<掲示板・議事録>

出雲の阿国、パトロン事情、1

     
  <こたつ城主 [関東] 2003/02/18(Tue) 18:25>

題名:忘れてた(笑)。

↑すいません。「戦国商品を作ろう」他、議事録アップしたんですよ(^_^;)。いつだったかな。……詳しくは更新歴を。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/02/19(Wed) 08:26>

こたつ様!「戦国武将一覧」中、<大村由己と出雲の阿国>「議事録1」へ飛ぼうとしたら、「NOT FOUND」になっちゃいました。
見つからないといわれると、見たくてしかたなくなる〜〜(^^ゞ
すいません。ちょこっとご確認くださいm(__)m



<こたつ城主 [関東] 2003/02/19(Wed) 19:29>

>のりちゃん様

><大村由己と出雲の阿国>「議事録1」へ飛ぼうとしたら、
>「NOT FOUND」になっちゃいました。

ゲゲッ、ホントだっ(*O*)!

>URLが間違っているか,ホームページ開設者が
>ページを閉じた可能性があります。

と、閉じてませ〜〜〜ん!(笑)
これから探して載せますです〜〜〜! スイマセン。
お知らせ助かりました。ありがとうございますっ☆ミ



<こたつ城主 [関東] 2003/02/19(Wed) 19:43>

>のりちゃん

<大村由己と出雲の阿国>「議事録1」、今アップし直しましたー☆ミ
フォルダに使えない文字を使用してたみたいで、それで見えなかったのだと思います(^^ゞ。スイマセンでした。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/02/19(Wed) 20:30>

>大村由己と出雲の阿国
拝見しました〜〜(#^.^#)あぁ、すっきり(笑)
この話題はリアルタイムで見ていたはずなんですが、見逃していた部分もありました。

「風紀を乱した」「女歌舞伎」ってどんなのだったのか、見てみたい気もします。
戦国時代にも、やはり、役者(というか、芸術家?)と、実力者の間のパトロン関係は存在したんでしょうね。

信長と千利休も、パトロン関係と言えるのかな。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/20(Thu) 22:45>

>のりちゃん様

役者とパトロンの関係は、江戸期には歌舞伎役者と商人が該当したのでしょうが、戦国期はどうだったんでしょうね。
出雲の阿国は、お布施集めする程には窮乏してたとはいえ、行きの路銀ぐらいは出雲大社側から出てたんじゃないかな。
ただ肝心のお金集めとなると、役者が旅をする程度の金の集め方じゃ足りないでしょうから、やはり富と権力のある人に近寄らない事には、どうにもならないでしょうね。
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2003/02/21(Fri) 08:56>

(しつこいですが)「風紀を乱す」ほどに魅力的な舞だったら、いろんな実力者から寄付の話が相次ぐんじゃないか、と想像してしまうんですが、阿国は、窮乏してたこともあるんですね。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/21(Fri) 19:48>

>のりちゃん様

阿国については、殆ど文献が無いんじゃないかと思います(^_^;)。でも今は、地元でも少し阿国のブームに火がついてるとか。
私が阿国に対して思うのは、舞いを舞って諸国を渡り歩く女性は、通常は遊び女としてしか扱われなかったと思うのですよ。それを「見るだけ」でお金を取る(つまり芸能)ようになったのには、多少の背景が無いと難しかろうな〜と。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/02/21(Fri) 22:46>

もう10年ほど前でしょうか、出雲に行った時、阿国の墓にも詣でました。
新しい千羽鶴(なんで?)や、花がたくさん供えられてて、静かな人気があるのだなぁ、と思ったんです。
こたつさんが言うように、「見るだけ」で、お金がとれるようになった、というのは大きな功績かもしれませんね。
どういう裏(というほどのことはないか)があったかはわからないけれど。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/22(Sat) 18:52>

