<掲示板・議事録>

修験・霊山「富士」「伊勢」詣で、3

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2003/07/22(Tue) 21:02>

ああ無情は、テレビの「世界昔話」で長期連載(っていうのかな(^^ゞ)してて、クラスで流行ったんですよ。
テレビの方は、ジャンバルジャンとコゼットの話が主でした。
ジャンバルジャンが前歴を隠して市長になって・・・って。

熊野詣でや、伊勢参りは、両方とも「蟻の」とつくほど、行列をなしてたそうです。

お伊勢さんに参るには、それほど山道じゃありませんが、熊野は、登山が必要ですから、多少は体鍛えないと大変だったでしょうね(^^ゞ

江戸から熊野ってどれくらいの日数がかかるんでしょう?
かなりの贅沢だったんでしょうね?

江戸庶民は、「富士山登山」は、憧れてなかったんでしょうか?

こっちでは、あんまり聞かないんだけど、富士山が望める関東の人たちならば、富士山登山は一度はしてみたかったかもって。



<石野真琴さま [関東] 2003/07/22(Tue) 23:33>

>のりちゃん様
 江戸時代に富士山詣では流行りましたよ、富士講というのがそれです。
 江戸時代、庶民が富士山まで旅に出るのは、実に大変な事だったと言えます。当時の人々は我々より遥かに強靱な足腰を持っていたはずなんですけど・・・それでも一度旅に出るのと言うのは大変な事で、商人でもなければ、一生に一度出かける事が出来れば、まさに冥途の土産となったぐらいらしいです。・・・(本当だろうか??)
 富士講というのは、数十人が集まってお金を出し合い、毎年一人か二人を富士山参りに送り出すと言うもので、これが講と言う制度というか、ものです。誰が行くかくじ引きで決めたのでしょうか?
 そして、関東を中心に富士に見立てた人工の山が作られ、富士山の代わりに拝まれたと聞きます。



<こたつ城主 [関東] 2003/07/23(Wed) 22:56>

>のりちゃん様

「ああ無情」って、NHKの外国テレビドラマでやってませんでしたっけ。
そうだ(^^;)。ジャンバルジャンって市長になるんだっけ。。今だったら大スキャンダルでマスコミが騒ぎそう〜(笑)。

「蟻の」と言うのは、大勢が行く事を意味してるんですね(今知っただ(^^;))。
伊勢参りは全国規模で流行ったと、前にテレビで見ましたが、ウチの方では殆ど見掛けません。熊野や富士から貰って来た(?)神社が、地元の神社によく合祀されてます。
伊勢は遠く、熊野は山が険しい。富士だって登るとなればかなり大変、という事だったのか、大山詣でが盛んだったと聞きます。
もっともこれは、世田谷(東京の南部です)に居た頃に聞いたことで、ウチの方(下総)はどうかな。成田山かな、やっぱ(笑)。
でも富士山はウチの方からもよく見えます(^^)。遠くからパンパンと手を叩いて拝んだのでしょう。


>石野真琴さま

あ、富士講って聞いた事ありますね。人が集まってお参りに行く人を送り出す話も、そういや「バラエティお江戸でござる」で聞いた覚えが……。
誰が行くか、本当にどうやって決めたんでしょうね(笑)。やはり足腰が丈夫な人を選んだのでしょうね。

>関東を中心に富士に見立てた人工の山が作られ、富士山の代わりに拝まれたと聞きます。

ちょっと探してみました(^^)。↓
浅間神社、江古田富士:
http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/2835/ekoda/donors/fujizuka.html
安永8年(1779)に新宿の富士行者「藤四郎」が、高田水稲荷の境内に築いたのが始まりなのだそうです。



<石野真琴さま [関東] 2003/07/23(Wed) 23:56>

>こたつ城主様
 富士塚と言うやつですね。私が良く行く千駄ヶ谷の将棋会館前にある八幡神宮にも富士塚があります。
 知っているかぎり、この富士塚はその周囲を巡る事ができように作られているはずです。
 富士は不死山とも言って、日本一の山であり、信仰する人々は決して少なくなかったと思います。
 各地に〜〜富士(蝦夷富士、岩手富士とか)と呼ばれる山があるのも、富士信仰の一つの形なんでしょうね。

 江戸時代の人は、元禄辺りになるとかなり国内を歩いて旅に出たと思うのですが、中には隣村から嫁いできて、その村と隣村しか知らないと言う老婆も普通ではなかったと思うのです。江戸時代の人々にとって旅に出ると言う事は、それほど大変な事であったのだと思います。

 数年かけて日本国中を旅して、実に詳細な記録を残した僧侶の話もあるらしいので、そう言う人もいたのだという事ですね。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/07/24(Thu) 08:29>

前科がある人間が市長になるのは、現代では難しいでしょうね。
っていっても、有名人だったら、例外かなぁ?

