|
|
|
|
<ママちゃんさま
[東海] 2003/10/14(Tue) 23:49>
こたつ城主さま。
そうそう!子楚です!!(ずいぶん忘れているなぁ)
子楚は、お父上の正妃といわれる人に取り入ってその人の養子になりました。(この人は子供がいなかったのです)その工作資金を出したのが、呂不偉でした。
「キカおくべし!」(すみません、字を思い出せません)は、その時の呂不偉の言葉だそうです。子楚を見た時に言ったそうです。
李斯のあと継ぎすり替え作戦は、こういう勅旨があった、と言えば、反論する人などいないのです。事実、皇太子とされていた人物は自殺に追い込まれました。
のちに李斯は、腰斬の刑にあいます。これは、日本で言う打ち首獄門よりもひどい刑らしいですよ。
では、また来ま〜す!
<朱天さま [東海]
2003/10/15(Wed) 00:11>
>李斯
李斯の子供すり替えの理由は、日本で言うと
秀忠と本多正純みたいな感じになるといけないから。
ちょうど次期皇帝とみなされてた人が外に出ていたので
その下に有力な将軍がいて、もし即位すればその将軍が宰相に
なって李斯は理由をつけて殺されるぞ
と言うような話を趙高にされて従っちゃったという話が
「項羽と劉邦」に書いてありましたよ。
<こたつ城主 [関東]
2003/10/15(Wed) 19:17>
>ママちゃん様
なるほど。正室の養子入りのために工面したとあっては、呂不偉は子楚にとっては、父以上に父親のような存在かもしれませんね!
自分よりよっぽど呂不偉が王様になればいい、と思ったかもしれませんね〜。
でもそれはあくまでも簒奪。。儒教的には受け入れられなさそ〜(^^;)。
『始皇帝暗殺』でも、途中までは人間味ある王様だったけど、さいごは始皇帝は悪人という結論でしたし……。中国人にはウケないんでしょうかね。
『テラコッタ・ウォリア』では、始皇帝に引き裂かれた愛を謳いながら、始皇帝の墓を守る武人の話になってて、始皇帝評価の微妙さが出てました(笑)。
李斯が処刑されたのは、摩り替えの容疑ででしょうか?
<こたつ城主 [関東]
2003/10/15(Wed) 19:18>
>朱天さま
ん? ん? 秀忠と本多正純?
つまり、李斯が立てた王子様じゃない皇帝候補の王子様には、その下に有力な将軍がついていて、この次期皇帝+将軍の力が大きくなると、李斯は、前の皇帝の旧勢力として邪魔だと消されてしまうから、先んじて自分の言いなりに出来る王子様を、「始皇帝の遺言じゃっ」と捏造して擁立した。それをそそのかしたのが趙高。
↑こんな感じ?
<久住さま [関東]
2003/10/15(Wed) 21:25>
ごぶさたです。今週中に直しを終えないと、来月末発売に間に合わない、やばいー、という日々を送っておりました。これからも・・・。
「ふさ」+「もうてん」は、
結城秀康+本多忠勝というイメージの方が近いかも。
軍隊も一緒だったので、強引に即位しようとすれば、できたんですけどね。
<北畠具顕さま [関東]
2003/10/15(Wed) 23:06>
>「始皇帝の遺言じゃっ」と捏造して擁立した。それをそそのか
>したのが趙高。
>↑こんな感じ?
あってます。こんな感じですよ。
今日も始皇帝やってましたねぇ。
始皇帝陵が観光名所になっていたのでびっくりしましたが(笑)
あの変掘ったら大判小判がザックザックなんでしょうねぇ。
|
|
|
|
|
|