>のりちゃん様

阿国が芸能の祖となった所の「見るだけで金を取る」は、誰だって出来たハズなのに、なぜあの時代に初?というのが疑問ですよね。
一つは、座の撤廃によって、踊りなど興業への規制が緩やかになったからというのがあると思うのですが、本人達が食って行くだけならともかく、大社再建の金が集まるか……難しいと思うです(^^;)。

1、 秘儀性の高い(例えば祭祀に関わる一部の人しか見られない)踊りを披露した。
2、 秘儀性は高くないが、お家芸のような少数しか習えない踊りを披露した。
3、 高等難解な技を踊りに組み込んで披露した。

この辺りかなぁ……。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/02/23(Sun) 09:40>

「見るだけでお金をとる」、というのは、芸術はお金を払ってでも見るものだ、という意識が見る側になければ無理な話ですよね。
それまで舞などは、女性をお披露目して、品定めさせるためだけのものだったということですかね。
日出処天子でも、天皇に女性を選ばせるために、候補女性に舞を舞わせたりしてるし。
記紀でも、「高貴な女性を妻にしたい」という神武天皇に、ヒメタタライスズ姫を推薦しときながら、複数で踊ってる女性を見せて、「さぁて、どれが高貴な姫でしょうか。あててごらんなさい?」などと試したという話がでてきたりします。
この話の部分で、私の頭の中では、神武天皇の顔は、日出処天子の、泊瀬部天皇と重なるです(笑)



<こたつ城主 [関東] 2003/02/24(Mon) 18:24>

>のりちゃん様

舞いが神様に奉納するのと男に品定めさせるのと、どっちが先だったか判りませんが(笑)、いずれにせよ、元は金を払う必要は無いものではなかったかと思います。
ただ舞い手も時代が経って、踊りや芸事に専念するようになると、それだけで食わせてくれる存在は必要だったでしょうから、パトロンの言いなりみたいな面はあったと思います。

それが三代足利義満の時に能が創始され(たと言われてます)、八代義政の頃全盛期を迎え(たと教科書に確か書いてある)、その後、利休が切腹した原因が、権力者に盾ついて茶をやったとか言われますから、阿国の頃はこういう気運の重なりが、多少は庶民に芸術意識を根付かせていたかもしれませんね。

>日出処天子でも、天皇に女性を選ばせるために、候補女性に舞を舞わせたりしてるし。

大伴の姫を選ばせようとして、泊瀬部大王が厩戸皇子を選んでしまう話ですね!(笑)
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2003/02/25(Tue) 23:02>

そうそう、利休と秀吉の仲違いの原因って、いろいろな言われ方をしてますよね?
確かに、金ピカ好き(といわれている)秀吉公と、「わび・さび」は相容れないものがあるようには思いますが、少なくとも、「町人」の彼が切腹させられたというのは、パトロンと被バックアップ者の関係ってのが、かなり緊迫したものだったのかな、という想像もしちゃいますね。

阿国の場合はパトロンとどのような関係だったのか、は、わかりませんけど。

>泊瀬部大王が厩戸皇子を選んでしまう話
あの漫画、読み返してみて思ったんだけど、
厩戸皇子と、刀自古以外の「美女」って、なんか、あんまりリキの入ってない「美女」ですよね(笑)
そりゃ、大王が、厩戸皇子を選ぶのは、無理ないやと思いました。
男と知ってても、厩戸皇子選ぶかも(爆)
あの時代には、まだ、稚児さんと主人の関係ってのは、なかったんでしょうかねぇ?



<こたつ城主 [関東] 2003/02/26(Wed) 19:37>

>のりちゃん様

どうも利休の話になると、私自身は『本覚坊遺文』の影響が強く、切腹を止める秀吉に、無視して自殺に走る利休、という濃厚なイメージがあります。
武士でない者が武士でない者に切腹を迫る。武士でない者が武士でない者に切腹で答える。どっちもアリかな、と思いますが、結果として切腹したのは確かでしょうから、利休もずいぶん図々しい男だったのでしょうね(笑)。
この辺のプライドを、映画では実に上手く描くワケですが。

大村由己は播磨出身だそうですが、何か阿国に含む所があったのでしょうかね。

>厩戸皇子と、刀自古以外の「美女」って、なんか、あんまりリキ
>の入ってない「美女」ですよね(笑)

同感(笑)。厩戸と推古女帝が顔が似てて、推古女帝とその娘大姫が似てて、しかし厩戸と大姫が前々違うあたり、画才だなぁ、と思いましたけど。

>あの時代には、まだ、稚児さんと主人の関係ってのは、
>なかったんでしょうかねぇ?

