<掲示板・議事録>

始皇帝、4

     
  <こたつ城主 [関東] 2003/10/21(Tue) 18:49>

>のりちゃん様

「疲れる」は、どういうもんか、「皮」が出て来ず(^^;)、先に「病」と書いてしまい、「あれっ?」と(汗)。
つくづく、キーボード操作は「音」で記憶を構築してるんだな、と実感しました。「つかれる」という読み自体は忘れませんもの(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/21(Tue) 18:52>

>朱天さま

朱天さまは寒さに弱いからな〜(笑)。
くれぐれも風邪の方、お大事に。

私も原文なんて殆ど読みませんよ(^_^;)。だいたい誰かが創作した物を「ゲな」と読んで納得しちゃいます(笑)。
でも陳舜臣さんを読むんでしょ?(わりと正確って聞くけど)

>呂夫偉は始皇帝に討伐されてますよ。

えっ、そうなの?! お父さんかもしれないのに〜〜〜。(ワイドショーネタって面白っ:笑)

>どーでもいい事ですが「傾城」だったような。

あっ、それ覚えさせられたかなっ。学校で!
「けいせい」って書かなきゃいけない、と言われた気が……。
でも、復活した夫差に、西施(ごめん、これ何て読む(^^;)?)を薦めたのは、句践の差し金だったんですね。。
確か三国志の呂布も、同じ手に引っ掛かった覚えが……。
と考えると、何か創作臭い気がしなくもないですね(笑)。
そいや、「呂」って名の人、曰く付きが多くないですか?


>ママちゃん様

そうか。頑張ったのは李斯だけか(笑)。
後継皇帝で「頑張った」感じのする人って、あまり多くない気もするような、しないような……(よぉ知らんかったり)。

中国の事は、父に聞くと、いきなり原文をコピーして送って来るので(お父さん、ありがとね(-_-;))、朱天さまに聞く事にしてるんです(笑)。
日本の古文だって読めないのに、返し点すらついてない白文なんか……(滝汗)。



<北畠具顕さま [関東] 2003/10/21(Tue) 19:37>

>西施
美人ですよねぇ、会ったことは無いですけど(笑)。
西施の顰に習うってこの人が元でしたよねぇ。
クラスで真似してる人がいましたが、こういうのはホレ、絵になる人と絵にならない人がいますから。



<ママちゃんさま [東海] 2003/10/21(Tue) 21:49>

>こたつ城主さま。
>そうか。頑張ったのは李斯だけか(笑)。

趙高もだと思いますが。なにしろ張本人。

西施「せいし」です。
中国3大美女の一人かと。
中国の笑い話。西施が、頭が痛くて眉間に皺をよせて歩いていたら、みんな「美しい!!」と言うので、それを見た醜女が、自分もマネすれば美しくなると思い、やってみたら・・・。と言うのが、『顰に習う』であると聞きましたよ。

三国志の趙蝉(字こんなんだったっけ?)「ちょうせん」は、架空の人物だと聞きましたが・・。



<朱天さま [東海] 2003/10/21(Tue) 23:21>

>でも陳舜臣さんを読むんでしょ?(わりと正確って聞くけど)

他は司馬遼太郎さん・田中芳樹さん・宮城谷昌光さんとかですかね。
三国志演義・水滸伝・隋唐演義・封神演義とか向こうの話も
読みますがこれも訳者次第ですよね。

>えっ、そうなの?! お父さんかもしれないのに〜〜〜。

母親も結果的に殺したと言われてますし、異父兄弟も手にかけてます。
そら性格ゆがむ(笑)もっとも性格ゆがんでるイメージは
後世の創作かもしれないですけどね。

>後継皇帝で「頑張った」感じのする人って、あまり多くない気
>もするような、しないような……(よぉ知らんかったり)。

なかなか初代皇帝を超えるのは難しい気が、実質創業皇帝の
後継皇帝というのはちらほらいますが、その他で初代より
知名度があるのは隋の煬帝かな。彼も酷い言われようですが
頑張ってます。
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2003/10/22(Wed) 18:25>

>北畠具顕さま

「西施の顰に習う」を知らなかった(^^ゞ。
ママちゃん様が教えてくれたけど、頭痛に悩むマネは、美人がやっても「不機嫌」に見える恐れがありそう(笑)。
西施は色っぽかったんでしょうね。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/22(Wed) 18:27>

>ママちゃん様

>西施「せいし」です。

まんまですな(^_^;)。こゆのが意外と覚えられないんだよね〜。
中国三大美女って、残りの一人は誰ですか?(楊貴妃はさすがに知ってます(^_^;))
四大美女ってのも聞いた覚えが……。

『顰に習う』の逸話、助かりました。ありがとうございます(^^)。

呂布を垂らし込む美女は「貂蝉」のようです。これは演義の創作じゃないかな?
中国でよく使われる題材って感じしますよね。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/22(Wed) 18:28>

>朱天さま

私がマトモに読んだ小説(むろん訳本です(^^;))と言うと、『封神演義』ぐらいですかね。
『三国志演義』は持ってはいるんです。長いから読んでないだけで。
『封神演義』は、何か面白かったなぁ。

>母親も結果的に殺したと言われてますし、異父兄弟も手にかけてます。

始皇帝、悪いじゃん(笑)。
もっとも悪い悪いと言うのは、儒教だからって感じもしますね。

隋の煬帝は、あちらでも評価低いんですか?
日本では、居るのか居ないのかハッキリしない聖徳太子にしてヤラレた事になってるんで、判るんですがね。



<ママちゃんさま [東海] 2003/10/22(Wed) 21:08>

>こたつ城主さま。
「貂蝉」そうでした!!架空の人物ですが、中国3大美女の最後の一人ともいわれた様な。ちょっとあやふや。他に美人はいたっけ?

