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鍋島化け猫騒動、1
<ピンクのトカゲさま
[東海] 2002/07/04(Thu) 12:00>
「葉隠れ」については、「化け猫」鍋島藩の成立事情にも関わります。
鍋島信生は、肥前の熊・龍造寺隆信の家臣であったわけです。その龍造寺隆信は、天正一二(一五八四)年、有馬―島津連合軍との戦いで討ち取られます。
天正一二年といえば、秀吉がほぼ天下を手中にし、下克上の時代も終わりを告げています。
肥前は、隆信の死後、子の政信が継ぐわけですが、鍋島信生が遂には、簒奪するわけです。
この簒奪を正当化(隠蔽)するために書かれたのが「鍋島論語」といわれる「葉隠れ」です。
そもそも儒教では、簒奪は、否定されていることですから、「鍋島論語」といっても、儒教の支柱からして変容されているわけです。
また、儒教の優先順位では、「忠」より「孝」なんです。
三国志なんか見ても戦闘中でも父母がなくなったから喪に服すなんていう場面が出てくるのも、儒教においては、「孝」が一番優先されるからです。
「葉隠れ」は、鍋島家への盲従を説いているわけですから、「武士道とは死ぬこと」とは、鍋島家に対して命を惜しまぬことです。
儒教は、「孝」が一番優先されるわけで、「孝」は、親孝行の「孝」です。「忠」は、「孝」の次です。
鍋島家では、主君(=鍋島家)は、家臣にとって親にも等しいものだからとすりかえて「武士道とは死ぬこと」ともってくるわけです。
徳川幕府も、豊臣から権力を簒奪した覇者ではないとの理論付けから朱子学を導入したわけで、鍋島家と事情は、大差ないわけです。
これが、明治政府に受け継がれ、悲惨な結果を招くわけです。
<こたつ城主 [関東]
2002/07/04(Thu) 19:34>
>ピンクのトカゲさま
鍋島化け猫騒動は、映画でチラと見たのです。怖かったーーー(>O<)!
鍋島家は確かに龍造寺家の家臣ですが、元から龍造寺家には必要な家でした。
龍造寺隆信のスーパーかあちゃん「慶ァ尼」(笑)は龍造寺家の娘で、まず分家の水ヶ江周家に嫁いで隆信を生んだのですが、実家に跡取りが絶えるとまだ二十歳の隆信を擁立。
こんな不安定な状況なので、有力な家臣の鍋島清茂に再嫁するのですが、一説にはその再婚の理由は、清茂の子、直茂がなかなかのヤリ手だったからとか(爆)。
そしてこの婚姻を持ち込んだ時、彼女は清茂に、「奥さん死んだって? エエ娘おるでぇ(^。^)、まあ待っとれや」と持ちかけるだけ持ちかけ、当日の輿入れには、ナント自分が押し掛けていったそうです(笑)。
確かに後から見ると、鍋島が龍造寺を簒奪した事にはなりますがね(^_^;)。それは否定しませんし、そもそも徳川家が豊臣家の家臣の分際で天下を簒奪したのは紛れもない事実なので、これについてはますます否定しません(笑)。
>三国志なんか見ても戦闘中でも父母がなくなったから喪に服す
曹操が父の仇を取るって徐州を攻めてましたっけ。
>これが、明治政府に受け継がれ、悲惨な結果を招くわけです。
山中鹿之助の「我に七難八苦を与えたまえ」も、全くいいように利用されてますしね(^_^;)。
<ピンクのトカゲさま
[東海] 2002/07/05(Fri) 12:17>
>こたつさま
>龍造寺隆信のスーパーかあちゃん「慶ァ尼」(笑)は龍造寺家の娘で、
>まず分家の水ヶ江周家に嫁いで隆信を生んだのですが、実家に跡取りが
>絶えるとまだ二十歳の隆信を擁立。
>こんな不安定な状況なので、有力な家臣の鍋島清茂に再嫁するのですが、
>一説にはその再婚の理由は、清茂の子、直茂がなかなかのヤリ手だったからとか(爆)。
その後の龍造寺と鍋島について、簡単に追って見ます。
天正一二(一五八四)年に龍造寺隆信は、討ち死にします。
島津は、討取った隆信の首級を薩摩の礼法にのっとり、丁重に送り返すわけですが、鍋島信生は、主君の首級の受け取りを拒否しています。
信生の「信」は、隆信からの偏諱だと考えられます。
そして、隆信の跡を隆信の子・政家が継ぎます。政家は、凡庸で実質切り盛りをするのは、信生です。
天正一六年の秀吉の関東出兵の要請に対し、信生は、政家は、「生来の病弱の身」を理由に自らが名代となります。この頃、信生は、直茂に改名しています。
隆信の死後すぐに、この改名を行なっていたのであれば、首級の受け取り拒否とあいまって、信生(直茂)が、肥前佐賀を実質的に手中に収めることができたか疑問です。
隆信の死後4年が経っており、ちょうど「ころあい」だったわけです。
二年後の天正十八年、秀吉は、政家が大名の義務である軍役が果たせないことを理由に強制的に隠居させ、政家の子・長法師丸(のちの竜造寺高房)が成人するまで、直茂に藩政を任せます。
この措置の裏に直茂が関わっていたことは容易に想像できます。
そんな直茂に慶長一二(一六〇七)年、思わぬ(?)朗報が入ります。
龍造寺高房切腹の知らせです。高房ときに22歳、とうに成人しています。直茂が政権を高房に譲らぬ抗議でしょう。
しかし、いち早く家臣が気づき、高房は一命を取り留めます。みようによっては、狂言とも取れます。
幕府は、この切腹未遂事件を取り調べ、その結果は、高房に大名たる資格なしとの沙汰を出します。
高房は落胆のあまり死去、父・政家も息子のあとを追うように死去します。
そして、佐賀鍋島藩が成立するわけです。
さてさて、ここからが「化け猫騒動」
化け猫騒動は、龍造寺又一郎に碁の勝負で敗れた鍋島光茂が、又一郎を惨殺。光茂の仕打ちに怒った又一郎の母は、恨みを飲んで自害。代って又一郎の母の愛猫が鍋島家に復習するという筋書き
化け猫騒動には、政家―高房親子の恨みが仮託されていることは容易に想像できます。
<こたつ城主 [関東]
2002/07/07(Sun) 01:33>
>ピンクのトカゲさま
龍造寺高房って自殺で死んだんだと思ってました。未遂だったのですか(゚.゚)。
今ちょっと調べたら、隆信は三男の家信に「何でも鍋島直茂に相談して決めなさい」と遺言状を残したようですが、そういやこの家信はどうなったんだろ。
あと政家は直茂に龍造寺家の養子入りを薦めて断られた、とも言われてるようですねm(。。)m。
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