<掲示板・議事録>

始皇帝、5

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2003/10/23(Thu) 19:51>

いきなり乱入すいません。
中国の美人の中に、「虞美人」は入らないんですね。
なにしろ名前に「美人」って入ってるくらいで、トップかと思ってました(^^ゞ



<北畠具顕さま [関東] 2003/10/23(Thu) 21:19>

そういえば始皇帝暗殺の映画の中で「弟」たちを見て愕然とする秦王が出てきましたねぇ。 そうか、愛人宛がったんでしたね。



<ママちゃんさま [東海] 2003/10/23(Thu) 23:19>

>こたつ城主さま。
中国4大美女、なるほど2です。
でも楊貴妃ってデブだったとか聞きますよ。なぜ絶世の美女なんだろう?まだのりちゃんさまの虞美人のほうがいいのかも?

始皇帝のお話や、以外に煬帝が、人気(?)ですね。



<久住さま [関東] 2003/10/23(Thu) 23:25>

まじめに「史記」を読んでみました。
かなりまちがったことを書いてしまい、ごめんなさい。
「ろうあい」と「弟たち」のことが密告されたのが、即位して九年後のこと。ばれたんで謀反をしようとして、「ろうあい」と「弟たち」は殺されますが、お母さんは都から離されただけで、翌年には都に戻り、死ぬのは十年後。「りょふい」も、王様(実は息子)から脅しの手紙をもらい、恐怖のあまり死んだ(恐らく自殺でしょう)とのことで、始皇帝、ひょっとしたら父親のことを知らなかったかも。

ついでに正史の「三国志」を見ましたら、「りょふ」がちょっとしたことで「とうたく」を恨んでいて、しかも「とうたく」の待ヒ
(女卑をへんとつくりにした字:住みこみの女郎ですな)に私通したのがばれないかと恐れていたということで、まあ、絶世の美女は出てきません。



<朱天さま [東海] 2003/10/23(Thu) 23:27>

>隋の煬帝は、あちらでも評価低いんですか?
多分滅茶苦茶悪いです。三国志演義における董卓のポジションが
隋唐演義における煬帝です。
軍事的才能はともかくとして内政が固まっていない状態で
高句麗遠征なんぞに力を傾けたのが国力衰退の一因なのは
間違いないです。ただ煬帝は後の中国に大きな影響を
与える大運河を完成させています。
こういう点は少し始皇帝に似てるのです。
土木工事に強制従事させて民衆の不満をかって結果
国が滅んでしまうのですが、次の王朝の無くてはならない礎になるという
少し損な役回りの人でもあります。
やり方がまずいんだと言われりゃそれまでですけどね(笑)

>史書に載るのは100年後とか聞きますけど。
これは結果的に言ってる事が一緒になるかもしれないですが
普通その王朝の史書というのはその王朝で編纂されます
漢の漢書、後漢の後漢志、魏の魏志あたりが有名かな?
魏志はもしかすると晋の編纂かもしれないです。
短命王朝の場合次の王朝が前王朝の史書も編纂するので
必然的に悪くかかれてしまうという部分はあると思います。
書き始めるのが百年くらいがめどなのかもしれないですね。

>一応「再婚」ちゅう形でも取ったのかしら。
久住様の補足になるのですが
王の未亡人は再婚って道徳的に出来ないとかで
だから宦官(たねなし)と偽ってろうあいをあてがってたはず。
呂不偉との関係も当然公にはない事になってるし、
出産は病気と偽って離宮でおこなったとか。

因みに「始皇帝暗殺」で首つってたのが呂不偉で
宮廷に攻め寄せてきて騒いでたのがろうあいですよ。



<朱天さま [東海] 2003/10/23(Thu) 23:55>

あわわわわ。久住様の書き込みを見て慌てております。
あぁごめんなさい。う〜む、申し訳ないです。
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2003/10/24(Fri) 19:16>

>のりちゃん様

虞美人! 実は「三大美人」と聞いた時点から思い浮かんでました!
やりましたね、むか〜し。「虞や虞や汝を如何せん」。漢文の授業でした(^^;)。
しかし西施の話で「国を傾ける悪女じゃないとダメなのかな」と思い、言いかねてました。
王昭君が入るのなら、虞美人が入ってもいいような?