あ・・・。そういえば、つい最近、刑務所の中にいる人が議員当選してましたね(^^ゞ

>こたつ様・石野真琴様
やはり、富士山は信仰の対象だったんですね。
そりゃそうですよね。
私も新幹線の中からくらいしか見たことはありませんが、あの形は、思わず手を合わせてしまいますから(#^.^#)

そういえば、伊勢講とか、熊野講って言葉も聞いたことがあります。
どうやって伊勢参りをする人を決めるんでしょうね。
やはり、一番健脚な人でしょうか?

日本全国を旅したといえば、松尾芭蕉を思い出しますが、彼の旅程は、今想像するよりも、ずっとすごいことだったんですね。



<こたつ城主 [関東] 2003/07/24(Thu) 22:25>

>石野真琴さま

私、前に一年だけ千駄ヶ谷に住んでたんですよ(^^ゞ。ずいぶん昔ですが。
しかし八幡神宮にも富士塚にも行った事ないです。周囲を巡るというのは、かなり歩く(つまりかなり大きい)のでしょうか。
昔は銭湯に行くと必ず富士山が描いてあったと聞きます。私が行った銭湯にもありました(笑)。
初夢にも「一富士、二鷹、三茄子」と言いますよね。外人さんにも長い間、「フジ、サクラ、ゲイシャ」と覚えられてたようですし、アイヌではフジは火の女神だそうで。
どこから見ても目出度い山なんですね(笑)。

詣で旅行が流行った頃、これに行くために長年貯めに貯めたお金を散在したとか、隠居暮らしが出来るまで頑張って働いた、という話を聞きますね(笑)。つまり江戸の庶民にとって、こうした贅沢な旅は「一生に一度の楽しみ」という事ですね。
実際には、商いや使い番などで旅はされたわけですが、これは(ツアーと違って)相当にツライものだったでしょうね。芭蕉の『奥の細道』にも、そんな描写が何度か出て来たような……。


>のりちゃん様

>前科がある人間が市長になるのは、現代では難しいでしょうね。

今なら前科を逆手にとって立候補するって手もありますよね(笑)。隠したり経歴を詐称するのが問題なのであって。

>つい最近、刑務所の中にいる人が議員当選してましたね(^^ゞ

こっ、これはさぁ〜(汗)。。。

銭湯の富士山の話を石野さまへのレスでも書きましたが、江戸時代も後の方になると、富士山も純粋な信仰対象と言うよりは、わりとシャレのネタになった感じがしてます(^^;)。 今では高いビルに上らないと見られませんから、たま〜に見ると、返って手を合わせたくなります(笑)。

>どうやって伊勢参りをする人を決めるんでしょうね。

石野真琴さまに出したURLによると、講の代表者って事ですね(^^;)。こりゃどうやら、ここにも序列がありそうな……(笑)。女子供は却下とありました。

あ、そうそう。私も芭蕉を思い出しました。
私は昔、彼はてっきり『奥の細道』の道中、客死したんだと思い込んでた時期がありました(笑)。
 
     

     
  <石野真琴さま [関東] 2003/07/24(Thu) 23:37>

>こたつ城主様
>富士塚
 富士塚の周りを一周すると・・・そうですね、50メートルは無いでしょう、しかし、アップダゥンがあって2メートルぐらいですかね、階段を少し歩くのではないかと思います。人工の山ですから、そんなに大きいわけはないのです。岩を積み上げたと言う感じですね。
>江戸の旅
   江戸時代の旅は、庶民にとっては本当に贅沢だった見たいです。例えば、熱海に湯治に行くというだけでも、江戸に住んでいたら、1ヶ月か1ヶ月半は家業を休まねばなりません。何しろ、湯治は1回り7日間、通常1回りか二回りと言いますから、14日間は熱海に泊まる事になります。歩けば四日か五日と考えると、往復含めてなんと1ヶ月も掛かるのです。もちろん往復の旅程で東海道の観光地も幾つか回るでしょう。
 1ヶ月休む事による収入の減少と、その為の費用を考えると、数ヶ月分の稼ぎじゃ足りないかも知れません。それこそ数年かけて蓄えた稼ぎが消えるかも・・・
 伊勢参りが流行した時は、貧乏人は貧乏なりに楽しめる旅があったらしいです。

