<掲示板・議事録>


     
  神田明神とその行き掛けに


<こたつ城主 [関東] 2002/11/05(Tue) 16:08>

題名:何か、久し振りな感じ(゚.゚)

三連休でしたね〜。少し連休ボケしたかなぁ。今日はわりと元気ですが、明日あたり疲れが出たりして(汗)。

所用もあって又ぞろ神田明神に寄ったのですが、七五三だったのですね〜。境内に白馬の引く馬車の等身大レプリカがあって、着物を着たお子さん達が乗り、写真撮影なんかしてる光景が見られました(笑)。
他に機械仕掛けの獅子舞の獅子が取ってくる"おみくじ"ってのがあって、200円入れると獅子がさんざん舞い、口でカッとみくじを取って、頭をフルフルとさせながら渡してくれるんです。近くの秋葉原で作られたのでしょうか(笑)。

言問橋では人力車が人を乗せてました。何か全体的にタイムスリップした東京都の光景でありました。
 
     

     
  楠木氏と北畠氏の城跡


<秋山如雪さま [北海道] 2002/11/06(Wed) 22:41>

こんばんは。
さぼりがちなサイトの更新を行いました。
来年の大河ドラマに向けて宮本武蔵を勉強している私ですが、今回、図書館で偶然に見つけた楠木正成の子孫の話がおもしろかったので、それを参考にして戦国異色人物伝を更新してみました。
ただ、これはもともとの史料を見てはいないので、本当かどうかはわかりませんが。 お暇でしたら見にいらしてください。
これから異色人物伝の方では女性や医者などの変り種を取り上げていこうと思っています。 ただ、史料がないので、なかなか難しいです。

あと、来年の大河の原作は多分また吉川英治の「宮本武蔵」でしょうね。
榎木孝明が武蔵と戦う吉岡清十郎をやると聞きました。あと、小次郎が松岡昌宏だとか。
では。



<こたつ城主 [関東] 2002/11/07(Thu) 18:05>

>秋山如雪さま

楠木正成の子孫のお話、拝見しました〜☆ミ 面白かったですー(#^.^#)。
北畠氏の傘下にいた楠木氏は、あるじの北畠具教が降伏したのに、一人で篭城して信長と戦ったのですね〜! わ〜スゴイ(^_^;)。ではここで正成流の戦法は途絶えてしまったのでしょうか。
信長や秀吉の祐筆にも楠木氏が居たのですね。かなり出自は怪しそうに書かれてますが(笑)、でも確かに太平記自体は、この頃少し脚光を浴びたように聞いた事があります。家康が新田氏の出だからかな、と思ってたのですが、室町後期って言うともっと前ですね。

来年の大河は吉川英冶の『宮本武蔵』なんですね〜。う〜ん。
榎木孝明は『真田太平記』で鬱陶しい役をやってて(笑)、あまり好きじゃなかったんですが、『太平記』や『毛利元就』ではなかなか好演してましたし……小次郎が松岡昌宏? わお(笑)。



<北畠具顕さま [東海] 2002/11/09(Sat) 17:06>

今日は妹がデートです。
しかしなぜか行ったのは北畠氏最後の地霧山城・・・。
あんまり遊びに行って面白いところではないのですがねぇ。
山やし。
なぞですわ。



<こたつ城主 [関東] 2002/11/11(Mon) 17:39>

>北畠具顕さま

デートで北畠氏終焉の地に(・・;)?
付き合ってくれる彼氏サンで宜しかったですね(笑)。
でも山って自然散策も出来て、特に秋は紅葉がキレイだったりしますよね〜。

で、あの……スイマセン。『地霧山城』って、何て読みます(^^;)? チムザン?



<北畠具顕さま [東海] 2002/11/12(Tue) 16:40>

>『地霧山城』

ごめんなさい、最後の地、霧山城です(笑)
点が足りなかった。



<こたつ城主 [関東] 2002/11/12(Tue) 18:12>

>北畠具顕さま

>最後の地、霧山城です(笑)

いや〜ん! 読み違いだったのねー(^^;)。
でも霧山城ってのも知らないけど。大河内城の近く?
 
