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武州松山城、2
<hazuさま [東北]
2002/06/10(Mon) 22:29>
上杉影虎さま(^o^;
>>その孫広長の代に毛利氏と共に萩に移ったものの讒言により
>>輝元の追討を受け一族と共に自刃し滅亡してしまいました。
広長が輝元の追討を受け妻と息子たちとともに自刃をしていますが、妹婿の就頼が入って、吉見家自体は続いたようです。
婿になったのは、吉川広家の三男で、初め、黒田長政に請われ、黒田孝高の隠居領の嗣子となるべく、政春と名乗っていたようです。
寛永14年からは、毛利と名乗ることを赦され、本家は毛利、分家は吉見を名乗ったようです。
筈衛
<上杉影虎さま [関東]
2002/06/11(Tue) 01:34>
筈衛様>
どうも。ご無沙汰しております。こちらでのご挨拶はまだでしたね。今後とも宜しく御願い致します。
>広長が輝元の追討を受け妻と息子たちとともに自刃をして
> いますが、妹婿の就頼が入って、吉見家自体は続いたようです。
ほう、そうなのですか。やはり家は続いていたのですね。
そうすると小生の知り合いの方はその御子孫になるかも知れないですかね。
改めて勉強になりました。
しかし手元にある資料が乏しいのであり合わせの資料を鵜呑みにしがちなのも問題ですね。
その資料に間違いがある場合も往々にしてあるので気をつけなければなりますまい。
時々小生の屋敷の近くにある都立多摩図書館あたりに調べにいくのが良いでしょうな。
<hazuさま [東北]
2002/06/11(Tue) 05:48>
そうでした(^^;; こちらでは挨拶はまだでした(^o^;
今後ともよろしくお願いします。
こちらの資料名をお知らせしときます。
『萩藩諸家系譜』(岡部忠夫著 琵琶書房発行)
『近世防長諸家系図綜覧』(三坂圭治/監修 田村哲夫/編修 マツノ書店)
です。
筈衛
<こたつ城主 [関東]
2002/06/11(Tue) 17:56>
>hazuさま
あれ〜? お久し振りです(゚.゚)。お元気でしたか?(あちこちでお見掛けしてはおりましたが:笑)
吉見家の後日談、ありがとうございました〜☆ミ 実質、いちど吉川に吸収されたって事ですかね(^_^;)。
>婿になったのは、吉川広家の三男で、初め、黒田長政に請われ、
>黒田孝高の隠居領の嗣子となるべく、政春と名乗っていたようです。
吉川家に入るために取りやめになったんでしょうかね。
>寛永14年からは、毛利と名乗ることを赦され、本家は毛利、
>分家は吉見を名乗ったようです。
この分家から再興って事なのかな……。
>『萩藩諸家系譜』(岡部忠夫著 琵琶書房発行)
>『近世防長諸家系図綜覧』(三坂圭治/監修 田村哲夫/編修 マツノ書店)
ありがとうございました〜♪
<こたつ城主 [関東]
2002/06/11(Tue) 17:59>
>上杉影虎さま
おお〜、お出まし、ありがとうございます(^^)。
>あり合わせの資料を鵜呑みにしがちなのも問題ですね。
私なんてコレばっかり(汗)。
しかし一番困るのは、その場で覚えてもすぐ忘れてしまう事だったりするのです(-_-;)。(←自分でどうにかしろ) |
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