<掲示板・議事録>

相模三浦氏、小桜神社、2

     
  <前田敏郎さま [関東] 2002/03/09(Sat) 00:49>

横須賀基地でのさくらまつりですが、基地の中でさくらを植えている部分を一般開放し、日米親善を深めようという趣旨で、歴史イベントではありません。刀が必要と考えたのは、サムライに刀は切り離せないからです。スープのないラーメンみたいなもんです。さくらまつりは横須賀市内各地で行われるのですが歴史イベント「っぽい」のは衣笠さくらまつり50回記念三浦一党出陣行列ですね。三浦大介義明をはじめ、三浦一族の諸将に扮した鎧武者がパレードします。横須賀の住民にとって三浦一族は根強い人気があります。衣笠の小学6年生が大鎧の製作に挑戦しました。私の桶側胴より難しいのに挑戦してる!(汗)私も負けていられない。ということで、刀の製作に励むのでありました。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/09(Sat) 17:09>

>前田敏郎さま

なるほど、横須賀基地の親善イベントなんですね(^^)。それで桜。
刀を帯びてないサムライはスープのないラーメンですか。するってぇと刀を質屋に出して傘を張ってる浪人になると、さしづめ冷やし中華ってトコか……。

>衣笠さくらまつり50回記念三浦一党出陣行列

三浦氏って地元では人気があるんですね。今調べたら「衣笠城址」というのがありましたが、祭り会場はココですか。
Yokosuka Photo Museumu:
http://members.jcom.home.ne.jp/u2hazam/NewYPhoto/photomap.html
実は、千葉県の館山あたりから久里浜港まで船で行けるようで、今度乗ってみたいんです。久里浜から衣笠までって、徒歩および車でどれぐらいで行けますか?



<前田敏郎さま [関東] 2002/03/13(Wed) 00:13>

三浦一族関係のイベントが行われようものなら、200人、300人すぐに集まります。かつて三浦一族を大河ドラマにしようという趣旨で行政主催のシンポジウムが開かれたことがありました。定員約600人のところ応募多数につき抽選になるほどの盛況でした。結局大河ドラマは実現しませんでしたが。それほど関心が高いということです。
さてお問い合わせの件ですが、少々紛らわしいのですが、@衣笠さくらまつり(3月下旬から4月7日)と三浦一党出陣行列(4月14日、石和とバッティングしませんか?)は別の日に行われるイベントです。Aまた、会場も別です。さくらまつりは衣笠山公園、行列の方はJR衣笠駅前の県道や隣接する商店街を歩きます。ちなみに衣笠山と衣笠城址も別の場所です。

衣笠へのアクセスですが、館山ではなく、金谷という所から久里浜までフェリーで行くことができます。久里浜港から久里浜駅までは車で5分位です。ここから衣笠(駅)まで電車か車かはお好みですが、JR横須賀線なら約5分、車でしたら約15分位です。駐車場は京急久里浜駅高架下とJR衣笠駅前又は隣が比較的大きいです。但し、地元の住民も買い物などで利用する駐車場なので週末は混雑することがありますのでご注意ください。なお、衣笠城址、衣笠山公園に駐車場があったかどうかはど忘れしてしまいました。ぜひ、三浦一族ゆかりの地、衣笠へお越し下さい。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/13(Wed) 13:11>

>前田敏郎さま

え! 三浦氏の大河ドラマ、やってくれたら私も是非見たいです〜!(火に油を注いでますかね(^_^;)) 大河ドラマで何度も同じ時代や人物を取り上げても、その目的が「手抜きが出来るから」(←暗に今年の事:爆)になるぐらいなら、あまりやってないジャンルや土地を扱って欲しいぃぃぃ〜!(加賀も初物だけど、一向宗なんて全然出て来ないじゃんか〜! もう見ねぇぞ!)←既に見てないけど

おお! 「衣笠さくらまつり」と「三浦一党出陣行列」は日にちが違うんですね(゚.゚)!(はいはい、石和川中島合戦祭りは4/14です)
三浦行列(略してスイマセン)は駅前の商店街でやるんですね〜!(よく考えたら当たり前か(^^;))
あとメールも、ありがとうございました! 公園と城址も場所が違うんですね〜。大手門から本丸まではかなりの坂道とか(^^;)。うひょ〜! 聞いといて良かった。

>館山ではなく、金谷という所から久里浜までフェリー

そう、金谷でした! これの運航時刻表ってあります(^^;)?
フェリーなんですね。車で行くとして、船に乗るにはどうするよ、と思ってました(笑)。ウチ松戸なんで、金谷までが車じゃないと行けないですわ〜。駐車場まで事細かにありがとうございました!



<ゲイツ親衛隊員・淡麻呂さま [近畿] 2002/03/14(Thu) 01:21>

>前田敏郎さま

>三浦一族関係のイベントが行われようものなら

おそらく佐久間会が押しかけるでしょう。

>衣笠城址、衣笠山公園

聞いたことある名前だと思ったら、一度訪れるべき場所に挙がっていたところです。

>三浦一族ゆかりの地、衣笠へお越し下さい。

今度提案してみます。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/15(Fri) 15:29>

>ゲイツ親衛隊員・淡麻呂さま

>おそらく佐久間会が押しかけるでしょう。

そういや三浦氏でしたよね(゚.゚)。かなり深い関係があるのでしょうか?
 
