<掲示板・議事録>


     
  長野善光寺平、古代と中世


<加茂鹿道さま [甲信越] 2003/02/03(Mon) 23:00>

はじめまして こたつむりさま

村上一族風雲急を告げる旅の掲示板でみて、こちらの部屋に遠征してきました。

私は、日ごろは数千年前の歴史をいつも相手にしているので(文字がない時代)、中世なんかは自分には関係ないんだと思っていたのですが、最近つくづく近世や中世のことが大事だなと実感する今日この頃です。

とくに私の住んでいる長野県では漠然と中世からの一族意識は多かれ少なかれ強烈なものがあります。ただ、詳しいかというと私も含めてそれこそ漠然と思っているだけで、意外に事実を知りません。

ですから、日ごろ思っている疑問をまた、ここで教えていただければと思いますので、宜しくお願いします。

管理人さんのプロフィールにもありましたように、私もハンドル名がいろいろで自分でもわからなくなってしまっています。

一応人さまの掲示板では↓のハンドル名で統一中です。

加茂鹿道



<こたつ城主 [関東] 2003/02/04(Tue) 20:12>

>加茂鹿道さま

ようこそ、はじめまして(^^)。
雅之介さまの所からですか。いつもお世話になっております。こちらこそ、宜しくお願い致します。

チラと拝見しましたが、信州の考古学をなさっておられるのですね。
信州、特にそちらにもある更埴方面は好きな所なので、史跡というのもあいまって「二重に良い仕事場」ですね(笑)。

信州が中世以来の一族意識に強烈という話は初めて聞くのですが、ある一面としては、何かわかる気もしますね。周辺の強豪から「共同草刈場」にされ食い尽くされた感がありますから(^^;)、ルーツを辿ると中世に遡ってしまうのではないでしょうか。

HNは、今では余程違うジャンルにでも行かない限り、「こたつ城主」で統一するようになりました(笑)。少しあのプロフィールも古いですね。そのうち書き換えないと(3年前のままなんです(^^;))。



<加茂鹿道さま [甲信越] 2003/02/04(Tue) 23:48>

>信州が中世以来の一族意識に強烈という話は初めて聞くので
>すが、ある一面としては、何かわかる気もしますね。周辺の強豪
>から「共同草刈場」にされ食い尽くされた感がありますから(^^;)、
>ルーツを辿ると中世に遡ってしまうのではないでしょうか。

いやあ、今年一年間自治会の役員をやらされましたが、のりは中世はこんなではなかったかという感じです。

草刈り場であったのは確かですが、本当に根絶やしになったわけではなく、川中島の合戦はもとより大塔合戦くらいにはだいたいさかのぼると称する人がごちゃマンといます。

私達がいる善光寺平には、中世居館跡がたくさんあります。土塁や堀跡が残っていて、興味深いです。

さて、私達の知り合いに飯田城主坂西(ばんざい)氏の子孫の方がおられますが、詳しいことが一族でわからなくなっているようです。どのように調べたらいいのかと相談されましたが、私としては市誌の類を調べることかなあと話しておきましたが、どういうアプローチの仕方があるのでしょうか?

私のような素人にもわかるような調べ方がありましたら、御教示下さい



<姫河童さま [甲信越] 2003/02/05(Wed) 18:42>

はじめまして。

大塔合戦のことを調べていたとき、こちらのHPとても参考になりました。ありがとうございました。
いつかカキコしようと思いつつ、加茂鹿道(夫)に先を越されてしまいました…(^_^)
石和川中島合戦戦国絵巻スゴイ!ですねえ。
こっち(長野・川中島)でもやってほしいと、市に頼んでみようかな!(たぶんダメ…オリンピックで超財政難…。)
横田河原あたりなら何もないし、場所だけはいくらでもあるのですが…。

これからも楽しい話題を楽しみにしてます!
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2003/02/05(Wed) 20:35>

>加茂鹿道さま

大塔合戦に遡る人が……「ごちゃマン」(^^;)!
いや、多いだろうとは思ってましたが、その言い方に笑いました。

私は雅之介さまに教えて貰って、大塔合戦を初めて知ったレベルですから(笑)、あまり多くは語れませんが、信州には根深く一揆繋がりがあったようには想像しますね。 本能寺の頃も、一揆が繰り出して騒動になったそうですし。

