<掲示板・議事録>

修験・霊山「富士」「伊勢」詣で、4

     
  <こたつ城主 [関東] 2003/07/26(Sat) 19:58>

>北畠具顕さま

ええええ。御幣ってそんな山頂まで持ってく物なんですね(・・;)。はいはい。竹に挿して歩きますよね。あれごと山に登るのですか。確かに重労働(汗)。お参りには何々持ち係りとか決めて行くのでしょうかね。
浅間参りというのもよく聞きます。浅間権現(だっけ)って書いてあるお札も見掛けますね。


>のりちゃん様

地域を活性化するために地元で編み出された名産も沢山あるでしょうが、詣で参りが流行った頃に知れ渡った物も多いと聞きました(^^)。案外「やじきた」みたいな「お話」が先で、後から作られた物なんてあったりして(笑)?

>わざわざ海外へ行ってまで「和食」を食べることもありますが(^^ゞ

海外とか外人サンの家で「和食」をご馳走になる事も(^^;)。よほど日本人は「和食」しか食べられないと思われてるのでしょうかね。別に宗教的こだわりも無いのに(笑)。 でも確かに、匂いにだけは敏感かもしれませんね。



<こたつ城主 [関東] 2003/07/26(Sat) 19:59>

>たまこ様

そういや、五十三次カードはどうやって手に入れたんだっけな(^^;)。
箱根あたりで買ったような気がします。あの辺りは江戸情緒物のお土産が多いから。
53枚あるのだからトランプに出来そうですよね。無くすと悲しいから遊ばないかもしれませんが(笑)。

お祖母さまは伊勢参りをなさったんですね(^^)。どこを通り過ぎた時こんな事があったとか、大事に思い出話をなさったんでしょうね。
今の世でも、一生の思い出に残るような旅がしたいものですね。



<石野真琴さま [関東] 2003/07/26(Sat) 20:12>

 一生の思いで・・・
>たまこ様
>祖母は生涯に一度だけの伊勢参りを、まるで人生の宝物のよう
>に、死ぬまで自慢をしていたと聞きました。
 この国では陸蒸気が発達するまでは、いかなる身分であっても、自分の足で歩いて行くか、馬に乗るか、駕籠に乗るか。それ以外の方法はなかったわけで、伊勢参りにしろ善光寺参りにしろ、富士山にしろ、一生に一度行ければ、まさに宝物の思い出だったのだと思います。
 自分の村とせいぜい隣村しか知らないその当時の人にとって、その地へ向かう途中の風景、それを眺めるだけでも充分に価値があったのだと思います。風景と言う宝物を封じ込んだのが、東海道五十三次であったのでは無いでしょうか。
 新幹線や飛行機、高速道路など旅する我々は、そのような風景という宝物は心に残らないのかも知れません。歩いて行くという苦行が、全てを宝物に変えるのかも知れませんが・・・

 弥次喜多道中記でしたか、江戸時代の傑作とされる道中記ですが、この江戸時代には道中記というものは、かなりの種類が出ていた見たいです。
 もともと道中記と言うのは、旅する為の必需品の一つのようなもので、旅に出るときに必要な装備や道具などの紹介や、その使い方を示すと同時に、旅の中で見るべきポイントを解説してある旅行体験記みたいなものであったと聞いた事があります。今で言うと旅のガイドが道中記と言うものらしいです。
 弥次喜多道中記は、読み物として完成してしまい、道中記としての役割が薄いような気がします。

 江戸時代、旅に出るとなれば、その為に必要な道具は結構多く、いずれもコンパクトに出来ているとは言え、全部自分で持っていくのですから、それは大変だった見たいです。

 ちなみに、私の江戸時代の知識は、江戸時代研究家の石川英輔氏の大江戸神仙伝がベースになっています。この小説は実に面白いですよ。一読してみて下さい。(何処の図書館にもだいたいあるみたいですから、買わずに済みます)



<のりちゃんさま [関東] 2003/07/27(Sun) 13:51>

>石野真琴様
>今で言うと旅のガイドが道中記と言うものらしいです

先人の失敗や、経験を書物で前もって読んでおくことで、不安を取り除いたり、支度を整えたりできたんでしょうね。
そんなにたくさん出されてるとは知りませんでした。

もし、残ってたら、読んでみたいような気もします。



<北畠具顕さま [東海] 2003/07/27(Sun) 17:53>

>お参りには何々持ち係りとか決めて行くのでしょうかね。
先導さんと竹担ぎの方々だけに見えたなぁ。何せ竹が長いですからね。しかも太いし。高齢者が多いし。
講のかたがやってらっしゃるみたいです。
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2003/07/28(Mon) 17:40>

