<掲示板・議事録>

「城主のたわごと」9月、3

     
  <北畠具顕さま [東海] 2002/09/30(Mon) 21:43>

鳴かぬには鳴かぬわけありホトトギス  光秀
というのもありましたねぇ。

あと「織田がつき羽柴がこねし天下餅すわりしままに食うは徳川」というのもありました。
どちらかと言うとこちらのほうがなぜか印象的で。
多分徳川家康の伝記に書いてあったからだと思う。
まともに読んだ伝記これしかないですからね(笑)。
ただ子供の本なので築山殿は殺されませんでした。
「ドラマとちゃうやん」と思った覚えが・・・。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/09/30(Mon) 23:16>

家康ファン、というほどではないんですが、三人の天下人の
うち、上司にしたいbPは、家康公ですね(ほとんどの人が
そうかも??)。
秀吉公は、「友達にしたい」かな。
信長公は、「ドラマの主人公にしたい」なような・・・火の
粉がふりかかる距離にいると、ちと怖い(爆)



<畠山義綱さま [関東] 2002/09/30(Mon) 23:54>

どうも、こんばんわ。畠山義綱です。
こたつ城主殿の掲示板は千客万来ですね。すぐに自分の投稿が
したの方へ。私の掲示板は自分の投稿がいつまでも残る(笑)
っていうか、私、こんなに投稿していて御迷惑じゃないですか?
いっつも投稿文も長いし、横レス多いし(ーー;)

>こたつ城主殿
>学者や知識人とでも言うか、武士でない人たちの存在が
>あったゲに聞き及びます。

そうなんですか。初めて知りました。でも武士だけでは
なかなか都市造りの発想ってないかもしれませんね。
そういう人を取り入れたとすれば、なかなかの行政家で
すね家康は。

>はじめは維新後、意図的に……という部分も大きかった
>でしょうねぇ(^_^;)。

はい、その通りです。明治維新後、東京が首都になったのは、
江戸幕府に心を寄せる江戸市民を新政府に引き寄せるため
だとも言われています。明治になって天皇が東京に初めて入
った時は、江戸市民に酒を大判振る舞いし懐柔していたそう
ですし。その背景には、江戸が江戸時代に政治経済が集中し
大阪・京都よりも経済力を高め、江戸を掌握することが新政
府としてなんとしても必要だったことがあると思います。
もし、明治政府が大阪に遷都していたら、もしかすると旧幕
府軍が勢力を盛り返していたかもしませんね。

>一定の時期に作り上げられた土台の上に乗っかった物を

歴史は常に積み重ねて考証するものですが、その為段々
本当の事とずれてしまうこともあるわけですね。なかなか
難しい・・・。



<朱天さま [東海] 2002/10/01(Tue) 00:04>

>じゃ、桃太郎と金太郎と浦島太郎ならどうだ(なんのこっちゃ)。

良い事したのにどこぞにかっさらわれて、
帰ってきたら知人がいないうえに
玉手箱で爺様にされるという救いのなさで
なれない事はしちゃ駄目ですという
深い教訓を教えてくれる浦島太郎でしょう(笑)
(浦島太郎好きな人ごめんなさい)

>信長秀吉家康
家康公は上司にしたらよさそうですよね。
狸とか言われてるけど部下には誠実そうですよね。
秀吉公も気前よさそうで、いいかも。
信長公は・・・。使いもんにならないから追放されそうだ(笑)



<北畠具顕さま [東海] 2002/10/01(Tue) 17:51>

>信長秀吉家康
時代は何故か信長タイプ求めるんですよね。
私なら、家康かなぁ・・・。
秀吉にはたらしこまれるという自信があります(笑)
信長は・・・・・絶対怖いし。
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2002/10/01(Tue) 19:17>

