<掲示板・議事録>

古代文字と呪術、3

     
  <ピンクのトカゲさま [東海] 2003/01/23(Thu) 08:47>

のりちゃん

四股は、陰陽道の反閇(ヘンバイ)と関係があるといわれています。
横綱土俵入りなども、邪気を払う意味から行なわれています。
横綱土俵入りについては、江戸中期から後期が起源です。
なお、相撲の運足を見ますと、摺り足、右手と右足、左手と左足が同時に出るなど、湿泥地での足運びを基本としているように思います。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/01/23(Thu) 11:51>

トカゲ様
そういえば、トカゲさんが書いた、「羊」という字も、「羊」
に見えました。
力というか、パワーがこもってるからなのかも。

四股が陰陽道に関係あるんなら、トンバ文字使う人々も、陰
陽道に通じてたのかも知れないですね。



<北畠具顕さま [東海] 2003/01/23(Thu) 23:53>

四股と陰陽道。
歌舞伎の所作も陰陽道とかかわりがあると聞きました。



<こたつ城主 [関東] 2003/01/23(Thu) 23:53>

>ピンクのトカゲさま

>なお、相撲の運足を見ますと、摺り足、右手と右足、左手と左足
>が同時に出るなど、湿泥地での足運びを基本としているように思います。

ふ〜ん(゚.゚)。他の土壌だと使えないのかな? 日本人も最近までは、右手と右足が同時に出てたって聞いた事がありました。



<こたつ城主 [関東] 2003/01/23(Thu) 23:55>

>北畠具顕さま

殷と夏では、民族的に物凄い差異があるって事でしょうかね(゚.゚)。

>いくらなんでも甲骨文字とそんなに違うかぁ?とは思うのですけどねぇ。

こたつもそう思いました。相関性が全く無いとしたら、その間に何があったかぁぁ〜っ?! ですよね(笑)。


>のりちゃん様

四股は、太極拳の動きにも似たようなポーズがあります。
http://www.japanlink.co.jp/ka/jspo1.htmによると
(イーストウェスト:http://www.japanlink.co.jpより)
下半身を鍛える基本動作である反面、日本には古来、大地を踏んで地の邪気を払い、正気を招き寄せる信仰神事があった事に由来している、との事ですね。

>日本の神様も別名がたくさんあるのは、本名を隠す意味があ
>るんじゃないか、と私なんぞは密かに思ってます。

かもしれませんね。あと女性の名前が文献に記されないのも、よく女性蔑視とされますが、ちょっと関連があった感じがします。

>うまい人が書くと、「華」って字も、本当に、「華」に見え
>るんだなぁ・・・。

おお(^^)。これはそうですね☆ミ
書体というのは、日本にはほんの僅かしか伝わらなかった(伝わったけど残らなかったか)ように思うのですが、中国にはいろんなスタイルの書き方があっただな、と思った事がありました。

>そういえば、トカゲさんが書いた、「羊」という字も、

あーーーー、そうでした!(#^.^#) こっち向いて、ちょっと……怒ってるような顔に見えた(汗)。

>四股が陰陽道に関係あるんなら、トンバ文字使う人々も、陰
>陽道に通じてたのかも知れないですね。

地下に邪霊がおる、というのは、わりとすぐ発想しやすいようにも思えますけどね(^_^;)。
 
     

