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<ピンクのトカゲさま
[東海] 2003/02/24(Mon) 20:08>
>こたつさま
家康の負けた負けたは、沢山ありますよ。
で、お寺かお宮に逃げ込んで、助かったからっていうんで、後に葵のご紋がついた門を作ったなんて御寺うじゃうじゃあります。
戦国も末期になると、戦上手より謀略上手が勝者っていう感じですね。
秀吉にしても城攻めは上手いけど、小牧長久手なんて、負けた負けたの家康に負けてる。
>古井戸あるんですか(^^;)!
話の調子で書いちゃいました。調べてみますね。
で、鶏に助けられた鳳来町の満光寺には、井戸ありますよ。
廃仏毀釈のときに坊主が投げ込まれたらしいです。
<こたつ城主 [関東]
2003/02/25(Tue) 19:57>
>ピンクのトカゲさま
そうか(^_^;)。葵のご紋をつけたいがために、家康を助けた事にしてる寺社も多そうですね(笑)。家康も、どこか武田に負けた話を自慢にしてるから(こゆトコ不思議よ)、文句言わずに紋を掲げさせてたのかもね。
戦国も最終段階になると、軍団同志がデカイから、戦になると犠牲者が多くなりがちで、どうしても和解や外交で片付けるしか無くなりますよね。家康も「昔は負けた」と言って、武田遺臣の心をゲットしたんでしょう。
家康の井戸は、話のついでに出たのですね。まさに都市伝説ですね(笑)。
鶏に助けられたお寺の井戸なら、電話がかかってきて聞こえて来るのは「コケコッコー」ですかね。そしてテレビからは家康が……全然怖くない!(爆)
井戸に投げ込まれた坊主には髪が生えてないでしょうし。
<ピンクのトカゲさま
[東海] 2003/02/25(Tue) 21:35>
>こたつさま
近所にも葵の紋が彫ってある山門があるお寺(上善寺)があります。
ここは、珍しく負けて逃げたのではなく、設楽原合戦の前々日だと思いますが、牛久保(当時は牛窪)に信長は、牛窪城に、家康は、上善寺に泊ったことからです。
この上善寺、消防団に入団した年ですから、今から二〇年近く前に、社寺放火犯に放火されてしまいました。
放水も虚しく、本堂から火柱が上がったと思ったら、瞬く間に屋根が落ちてきました。
>井戸に投げ込まれた坊主には髪が生えてないでしょうし。
幕末の「御札降り」、最初に「御札」が降ったのが、渥美郡の牟呂(現愛知県豊橋市牟呂町)の八幡宮なんです。
この「御札降り」、江戸から伊勢参りに行く場合、吉田(現豊橋)から三河湾を船で渡りという利権という事情もありますが、豊橋駅の新幹線口の近くの羽田八幡宮(「はねだ」ではなく「はだ」)の当時の神官・羽田野敬雄が平田篤胤の高弟ということもあり、この羽田野が黒幕だとされています。
そうしたこともあり、廃仏毀釈の折には、特に東三河山間部で坊主が井戸に投げ込まれたようです。
<こたつ城主 [関東]
2003/02/26(Wed) 19:37>
>ピンクのトカゲさま
信長が牛窪城に、家康が上善寺に……(゚.゚)。まあ家康ってホントに……(^^;)。
でも消防団に居た時期に火事があったのでは、トカゲ様には忘れられないお寺でしょうね。お怪我はありませんでしたか?
平田篤胤の高弟と、坊主の井戸投げ込みがちょっと繋がらないのですが(^^ゞ、東三河では、神道に異を唱えるお坊さんが多かったとかかしら?
<ピンクのトカゲさま
[東海] 2003/02/26(Wed) 20:09>
>こたつさま
>平田篤胤の高弟と、坊主の井戸投げ込みがちょっと繋がら
>ないのですが(^^ゞ、東三河では、神道に異を唱えるお坊さん
>が多かったとかかしら?
平田派っていうのは、穴穂部や守屋みたいな仏教嫌いで(実際、江戸時代の国学者や儒学者は、聖徳太子をぼろくそにいっている)、守屋がやったみたいに、坊主を見つけて井戸に投げ込んだんです。
<こたつ城主 [関東]
2003/02/27(Thu) 22:13>
>ピンクのトカゲさま
平田派が聖徳太子をボロクソに(゚.゚)?
坊主をどうとかする話って、よく中国にもあったんですよね。 |
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