<掲示板・議事録>


     
  松山湯築城跡


<前田敏郎さま [関東] 2002/10/19(Sat) 01:31>

先週、旅行で四国に行ってきました。とても楽しい旅でしたが、とりわけ松山市の湯築城跡が気に入りました。道後温泉に程近いところで公園になっています。一部が発掘されて出土品が資料館(入場無料)で展示されています。資料館の中ではボランティアの方が説明してくれます。この説明が楽しかった。湯築城は14世紀から16世紀にかけて河野氏の拠点となっていたそうですが、周辺の武士をまとめるのに酒宴を催して接待したりして随分気を配ったようです。こんなことの出土品から推測できるようです。江戸時代以前の武士は実力本位で生き残りのために、あるいは自分を高く評価してくれる武将になびいてしまうのですね。また、お城の近くに有名な神社やお寺などがあると宗教との関わりを強調して求心力を高めたりすることもあったようです。城というのは軍事上・行政上の拠点に止まらない役割があったんですね。そうした意味で固定的な江戸時代に対して、それ以前の社会は流動的で「リアル」な社会だったのだなと思いました。中世って面白いじゃん!って思ってしまいました。
発掘した箇所には屋敷の遺構が発掘され、屋敷が復元されています。屋敷の中では武士の格好をしたマネキンのみなさんが連歌の会を催していました。当時の武士も馬鹿では務まらなかったようです。周辺を囲む土塁も再現され、その断面も見ることができます。
当初は駐車場を作る予定だったそうですが、このような遺構が発見され保存されることになったそうです。松山の人々の判断に敬服しました。それがなければ私は道後のお湯に浸かっただけで「ああ、よかった」と松山を後にしていたことでしょう。当然、中世に興味をそそられることもなかったに違いありません。湯築城跡、おすすめです!



<こたつ城主 [関東] 2002/10/19(Sat) 19:05>

>前田敏郎さま

おお(゚.゚)? 四国とはまた遠い所に……。
松山道後温泉ですか〜。前地震で壊れちゃったかに聞きましたが、見事に復興したのでしょうか。

湯築城で検索してみたら、出て来ました。
湯築城:http://www.shikoku.ne.jp/yuduki/
(「道後湯築城跡を守る県民の会」:http://www.shikoku.ne.jp/yuduki/menu.htmlより)
仰せのごとく、史跡への愛情を匂わせる土地に思えます(^^)。

しかし面白いのは、河野氏が酒宴接待上手ってトコです〜(笑)。
上記のHPを見ても、(この情景がいつごろからの物かは確認してませんが)何ともステキな庭園風景(^^)。こんな所で一杯やりながら、「ウチも攻め込みませんから、オタクも攻め込まないでね」なんて生臭い話をしたんでしょうかね(笑)。

>屋敷の中では武士の格好をしたマネキンのみなさんが連歌の会を

わははは! イイ、イイ! こういう所、大好きです!
そうですねぇ。当時の武士は一人一人教養が無くては、ある意味やってけなかったかもしれませんね(^_^;)。



<丹波惟任さま [近畿] 2002/10/19(Sat) 22:53>

湯築城・・・
わたしも夏に行きましたが、そのときまで湯築城がどこにあるかもわかってなくて、道後温泉のそばにあると知って
「ああ、それで湯築って言うんだ」
と納得したモノでした。ちゃんちゃん。(^^;)



<前田敏郎さま [関東] 2002/10/21(Mon) 00:29>

道後温泉本館。私が行った時には特に不自由は感じませんでした。浴室には「坊ちゃん 泳ぐべからず」と札が貼ってありました。昔、「坊ちゃん」だった人たちが浴槽に浮いて遊んでいました。その日は丸一日歩きまわっていたので、疲れを取るのにもってこいでした。「滲みるなぁ・・・(演歌の○道風に)」
職員の方、本当に親切です。私が落としたタオルを拾って脱衣場まで持ってきてくれました(脱ぐ前でよかった・・・)。
温泉は23時までですが、電車は22時過ぎに終わってしまいます。お出かけの方はあんまりいいお湯でも、くれぐれも終電にはお気をつけください。私は乗り遅れました。

湯築城関連のサイト、ご紹介有難うございました。城の保存は有志のまとまりもさることながら、外部への働きかけがとても重要だと思います。そのために行動を起こすことは決して楽ではありません。それを支えるのはお城を愛する心。それがよく伝わってきました。

>何ともステキな庭園風景(^^)。こんな所で一杯やりながら、「ウチ
>も攻め込みませんから、オタクも攻め込まないでね」なんて生臭
>い話をしたんでしょうかね(笑)。

そうかもしれませんね。その積み重ねでおよそ250年間、伊予国に勢力を伸ばすことができたのでしょう。よほど、気を使ったでしょうね。
河野氏没落の原因は村上水軍の離反などの内部分裂にある、と湯築城資料館のボランティアの方がおっしゃてました。あまり大きくなすぎると結束を維持すること自体に苦労するものですね。内部分裂、どこか身近なところで聞いたことがあるような・・・。そう、三浦一族の没落もそれが原因だった。それが頭に浮かんで説明もすんなり理解できたものです。
そうなると内部分裂の原因を聞いてくればよかったと思ってしまいます。まさか、接待で出された酒がまずかった・・・なんてことはなかったと思いますが。
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2002/10/21(Mon) 16:11>

