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<のりちゃんさま
[近畿] 2003/10/08(Wed) 21:30>
>ハーンの日本贔屓
同じ文章の中で、日本美術の素晴らしさを受け入れられないのは、それ(日本美術を受け入れること)は、新しい考え方だからだ、とハーンは書いてます。
で、すいません。
私の要約のしかたが悪かったのですが、ギリシャ美術を批判しているわけではなく、あくまでも、日本美術の比較対象として、欧米人が「素晴らしいもの」と認める美術として、ギリシャ美術を持ち出したという感じです。
ギリシャ美術は素晴らしいもの、ということを前提として、ならば、日本美術の顔が現実に見かけられないからといって、つまらないとか言われる筋合いではない、という意味だと思います。
当時、それを読んだ、欧米人がどんな表情をしたか、見て見たいもんだ、と思いました(^^ゞ
ゴッホとゴーギャンですが、ハーンとチェンバレンの決別と違うのは、そこになんというか、「愛憎入り混じった気持ち」があることじゃないか、という気もしますね。
よくは知らないのですが、少なくとも、ゴッホについては、ゴーギャンが去った後、かなりショックを受けたげに聞きますし。
それで、ゴッホの絵は、ゴーギャン去りし後、ゴーギャンの影響を受けた作風になったのかもしれませんね。
その点、ハーンとチェンバレンは、もっと事務的(?)な別れだったんじゃないか、と想像しますが、どうなんでしょうね(^^ゞ
<こたつ城主 [関東]
2003/10/09(Thu) 18:30>
>のりちゃん様
なるほど。ギリシャ美術は当然のごとく賛美を集める反面、日本美術についてはどう受け止めるべきかさえ、評価が定まってなかったのでしょうね。
しかしこう聞くと、世界にまだ珍しい物の満ち溢れていた時代という感じがして、ある意味羨ましいですね(^^)。
ハーンの日本紹介を読んだ欧米人の反応には私も興味あります。
実際ハーンの出版物を請け負ってたのは、ドラマではハーンにフラレてしまう、あのエリザベス・ビスランドなんです(^_^;)。結婚してウィットモア夫人と名を変えますが。
しかもエリザベスは、ハーン逝去の後、セツにハーンの思い出を書いて欲しいと依頼します。それでセツの手記が出版物になったそうです。
ハーンには、ゴッホともゴーギャンとも通じる点はありそうです。
実際ゴッホは、相手がゴーギャンに限らず、着ている物をその場で脱いで施しをしたり、常軌を逸していたので聖職を追われたそうで、些細なオモチャや絵にも、十倍する値段で買ってしまうハーンに似てます(笑)。
ゴッホ=写実的絵画・子供のごとくひたむきな献身
ゴーギャン=空想的絵画・洗練されたスマートなセンス
ハーン=空想的創作的志向・子供のごとくひたむきな献身
チェンバレンはどうでしょうね。ハーンが日本に国籍を入れるほど入れ込むのに対し、あくまでも冷静に日本を見つめた現実主義、と言われるようですが、学者ですから、分析的な視点を貫いたという事でしょうかね。
上記の三名に比べたら、面白く語られる要素には乏しかったかもしれません。
<のりちゃんさま [近畿]
2003/10/09(Thu) 19:50>
>出版を請け負っていたのは、エリザベス・ビスランド
なんと(゜.゜)
幻冬舎から出版されている、「阿刀田高著 怪談」にも、ハーンのことが載ってます。
ここで、阿刀田氏は、ハーンが、「いつもニコニコしている使用人が、誰もいないところでは、苦労を顔ににじませている」という手紙をチェンバレンに送ったことに触れ、「ここに人間不信の気持ちが強くなった」と説明しています。
これは、「日本人の笑顔」を読んだ私には、首肯しかねる解釈ではありますが(笑)、たくさんの資料にあたっておられるのは間違いないようで、ここには、ビストランドは、ハーンが日本に渡航する前に、ミッチェル・マクドナルドなる人物を紹介したと書かれています。
このミッチェル・マクドナルドなる人物が、ハーンとチェンバレンを結びつけたとか。
ビストランドの存在は、ドラマではあまり大きく取り上げられていませんでしたが、実際はとても大きかったのですね。
ゴッホ・ゴーギャン・ハーン、そしてチェンバレン。
みなそれぞれの個性を持ち、それぞれすごい才能の持ち主なんでしょうが、後世に語られるには、「ユニークさ」ってのが大きいのかもしれないですね(^^ゞ
<こたつ城主 [関東]
2003/10/10(Fri) 19:16>
>のりちゃん様
>>出版を請け負っていたのは、エリザベス・ビスランド
もしかしてこれは違うかも(^^;)。←おい
彼女は、ハーンの伝記作家だとか言う事でした。↓
http://www.yushodo.co.jp/ysdnews/hearn/index2.html
ドラマではビスランドも結構な年に思えましたが、どうも11歳ほど離れてるんですね。 このサイトに書かれた、日本での著作を献呈した人物なども面白そうです(笑)。
あと、のりちゃんの言う通り、マクドナルド氏の紹介はしたようですね。
この人は一雄氏の伝記にも出て来ます。子供同士で「将来どんな人物になりたいか」を話した時、他の子供は輝かしい職業名など口にするのに、一雄は「マクドナルド氏のようになりたい」と答え、これを聞いた、セツ→ハーン→マクドナルドと伝えられて、マクドナルド氏は後々まで、一雄を人に紹介するときこれを自慢にしたそうです(笑)。
しかしチェンバレンを紹介した人物だったとは知らなかった(^^ゞ。
<のりちゃんさま [近畿]
2003/10/11(Sat) 08:53>
ハーンの生涯、紹介していただいてるサイトで読みました。
東大でのハーンの後任教師が夏目漱石だとか、ハーンを早稲田に招致したのが、小川未明や野尻抱影だとか。
すごい豪華なメンバーですね(笑)
でも、その中でも、マクドナルド氏と、ビストランドは、特に大事な人物だったのかもしれないですね。
一雄氏をして、「こんな人物になりたい」と言わしめたということは、かなり何度も頻繁にお互いを訪ねていたでしょうし。
それにしても、
「マクドナルドさんみたいになりたい」
といわれて、自慢にするなんて、マクドナルド氏も、とても素直な人柄だったんでしょうね。
<こたつ城主 [関東]
2003/10/11(Sat) 22:58>
>のりちゃん様
ハーンと漱石は、ハーンの人気が高すぎて、後任の漱石は学生に総スカンを食ったようですね(^_^;)。
小川未明や野尻抱影とも交友があったんですね(^^ゞ。坪内逍遥とも交流があり、逍遥とハーンというのも、また凄く対照的で面白そうです。
マクドナルドは何度も小泉家を訪れたようで、ハーンを尊敬し、一雄を自分の子にしたがったそうです(笑)。
ハーンの子供達はハーンが年老いてから生まれた上、ハーンは心臓病で先が長くないことをひどく気に病んでたようです。
そんな親子を、明るく励ますのがマクドナルドの常だったようで、実質、ハーン亡き後は父親がわりだったようです。
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