>北畠具顕さま

>鳴かぬには鳴かぬわけありホトトギス  光秀

ありました、ありました(^^)。意味深ですよね〜☆ミ 誰に教えて貰ったんだったけな。 そうそう! 「天下餅」もありましたね! 私もどんな意味かも知らない子供の頃聞いて、一番苦労したのは織田なんだと思い込んでた時期が長かったです。だってほら。餅つきってつく人が大変そうじゃない?(笑)

私も伝記で家康を読んでました(笑)! 言われてみれば築山殿の話は無かったかも。 そういや本の後半だったか、「前に信長の命令で、大事な子供を見殺しにしなくてはならなかった家康は」って唐突に出て来て、「なぜその時の事が書いてないの?」と不思議に思った覚えが……(^^;)。


>のりちゃん様

上司かぁ……。うん、家康がいいかも(^。^)。信長の部下は嫌だなぁ(汗)。
家族だったらどうかなぁ。家康は父である前に「上司」って感じだからヤダなぁ。側室に入るのなら秀吉かなぁ(打算的)。でも正室としてだと、誰も彼も苦労しそう(汗)。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/01(Tue) 19:21>

>畠山義綱さま

迷惑なんかじゃありませんってば(^^ゞ。
話を長引かせるレスつけてるのは、私の方かもしれません(爆)。

>そうなんですか。初めて知りました。でも武士だけでは
>なかなか都市造りの発想ってないかもしれませんね。
>そういう人を取り入れたとすれば、なかなかの行政家で
>すね家康は。

言ってから自信が無くなりました(^_^;)。江戸に来てから、有能な知識人を集めていた事は間違いないですが、同時に武田家の遺臣など抱えてますし、こうした人の中から出家して僧侶になっただけなら、「武士でない」は言い過ぎかも。増上寺の住職にも北条氏麾下と縁のある人が出てますし、あの有名な天海でさえ明智光秀説があるぐらいですからね。

こう考えると、のりちゃんや朱天さまが言われる通り、「上司にしたら良い殿様」が正解かも。「取り合えず出家して学問を積み、まず名を上げてのちに家を再興しては」なんちゅう懐柔策を取ってジワジワと声望を……。
ありがちっ(≧▽≦)!
秀吉はやはり、次代に滅んでしまった点が、そうした業績の残らなかった要因かなぁ……。

維新の江戸は混乱したとよく聞きます。昨日まで戦火を浴びせたかもしれない相手が入って来るのだから、当然と言えば当然ですよね。
しかし酒の大判振る舞いは初めて聞きました。こういう事やるといっきに「いよっ、イイ男っ!」になっちゃうのが江戸市民かも(^_^;)。なかなかやりますなぁ(笑)。

確かに江戸の町は「喧嘩と火事が華」とか言われてますけど、あの度重なる大火は、もうちょっとどうにかならんかったのかな(^_^;)、と思いますね。被災の後は、みんな凍死しちゃったと聞きます。木材商が儲ける(火災の後で建築ブームが来るから)ために火付け、という設定をよく時代劇で見ますが、満更フィクションでも無いような……(苦笑)。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/01(Tue) 19:23>

>朱天さま

>良い事したのにどこぞにかっさらわれて、

でもさ、でもさ、そのお蔭で竜宮城で綺麗なネーチャン達と〜〜〜(TOT)。。。

>なれない事はしちゃ駄目ですという
>深い教訓を教えてくれる浦島太郎でしょう(笑)

前に新聞で読んだんだけど、知人がみんな死んで、玉手箱をあけたら老けてしまうラストは、ずいぶん後からついたんですって〜。幾ら何でもこれじゃ道徳にならんちゅうて。

>信長公は・・・。使いもんにならないから追放されそうだ(笑)

餅つきの歌じゃないけど、やっぱ信長ってかなりの無理をやったんだな(^^;)。


>再び、北畠具顕さま

信長人気はダントツですよね(^^;)。これも「土台の上に土台」ってのと同じで、他の人について味噌がついてる内に、信長だけは、あれこれ言われずに書けた題材だったからかも(笑)。
 
     

