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「城主のたわごと」9月、7
<北畠具顕さま [東海]
2002/10/10(Thu) 18:08>
>織田信包はともかく(よく知らんし)、
と言うお話をとっさに思いつきましたのでちょっと解説しときましょう。
信包のオッサンは信長の弟で伊勢の長野氏の家督を継ぎ
兄貴が死んだら早業で猿面冠者の味方になって甥っ子二人を敵に回し、北条に「降伏するから〜(T_T)」と泣きつかれたのでお猿さんに「何とかしてくださいよ」と頼んだら領地を没収されちゃったお間抜けさんです。
そのあと御伽衆になって大阪に出入りをしていたのですが
関が原で西軍につくというお間抜けをやったにも関わらず所領は没収されず、「淀殿の叔父さん」ということで城に居座り
冬の陣の際「決戦じゃー!!!」と叫んでいるうちにぶっ倒れて死んじゃったというお間抜けさんです。片桐さんが「和睦の邪魔だから」と毒殺したとも言われてます。
お市親子や土田御前(おっかさん)の面倒を見たりと織田の一門の中では結構重用されてたりします。
淀殿は多分この叔父さんを一番信用してたんじゃないかと思います。
有楽は信忠見捨てて逃げてるし、常信はあのとおりですし(笑)
<北畠具顕さま [東海]
2002/10/10(Thu) 18:10>
>と言うお話をとっさに「思いつき」ましたので
「思い出し」の間違いです。
<のりちゃんさま [近畿]
2002/10/10(Thu) 21:52>
>こたつ様
>家康は風邪をひいたから
このセリフ、「堅物」の使者に言わせたってのがすごい(^^ゞ
しかもタイミングが、みんなイライラしてるときでしょ?
でも、家康公の名言集なんてのを読んでたら、真面目な人柄
がひしひしと伝わってくるんですよね。
もしかしたら、「狸」なんてのは後世の人間のやっかみで、
実際は、ただただひたすらにまっすぐ真面目な人物だったの
かも。
<朱天さま [東海]
2002/10/10(Thu) 21:54>
>コタツ様
>家康はそうした面を重視しなかった(か、遭えて避けた)
派手な外聞を選ぶか、現実的な地に足をついた人を選ぶか、
性格が出てるような気もします。
ただコタツ様も仰るとおり秀吉としては有力な血縁者が
欲しかったというのもあるかもしれません。
横レスで申し訳ないですが
>ただぶらりとやってきて好き勝手していく奴の何処が総大将なもんか(笑)
毛利の輝ちゃんは(汗)
<こたつ城主 [関東]
2002/10/11(Fri) 20:23>
>北畠具顕さま
伊勢の長野氏(゚.゚)? 信雄が神戸氏を継いだ時と同時かな?
秀吉について信雄や信孝を敵に廻した親族が確かにいた覚えがあるけど、じゃこの人かなぁ? 織田氏の人って、何しろすっごく多いから、他にも居た?(汗)
でもそのお話だと、北条氏との折衝もしてたのね。
あと……そうそう、お市の方と三姉妹達が浅井氏から帰って来た時、世話してたのは信包だったと思います。その後どうなったのかな、と思ってたけど、一応そんな活躍(?)してたのネン。
<織田家の(凄く多い)人々:汗>
■信長の父の代
信秀(信長の父)、信康、信正、信光、信實、信次、女子二人、
■信長の代
信弘(信長の兄)、信長、信行、信包、信治、信時、信興、秀孝、秀成、某、長益、長利、お市、他女子6人、
■信長の子の代
信忠、信雄、信孝、秀勝、勝長、信秀、信高、信吉、信貞、信好、女子12人、
>淀殿は多分この叔父さんを一番信用してたんじゃないかと思います。
そうそう、冬の陣だったっけ……何しろ、落城前に死んじゃった人が居ました。
有楽や常信は……きっとその後、淀の悪口を言いまわったと想像します(^^;)。
>のりちゃん様
>しかもタイミングが、みんなイライラしてるときでしょ?
そうそう(^^;)。だから小説やドラマではよく、徳川家の家臣達(も一緒に岐阜城に詰めてる)が、やってきた村越に呆然とし、「ちょっと状況が違うから」と手招きして、別の場で家康からの伝言を捏造して言わせようと配慮したのに、村越はイザ諸将の前に出ると、一言一句そのまま元の伝言をしちゃった、と描かれますね。
<こたつ城主 [関東]
2002/10/11(Fri) 20:25>
>朱天さま
家康の閨閥が質素だったのは築山殿事件で懲りたから、というのが、もっぱらワイドショー的見解ですがね(^^;)。
ただ朱天さまの言う通り、元は秀吉という人は、人を能力で見て取り立てて来たと思うんですよ。それが頂点に立つに到って、そうは行かなくなって来た面もあるのでしょうけど。
>毛利の輝ちゃんは(汗)
わおっ、「輝ちゃんはぬらりひょん」説!(笑) |
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