善光寺平……ではないですが、霞城って知ってますか?
ここの「城主のたわごと」→「2002年・4月のたわごと」に載ってますが、どうやら古墳の跡地に作られたんですね。珍しく思えました。

>私のような素人にもわかるような調べ方がありましたら、御教示下さい

いや〜、私も素人なので(^^;)。。。
ただ市誌って行政区の仕切りに阻まれやすいので、県史から行くかなぁ……ぐらいですか。
長野は教育県と見えて、ずいぶん郷土史には熱心に思えます。郷土出版社にでも問い合わせてみては?(ただ絶版書籍が多いのには辟易しますけどね:汗)



<こたつ城主 [関東] 2003/02/05(Wed) 20:39>

>姫河童さま

はじめまして〜☆ミ

えっ?! 加茂鹿道さまの奥方様ですか? おお〜、ご夫婦揃って地元の歴史を調べておられるんですね〜。ステキです(^^)。

大塔合戦は私もよくわかってません(笑)。参考にして頂けたのは、全て来て下さった方々の御蔭です(^^ゞ。

いや〜長野、それも川中島跡地で合戦祭りしてくれたら……入り浸りますよ!(爆)
そうそう、オリンピックの時は、単なる観光客としてはちょっと残念な思いもありました。財政難については、開催前から話が聞こえて来ましたけど、まだ解消してないのでしょうね(汗)。

>これからも楽しい話題を楽しみにしてます!

ありがとうございます! こちらこそ宜しくお願いします(^^)。



<加茂鹿道さま [甲信越] 2003/02/05(Wed) 20:57>

「たわごと」見させていただきました。長野には本当によくいらっしゃっていますね!信州考古学探検隊も負けられませんね(^^♪

霞城(かじょう)は知らなかったです。よく大室古墳などの積石塚古墳などは見ていましたが…。こんど探検隊で行ってきまーす。

私の職場にも山城おたくが約1名いますので、情報も仕入れてきます。

それでは、また



<こたつ城主 [関東] 2003/02/06(Thu) 19:49>

>加茂鹿道さま

「たわごと」読んで下さって、ありがとうございます〜(^O^)!
こたつも信州考古学探検隊に今度行ってみますですっ☆ミ 宜しくお願いしますね!

そうそう。大室古墳。何だか沢山の群に分かれるそうで……。霞城はその一郭らしいのですが、それでもかなり広大な領域に石垣が発見されてるようです。私も今度行った時は、山に分け入ってみたいのです。お仲間の皆さんも、是非がんばって!(^O^)/
 
     

     
  箱根神社、節分豆まき、1


<東方賓従者さま [関東] 2003/02/04(Tue) 23:23>

こたつ城主さま

こんばんは、お久しぶりにしてましたー。
3日の朝(笑)に完成。久々に徹夜をしてしまいました。
それにしても、北条氏の前半の文化史を勉強してるといかに今川氏の京文化が高かったかが分るような気がしました。
今川氏についても色々本とか読みたいもんですが、扱ってるのは高価な論文集とか販売地域が限られた機関紙的な本ばかり(まあある意味迷う必要ないからいいんですけどね 笑)。
新人物往来社の「今川義元のすべて」は本屋でもう見かけなくなっちゃったし、学研の歴史群像シリーズみたいにお手軽に読めるの出してくれないかなーなんて・・。
さて、こたつさんちでは豆まきしましたか?
ウチでは私が鬼(早く出てって欲しいらしい 笑)。
昔は愛犬が落ちた豆を食べちゃってくれましたが、今はいないので遠慮がちな豆まきでした。
地元では箱根神社が湖上豆まき(鬼が水上スキーで神社下の大鳥居近くまでくるのを巫女や神主達が豆をまく)で、大雄山最乗寺では元祖(?)モンゴル力士の旭鷲山関が裃姿で豆まきをしていたようです(ここんところ毎年なんですが)。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/05(Wed) 20:33>

