<掲示板・議事録>


     
  三増合戦地、秩父党渋谷氏の史跡、2


<惟新入道@鹿児島県出身さま [九州] 2002/04/01(Mon) 21:24>

横レスすみません…
>ところで、入来院氏、祁答院氏は……何と読むんですか(^_^;)。
それぞれ「いりきいん」「けどういん」と読みます。

昨日は佐賀県の名護屋城見学に行って来ました。大阪城に匹敵する規模、豪華絢爛さでは聚楽第並みというまさに桃山文化集大成の城の一つ。あまりにも日の目を見ない、幻の史跡となっているのが惜しい位でした。九州の端っこの、実に不便なとこですが、良くも悪くも開発が進んでいないので今後の調査・研究が楽しみです。
それにしても…在陣した大名の面々が凄かったです。徳川・前田・毛利・伊達・上杉・小早川・吉川・蒲生・宇喜多・加藤・福島・黒田・織田・足利・北条・真田・長宗我部・立花・鍋島・島津…小田原攻めや関ヶ原をしのぐオールキャストぶり!その数約120の陣跡。当然2時間では全て回りきれず、今度徹底的に調べ回ってみたいものです。

上総・下総系ですと…本多忠勝・小笠原秀政が在陣したようですね(家康は秀吉に遠慮して、湾を挟んで本陣と家来衆をわけたそうです)。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/02(Tue) 17:51>

>惟新入道@鹿児島県出身さま

「いりきいん」「けどういん」ですか(゚.゚)。そんな家に生まれたら、名乗るたびに舌噛みそう(汗)。そうか。惟新さまは今は福岡だけど鹿児島出身なのですね。道理で詳しい〜。

名護屋城に行きましたか(^^)! あの時代、大坂城や聚楽第並みのお城が突如ボコッと登場したんですねぇ。当時の人もさぞ驚いた事でしょう。

>良くも悪くも開発が進んでいないので今後の調査・研究が楽しみです。

そうですね(^^)。昨日テレビで、朝倉氏の一乗谷史跡をやってたのですが、やはり人知れず着々と調査が進んでいるようで、もっと知られると良いですね。

>徳川・前田・毛利・伊達・上杉・小早川・吉川・蒲生・宇喜多・
>加藤・福島・黒田・織田・足利・北条・真田・長宗我部・立花・
>鍋島・島津…
>その数約120の陣跡。当然2時間では全て回りきれず、

わ〜! スゴイ! 本当に当時は壮麗だったでしょうね! 敵対していた大名同志、その家臣兵士まで一同に会するのですから、サミットなんてもんじゃないですよネ! 家康の部隊も巨大だったのでしょうね。本陣と家来衆を分けたのは、秀吉を安心させるため?



<志摩の守@安穏武士さま [東海] 2002/04/03(Wed) 22:38>

>こたつ城主様
お待ちどうさま!北条家臣団「高城胤辰」UPしました。
資料不足と諸説あってあまり詳しくは掛けませんでしたが・・。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/04(Thu) 17:49>

>志摩の守@安穏武士さま

えええ〜! 出来たんですね(>▽<)! 高城胤辰!
また拝見しに行きます〜。志摩の守さま、ありがとう!
 
     

     
  <猛馬飼育係さま [関東] 2002/04/05(Fri) 22:32>

御推察の通り、東京の渋谷もかつて秩父党渋谷氏の所領だったのです。渋谷城は金王八幡宮辺りにあったといわれています。

入来院、祁答院の読みは惟新入道様のおっしゃる通りです。鹿児島には他にも伊集院や長寿院といったユニークな苗字がありますね。

大谷口城の高城氏は渋谷系高城氏の一族だったのですか。情報有難うございます。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/06(Sat) 19:00>

>猛馬飼育係さま

大谷口の高城氏は渋谷系だったかわかりませんが、九州に渡った高城氏である事は確かなようですが……。
しかし渋谷城跡、出て来ました(゚.゚)。↓こちらに写真が……。

渋谷駅:http://www3.justnet.ne.jp/~tamio-enomoto/yamate/shibuya.html
(江戸歴史散歩:http://www3.justnet.ne.jp/~tamio-enomoto/top.html#ekimaeより)
本当に金王八幡宮(あるいはその周辺?)にあるんですねぇ。また、↓

