<掲示板・議事録>

小泉八雲〜神田・根津オフ、4

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2003/10/15(Wed) 21:26>

>「親切丁寧と言ってる場合じゃない」が「近代化」と何の関係があったのか

なるほど。確かに、「親切・丁寧」は、「近代化」と相反するものじゃないですよね。
ただ、私が思うのは、あのドラマの中では、「親切・丁寧」は、「和」を象徴するものとして描かれていたと思うんです。
そして、近代化は、「和」よりも「力」を重視するものの象徴として描かれていたんじゃないかな、と。

>「自己反省」と称し、「こんな不倫をしました」なんて勘違い文学

ハーンは嫌いだったんですね(~_~)

でも、私は、あのドラマで、ハーンが家族を裏切ったとは、ちっとも思わなかったです(#^.^#)

多分それは、ハーンの「日本に対する嫌悪」よりも、「家族に対する愛情」が、きっちりと描かれていたからだと思います。

こないだ読んだハーンの小文で、「生き神様」というものがありました。
これは、和歌山の小高い丘の上に住んでいた庄屋さんが、津波が来ることを察知して、自分の収穫した稲穂を全部燃やした。火事に驚いて、人々が集まってきたところに、津波がきたので、村人は全員助かった。
庄屋さんは貧乏になったが、村人は庄屋さんの存命中にこの庄屋さんを神様にした神社を創ったんですって。

ハーンの描く人間は、ただ素直に美しいですね。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/16(Thu) 22:05>

>のりちゃん様

『日本の面影』では、かなり意識的に「和」×「力」の対立を描いてましたよね!
あれはあれで、今の時代に合った捉え方で描けてて、大変な秀作ですよね。
320分間ではあれが限界だと思うのですが、残念なのは、松江の八雲がメインで、その後は凄い速さで通り過ぎた点ですかね(^_^;)。
当時は、西田千太郎日記など公表され、知られざる八雲の逸話を披露する目的だったのでしょうが。

でも、この西田夫婦を描く事で、のりちゃんの言う通り、家族愛がよく描かれましたよね(^^)。

坪内逍遥は外国の不倫小説を読んだ時「けしからん!」と激怒し、フランス人だったかに「文学の何たるかを判ってない」と指摘され、愕然として一念発起、不倫文学に目覚めたそうです(笑)。ここまでは、亭主から聞いた話ですが。

その逍遥がハーンに、近松の『天の網島』を海外に紹介しては、と薦めたのですが、ハーンは「妻子を捨てて心中する話を、日本の話として紹介するわけにはいかない」と薦めに従わなかったそうです(^^;)。これは一雄氏の記述に載ってました(笑)。

「生き神様」は、私の読んだ本だと「浜口五兵衛の話」ですね。これが「生き神様」だったのか〜☆ミ
村を救った名も無い庄屋の話。これも良い話ですよね〜(^^)。

そういやハーンも蝉の声が好きでしたね(笑)。
しかし10月に聞いたら何て言うでしょう(汗)。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/10/16(Thu) 22:27>

ハーンが嫌がったのは、「近松の『天の網島』」でしたかっ!!
なるほど〜〜(~_~)

天の網島は、私は実は、すごく興味持ってるストーリーなんですよ。
ストーリーは、女郎おはると恋仲になった紙屋治平が、妻・おさんと、おはるの女性二人の義理と人情に振り回されて(笑)結局心中するという話なんですが、この物語の主役はおさんとおはるの二人が主役で、この二人の意志によって進んでいくんですね。

治平は、ただただ「そうか?おまえ」「え?そうかい?そうしようか?」と、心中せざるを得ないところまで持ってかれてしまう(笑)

このストーリーの結末が、妻子を捨てて治平が心中というものでなければ、ハーンは、「これは女の感じ方です」「人間のドラマです」と、面白がったんじゃないか、と、ちと残念です(笑)

で、「生き神様」ですが、「浜口五兵衛の話」と訳してる本もあるんですね。
こりゃ、内容を知らなかったら、同じ話だとは思いませんね(^^ゞ

こないだ、神戸の異人館に行ってきたんです。

ハーンは、神戸にいたとき、どのあたりに住んでたんだろうね、と旦那といいながら、「案外、このあたりだったりするかも」と表札をジロジロチェックしながら歩いたんですが、当然、「ヘルン」という表札はありませんでした(笑)