>東方賓従者さま

おお、徹夜なさいましたか。私も徹夜後の爆睡が祟って首を寝違えました(汗)。

「今川義元のすべて」は、本屋から消えましたか。「そのうち」ってのは、やっぱダメなんですね(汗)。
今川氏というのは相当なもんだったんだろうな、と私も思うのですが、信長に討たれたデブ公家程度にしか認識されないのは悲しいです(涙)。
ただ仰せのごとく、確かに難しい本と地方限定の本が多すぎます!(爆)
そして……わりと高かったり(汗)。

ウチ豆まきしなかったです(;_;)。。。
よく母が言ってました。「子供が喜ぶんだけど、部屋の掃除が大変だから」と。
「福は内」って呼び込んだのだから、福の神が拾って食べてくれないかしら。(←それでは「福の神」とは言えないでしょう)
そうか、犬に……。(亭主出番だ:爆)。

替わりに……ついに「恵方巻き」を買って食ってしまいました(爆)。

箱根神社でしたっけ(^^;)?! 水上スキーを鬼がやるのは!
テレビで見た覚えがありますが、どこのイベントか覚えてなかったのですが、凄まじい光景でした(笑)。



<東方賓従者さま [関東] 2003/02/05(Wed) 23:10>

こたつ城主様、こんばんは。

>「今川義元のすべて」は、本屋から消えましたか。「そのうち」っ
>てのは、やっぱダメなんですね(汗)。

最近は本の回転っていうのか、売れないと出版元に戻されちゃうスピードが速いような気もします。それに加えてその手のマイナー(?)な本はさりげなく入荷して、いつの間にか見当たらななってたというのも多いような気もします。
同シリーズで「管領上杉氏のすべて」も去年出て、いつか買いたいとは思ってるんですが、どうも価格が中途半端な気がして・・(笑)。そんなに高くもないんですが、いざとなると「ちょっと値が張るから次にしようか・・」と思っちゃうんですよね(笑)。こういうのって、どうせ少数発行(地方ものとか専門のに比べれば断然多いですが)で価格下げられないのだったら、CDブックとかで売れば安くなるし、買い手も気軽に買えると思うんですけどね・・。コピーされる心配とかの問題があるのでしょうかね。

>今川氏というのは相当なもんだったんだろうな、と私も思うの
>ですが、信長に討たれたデブ公家程度にしか認識されない
>のは悲しいです(涙)。

デ、デブ公家・・・(汗)。
たしかに末期の今川氏は氏真とか氏豊の話みたいな情けない話が多い気はしますけどね(氏豊のはあんまり根拠ないけど)。やはり、太原祟孚雪斎と義元の死がもう少し先であったならとは思います。ただ、氏真の代であれほど家臣団が武田や徳川に通じたというのは、当時の今川氏の支配はすでに配下の国人領主達にとって積極的に支持されるものでは無かったんでしょうね。あと、一族衆も裏切ってるところを見ると、結構おいしいエサで釣られたところもあるのかな。

>箱根神社でしたっけ(^^;)?! 水上スキーを鬼がやるのは!
他の神社でもやってるのをやっぱりニュースで見たことがあるけど、どこだったかな・・・。
でも鬼役の人はメッチャ寒そうでしたよ(笑)。
観客の中には「豆当ったら水に落ちるとかすれば面白いのに」なんて言ってる人が毎年いるもんですが、やっぱ危険でしょう(マジで「鬼籍」になっちゃいますよ)。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/06(Thu) 19:51>

>東方賓従者さま

本屋儲からないって聞きますからね(汗)。。。
本って実際価格は、読んだ後にしか判断できない物なんですよね。
レンタルブックがあればいいのになぁ〜。新刊料金は高くていいから。
1〜2週間では図書館と変わらないので、1ヶ月ぐらい借りられるようにするとか、図書館みたいに閲覧室もあって、レンタル料さえ払えば読んで置いて帰れるとか、コピーの心配は、全ページお店の印鑑を押しちゃうとか(^。^)。