隋の煬帝・・この名前って、良くない名前だそうで。悪い人につけられると聞いたことが。

>朱天さま。
私も、宮城谷昌光さん・田中芳樹さん・陳舜臣さんを読みますね。
あちらのものは、三国志演義・封神演義、あと秦の始皇帝も読みました。作者は、忘れてしまいましたが。



<kazuさま [関東] 2003/10/22(Wed) 22:36>

こたつさまこんばんわ♪
煬帝のお話が出ていますが、彼って軍事才能が無かったくせに高句麗攻めを行って、それが故に隋の国力が傾いてしまったと言われますね。
煬帝と劉禅の幼名(阿斗?)って中国では良く無い名前なのでしょうか?
それなら何年か後、「江青」とかが悪い名前になるかもしれない。(笑)



<北畠具顕さま [関東] 2003/10/22(Wed) 22:55>

>隋の煬帝
この人だけ「帝」を「だい」と読むんですよね。
だいと呼ばれるのは悪い人だけだそうで。

>阿斗
この人の場合はねぇ(笑)苦労知らずのお坊ちゃんですから。
 
     

     
  <一海さま [近畿] 2003/10/23(Thu) 00:27>

こんばんは。一海です。
煬帝の話題が出ていましたので、レスしてみます^^
煬帝は「礼を失して民を遠ざける皇帝」という意味があったと覚えています。また煬帝自身の軍事才能は決して低くはないとは思うのですが・・・(例えば高句麗遠征は戦上手の唐の太宗も失敗していますし・・・)
その方針があまりに独裁すぎて国家が疲弊してしまったのが、隋滅亡の原因になったのではないかと考えています。
殷の紂王などは暴君の代表ですが、その実は非常に頭がきれていたそうです。ただ頭が良すぎて周りの意見に耳を貸さなかったことが滅亡の原因になったようです。中国では頭や才能はあるけど、周りの意見を無視して滅亡した人が大勢いますね^^



<久住さま [関東] 2003/10/23(Thu) 15:43>

王朝最後の皇帝が良く言われることは、絶対にありません。
倒した側を正当化する話だけが残りますので。

始皇帝が実の父母を殺した話

政(後の始皇帝)が王位についてからも密通を重ねていた母と「りょふい」。さすがにやばいと思った「りょふい」は、巨根が売り物の「ろうあい」をあてがい、宦官と偽ってそばにおいて、二人の男の子が生まれます。この子どもを皇帝にしようとした陰謀が発覚して、「りょふい」も連座しました。
まあ、クーデターの首謀者なら、実の母でも殺されます。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/23(Thu) 19:32>

>ママちゃん様

四大美人、ちょっと見繕ってみましたが、
http://www27.tok2.com/home/nyoss/cn/cn65.html
(「旅いつまでも」:http://www27.tok2.com/home/nyoss/より)

楊貴妃、西施、王昭君、貂蝉の4人を指すようですね。
そういや中国に行った人がお土産で買ったトランプにも、この4人が各々「Q」に入ってました。
このサイトには貂蝉は架空の人物となってますが、他のサイトで十八史略に載ってる、と書かれてたので、モデルとなる女性は居たのかもしれません。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/23(Thu) 19:34>

>kazuさま

名前が先か人物評価が先か、ちょっと判りませんが(^^ゞ、劉禅もけっこうケチョンケチョンですよね(笑)。
私は煬帝って何も知らないんですが、高句麗攻めが国力衰退の原因でしたか。その辺りはきっと、世界史でやったんだろうなぁ。忘れとる。。。
そういや、江青も若い頃は美人女優だったんですよね。


>北畠具顕さま

そうそう! なぜ煬帝だけ「だい」なのかな、って思ってました。
悪い皇帝につく音なんですか? 日本だけかな。中国でもかな?

阿斗。NHK人形劇では庇ってましたけどねぇ……(笑)。


>一海さま

煬帝に、元から「礼を失して民を遠ざける皇帝」なんて意味があったんですね(゚.゚)!
火偏だから、多少激烈な性格の皇帝につく名かな、とは思ってたけど、ではかなり後世についた名なのでしょうか。史書に載るのは100年後とか聞きますけど。
しかし軍事的才能は優れてたのですねぇ……。国力が傾いたとのことなので、では、経済政策がマズかったのかしら。。

殷の紂王は、さすがに良く言われてはいないだろうと思ってたのですが(何せ『封神演義』から入ってますから(^^ゞ)、頭が良い面なども見受けられたのですね。
確かに、日本では判官贔屓か知的天才が人気があり、中国では鷹揚な王様や、力自慢の熱血漢に人気が集まるかな?



<こたつ城主 [関東] 2003/10/23(Thu) 19:36>

>久住さま

日本に比べると、歴史への客観性は保たれてるようでいて(滅びた王朝へは:爆)、妙に奇抜な所が、中国史の面白い所でしょうかね。(誇張もあるんでしょうな:笑)

始皇帝のお母さんは、お父さんが亡くなってから子を産んだんですか(゚.゚)?
それは、一応「再婚」ちゅう形でも取ったのかしら。
で、始皇帝の2人の弟は、呂不偉の子なのか、宦官の子なのか。。ますますワイドショーだっ☆ミ
儒教がやかましくなると、親殺しは厳禁になったでしょうが、これも始皇帝を悪く言うためかな?
 
     



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