>丹波惟任さま

前に丹波さんに表彰状を貰いましたねぇ(^^)。←同窓会気分♪

そうそう。丹波さんもこの夏、四国に行かれたのですよね(^^)。
でも最初に「湯築」と聞いた時には、迂闊にも道後温泉との繋がりは読めませんでしたわ。そうなんだ〜(゚.゚)。古い温泉だぁ。

南を向いてる神社は北を、東を向いてる神社は東を神聖視してるのか〜。神聖視してる側が、必ずしも前と限らないってトコがややこしい(^_^;)。
前に読んだ本に、日本に入って来た道教は、中国みたいに自然科学全般に用いられず、もっぱら呪術方面で活躍したと書いてあったのですが、元々東だったり北だったり、「こっちがイイ」って違いがあったのを意味付けしただけなのかなぁ(^^;)。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/21(Mon) 16:14>

>前田敏郎さま

そうか。昔「坊ちゃん」だった人達が温泉で泳いだので、今は禁止になったのですね(笑)。

>「滲みるなぁ・・・(演歌の○道風に)」

あーーー何かわかる(≧▽≦)! その滲み具合、伝わって来ます!(嬉)

ところで、終電に乗り遅れて、その後は大丈夫だったんですか(^^;)?
温泉が23時というのは、温泉の近くに住んでる人も多いのかしら(まあ旅館とかも多いのでしょうね?)。

湯築城のサイトは、私も「良さそう(#^.^#)」と思いました。去年行った信州の高梨氏の館跡にも石庭跡が残ってて、今は公園になってて夜にはライトアップされるんです。良い雰囲気で残されてるのが伝わると、地元でなくても宣伝したくなりますよ。
やはり高梨氏も一時期までは隆盛してたので、お庭に諸豪族を呼んで接待したのかも?(笑)

>河野氏没落の原因は村上水軍の離反などの内部分裂にある、

あ〜、なるほど。大きくなりすぎる原因に土地(環境)事情もあるんでしょうねぇ。海はどこまでも続いてるからなぁ。三浦一族もそうでしたか。
水軍と言えば千葉県にも里見水軍があったようですが(住んでる割に知りませんが(^^;))、あれは逆に縮小していったのかなぁ。最後まで結束が固かった気が……。

>まさか、接待で出された酒がまずかった・・・なんてことはなかったと思いますが。

わははは! 接待もラクじゃありませんねぇ(笑)。



<畠山義綱さま [関東] 2002/10/22(Tue) 23:31>

どうも、畠山義綱です。水軍のお話があったので、
ついついでてきてしまいました。

>あ〜、なるほど。大きくなりすぎる原因に土地(環境)
>事情もあるんでしょうねぇ。
>海はどこまでも続いてるからなぁ。

林殿の「リアル戦国時代」でもありましたが、中世の海運は
まさに現代のハイウェイ。物流のほとんどを担っているから
それこそ巨大な利権が絡むんですよね。まさに現代の高速
道路といっしょ。それだけに離散集合はよく起こったと思い
ますよ。水軍を支配する事はできても、完全な掌握をするの
は無理ですからね。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/23(Wed) 21:15>

>畠山義綱さま

そうそう。私も林さまに、重い物を運ぶのにはダンゼン船だと伺った事がありました(^^)。
利権というと、琵琶湖の、特に堅田の湖上権などは古くから、かなり独立したものだったようで、活気があったんだろうな、と思いますが、瀬戸内海となると規模も大きいですからね(^_^;)。
 
     

     
  尾張・海東郡


<ピンクのトカゲさま [東海] 2002/10/21(Mon) 18:23>

>こたつさま

>あら、やっぱり(笑)。カイフと読む方が珍しいですよね?

尾張に海東郡って言うのがあるんですが、これが海部(あま)東郡の略なんですよ。
尾張氏も海部氏もともに天火明命の遠祖としています。壬申の乱で尾張の兵が大海人についたのもこうした海人と大海人がつながりがあったのだと思います。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/22(Tue) 17:59>

>ピンクのトカゲさま

ああ、確かに壬申の乱では、本拠地美濃はともかく、尾張も大海人軍につきましたか。生まれた場所や母の実家に言われがあるのかと思ってましたが、族名(?)に関わる名もあったのでしょうかね。



<ピンクのトカゲさま [東海] 2002/10/22(Tue) 19:08>

>こたつさま

>ああ、確かに壬申の乱では、本拠地美濃はともかく、尾張も
>大海人軍につきましたか。生まれた場所や母の実家に言わ
>れがあるのかと思ってましたが、族名(?)に関わる名もあっ
>たのでしょうかね。

尾張や丹後半島は、天火明命ですから、大海人も、たぶんその系統だと思います。
 
     



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