>富士講、伊勢参りの当選者
 講の代表者というのはやはりクジ引きでしょう。同じ人が毎年行くのであれば、お金を出す人はいなくなるから・・・
 女性と子供は却下なのは、子供はしょうがないとしても、女性は入鉄砲出女で、関所を越えにくかった事、足弱と言うぐらいで、男性より女性の方が、旅程が多く掛かる事が想像できます。その分お金が多く必要になるので。
  くじ、クジ、籤、クジには神の意志が宿るとされ、神秘的な力を感じていた人々は、クジであれば公平であると感じるので、諍いの元にはならないと思います。



<朱天さま [東海] 2003/07/25(Fri) 20:59>

>富士講、伊勢参りの当選者
なんか聞いた事あるんですけどね。忘れちゃった。

東海道五十三次とか富岳三十六景とかは実際には
中々いけないので人気があったとか言う話もあるそうです。



<こたつ城主 [関東] 2003/07/25(Fri) 21:58>

>石野真琴さま

富士塚の周囲は、50メートルは無い……。え〜っと、直径は50m÷3.14でしたっけ(汗)。
直径約15〜16mで正解でしょうか(笑)。かなり大きいです(゚.゚)! こたつが歩くと一年はかかります(嘘っ)。

そうそう。家業があるから、大抵はご隠居にならないと旅には行けないんですよね。一生分の貯金を使ったとか聞きますよ。まあ一生と言っても、所帯を持つために、それまでの殆どを使い切るでしょうから、働き盛り以降の貯金という事になりましょうが。
でも長旅が必然というのは、今から振り返っても贅沢ですよね。
地球の裏側まで、飛行機でビュッと飛んでスグ戻って来られるなんてのは、便利なようでいて、贅沢でもないですもの(笑)。
ウチの方は真言系の寺が多いせいか、四国巡礼の碑があちこちの寺にあります。これも相当に長旅ですよね。

富士講や伊勢参りの代表者というのは、籤引きだったのでしょうかね。一度行った人を外していけば、満更当たる確率も少なくないでしょうね。それでも、お金をたくさん出す人とかに優先順位があったのでしょうけど。
クジと言えば、富くじがすごく流行ったんですよね(笑)。今で言う宝くじみたいなものでしょうけど、神社で行われて、ご神託をうけるいわゆる「おみくじ」も隆盛したようで。


>朱天さま

なるほど。よくイメージされる江戸時代っつーと、まんま東海道五十三次と富岳三十六景ですものね(^^;)。でもあれ見て「こんな所に行きたいね〜」なんて言うのは、昔の人も同じって事ですね(笑)。
五十三次は、私は全部そろったカードを持ってますけど、当時の人は簡単に手に入らなかったでしょうから、尚更でしょうね。



<北畠具顕さま [東海] 2003/07/26(Sat) 11:00>

浅間参りのレポートをケーブルテレビでやっていました。
もっとも地元の高い山に浅間さんを勧請してそこに登るんですけれど。
御幣のついた竹を持っていって山頂でそれを立てて山についたことをふもとに知らせるんです。ものすごい重労働やと思いましたよ。潔斎も結構厳しいようでした。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/07/26(Sat) 14:15>

富士講の代表者さん、旅行はとても大変だったでしょうが、その分、家にいたら絶対食べられない各地の名産物を食べることもできたわけで。

旅に対する憧れがあるからこそ、「やじきた」なんて物語も生まれたわけですもんね。

最近では、旅行するのがアタリマエになりすぎちゃって、わざわざ海外へ行ってまで「和食」を食べることもありますが(^^ゞ

昔の人のことを考えて、口に合わなくても、現地のものを食べるようにしようかなぁ。

・・・たいがいのものは口に合うんですけどね。
たまに、匂いが合わないのがあるんですよね・・・。



<たまこさま [東海] 2003/07/26(Sat) 18:39>

>こたつ城主さん、
>五十三次は、私は全部そろったカードを持ってますけど、

それは凄いです。ウチに漆塗りの椀で、蓋に五十三次の絵が書いてあるセットがあったのですが、その価値が分らぬ代が続いた為か、(含む、私)よそに上げたり、紛失したりして、まともなものは半分も無いと思います。

祖母は生涯に一度だけの伊勢参りを、まるで人生の宝物のように、死ぬまで自慢をしていたと聞きました。
今は、簡単に旅が出来すぎて、もうお宝では無いんですよね。。
 
     



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