>北畠具顕さま

私ね〜。「始皇帝暗殺」は、断片的にしか内容を覚えてないんです(^_^;)。
弟達なんか出て来たかなぁ?
最後は始皇帝でなく、刺客の方とデキちゃったんで、始皇帝にまつわる逸話の記憶が薄いです。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/24(Fri) 19:18>

>ママちゃん様

肥満と痩身は、時代でかなり美醜感覚が違うけど、特に唐代の頃は肥満好みじゃないかな?
日本でも(流行が100年は遅れて来るとしても)平安期は下膨れ顔が全盛ですし。
しかし貂蝉が入るなら、大喬小喬はどうなんだろ。


>久住さま

始皇帝の生い立ち事情を書いてるサイトを見付けました(^^)。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mikepapa/shimensoka02.htm#shikoutei
(「ミケパパのカフェアジア」:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mikepapa/index.htmより)

死を薦めたとありますが、実際には幽閉しただけのようですね。
まあ皇帝を幽閉したり傀儡としたり、禅譲を迫ったなんて奴も居るしなぁ(笑)。
しかし母親の淫蕩に悩んだ少年時代なんて、いかにも精神を病みそう(^^;)。
「始皇帝暗殺」で、呂不偉が首吊り自殺したシーンだけ妙に覚えてますが、父と知ったのが死後だったら、不老長生ぐらいにはウツツを抜かすかもしれませんねぇ。

十八史略における貂蝉については以下。
http://www.alachugoku.com/html/beauty4.htm
(「ALA!中国新館:」http://www.alaworld.com/china/jp/index.phpより)
董卓に家族を殺された恨み、との事ですね。


>朱天さま

えっ、三国志の董卓クラス……ですか(・・;)?
そりゃ……ムチャクチャ悪いですね、ホントに。。

しかし、なるほどね。短期で滅んだ王朝ゆえ、というのは大変納得です(^^)。
これでは100年経ったからって、必ずしも客観性重視とは限らないですね(日本よりはマシか:爆)。
だから、特に久住さまの言う「王朝最後の皇帝が良く言われることはない」が当てはまるのですね。「死人に口無し」の原則ですね。

魏志の編纂は、私も晉だったように何かで読んだ気がします。史書が100年後というのは、司馬遷(つまり最初)の頃からだったかな?

それから運河は、私も隋と聞くと、正直これと聖徳太子しか覚えてない(^^;)。
ただ、こないだ読んだ五胡十六国時代の本では、魏の屯田制や九品官人法(官人登用制度は南朝の梁も)は戦乱で継続しがたかったけど、制度に限らずあらゆる文化が、あれも隋、これも隋、と花開いたと書かれてました。定着したのは唐代なのでしょうが。。

しかし、秦時代にも、やはり王の未亡人はどうたらって束縛があったんですね。
まあ、流石は中国ですわ(^^ゞ。その頃日本って……。。
(だけど確か、女帝エカチェリナも別胤を夫に隠れて生んでたような:笑)。

>宮廷に攻め寄せてきて騒いでたのがろうあいですよ。

ウォー、覚えてねぇ。どんな場面でした(^_^;)?