誰かのファンになると、楽しみが増えますね(#^.^#)



<こたつ城主 [関東] 2003/10/17(Fri) 22:56>

>のりちゃん様

『天の網島』の名文は賞賛したようです。だから内容は面白がっても、やはりエンディングなんでしょうね(笑)。
ハーンは何のかんの言って出はジャーナリストですから(ドラマでは、幼稚な脳天気ヤローでしたが:笑)、大衆とマスメディアの連動には敏感だったと思います。

つまり日本の古典など、全文訳を読ませる前に、筋立てだけ紹介され誤解を受ける可能性に、むしろ神経を使った(すり減らしたと言うべきかも)のかもしれません。
まあそれほどに、東洋に突如現れた近代国家は怪しまれたのかもね(^_^;)。

でも私は、この機会に、のりちゃんに『天の網島』の筋立てが聞けて得しました(爆)。

何しろハーン健在中は、家族はまるで夢を見るような美しい期間を過ごしたように感じます。
幼くして父を亡くし、外の世界を知るにつけても、一雄氏は随分と聞いた話と違うと感じたように書いてる部分もあります(笑)。
同じようにハーンの紹介文を真に受けて来日した外国人たちは、日本を知って愕然としたようで(そりゃ気の毒に:笑)、ついには「嘘つき」呼ばわりまでされたそうです(^^;)。

同じ話を違う題名で紹介される事は、八雲の著作を語る上で本当に難儀ですね(^_^;)。

神戸の生活というのも謎が多い気がします。一雄氏は東京以降の記憶しか無いし、ドラマでは悩んでる期間として、アッサリ通り過ぎましたからね。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/10/18(Sat) 08:59>

>東洋に突如現れた近代国家は怪しまれた

もしかしたら、前に書いたような気もするんですが、ハーンは、「日本の美術が認められないのは、『日本美術を認める』ことが、新しい考え方だからだ」と言ってます。
当時は、「日本の文学や美術は、とるにたらない野蛮なもの」とする考え方が一般的だったんでしょうね(^^ゞ

>「嘘つき」
あははははははは!!
そんな話もあるんですね(笑)
そりゃまぁ、紹介文が書かれてからも時代は流れるという理由もあるでしょうし、受け止める側の感性の問題もあるんでしょうね。

ハーンとしては、決して日本をことさらに贔屓して、嘘を書いたつもりはないでしょうが、ハーンの「日本は美しくあってもらいたい」という気持ちが、日本を実際よりも美しく感じさせた部分は大きいような気がしますから。

あと、「期待が大きいと落胆も激しい」という原則が、ハーンの紹介文を読んで日本へ来た人に当てはまるかもしれないし。

そして、一番大事なのは、「愛すれば、愛される」ってことかも。
ハーンは、もうそりゃぁ、すごくすごく日本(もしかしたら、日本ではなく、日本の家族かも)が好きだったから、日本もハーンを愛した・・・そういうことかもしれないと思います。

神戸はまた行きますから(牧場で食べたチーズがむちゃくちゃおいしかったんです(#^.^#))、何か発見があったら、また報告しますね〜。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/18(Sat) 21:15>

>のりちゃん様

ハーンと一雄では、微妙に生きた時代が違うのでしょうね。一雄の言う「父が生きていたら嫌ったであろう」風潮とは、大正末期の心中が大流行(と言っていいか判りませんが(^^;))した頃に思えます。
ドラマでもハーンを扱いながら、僅かながら現代日本への警告を含ませるのに似て、彼を知れば、何か一言いいたくなる部分を常に日本は引き摺って来たのかもしれません。

のりちゃんの言う通り、美しくあって欲しい物に対し、常に愛する努力を怠らない事。
頭では判ってるようでいて、何かその手本でも得なければ、なかなかに成し難い事かもしれません。

八雲が同居していた家族は、ドラマでも紹介された通り、小泉家の人ではなく、セツが養女とされてた稲垣家の父母ですが、八雲がこれを継がず小泉姓を継いだ(稲垣姓は八雲の次男が継承)のは、稲垣家を嫌ったのではなく(どころか、我が子への愛情より優先した感じがします)、私の想像ですが、ペンネームを意識したからかと思いました。