     

     
  神紋・家紋「剣神社」


<のりちゃんさま [近畿] 2002/11/21(Thu) 17:15>

家紋といえば、神社にも「神紋」てのがあるということを最
近知りました(←あかんやんか)。
家紋とかなりかぶるようです。
そういう側面からも、武将と神社の関係って見えるかもしれ
ないですね。



<こたつ城主 [関東] 2002/11/21(Thu) 20:12>

>のりちゃん様

菊のご紋は、古くは朝鮮から、その前を辿るとメソポタミアまで遡れるそうですが、正確には後鳥羽天皇の頃だそうです。日本で紋を使い始めたのは平安貴族で、最初は30種類ぐらいだったのが、武具に使用しはじめてからドッと増えたとか(^_^;)。
神社の「神紋」というのも、何だか古そうですねぇ。どんなのがあるのかしら。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/11/22(Fri) 17:04>

神紋で有名なのは、祇園神社関係の「五つ木瓜」でしょうか。
確か織田信長も同じじゃなかったでしたっけ?
どうも信長公と、祇園関係のご祭神:牛頭天皇は、ご縁が深
いみたいです。

あと圧倒的によく見かけるのは、「巴」のマークですねぇ。



<こたつ城主 [関東] 2002/11/22(Fri) 20:14>

>のりちゃん様

信長も「五木瓜」ですねぇ(^^)。確か元は神官の家柄だったと聞きますよ。
でも祇園神社というのと関係があるとまでは知りませんでした。それで牛頭天皇だったのか〜。
巴紋は、蛇(竜・雷)信仰と関係があるようで、バビロンの竜神信仰やインドの蛇族は巴紋なんだとか。八幡信仰もダブるようです。
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2002/11/23(Sat) 17:36>

織田信長公と縁の深いのは、確か「剣神社」という神社だっ
たと思います。
この神社も牛頭天王(素戔鳴尊)を祀る神社で、神紋は、五
木瓜。
この神社の紋をそのまんま家紋にしたのかしらん?
としたら、やっぱ信長公=無神論者ってのはあたらないよう
に思いますよね。



<こたつ城主 [関東] 2002/11/23(Sat) 20:34>

>のりちゃん様

>織田信長公と縁の深いのは、確か「剣神社」

そこ、多分行った事あったと思います(^^;)。なぜこのように記憶が曖昧かと言いますと、信長関連の団体ツアーに連れて行かれたからです。バスの中で全然違う話ばっかりしてて、ちゃんとお話を聞いてませんでした(汗)。
でも確かにスサノオがご祭神だった覚えがあります。その頃の私と言えば、「んまあ、信長にご祭神?」と、やはり首を傾げたりしたワケですが(笑)。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/11/25(Mon) 16:56>

剣神社、参拝されたんですね。
ここ、織田信長関連で有名なようですが、調べてみたら、古
さでもかなりのもんみたいです。
この神社の神職の家柄ってことは、織田家も神職として、か
なりの能力(?)があったのかも、とか想像しちゃいました。

「超能力者・信長」とかね。
「霊能力者・信長」とか(爆)



<こたつ城主 [関東] 2002/11/26(Tue) 22:02>

>のりちゃんさま

>剣神社、参拝されたんですね。

スイマセン(^_^;)、手力雄神社の間違いでした。そこだったか、そのツアー内で剣神社の話を聞いたんだと思います。混同しちゃって。
剣神社って福井県ですよね。行った事はありません。
 
     

     
  三河と尾張、1


<ピンクのトカゲさま [東海] 2002/11/22(Fri) 13:10>

>こたつさま

東三河は、基本的に三河弁なんだけど、静岡や山梨も三河弁と近いです。
名古屋弁は、ヒアリングはできるんだけど
喋るまでは
そうですね。このあたりも冠婚葬祭には、お金かけます。

昨日一昨日と取引金融機関(信用金庫)の旅行で東京にいっていました。自由時間が長いというのもそれだけ歩かなければならず、なれぬ革靴とあいまって、ふくらはぎに筋肉痛が



<こたつ城主 [関東] 2002/11/22(Fri) 20:13>

>ピンクのトカゲさま

三河弁と名古屋弁ってどの辺が違います(^^;)? 他地域の人間にはもういっこ違いがわからないけど。

東京にいらしてたんですね〜(゚.゚)。革靴とか合わないと、歩き方が変になって筋肉痛とか起きますよね。舗装道路ってのは健康に良くないです!