>石野真琴さま

善光寺参りもありましたね〜(^^)。ウシに引かれて善光寺。

私は世田谷や川崎に住んでた頃、よく大山に行ってたんですよ。当時は車なんか無くて、どこに行くのも電車とバスでしたから、あまり電車代も時間もかからず行ける所は貴重で、数馬とか大山とか、どっかの駅からエンエンとバスに乗って行くと山奥に入っていく、みたいなルートは特にお気に入りでした(^^)。

数馬は秘境〜という雰囲気で、民宿ぐらいが点在してる程度でしたが、大山は神社に向かって旅館や土産屋が軒を並べていて、いかにも詣客で賑わってる観光地という感じがしました。
今ではこうした賑わいも、山奥にあれば「心がなごむ自然の風景」なんですが、昔は逆にこうした賑わいが珍しかったのでしょうね。何と今と違うことか(笑)。

江戸時代の道中記。今の観光ガイドと一緒ですね(^^)。旅行に出る金や時間が無くても、旅行雑誌を見て雰囲気に浸るだけなんて事もあります。昔の人も同じだったかも。
旅行に必要な装備や道具。一生に一度の旅に出て戻って来た後も、これまた宝物になりそうですね(笑)。

私も今度、図書館でも行ったら、真っ先に道中記の置いてあるコーナーに行ってみようかな。絵入りの本が見付かったらいいな(^^)。石川英輔氏の大江戸神仙伝も探してみます。 ただ、なかなか図書館に行く時間が……(汗)。



<こたつ城主 [関東] 2003/07/28(Mon) 17:42>

>北畠具顕さま

時々NHKで見ますよ。こう……白い着物か何か着て、大勢で山に登っていく様子。
そうそう。すごい高齢の方なんか見掛けますね。いい雰囲気です(^^)。
私は山に登るのにあの装束ってだけで驚きます。



<石野真琴さま [関東] 2003/07/28(Mon) 20:22>

>石川英輔氏の「大江戸神仙伝」
 確か、もう10年も前ぐらいに、NHKでドラマ化されたと聞きました。この作品は5冊か6冊ぐらいシリーズで出ているはずです。その他に、「江戸時代エネルギー事情」とか江戸時代を研究された内容の本が出版されていたと思います。
>こたつ城主様
 図書館に行く時間が無ければ、古本屋に出てるかも知れません。ハードカバー本は図書館に、文庫本は古本屋さんで見つければ良いかなと思います。あんまり見かけないですが・・・
>旅行道具
 江戸時代は、物が高価でしかも貴重であったので、現場で購入と言う事は、実に難しかったように聞いています。だからそれだけの荷物は運んだのだと思います。
 とは言え嵩張る物は借りられたらしいです。熱海の宿は基本的には賄いは付きません、炭や薪は買いました。これは大概の宿がそうで、木賃宿と言うのがそれですね。
 鍋や釜、木腕などは安く借りる事が出来、米や魚を買って来て料理して食べたのだと言います。



<こたつ城主 [関東] 2003/07/29(Tue) 19:54>

>石野真琴さま

>>石川英輔氏の「大江戸神仙伝」

NHKのドラマになったんですね(゚.゚)。そんなに沢山出た本なら、どっかで立ち読みしたかもしれません(笑)。

古本屋は……あまり欲しい本を見掛けないんですよ(^^;)。新しくオープンした今風の所が多くてね。まあこういった本なら見掛けるかもしれませんが。出掛けるのが夜になりがちなので、図書館よりは行く事が多いです。

旅先で購入という方法は、私の人生で言ってもかなり最近ですね(笑)。
昔は何でも持って行きました。荷物を減らすノウハウも徹底してて、これも車になってから、ひどく疎かになりましたが(笑)。
昔の旅で大変に思えるのは食事ですが(^^;)、貨幣経済が安定してからは、レンタルも増えたのでしょうね。木椀は寺とかに入ると、自分用のをまず渡されるんじゃなかったかな。江戸時代は傘を貸す話をよく聞きます。



