<掲示板・議事録>


     
  宗像大社


<のりちゃんさま [近畿] 2002/04/04(Thu) 18:25>

そういえば、こないだ、こたつさんが調べてくださった「宗像
大社」なんですが、こないだ訪問した鴨系の神社の宮司から面白
いお(噂)話を教えていただきました。

宗像大社は、「宗像三女神」を祀った神社です。
神社の説明では、宗像三女神は、「天照大神の娘」としてるんだ
そうです。
確かに、日本書紀の一書では、そうなっていますが、通常は、
三女神はスサノオの娘。
五男神はアマテラスの息子。
になってて、皇祖・ニニギは、五男神のうちの一柱・アメノオシ
ホミミの息子なんですね。

そんなわけで、神社本庁から、「説明を変えろ」と圧力がかかっ
てるんですって。
だって、この説明が本当なら、天皇はアマテラスの末裔じゃなく、
スサノオの末裔になっちゃう・・・と伊勢神宮を頂点に置いてる
神社本庁の立場がなくなっちゃいますもんね(^^ゞ

宗像氏の伝承では、三女神がアマテラスの娘だということになっ
てるんでしょう。
でも、もし宗像大社が圧力に屈して、「スサノオの娘」って書い
てしまったら。
宗像氏の伝承は、宗像大社に行って、神社の人と親しくお話しな
いと知り得ない情報になっちゃいます。

ここは宗像大社に頑張って欲しいものであります。
がんばれ〜〜〜!!



<こたつ城主 [関東] 2002/04/05(Fri) 17:15>

>のりちゃん様

宗像三女神がスサノオの娘で、五男神がアマテラスの息子、という話も、そちらで読みましたね。
話がズレたら申し訳ないんですが、実は三王女と五王子の組み合わせは、マハーバーラタにも出て来るんです(^^ゞ。ここでは三男が美男子のチャランポラン男で、三王女はみんなこの優男に惚れこみますが、中でも一番の美人である三女が恋仲に達し、しかし別の王に嫁ぐので、三男と三女は不倫関係になってしまうのでした。

又、そちらの「止々呂美神社」に出て来た、長男だけが慎重で森の奥に立ち入らない話も、マハーバーラタの長男に同じ逸話があります。他の4人がすっかり森の奥から帰って来られなくなってしまう所までそっくりです(笑)。

>そんなわけで、神社本庁から、「説明を変えろ」と圧力がかかっ
>てるんですって。

これは……驚くような、しかしありがちな話ですね(苦笑)。その手合いの話を聞いてよく思うんですが、そんな昔の事を未だに統一しなきゃいけないなんて、何だか不憫になってきますね。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/04/06(Sat) 21:19>

止々呂美神社のあの話しは、ほとんど私の妄想なんです。
ややこしいことをしちゃったかも(^-^;;;

「古事記」の中で(この件は「日本書紀」にはでてきません)、
長男のオシホミミが「騒がしいから」って帰ってきちゃうのは、
「出雲国譲り」のところです。
で、結局、タケミカズチやらの武将がまず制圧に行って、その後、
オシホミミは、「子供に行かせてやってくれ」ってニニギに天下
りさせるんですね。

長男だけが慎重だってのは、やっぱり長子相続の考え方からなん
でしょうね。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/08(Mon) 13:15>

>のりちゃん様

>長男のオシホミミが「騒がしいから」って帰ってきちゃうのは、
>「出雲国譲り」のところです。

ああ、なるほど。どこぞに籠って出て来なくなっちゃうんでしたっけ。次男だけが抵抗勢力として表に立つ。

>長男だけが慎重だってのは、やっぱり長子相続の考え方からなん
>でしょうね。

と思います。これはマハーバーラタでも一緒で、長男は平和主義(ノンポリ)で、やはり次男が聞かん気ですね。そして三男が美男子=子孫繁栄、という役割分担ですかね。 実際、三男の家系が王に就任しますので、ここには(結果としての)末子存続の匂いを感じ取れなくもないです。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/04/08(Mon) 18:48>

日本は、「末子相続」から「長子相続」に、儒教の輸入とともに
変わったと聞きましたが、インドは、何がきっかけで変わった
(いや、変わってなかったりして)んでしょうね?
そこらへんの違いもお国柄が出ておもしろいかも知れません。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/09(Tue) 15:05>