<ピンクのトカゲさま [東海] 2002/11/25(Mon) 12:32>

>こたつさま

>三河弁と名古屋弁ってどの辺が違います(^^;)? 他地域の
>人間にはもういっこ違いがわからないけど。

三河も尾張も今は同じ愛知県なんですが、名古屋は愛知の西の端だし、一方、三河でも東三河は東の端、名古屋弁と三河弁は、イントネーションから全然違います。
尾張以東の三河、遠州、駿河は、家康というのとも関わってくるんじゃないかと思います。
郷土資料とかは、仕方ないから名古屋の愛知県図書館行きますが、産業資料は、浜松の中央図書館分室の産業情報室利用しています。他県でも浜松のほうが言葉も雰囲気も近いです。

>東京にいらしてたんですね〜(゚.゚)。革靴とか合わないと、歩き
>方が変になって筋肉痛とか起きますよね。舗装道路ってのは
>健康に良くないです!

昔は、ちゃんと足にあってたんですよね。物持ちいいから20年ぐらい前に買ったやつなんです。
履いてないときは、木型入れてあるんですけど
俺の足の形じゃなくて、木型の形になっちゃったかもしれません。



<こたつ城主 [関東] 2002/11/26(Tue) 22:02>

>ピンクのトカゲさま

愛知県は昔は三河と尾張でしたものね。県になって統合されても、元は国が違った所は多いですね。
<県(今)国(昔)対照表> :http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu/hyo/nenpyo/kuni-ken.htm



<ピンクのトカゲさま [東海] 2002/11/27(Wed) 11:57>

>こたつさま

>愛知県は昔は三河と尾張でしたものね。県になって統合されて
>も、元は国が違った所は多いですね。

首都移転の話が出たときなんかも、東三河と遠州と合併して特別区なんていう話もありました。当然、愛知静岡の両県が反対したんですが、浜松は、静岡で人口一番多いのに県庁所在地は、東よりの静岡だし、浜松も豊橋も県庁所在地から遠く離れてる。中部国際空港だって、東三河にゃ関係ないし、愛知万博だって関係ない。
その三河も大化改新前は、矢作川流域の岡崎を中心とした西三河が三河国で、豊川流域の豊橋を中心とした東三河は、穂国と分かれていました。
旧穂国=東三河の山間部に菅沼、奥平の山家三方衆がいました。信玄が南下して遠州や東三河の野田城、長篠城に来たように、東三河と遠州、南信州は、昔から交流が盛んで一つの文化圏をなしていました。豊橋が始発の飯田線も信州の辰野が終点ですし、名古屋より、浜松や伊那の方が、身近な感じがします。



<こたつ城主 [関東] 2002/11/27(Wed) 19:47>

>ピンクのトカゲさま

ああ、静岡と愛知の県庁所在地は互いに離れてますよねぇ。……なるほど。
三河という地名も、元は西寄りから出て来たのですねぇ。東の穂国は、いわゆる山家三方衆のいた地域がそうなのですね。

私が奥平氏を知ったのは、信玄没後の武田家を舞台にした漫画が最初で(また漫画(^_^;))、漫画では、イキナリ武田家に出されてる人質ってのが出て来て、これと武田家の姫が恋に落ちるんですねぇ(笑)。
信玄の南下政策を知ったのはそれより後で、ああ、諏訪をおさえたあの延長線上にあるんだなぁ、と思ったものです。長く交流のあったルートではあったのですね。
 
     



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