<石野真琴さま [関東] 2003/07/29(Tue) 23:20>

>こたつ城主様
 江戸の旅の食事
 江戸時代の旅籠では、基本的に食事は出なかった。自分たちで炊いて食べたと書きましたが、伊勢参りあたりが盛んになった頃からだったと思いますが、大量の食事を用意して食べさせる賄い宿が出来たと聞いた事があります。
 日本の米の炊き方は難しいので、たくさん用意する事は難しいのですが、たくさんの米を炊く為に、大きな鍋で煮ては取り出してと聞いた事があります。魚も焼くのではなく煮て、焼き跡を付けたのだとか・・・
 木賃宿の場合は、自分たちの食事は自分たちで作らねばなりません。米を炊き、魚を裁いて焼くなり煮るなり、漬け物はもらえたかも知れません。この時代の人々は自分で何でも出来たのでしょうきっと、毎日がキャンプで楽しそうとは・・・とても思えませんが。
 江戸時代の旅で、持って歩きにくいのは、やっぱり銭かも知れませんね。1両=6000文ぐらいでしたっけ?、4文の波銭で1500枚、相当な重さですよ。一両小判を持って歩く方がどれほど楽か・・・一分金、一分銀もあるし1朱金、1朱銀、それとは別に丁銀もありますね。江戸時代の貨幣は・・・複雑で



<こたつ城主 [関東] 2003/07/30(Wed) 21:04>

>石野真琴さま

江戸時代に食事処が増えた、とよく聞きますが、それが庶民にまで広がったのはいつ頃かな、と思ってました。
参勤交代によって多少は発達したのでしょうが、これのおこぼれを頂戴したのは上役だけ、ともよく聞くので。
でもやはり、伊勢参りの隆盛とかが一役買ったのですね〜。納得(^^)。

貧民に雑炊を振舞うのとは違って、大量のご飯を炊くのは大変だったでしょうね。大鍋が登場したり、煮魚に焼き跡をつけたり、工夫してたんですね〜。

木賃宿という言葉、親の世代はまだ使ってましたね(笑)。
私の小さい頃は、まだ炊事のできる宿泊施設もありました。宿の中庭だったか、食材を売りに来る人も見掛けましたね。
でもこの頃は既に「毎日キャンプで楽しそう(^^)」のノリでしたけど(笑)。

銭の持ち歩きは、考えてみれば重いですよね(^^;)。
さすがにこればかりは、現代は紙幣になりましたから(笑)。せいぜい昔でも、コンビニで金なんか下ろせないから、前もって下ろしておいて持っていく心得が必要な程度で。
 
     

     
  <石野真琴さま [関東] 2003/07/30(Wed) 23:29>

>こたつ城主様
 昔、木賃宿というのは、ビジネスホテル、つまり賄いのないホテルというか旅館の事だと思ってました。江戸時代に木賃を取った宿だったと言う事に気が付いたのは、高校ぐらいになってからの事です。
 私の育った伊豆の下田には、当時ビジネスホテルや、素泊まり旅館というのはほとんど無かったので、どういう方式なのか良く知らなかったと言うのが本当のところです。



<こたつ城主 [関東] 2003/07/31(Thu) 20:21>

>石野真琴さま

私は最初「キチン宿」という外国語か外来語かと思いました(爆)。もちろん江戸時代を語源にしてるとは知りませんでした。ただ子供の頃からよく耳にはしてました。
伊豆育ちでいらっしゃいましたか。実は私もよく耳にしながら、「どんな所だろう」と、どこかワクワクしながら思ってたクチです。何か勘違いしてますよね(笑)。



<朱天さま [東海] 2003/07/31(Thu) 21:30>

>キチン宿
カタカナで書くとなんだかなぁ。最初「チキン宿ってどんなだ?」
とか思ってしまいました(爆)

木賃宿はさすがにつけじゃないんですよね?
あ、でも数日滞在するなら出てく時払いでもよさそうな気が・・・



<こたつ城主 [関東] 2003/08/02(Sat) 19:44>

>朱天さま

キチン宿ってどんなだろう、と私も小さい頃はワクワクしてました(笑)。
でも「安く止まれる宿」という認識はあって、「仕方ない、キチン宿にでも泊まるか」という具合に使われてたから。
宿代を払えない場合、よく「労働で返した」なんて話も聞くんですけど、これっていつの話なんでしょうね(^^;)。
 
     



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