     
  <ピンクのトカゲさま [東海] 2003/01/24(Fri) 09:07>

>こたつさま

>ふ〜ん(゚.゚)。他の土壌だと使えないのかな? 日本人も最近
>までは、右手と右足が同時に出てたって聞いた事がありました。

深田などの泥の中で遊んだ経験ありますか?これ経験していると、わかるんですが、泥の中だと、右手と右足同時に出さないと前に進めないんです。


のりちゃん

>そういえば、トカゲさんが書いた、「羊」という字も、「羊」
>に見えました。

よかった。羊に見えなかったらどうしようと思ってたんです。

>四股が陰陽道に関係あるんなら、トンバ文字使う人々も、陰陽
>道に通じてたのかも知れないですね。

陰陽道というより、本場所の前に土俵を造るときに行なう「土俵祭り」などみてますと、修験道と相撲がかかわりがあるように思います。
また、書紀の野見宿祢と當麻蹴速の相撲の起源の記載が狭穂彦の乱のあとに記載されていること、この場面でも足踏みが決戦の前に重要な儀式として行なわれていることから四股には、鎮魂の意味もあるのではないかと思います。
また、トンパ(東巴)文字というと、雲南のナシ族の文字でしたね。昨日自分とこの掲示板で「稲作と鳥信仰」を書きましたが、これなども関連するかと思います。
昨年末から弊掲示板で話題になっている播磨に伝わる「鯰押さえ神事」という神事相撲の話の一連です。



<のりちゃんさま [近畿] 2003/01/24(Fri) 09:09>

地面の邪霊を踏みつけてる・・・。
なるほど。
お相撲さんの体重が重いのは、邪霊を少しでも苦しめるため
なのだな(←大間違いの巻)
地下の邪霊を踏んで追い出すっていうのも、こたつさんがお
っしゃる通り、ありがちかもしんないけど、水の中に・・・
ってのも結構世界共通でありそうですね。
特に海に棲む魔物なんていうのは、現代の私たちでも、「本
当にいてるかも」と思っちゃう。海坊主とかね。

中国の書体って、そんなにたくさんあるんですか?
昔、「世界まるごとハウマッチ(古い・・・)」で、中国の
硯の値段が問題に出た時、ビデオにでてきた中国の小学生が
全員、すんごい達筆で、「やらせじゃね〜のぉ?」とか、
「小学校でロケってことになってるけど、小学校じゃなくて、
書道教室じゃないの?」と勘ぐったものですが。
たくさん書体があるんなら、他の書体でも達筆なのかしらん。



<久住さま [関東] 2003/01/24(Fri) 18:22>

>甲骨文字
基本的に、神様(御先祖様)にお伺いを立てる
占いに使うだけの文字なので、
・占う関係者(神官と王様)しか読めない
・民族が違うと神様が違うので、互換性は無い
ということではないかと。

殷の文字が後世の漢字につながっているってことは、
周が蛮族で神聖文字を持ってなかったから、
殷の文字を借りたのかも。

えー、調べもせずに発言してますので、責任持てないッス(ごめん)



<こたつ城主 [関東] 2003/01/25(Sat) 01:44>

>ピンクのトカゲさま

>泥の中だと、右手と右足同時に出さないと前に進めないんです。

目からウロコ(・・;)!
沼にハマッた事はさすがに無いけど、ヌメヌメした土の上なら何度も歩きましたから。リアルに湿地の歩行困難を思い出します。

>書紀の野見宿祢と當麻蹴速の相撲の起源

出雲に行くと、力餅ってのが売ってるんですよね。古代の相撲の絵が描いてあって、牛皮なんですけど、美味しいのです(#^.^#)。

>播磨に伝わる「鯰押さえ神事」

地震と関係あるかしら(゚.゚)。



<こたつ城主 [関東] 2003/01/25(Sat) 01:45>

>のりちゃん様

>お相撲さんの体重が重いのは、邪霊を少しでも苦しめるため
>なのだな(←大間違いの巻)

わははは! でも満更違ってなかったり?(笑)
鯰の上に大きな石を乗せた絵なんか見た事ありますし(^^;)。
水の中というのも、やはり鯰を思い出すのですが、海上で見るオバケというのも、昔は冗談じゃなく多く伝えられたのでしょうね。これも水面を揺れる船に乗ってる恐怖感からじゃないかな? 波が生き物みたいですもの。

>中国の書体って、そんなにたくさんあるんですか?