     
  <うーろんさま [関東] 2002/10/01(Tue) 22:15>

大多喜にいってきましたよ〜♪
アクアライン使ったんですが、これがめちゃはやいことはやいこと。
料金が高いといってみんなが遠慮しているんで、けっこうすいてました。
これなら2時間もかからずに木更津にいけちゃう・・。
富浦も久留里もものの数ではないかも(笑。

お祭りでほとんど史跡まわれなかったんで、リベンジが必要だとつくづく思いました。



<畠山義綱さま [関東] 2002/10/01(Tue) 22:53>

どうも、こんばんわ。畠山義綱です。
最近連日、連夜お邪魔してますね、私。

>こたつ城主殿
>迷惑なんかじゃありませんってば(^^ゞ

いや〜有り難いです。これからも長居させてもらいます(^○^)

>あの有名な天海でさえ明智光秀説があるぐらいですからね。

ありましたね〜。この説から本能寺の変の家康黒幕説が生まれ
たんですよね。

>しかし酒の大判振る舞いは初めて聞きました。

一般には東京遷都の理由として「大名屋敷が省庁の建物として
利用できる」などとも言われているのですが、実際はそれほど
利用されなかったようです。やはり大江戸100万と旧幕府より
の東北地方を抑えるには、経済的にも地理的にも東京遷都の
方が現実的だったのでしょう。
でも、本当にまだまだ知らないことっていっぱい有るなって思
います。最近講談社が出している『日本の歴史』の幕末の巻で
見事にペリーと渡り合って交渉している幕府外交官や、欧米よ
り日本の国力が劣っていると冷静に判断し、条約を結んだ幕閣
など、まだまだ自分も偏見があるなあと思います。

>あの度重なる大火は、もうちょっとどうにかならんかった
>のかな(^_^;)

なかなか難しいでしょうね。100万の人口を抱える世界最大都市
ですから、当然人口密度も高かったでしょう。しかも、家自体が
火災の燃料とも言える木造ですからね。どうやれば効率よく防災
できたのかなあなんて、自分で思案したりしちゃいます。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/10/01(Tue) 22:55>

三天下人のうち誰かの正室になるなら・・・。
う〜〜〜ん、う〜〜〜ん、う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
やっぱり家康公かなぁ。
でもって、私は築山殿みたいに処刑されたりはしないかもし
れないけど、毎日小言言われそうな気もします(^^ゞ

>畠山義綱様
>なかなかの行政家ですね家康は。

今度は私から横レスですm(__)m
私は、戦国より少し前平安時代以前について、じっと見てる
んですけど、むしろ武士以外の人の力なしに、というか、武
士だけの力で政治というか国を動かすようになったのは、戦
国時代に入ってからの、例外的なことかも知れませんね。
そういう風に考えたら、家康公は、昔のことをよく知ってい
て、昔のことにしてもよいところは躊躇無く取り入れる人物
だったといえるかも。
そうすれば、「独創的でない」が必ずしも悪口じゃなくなっ
てきますね(#^.^#)



<畠山義綱さま [関東] 2002/10/01(Tue) 23:34>

>のりちゃん様

こんばんわ。畠山義綱です。

>むしろ武士以外の人の力なしに

そうですね。武士はまだ力を得ていなかった時代ですし、
それにしても他の分野の人の協力なしには国政はなり
立たない時代ですものね。同じ視点の人を集めて議論
するより、色々な立場の人を集めて議論する方が良い
考えも浮かぶというのは、現代も古代も変わらぬことで
すしね。
 これも政治史以外の視点で非常に有用なご意見だと
思います。貴重なご意見有難うございます。これからも
ご意見頂けると嬉しいです。



<朱天さま [東海] 2002/10/02(Wed) 00:25>

>前に新聞で読んだんだけど、知人がみんな死んで、
>玉手箱をあけたら老けてしまうラストは、
>ずいぶん後からついたんですって〜。

そうなんですか。なんと夢のない事を。
御伽噺なんだからいいことばっかりでもいいじゃないですか。
 
     



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