小さな泉でも良いから、コンコンと沸く。
こんな所に詩情を感じる人かな〜と。ロマンチストですよね(笑)。

で、そのように真面目なハーンゆえに、笑える逸話も沢山あります(笑)。
家族と海に遊びにいった時、女中が舞い上がってはしゃぎ海に溺れそうになった。
これを救おうと一人大奮闘したあげく、「私、あの馬鹿の女ともう少しで心中する所でした」と後述したそうです(^^;)。
のりちゃんに聞いた『天の網島』を、ちょっと思い出します(笑)。

牧場でチーズと言うと、六甲山を思い出しますね(^^)。
いいなぁ。生ハムやピザの美味しいお店なんか思い出します。
美味しい報告の方もお忘れなく〜〜。
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2003/10/20(Mon) 07:57>

「心中」については、ハーンも書いてますね。
「東の国より」の中に「赤い婚礼」というのがありますし、
「知られぬ日本の面影」の中には「心中」というそいのものずばりのタイトルがあります。
でも、どちらも、「妻子ある男性と遊女が」というものではなく、強く愛し合っているのだけど、両親の反対などで「現世では結ばれない」二人について書かれてますね。
ハーンは「心中」に、「来世を信じる日本人」の心のあり方を強く感じているように思えました。

「心中」というひとつのテーマを見るにも、「ハーンの目線」というものを感じていろいろ考えられますよね(#^.^#)

>「私、あの馬鹿の女ともう少しで心中する所でした」

あはははは。なんかかわいい(#^.^#)
そうやって、身をはって、女中を助けようとするところにも人柄がでるし、なんとなく「馬鹿」という言葉にも、ハーンの言葉だと思うと、独特の愛らしさを感じてしまいました(#^.^#)
言葉って不思議ですね。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/20(Mon) 18:51>

>のりちゃん様

おお(^^)。「心中」についてハーン自身が発言してるなら、私も読んでみたい☆ミ
なるほど。心中の全てを否定してるのではなく、条件つき否定なのでしょうね。
そう。真面目な恋愛劇なら子供の内から見せて宜しい、とセツにも、一雄を観劇に連れて行くことを、むしろ積極的に許可したそうです。
また、僅か11歳で死なれた父の発言を一雄がよく記憶してるのも、子供にも納得のいく教育方針だったからでしょうね(^^)。

来世を信じる心のありかたは、ハーン自身がよく日本から学んだ点に思えます。
「こう仕方がない」という諦めの言葉を連発したそうです。

溺れそうな女中を助ける話は、本当にカワイイんですよ(#^.^#)。
みんなで手を繋いで海に入ったのだそうです(一人だけ女中が離れてしまった)。
家の中では、使用人も書生も家族も、輪になって遊戯したり、声を揃えて歌を歌ったり。
その結果、思わぬハプニングに出くわし、目を白黒させる様子が実に微笑ましいです。人が良かったんでしょうね(笑)。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/10/20(Mon) 19:23>

で、「赤い婚礼」も「心中」も、新潮の「小泉八雲全集」に入ってます。これは翻訳の文章も美しくて、お奨めです。
両方とも当時にあった心中事件を取り扱っているのですが、それに対するハーンのコメントがいいんですよ。
「心中」では、ハーンは友人の新聞記者と共に心中した男女の墓へ詣でます。
その帰り、どこからか歌声が聞こえてくるのですが、ハーンには意味がわかりません。
友人に、「あの歌は何か?」と聞くと、友人は答えるのです。
「愛の歌です」と。
ハーンがこの締めくくりで何を言いたかったのか、それは感じる人それぞれでしょうが、なんともいえない切ないような余韻を残します(#^.^#)

ハーンの家に奉公したかったなぁ。
楽しそうですね。
その溺れた女中は、ついつい、「おノブ」をイメージしてしまいますが、彼女も、随分長い間奉公したように描かれてましたもんね。慕われてたんでしょうね。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/21(Tue) 18:49>

>のりちゃん様

新潮の「小泉八雲全集」は、配送サービスブックには無いような……(TOT)。。
検索すると八雲に関しては、恒文社がスゴイかな。高いけど(^_^;)。郵送料はそんなでもないです。

