在するんですが、面白いのは、記紀伝承と、この神社の伝承は、微妙に食い違ってるということですね。

記紀は、「神武天皇が大和入りできずに困っているので、天照大神が(タカミムスビの神が)ヤタガラスを使わした」
となってるのですが、
八咫烏神社は、「自らタケツヌミが出かけた」と自主的に行ったことになってます(#^.^#)
負けず嫌いですね(笑)

で、ちなみに言えば、「阿遅須伎高孫根を葛木の鴨の神に・・・坐せて鎮め祭る」の話をしましたが、この阿遅須伎高孫根(アジスキタカヒコネ)神。
大国主神の息子です。
つまり、出雲が出身ということになるんですよ〜(~_~)



<北畠具顕さま [関東] 2004/03/08(Mon) 00:14>

>出雲大社の神主さんチには、北島と千家があるんですね。
そうです。交代でやってくんですが。結局は千家のほうが出世したみたいですねぇ。

伊勢はヤヒラデといって八回たたいてお参りしてます、神主さんは。
明治以前は両段再拝というのが一般的だったみたいですよ。
二回拝んで祈念してまた二回拝むんです。
 
     



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