ん〜(^_^;)、たまたま前に見た書に関する番組でやってたんですけど、何だっけなぁ。故宮博物館だったか……時代別で紹介する形式で、見ていて、日本にはわりと決まりきった字態だけが伝わったのかなぁ、とそんな感じがしました。
それとは別番組でですが、アグネスチャンが、中国人は書がダメだと恋愛も成功しないってぐらい書を重んじる、という話をしてた覚えがあります。恋文の事でしょうね。


>久住さま

あ〜、神事は秘事ですものね(^^)。
誰でも出来る占いじゃ、ありがたくありませんものね。民族性の違いもあるでしょうが、元々簡単に解読できない物なのかもしれませんね。

>殷の文字が後世の漢字につながっているってことは、
>周が蛮族で神聖文字を持ってなかったから、
>殷の文字を借りたのかも。

なるほど。易が周の頃に編み出されたと聞きました。それまで占いは、一般的なものではなかったのかもしれませんよね。
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2003/01/25(Sat) 08:37>

波の恐怖ってわかります。
船に乗ってると、底から、盛り上がってきて、そのまま、ぽ
いっと放り投げられるような感覚になることありますもんね。
なんか生き物に船を掴まれてるような気分になります。
あと、やっぱ、海を覗き込んだ時、「この深い底に、なんも
ないはずがない」という気分になりますから、それもあるで
しょうねぇ。

故宮博物館や中国の博物館に行けば、中国のいろんな書体が
見られるのかも知れませんね。
すっごい興味持ってきました(#^.^#)みたい!

>トカゲ様
>相撲の起源の記載が狭穂彦の乱のあと
そうでしたっけ?気づかなかった。
サホヒコの祟りを恐れる気持ちがあったのかもしれませんね。



<こたつ城主 [関東] 2003/01/26(Sun) 06:41>

>のりちゃん様

台風の時にフェリーに乗ってた事があったんだけど、前もってお酒飲んで(子供だったんだけど(^_^;))寝ちゃったんでよく覚えてないです。
一度だけ、台風って程じゃないけど、荒れてる海上を大きめの船で出た事があり、ああなると緊張して、酔うとかいう以前ですね。
船の下から盛り上がって来るのが足の裏に実感しました。あれはもう水……という感じじゃなくて、引っ繰り返った時、船のどっかに体をぶつけそうなのが怖かった。

>故宮博物館

ただ日本の博物館の方が売ってる本とか良いのかなぁ、とは思ったり。行った事ないから知らないけど。

>サホヒコの祟りを恐れる気持ちがあったのかもしれませんね。

祟りかぁ(笑)。



<ピンクのトカゲさま [東海] 2003/01/26(Sun) 15:44>

>こたつさま

>沼にハマッた事はさすがに無いけど、ヌメヌメした土の上なら
>何度も歩きましたから。リアルに湿地の歩行困難を思い出します。

こたつさん、こたつむりだからヌメヌメしたとこ得意でしょ?

>地震と関係あるかしら(゚.゚)。
「鯰押さえ神事」と地震というと直接には繋がらないでしょうけど、鹿嶋の要石とかの「謎も鯰押さえ神事」から解けると思います。


>のりちゃん

>そうでしたっけ?気づかなかった。

狭穂彦の乱が垂仁五年一〇月一日で、角力の起源の話は、狭穂彦の乱の直ぐあとに書かれていて、垂仁七年七月七日です。

>サホヒコの祟りを恐れる気持ちがあったのかもしれませんね。

俺は、出雲神宝献上事件等、記紀の崇神―垂仁の一連の出雲の記事は、丹波のことだと見てて、狭穂彦=丹波道主王と思ってるんです。
で、日葉須姫は、丹波道主=狭穂彦が破れたことから一種の人質として出されたと見ています。
そして、野見宿祢は、出雲臣を出自にもつとされているんですが、当然これも、文字通りの島根西部の出雲国を指すのではなく、丹波、但馬を含めた山陰地方のことだと思っています。
そして、日葉須姫が亡くなったとき野見宿祢が殉死の代わりに埴輪を作ることを提案するわけですが、野見宿根は、日葉須姫とともに殉死しなければならない関係にあったと思います。
そのように考えますと、狭穂彦の鎮魂のために相撲が行なわれたのではないかと思うのです。



<こたつ城主 [関東] 2003/01/27(Mon) 17:40>

>ピンクのトカゲさま

>こたつさん、こたつむりだからヌメヌメしたとこ得意でしょ?