金王八幡宮:http://www.folkdomain.net/mode/shibuya/sy01konnou.htm
(渋谷区の神社モーデ:http://www.folkdomain.net/mode/shibuya/shibuyatop.htmより)

こちらには、金王八幡宮は渋谷氏が祀った神社だとも……。「始祖の河崎基家の祖父(秩父別當武基)が源頼信から賜った八つの旗(八幡)の内、「日」と「月」を妙見菩薩に奉納し、「月」を渋谷の地に奉じた」とも。

>鹿児島には他にも伊集院や長寿院といったユニークな苗字がありますね。

そういや、夏目雅子の旦那サマも伊集院でしたねぇ(笑)。



<猛馬飼育係さま [関東] 2002/04/10(Wed) 23:38>

大谷口城主高城氏は、どうやら九州千葉氏の一族らしいです。
大庭景平殿(東方賓従者様)から借りた「日本城郭体系」によりますと、大谷口城(小金城)は随分立派な城だったようですね。機会あらば訪れてみたいと思います。

金王八幡宮に関する情報を教えてくださり、有難うございました。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/11(Thu) 18:38>

>猛馬飼育係さま

そうそう、高城氏は、千葉氏の分家の原氏のそのまた分家みたいに思ってたんですが、案外、九州から戻って来たようなんですよ。ハッキリ表に現れてくるのが、やはり後北条氏と盟約を結ぶ頃からですね。

それまでの松戸はどうだったのかとも思うんですが、何しろ、ウチが子供の頃からお酒なんか買ってた店が、どうも高城氏の家老格の家と同じ苗字だったり、今は地名が変わってますが、子供の頃は地名として親しんだ「日暮」なんて名が、どうも家臣の家名だったらしかったり、私も最近ですけどね、そういう事を知ったのは。

是非、一度大谷口城も見に来て下さい(^^)。畝掘りが復元されてますよ。
 
     

     
  北海道には路地裏がナイ


<あきやまじょせつさま [北海道] 2002/03/29(Fri) 23:57>

またまた戦国ネタと関係ないんで、恐縮ですが、
私のホームページの掲示板にも書きましたが、
東京に行って来ました。
しかも田舎者の私は生まれて初めて原宿の竹下通り
に行き、「これが竹下通りか。本当にクレープ売ってる!」
とか思って感動してました。
おまけに下北沢にも行って来ましたが、細い路地裏にまで
ずらーっと店が並んでいて、すごく面白かったです。
北海道って元々計画性のある街が多いので、道幅も建物の
作りも本州とは全然違うので、ああいう細い路地裏って
全くといっていいほどないんです、実は。
本州の人はその広々した感じがいいと言いますが、
ずっと北海道で育った自分としては、昔の香が残る細い
路地裏にはなんか憧れます。
つまり小奇麗すぎて面白みを感じないんです、北海道には。
札幌だと細い路地はすすきのの一角にある「ラーメン横丁」
くらいしか思い浮かばないっすからね。
あ、ちなみにこっちで桜が咲くのは大抵5月ですよ。
日本で一番遅く桜が咲く北海道根室市(鈴木宗男で有名に
なった?)では5月20日過ぎです。
いかに寒いかってわかりますね、ホント。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/30(Sat) 15:34>

>あきやまじょせつ様

路地裏に憧れ……ですか(゚.゚)。何とも意外……。
狭い所から広い場所に出ると解放感があるけど、広い場所から狭い場所に来たって、鬱陶しいだけだと思ってました。
東京にはいろいろな地域から人が来ますが、その実、どこから来た人が何をイイ(悪い)と思ってるのか、ちゃんと確かめる機会って少ないんですよね。

常日頃、さんざん東京の文句を言う割に、実はこたつ城主、大手町が好きだったりします(爆)。
子供の頃、父の忘れ物を届けに行った時、ちょうど昼下がりで、辺りは長閑な空気が漂い、父の部下の方がちぃと相手なんぞして下さったので、夕方になるまでその辺りにおったのですが、夕暮れ時が又、何となく賑やかで、何処か心が和みました。