>あわわわわ。久住様の書き込みを見て慌てております。

2分後だったね(笑)。いんじゃない?(^^)



<ママちゃんさま [東海] 2003/10/24(Fri) 20:51>

>こたつ城主さま。
そうなんですよ!時代によって美的意識が変わるんですよね。
そうすると、やっぱり楊貴妃は美しいんでしょうね。
でも楊貴妃って、もとは、皇帝の息子の嫁さんだったんでしょう?息子から嫁を取り上げる親っていうのも・・。(・_・;)

>しかし貂蝉が入るなら、大喬小喬はどうなんだろ。
三国志つながり?それより架空の人物を入れるというのも、どうかと・・・。



<久住さま [関東] 2003/10/25(Sat) 00:16>

司馬遷にまつわる伝説というか、事実だと信じているお話をば。
「史記」の中に、一編だけ、後世に伝わらなかった巻があります。
その名を「今上本紀」
漢の武帝の治世を描いたこの巻だけ、司馬遷は控えを残さず、直接武帝のもとへ送りつけました。一読した武帝は一言、
「焼け」
司馬遷へのおとがめは、なかったとか。
歴史に関わる物書きとして、はるか遠い話ながら、かくありたし、と思っております。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/10/25(Sat) 16:20>

虞美人は、負け側についたからダメなんでしょうかね(笑)
そこんとこ中国の方はどう思っておられるのか、ちょっと聞いてみたいです。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/25(Sat) 19:08>

>ママちゃん様

楊貴妃を悪女とする話に、玄宗皇帝が梅妃の元に通う現場に踏み込んだ逸話がありますが、こんな事をしたら殺されるのも覚悟してたはずですから、息子やその妻を玩具のように扱った玄宗に、人の心は物ではないことを教えた行為にも思えます。
その後の玄宗の楊貴妃への寵愛は、その前のとは質が違うかもしれませんね。


>久住さま

司馬遷と武帝の話、初めて聞きました。非常に面白かったです(^^)。
控えを残さずに送りつけた巻には、治世への批判が秘められていたのか、作者としての自分への批判を求めたのか、いずれにせよ武帝が唯一の読者だったわけですね。
焼くことを命じながら司馬遷を捕らえなかった武帝は、いつかは自分も批判されるだろう歴史というものを、どう思ったか聞いてみたかったですね(笑)。

司馬遼太郎も書きませんでしたね。
不満の声もあったようですが、その名を司馬遷を手本としたという逸話を持つ彼の、最後の理性にも思えます。


>のりちゃん様

楊貴妃は殺されるし、貂蝉の策動した呂布もドンジリだったけど(笑)、そういや4女性とも、ただ男に嫁いだだけでなく、自身をそこはかとなく感じさせるかなぁ?
 
     

     
  <朱天さま [東海] 2003/10/27(Mon) 21:41>

>>宮廷に攻め寄せてきて騒いでたのがろうあいですよ。
>ウォー、覚えてねぇ。どんな場面でした(^_^;)?
わはは、申しわけないのですが私も細かく説明できるほどは
覚えてないです。えーっと宮廷の前庭?みたいなとこに
兵を引き連れて入ってきて、前から始皇帝の兵が出てきたのに
驚いて引き返そうとしたら後ろの入ってきた門の方にも兵がいて
「謀ったな」みたいな台詞を言ってたと思うんですけど
記憶があいまいで、なんかと混じってるかもしれないです。

>司馬遷にまつわる伝説
これって司馬遷を誉めるべきなのでしょうか?
武帝を誉めるべき?微妙なところですよね。
どっちもえらいと言えば偉いのですけど。

で、ちょっと遅いのですが虞美人が美人に入らない理由は
あくまで個人的な意見ですけど旦那(王昭君の場合はちょっと違うけど)
を狂わせたところがないからじゃないですか?
項羽って虞姫にあう前からあんな人だったし(笑)



<こたつ城主 [関東] 2003/10/28(Tue) 18:56>

>朱天さま

映画の「ろうあい」の"狼狽"する箇所(ウマイッ!)、もしかして「場面ごと忘れてるかも」(^^;)。もう1回借りて来てちゃんと見直そうかな?
見終わった時、「スゴイ長い映画だった」と思った覚えがあるんです。
上映時間も長かったのかもしれないけど、展開が次々と変わって、「長い話」という印象に結び付くのかも。
でも面白かったんだよね〜。←覚えてない癖に(笑)