心中した男女の墓参りの帰り、「愛の歌」と答えた友人は、「今は心中なんかしないで、愛を謳歌できる時代になった」と言いたかったのでしょうかね。

生まれ変わりを信じたのか、信じる心を尊いと思ったのか、猫を拾った時、「あなた、あの可愛そうな猫の生まれ変わりですか」と、前に見た猫に話し掛けるように言ったそうですよ(#^.^#)。
だから始終、動物を飼ってたようで(笑)、使用人も大変だったでしょうが、中にはこすっからいのもいたようです(^^;)。

おノブの杉田かおる! 上手かったです!
再放送で気付いたんですが、彼女を怒鳴る真鍋をハーンが叱り返す時、おノブは泣きながらも、出て来たハーンをチラと見て、舌を出すような表情をするんです(^^;)。
ハーンと遣り合う最初のシーンでは、西田の背に廻ってしまうし(苦笑)。
ただハーンは、最初は騙されるけど、奉公人の良し悪しを最後には見抜いたようです。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/10/21(Tue) 19:56>

>今は心中なんかしないで

これがハーンのうまいところだと思うんですが、これ、読む度に友人の意図が違って感じられるんです。
「この(心中した)二人は、本当に愛し合ってたんだよ」と読めるときもあるし、「次に生まれてくる時は(日本人は来世を信じてたとハーンは考えてたようですから)自由に愛し合える二人に生まれてくるだろう」とも読めるし。
なんともいえない余韻が残るんです(#^.^#)

>あなた、あの可愛そうな猫の生まれ変わりですか

あぁ、この気持ちわかる〜〜〜。
それを素直に口にできるってのが、すごくいいです。
そして、それを、「そんな子供みたいなことを」ととがめないハーンの家族もいいですよね(#^.^#)

おノブが舌を出すシーンは気づきませんでしたが、表情が豊かでちょっとしたたかだけど、根は純朴で親切な娘というのがよく出てましたよね。
でも、あのドラマ、おノブだけじゃなくて、みんなすごくハマってました。

ハーンの文章を読むと、実在の人物と一番離れてるのは、多分、万衛門じゃないかと思います(^^ゞ
ドラマでは頑固なおじいさんでしたが、ハーンの文章では「根っから善良で、穏やかな人柄」に描かれてることが多いと思います。
「人形の墓」でも、「生き神様」でも、万衛門は登場しますが、実に素直で暖かいコメントをするんですよね。



<こたつ城主 [関東] 2003/10/22(Wed) 18:25>

>のりちゃん様

読む度に読後感が違っても、何らか日本を感じさせるんでしょうね。
だから幾通りも解釈する人が、もっとも良い読者だったり(^^)。
ドラマのヘルンさんも、「雪女」の結末はわかって良いと言ってましたし、生徒にも画一的な答(感想)を望みませんでしたよね。
帝大でも鑑賞主義を徹底し、これが後に、漱石の分析・論理思考が嫌われた原因になったようですし。

「何を感じるかが大事であって」という前提が欠如したまま、「答は人の数だけあって良い」という理屈が今は殆どヒステリックに叫ばれますが、ハーンの愛した個性のある人が居なくなった証拠なのかもしれません。

そうだ。こないだ亭主が中途半端な大きさのタオルを「これはバスタオル? 普通のタオル?」と聞いたので、私は「バスタオルになろうとしてるタオル」と答えたんですよ(笑)。 「努力してるんだっ」と亭主が驚くので、私はタオルを上げ下げして。

「こうやって毎日、柳の枝に飛びついてるんだ」。←まさに怪談(汗)

亭主は「日本の面影の見すぎっ」と笑い、「想像力というもんが、まことに欠如しちょうです」と(ハーンの説を受けた)西田先生のセリフを言ってました(笑)。
本物の出雲人だけに、方言だけは役者よりウマイですが……(汗)。

おノブのような女中は、愛された方に入ると思います(^^)。
迂闊にも気付かなかったけど、「人形の墓」の万衛門は、加藤嘉の稲垣のジイチャンでしたか! 私も「乙吉だるま」の乙吉に並んで大好きです(#^.^#)。乙吉の娘も女中奉公に上がってます。
万衛門(実相院)は熊本の駅で、孫婿のハーンを有名人として自慢しちゃうし(熊本の人は誰も知らないのに(^^;))、金十郎の妻トミもドラマとはかなり違います。
 
     



ホーム