実はこたつ城主、御茶ノ水界隈も好きで(出るわ、出るわ、ボロボロと)、この辺りに入院してた時、ちぃと買い物や散歩のため病院を出ると、周囲の皆さんは忙しそうに町を闊歩してまして、やはり昼下がりの風が妙に心地よかった覚えがありまする。

しかし神保町とか六本木あたりに来ると、「みんな暇そうジャン」と思うので、あまり喜びません。ましてや原宿なんて、年中ヒマな連中が充満してて、もう一つ触手が動きませぬ。
要するに……みんなが忙しそうにしてる時、東京という町のいろいろ便利な機能を、自分一人が余裕こいて使用してる、という気分が、悪魔のように嬉しいんですね。うふ。 上記の理由により、渋谷は前は好きでしたが今は嫌いです。浅草や上野も今イチ。

>あ、ちなみにこっちで桜が咲くのは大抵5月ですよ。

今年は東京でも、例年より一か月は早かったので、もしかして4月ごろ咲くかもよ(^^)。
 
     

     
  筒井順慶、地元の評判


<のりちゃんさま [近畿] 2002/04/03(Wed) 19:50>

大和高田の神社について調べてたら、この辺りの神社では、筒井
順慶は、愛されていたようです。

私ときたら、筒井順慶といえば、「洞ヶ峠をきめこむ」くらいの
知識しかなかったもんで調べていたら、ここに着いちゃいました。
世間って狭いというか・・・。縁ってありがたいもんだというか。
参考にさせていただきました。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/04(Thu) 17:48>

>のりちゃん様

のりちゃんの所の神社紹介を読んでたら、筒井順慶や荒木村重も出て来てましたね。けっこう戦国期の話も絡んでるんだな、と実感しました。

史上、損な役回りに決まってる武将が、意外と地元では愛されてるという事実は、その地域に行ってはじめて判る事が少なくないです。

私は歴史の専門家ではありませんし、今からそうなろうとも思ってません。その私がネットを通じて知りたい情報とは、まさにそうした「地域の噂」なんですね。
当然そうした噂や人気には、戦国時代から現代に到るまでの長い時間、様々に史実から変化してしまった部分もあるでしょうが、その理由を探って行くのも、又おもしろいものです(^^)。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/04/04(Thu) 18:25>

おおおお〜。そうなんです。

>「地域の噂」

全く、これ。
私が、ちょこまか神社に訪問してるのは、これを聞きたいからな
んです(^O^)
本屋さんにいけば、(高額だけど)神道関係の本は結構あります。
でも、資料が少ない分、どの研究所も「想像」で埋め合わせして
いる部分がたくさんたくさんあるんですよね。
それはきっと戦国でもそうでしょうね。
でも、本当に神様の時代になると、資料は、泣きたいくらい少な
いです。
そうすると、やはり、その神社でその神様をずっと祀ってきた人
達に「神様の噂」を聞いて、おおまかにしろ繋ぎ合わせるのが、
一番公平で、間違いがないような気がするんですよ。

んでもって、それを元に、いろいろ妄想するのはすっごい楽しい
です。
でも、まさに「妄想」の域なんですけどね(^^ゞ



<こたつ城主 [関東] 2002/04/05(Fri) 17:15>

>のりちゃん様

神社が関わる歴史は、戦国時代みたいに一時代ではないから、社伝でも、史料の少ない古代についてはアッサリと、新聞記事まで残ってる近現代については、すごくリアルに書かれてたり、時代によってマチマチですよね〜。

けれど例えば家系探しみたいに、ごく個人的な家事情については、神社より寺の過去帳の方が確かだし、そっちを頼る人も多いと思うんですよ。

その点、確かにのりちゃんの言う通り、「地域の噂」については、神社は宝庫かもしれませんね。
お寺でも地域の歴史について詳しく記載されてますが、神社は変な話、記録に関する責任義務みたいなものが免除されてきた側面がある感じがします。教義があるワケでもなく、創建時期も「いつから」とハッキリしてなきゃ建てさせて貰えないワケでもないでしょうしね。地域信仰が生まれた所以なんて、しっかりした証拠があったら不気味ですし(笑)。
 
     



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