>のりちゃん様

儒教の影響は知りませんが、インドでも長子存続を取った「結果として」、長男は王として次男は家来(武士)として育つけど、三男以降は王道武道にいそしむ義務が免除され……子作りに励めた、という事でしょうかね(笑)。

ただし、インドとインドネシアでは、相続制より嫁取りの考えが違うようです。インドでは、長男の妻が5人兄弟全員の妻になるのに対し、インドネシアでは、長男の妻はあくまでも長男だけの妻になってます。
 
     

     
  住吉神と鶴伝説


<のりちゃんさま [近畿] 2002/04/06(Sat) 21:19>

こないだ、ある神社で、宮司さんにお話を伺うことができました。
そこの神社は、もともと地域で信仰されてた神様を祀っていた神
社なんですが、後で住吉神を祀ってるんです。

伝承では、「鶴が矢を咥えて神社に飛来し、矢を落とした。その
矢には、住吉神の銘があった。そこで住吉の神様を勧請した」な
んてきれいなお話なんですよ。
でも、宮司は、
「昔は文字もなかったから、きれいな伝承作って、みんなが覚え
てくれるようにしなきゃならんから、無理やりこんな話し作った
んでしょうな。多分、この地域に住吉勢力が押し寄せてきて、制
圧してもうただけのことでしょう」とバッサリ。
伝承が残ってる理由が「後世に覚えててもらうため、覚えやすく
物語にした」という意見は、メからウロコでした。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/08(Mon) 13:15>

>のりちゃん様

住吉神の宮司さんのお話ですが、宮司さんの言う「きれいな伝承」は、↓

>「鶴が矢を咥えて神社に飛来し、矢を落とした。その
>矢には、住吉神の銘があった。そこで住吉の神様を勧請した」

これの恐らく「鶴」の部分でしょうね(^^;)。「矢(戦)」より「鶴(吉事)」に目が行くよう仕向けたのかも、と、こう仰りたいのでしょう。
カラスなどは光る物を集めたがりますが、それが「鶴」になっちゃうのは、鶴は目出度い鳥ですから、鶴が咥えて来れば「神の使いが、土地のために(何となく)必勝の矢を運んで来てくれた」ぐらいに見えなくもない。

しかし矢が自然に出来るワケはない。どっかから咥えて来るワケですよ(^^;)。「動物が咥えて来るほど矢があった」というのは「戦があった」証で、本来は戦の伝承でもあったんでしょうね。
例えばその後、住吉の何らかの勢力に頼って繁栄した土地ならば、いろいろと自ら削ぎ落とした部分もあるかもしれません(^^;)。まあ、こんな事はよくあると思います。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/04/08(Mon) 18:48>

>「動物が咥えて来るほど矢があった」というのは

うぉ〜〜〜〜〜。またまた目からウロコです。
そっか、そういう意味にも取れますね。

いろんな人に意見を聞くと、いろんな見方を教えていただけて、
嬉しいです。
これまた、ネットのよいところかも。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/09(Tue) 15:05>

>のりちゃん様

>いろんな人に意見を聞くと、いろんな見方を教えていただけて、

そういや、前お薦めした本に、「複脳」って概念が出て来ましたね(^^)。
 
     

     
  日光東照宮


<うーろんさま [関東] 2002/04/07(Sun) 22:10>

ストレス解消のために日光に旅行にいってきました。ほとんど目的は温泉だったんだけど(笑。
東照宮のかざりは見事でしたね。はじめて見たんですが飛騨の匠の力というのを実感しました。
いちお岐阜出身なのでヨイショ(笑。
左甚五郎の名前はやっぱり土地柄よく名前を耳にしたものです。今でも建築って高山地方では有名だし。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/08(Mon) 13:18>

>うーろん様

日光に行きましたか(^^)。私は何処でも、行けばその地をヨイショする体質ですが(爆)、東照宮は本当に綺麗です。維持費が大変らしいけど、寄付しても維持して欲しいと願う、あこぎな関東人の一人であります。修学旅行には、やはりディズニーランドより東照宮を推進する私であります。