司馬遷と武帝の話は、何とも微妙ですよね(笑)。
司馬遷が権力にへつらったとも、武帝が権力に奢ったとも、司馬遷が命がけで書いたとも、自尊心が強かったとも、受け取り方によりそうで。

虞美人は戦火の中を、項羽に連れ出された孤児でしたよね?
項羽はよく知らないけど、劉邦よりは貴公子なんでしょ?(笑)
王昭君は、井上靖の「明妃曲」という短編で初めて知ったんですが、これがなかなかのフィクションでね(笑)。



<朱天さま [東海] 2003/10/28(Tue) 22:36>

>でも面白かったんだよね〜。←覚えてない癖に(笑)
これなんですけど、私が大阪でみっちり関西風視聴法を
叩き込まれてた時期だったので(笑)、のっけから
「作り物ですよ、ああ、作り物ですよなんか文句ある?」
と言わんばかりの首とか死体とかに
「ありえねー。こりゃすげー。」
とか友達と顔を見合わせてたのが一番印象に残ってたり(笑)

あと人間関係があれだけ見て理解できるとは思えなかった。
予備知識がないと誰が何やってんだかさっぱりわかんない。
まぁそんな感じでしばらく私の中でベストB級映画だったのです。

>項羽はよく知らないけど、劉邦よりは貴公子なんでしょ?(笑)
あたりまえと言えばあたりまえですが、見方によると思います。
たしかに劉邦は素行も良くないし、裏がある人物ではありますが
項羽ほど人を殺してはいないです。



<北畠具顕さま [関東] 2003/10/28(Tue) 22:55>

項羽はなんか嫌いです。自分を英雄と思っている奴はどうも(笑)彼の場合は「逆らうものには死を」が政策だったのでどうもいかんです。



<ママちゃんさま [東海] 2003/10/29(Wed) 01:01>

項羽や劉邦よりも呂后の方がコワイです。
項羽はいいとこの坊ちゃん、劉邦はとなりのおいちゃんって感じですか?
このあたりは、塚本清史さんの『呂后』がありますが・・。ちと時代がずれているかも?
この人のお話は、その後の時代の『かくきょへい・上下』が好きですね。商人あがりの「そうこうよう」が関西弁なのが面白いです。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/29(Wed) 19:04>

>朱天さま

作り物か〜(笑)。あれかな。どっかの国に攻めに行ったシーンだっけ?
まあ、戦記史料を「これホント」と信じて作る映画人が居るとも思えないので、「こうなるよ」って事なんだろうけど、中国の話ってマジでスゴイから(^^;)、ある程度はイメージとして定着してる部分、私にも無くは無いです。
で、後で計算すると人口が合わなかったりね(笑)。

そうそう。人間関係は辛かったかも。特に歴史をあれで学ぼうなんてするとね。
だもんで、始皇帝と妻と刺客の3人しか覚えてない(^_^;)。

そうか。項羽は大量殺戮者なんだ。そりゃ四面楚歌になるわなぁ(笑)。
漢文と世界史でその辺りが出た時、どっちかの先生に「項羽の方が御曹司」って聞いたの。これはそうなの?


>北畠具顕さま

項羽。だいぶ狭量っぽいね(^_^;)。それとも独裁者って奴かな?
劉邦の開いた漢が儒教を取り入れた所までは、それなり正解だったのかな。


>ママちゃん様

あ、そうそう。呂后。これも呂姓ですよね(実家の姓ですかね)。
呂不偉に呂布に呂后。典型的な悪役(?)が多いのは何故かなぁ。
そういや呂蒙なんて人も、関羽殺しで評判悪いのかな。
太公望が悪役でない呂姓だけど、元は姜氏だし、呂洞賓なんて人は、俗世でうだつが上がらず仙人になったし。
何か、「野心を持つと悪人になる姓」みたいな創作上の決まりでもあるのか……。
 
     



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