>あと、一族衆も裏切ってるところを見ると、結構おいしいエサで
>釣られたところもあるのかな。

武田家も似たり寄ったりですが、大きくなりすぎると分裂しちゃうって事でしょうかねぇ。 ところで、今川氏豊って誰ですか(爆)。

>他の神社でもやってるのをやっぱりニュースで見たことがあるけど、
>どこだったかな・・・。

あ、じゃ、私が見たのは箱根神社と違うかな(^^;)(言う事がコロコロ変わる)。

>「豆当ったら水に落ちるとかすれば面白いのに」

観客とは酷いものなのです(笑)。



<東方賓従者さま [関東] 2003/02/07(Fri) 00:09>

今川氏豊さんとは、義元の弟です。
彼は尾張の那古野城の城主になっていた事から、庶流の尾張今川氏の養子になった人物と解釈されているようです。
有名な話というのは、『明良洪範』や『名古屋合戦記』にのっているエピソードの一つです。
その内容はというと・・・
〔尾張名古屋の今川左馬介氏豊は連歌が大好きで、同国勝庄城の織田備後守信秀とは連歌友達でした。度々歌を発句しては送りあって楽しんでいましたが、あるとき氏豊は「いつも、遠距離をやり取りするのでは面白くない。いっそ我が城内に屋敷を設けさせよう。そうすれば夜も気にせず連歌が楽しめる」とか言って屋敷をプレゼントしちゃいます。信秀は喜んで、さっそく移り住みます。しかし、そんな連歌会の滞在の会を重ねる間に信秀は密かに屋敷を改造しちゃってるのでした。いつのまにか矢挟間などを造って砦のように作りかえ、手勢を隠し、さらに軍勢を城の外に呼び寄せて、ある日不意打ちに城を乗っ取ってしまいました。氏豊は上方に逃れたとさ〕
ってな話なんですが、この顛末の起こった年を上の2書では天文元年(1532)としていて、このころ氏豊はまだ12歳とされているので、内容には疑問が多いのだとか。
ただ、時期は違うとしても信秀による那古野城奪取はあったと推定されているようです。
この氏豊は飛鳥井雅綱の蹴鞠の弟子となっていた今川竹王丸と同一人物とする説が強いようなんですが、こういうところからも公卿趣味武士=バカ殿なイメージが作られちゃうんでしょうかねー。
しかし、マンガなんかだと欧州の高貴な騎士はいかにも凛々しく描かれてるのに、日本の公卿っぽい武士はなぜにこうも「のほほん」な描き方が多いんでしょうねー。源平の平氏も時たまそんな風だし・・・。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/07(Fri) 22:11>

>東方賓従者さま

今川氏豊。
いや〜〜〜〜〜、全然知らなかったです(^^;)。実在なんですよね? パラパラ……おおっ、出て来ますね!(爆)
うわーーー、まるで記憶に無かったです。義元って言うと、花倉の乱で何だか沢山いるお兄さん達を押しのけて出て来た後は、いつの間にか「いわゆる義元(何だそれは)」になってる印象があって、弟なんてのは気にしてなかったかなぁ?(笑)

>あるとき氏豊は「いつも、遠距離をやり取りするのでは面白くない。
>いっそ我が城内に屋敷を設けさせよう。そうすれば夜も気にせず
>連歌が楽しめる」とか言って屋敷をプレゼントしちゃいます。

すごいエピソードですね(^^;)。もしかして12歳ってのも満更ウソじゃなかったり(爆)。
その後の成り行きを聞く限り、プレゼントしちゃった屋敷に、今川方の兵(でなくても、せめて使用人)など全然入れてなかった感じに思えるのですが(汗)。

>こういうところからも公卿趣味武士=バカ殿なイメージが作られ
>ちゃうんでしょうかねー。

いや〜もぉ、それもどっちが先がわかりませんけどね(笑)。
私は前に北条早雲の小説(だったと思う)を読んで、何となく「のびやかな」空気が伝わって来たんですよ。それで、今川治世の城下町って良かっただろうな〜、と夢想した事がありました。
闘鶏が盛んだったとか書いてありましたね。多少は史実に沿ってる描写かもしれません。
 
     



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