左甚五郎か……。そういや以前、これが実は天海の密命を帯びた忍者で……なんて話を作ろうとした事がありましたね。
あ、そうだ。こんな酒知ってます? 辛口でシャープな飲み口とか。↓
上撰 飛騨の甚五郎:http://www.hidaroman.pos.to/funasaka.html
(飛騨の地酒、池田酒店:http://www.hidaroman.com/index.htmlより)
 
     

     
  房総久留里城


<畠山義綱さま [関東] 2002/04/09(Tue) 07:35>

どうも、こんばんわ。能登畠山氏七尾の歴史@畠山義綱です。
>こたつ城主殿
我が城の掲示板にカキコ頂いて有難うございます。
また久留里にいってしまいました。というのも昨年の3月にも
訪れているんです。しかも、電車(列車)で。久留里線は
1時間に一本しかないので、なかなかスリリングでしたね。
しかも、その年、4月から千葉県の国鉄労働組合がスト決行
するとかで、久留里線も一部運休とか言っていて、
そんな時期に久留里にいったら大変な事になっていたなあと
思ったものです。
今回は、我が愛車で出かけました。文明の力「東京湾
アクアライン」とか利用したりしちゃって、かなり時間も
短縮しましたね。ただあの日は凄い風で、木更津側の橋部分
では、凄い横風に煽られて、危うく吹き飛ばされる所でし
た・・・。
全然話は変わりますが、久留里って上総だったんですね。
どうしても安房国に行きたくて、今回また房総半島を訪れ
たんです。館山城では、『さとみ物語』『特別展 里見氏
の城と歴史』なども買いました。最近里見氏の研究は盛ん
ですからね。ずいぶん詳しく研究されているなぁと羨ましい
限りです。



<こたつ城主 [関東] 2002/04/09(Tue) 15:08>

>畠山義綱さま

久留里城って字を見つけ、もぉ興奮しまくってしまいました!
あ〜ん(>▽<)! たびたび行かれるんですね〜♪ 嬉しいですぅ〜!

>久留里線は1時間に一本しかないので、なかなかスリリングでしたね。

そうだったんだ(^^;)。さすがに久留里城は車で行きましたけど、大多喜城には、18年前ですが電車を乗り継いで行きました! あの辺りってエンエンと先が広がってて、千葉って意外と広いなって思うんですよねぇ。

>全然話は変わりますが、久留里って上総だったんですね。

はいぃぃ〜(^^;)。市原のSAだったか、「安房国鳥瞰漫歩地図」という、カラフルな絵入りの楽しい地図が売ってるのですが、久留里城は入っておりませんでした。 でも、そうそう、久留里城は売店の書籍コーナーが充実してますよね!

私はまだ館山に達してないので、行きたいです〜! 去年、松戸で川本喜八郎さんの人形劇をやったんですが、演目が里見八犬伝で、脚本家の方がこれの稽古場が富津にあるから来て下さいって誘って下さったので、どうしても行きたいんですよ〜。
 
     

     
  上州沼田城跡


<さま [関東] 2002/04/10(Wed) 21:42>

一昨日、沼田城跡へ桜を見に行ってきました。
お目当ての樹齢400年の御殿桜は散り始めていましたが、ソメイヨシノは満開でとてもキレイでした〜
御殿桜の品種は1000年以上も生きるといわれるエドヒガンですので、寿命の短いソメイヨシノがダメになっても、ずっと可憐な花を見せてくれるのでしょうね。

沼田は真田氏との関わりが深い土地ですが、真田色はあまり強くないようです。
上田はこれみよがしに六文銭だらけですが、やはり沼田真田家は悪政で改易されているのでイメージ悪いのでしょうか。(涙)



<こたつ城主 [関東] 2002/04/11(Thu) 18:38>

>紫さま

沼田城跡には樹齢400年の桜があるんですか(゚.゚)? エドヒガンか……。
エドヒガン:http://research.kahaku.go.jp/botany/sakura/sakura05.htm
(国立化学博物館:http://www.kahaku.go.jp/より)
パッと見はソメイヨシノみたいですね。長い間咲いてる桜か〜(^^)。

>上田はこれみよがしに六文銭だらけですが、

言えてる(^_^;)。「それしか無い」って感じすらします。
沼田と言えば、久留里城の黒田藩も改易された沼田から来たようで、町内の寺に真田サンって人が寄進してました。関係あるのかなぁ。
 
     



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