むむ。どうでしょうね(^^;)。民族的にはあったんじゃないかな。いや、テキトーだけど。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/02/28(Fri) 08:19>

>利休もずいぶん図々しい男だったのでしょうね(笑)。
あははは。なるほど、そういう見方もできますね。
っていうか、こう考えるのが自然なんでしょうか。
坂口安吾の「二流の人」でも、
「秀吉は、利休にふられた」
と表現されてたような覚えがあります。

>厩戸と推古女帝が顔が似てて

そういえばそうですね。
「推古女帝が美女」という設定に、私は、「この人は美女なんだ。私の美的感覚ではそうとは言わないけど、美女なんだ、美女なんだ、美女なんだってば!!」と暗示をかけるのに苦労しました(^^ゞ
だってそうじゃなきゃ、ストーリーが理解できないんだもん(爆)
穴穂部皇子の行動とか。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/28(Fri) 18:36>

>のりちゃん様

>「秀吉は、利休にふられた」

あ、何かそれっぽいです、「本覚坊遺文」は。
利休は遊んでばかり居たかったんでしょうね。それでも政治のお手伝いと思えた時分は、「武士でもない某に」と多少は光栄だったでしょうけど、必死に「節約茶道の方法論」まで考えたのに、それでも朝鮮出兵になっちゃっちゃ、遊んでいいムードじゃ無くなるもんね〜。腹も切りたくならぁね。

『日出る処の天子』では「年増女の魅力」と書いていたけど、私の中のあの推古はタロットカードの「女帝」のイメージに近いです。
女性の理想とする美女と男性のそれとはズレがあるかもしれませんが、ああいうオバサンは男性にはそれなり人気がありますよね。肝っ玉カアチャンみたいで。
政治的野心と娘大事の狭間で、どうしようどうしようと気を揉む姿。あげく、だんだん厩戸の機嫌取りになっていく辺り、私は可愛い女性だと思います。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/03/03(Mon) 08:33>

>必死に「節約茶道の方法論」まで考えたのに、それでも朝鮮出兵になっちゃっちゃ

お茶の先生が聞いたら目を回しそうな利休感かも(笑)
お茶の本に載ってる利休は、哲学者みたいな顔してますから、「遊びたいがための茶道」ってのは、なかなか目からウロコです(~_~)

(日出処天子の)推古女帝が、タロットカードの女帝というのは、納得です。
物語の中の男性は、彼女の「肝っ玉ぶり」より「美しさ」を盛んに褒めて、魅かれているようではありますけど、「女らしくてたおやかで美しい」間人皇后に対して、男性達が「美しい」「素晴らしい」と評する場面はでてきませんでしたから、美しさ+肝っ玉ぶりが、推古天皇の魅力だったのかも。



<こたつ城主 [関東] 2003/03/04(Tue) 21:18>

>のりちゃん様

狭い空間を有効利用すれば、人口が満ちても茶道はやっていける! 貧しくて茶器が揃わなくても、詫び寂びで乗り切れる!
なんて考えたのではないかと思えば、利休さんも案外苦労人(笑)。

『日出る処の天子』の推古と穴穂部間人媛は対照的な姉妹ですよね。厩戸皇子も一時期は「この女狐!」とか思ってたけど、結局推古の方が合ってたようで(笑)。
しかしその聖徳太子より長生きだったわけですから、本当に力強い女性だったのかもしれません。
 
     



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