鯰も、ちょっとこたつの仲間だと思ってます(^^)。鹿嶋の要石の話は聞いた事ありますね。「地震=鯰」と思ってたけど、そもそも「鯰=石」の方が先なのかな〜。

相撲が生まれた(?)のは、サホヒコの乱(って何だっけ:汗)の直後って事でしょうか? それってハニワ誕生物語なんですか? 日葉須姫……何だっけなぁ、時間が経つとすぐ忘れちゃう(汗)。



<ピンクのトカゲさま [東海] 2003/01/27(Mon) 18:58>

>こたつさま

>相撲が生まれた(?)のは、サホヒコの乱(って何だっけ:汗)の
>直後って事でしょうか?
>それってハニワ誕生物語なんですか? 日葉須姫……何だっけ
>なぁ、時間が経つとすぐ忘れちゃう(汗)。

一般に、初代の天皇とされる神武の業績を反映させたのが10代の崇神だといわれています。逆にいえば、崇神の業績を神話的に投影したのが神武ということになります。
この崇神の後期に出雲神宝献上事件というのがあるのですが、この事件を追ってきますと(書紀には、年月日が記載されている)、次の垂仁の狭穂彦の乱に繋がるんです。
狭穂彦の妹が狭穂姫で、狭穂姫は、垂仁の后になるのですが、この后になった年というのが、逆算すると出雲神宝献上事件があった年なのです。
で、記紀では、狭穂姫が兄の狭穂彦に垂仁を殺すように言われたが発覚して、兄とともに稲城に入り、火をかけて殺されるんです。
この狭穂姫が殺されるときに、私のあとは丹波に五人の姫がいるから、その姫を后にと言い残すのです。この丹波五姫の一番姉が日葉須姫です。
出雲神宝献上事件と狭穂彦の乱を一連の事件と考え、さらに、崇神の一代前の開化の系譜を崩していくと、狭穂彦と日葉須姫の父・丹波道主王は、同一人物と考えられるのです。
つまり、記紀の崇神―垂仁の出雲の記載は、実は、丹波の事件だったと考えられるのです。 そして、日葉須姫はじめ丹波の姫は人質と考えられるわけです。なお、日葉須姫は、上記を考慮すれば、狭穂姫の姪ということになります。
相撲の起源の話は、狭穂姫没後二年のこととされ、野見宿祢と當麻蹴速により行なわれ、野見宿根が勝利するのですが、この野見宿祢は、「出雲臣」に出自をもつとされています。つまり、これもまた、出雲神宝献上事件に始まる一連の事件なんです。
そして、日葉須姫がなくなったときに、野見宿祢は、殉死を止め、埴輪を作ることを進言します。
これが、埴輪の始まりだとされています。
出雲神宝献上事件―狭穂彦の乱を一連の事件だと考えますと、出雲臣に出自を持つ野見宿祢は、日葉須姫と近い関係にあり、殉死の対象となっていたとも考えられます。それで、埴輪を作ることを進言したと...



<のりちゃんさま [近畿] 2003/01/27(Mon) 21:02>

>トカゲ様
>垂仁七年七月七日
そうでしたっけ?
7が3つ続いてるのにも、なんか意味がありそうですね。
陽数が3つ。

そうやって細かいところも見ていくと、面白い発見があるもんですねぇ。



<ピンクのトカゲさま [東海] 2003/01/28(Tue) 20:06>

>のりちゃん

>7が3つ続いてるのにも、なんか意味がありそうですね。

宮中の儀礼は、中国を模範にといわれていますが、民俗的をみますと、節句などもまったく逆の意味で元々日本にあったものもあります。
相撲節がこの故事に習って聖武時代に七月七日に定められるのですが、七夕も民俗的に見ると鎮魂の意味があるようです。

>そうやって細かいところも見ていくと、面白い発見があるもんですねぇ。

記紀には、ウソはかかれていないと思います。ただ、事実が書かれていたとしてもその書かれている事実だけをつなげていけば真実が解るかといえば、そうともいえません。
これは、昨年の鈴木宗男事件のムネオ発言から真実が浮かんでこないのを思い浮かべれば解るかと思います。
記紀から真実を炙り出すには、如何に行間を読むかです。その場合に、参考になるのが、年月日を逆算することです。それにより年月日が書かれていない事件の年月日等が明らかになり、真実が浮かび上がってきます。
 
     



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