     

     
  <前田敏郎さま [関東] 2002/03/16(Sat) 01:08>

こたつ城主さま

私は三浦一族の支持が無ければ、あのタイミングでの源頼朝の決起は無かった、鎌倉幕府は無かったと思っています。そうでなければ、北條氏のバックアップで三島あたりにでも幕府を開けばよかったのですから(少々乱暴なたとえになってしまいました・・・)。それほどの功績ある三浦一族が大河ドラマに起用されないのは、多分、原作になるような小説がないからなのでしょう(近年みかけたのは去年の北條時宗の原作ですね。宝治合戦までで全4冊のうち丸1冊を割いていたのに放送では1回で滅ぼされてしまって残念だったのを覚えています、くやしー)。

そうこうしているうちに行政の関心は来年に迫ったペリー来航150周年に写ってしまったのでした、無念。もっとも、そのおかげで私が手作り甲冑の製作に挑戦し、横須賀開国甲冑隊の活動をしていられるのでした。


ゲイツ親衛隊員・淡麻呂さま

はじめまして。佐久間会の皆さんで大挙してお越し下さい。衣笠周辺は三浦一族ゆかりの場所がたくさんありますから、濃いですよ〜(?)。丸一日楽しめますよ。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/16(Sat) 19:32>

>前田敏郎さま

>宝治合戦までで全4冊のうち丸1冊を割いていたのに放送では
>1回で滅ぼされてしまって残念だったのを覚えています、

原作では4分の1を占めていたんですね! 私も去年は、特に第一回が「展開が早過ぎて飲み込めない(・・;)!」と、何回もビデオを見直しました。あそこでついていけないと、その後の話が判らない設定なのに、なぜ一回に修めてしまったんでしょう。

あの時、頼朝の肖像画の前で500人だか、何しろ当時としては恐るべき数の武士が自刃した、という話だったような……。三浦一族の持っていた力や幕府への忠誠などが判らないと、時宗の母親の執念が不自然に浮いちゃうんですよね(^^;)。

>フェリーの時刻表、何かの折に調べてみましょう。 おおっ! これは恐れ入ります。是非よろしくお願いします! 調べてみたんですが判らないんですよ(TOT)。。



<ゲイツ親衛隊員・淡麻呂さま [近畿] 2002/03/21(Thu) 02:41>

>城主さま

>そういや三浦氏でしたよね(゚.゚)。かなり深い関係があるのでしょうか?

去年にここの掲示板で、佐久間信盛と楠公の関係についての宿題を頂いた気が・・・。で、南北朝の佐久間について調べようと。手始めに三浦について調べてみてはどうかと言うことになってました。

>前田敏郎さま

遅れましたが、はじめまして。

>丸一日楽しめますよ。

じゃあ、また泊まりになりますね、きっと。
三浦についてちょっとは調べとこう・・・。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/22(Fri) 13:25>

>ゲイツ親衛隊員・淡麻呂さま

>佐久間信盛と楠公の関係についての宿題を頂いた気が・・・。

しましたね〜(^^)。
http://www.genvalis.com/lname/wada.html
↑こちらに「和田」氏が、楠木流と三浦流があるって出てましたが、佐久間氏はどうなんでしょ。
 
     

     
  <河内判官大夫さま [近畿] 2002/03/23(Sat) 01:35>

>http://www.genvalis.com/lname/wada.html
……有名人に「和田勉」忘れてますな(爆)。

ちなみにこの「三浦流和田氏」ってのは「飛騨」にゐて、
「滝覚坊」と云ふ僧侶を輩出しました。この坊さんが
河内観心寺にゐた頃に楠木正成に出会い、その学問の
師匠となったさうです。

参照:
http://www.asahi-net.or.jp/~mt4r-ngsm/Relation/R.html
……何だ!観心寺やんか(笑)!



<さま [関東] 2002/03/23(Sat) 21:44>

>和田氏 楠木氏(自称橘氏)流の和田氏は「にぎた」とも読むようです。
正成の子・正行とともに四条畷の戦いで討死した和田賢秀(和田新発意)は、正成の弟である正氏または正季の子で、正行の従弟と言われています。
「太平記」の中では、和田賢秀は正行・正時兄弟が自害した後も敵陣に紛れ込んで高師直を狙ったけれど、かつては楠木氏に従っていた湯浅氏に発見され討たれたと描かれています。

正成の時代にも和田助家という人物がいましたが、こちらは大中臣氏の出身で橘氏を称したとのことです。
何故大中臣氏系が橘氏を名乗ったのかわかりませんが、中臣氏出身の藤原不比等と橘氏の祖・県犬養橘三千代が夫婦(再婚)だったことが関係しているのでしょうか。

参考:「楠木氏三代−正成・正行・正儀」井之元春義著/創元社



<こたつ城主 [関東] 2002/03/24(Sun) 15:49>

>紫さま

和田氏ですが、「何処でどうなって楠木氏とドッキング(゚.゚)?」と不思議に思ってた所です。 しかし中臣氏まで遡るんですね! 藤原不比等の妻だった橘三千代の「橘」って、いわゆる「橘氏の出」という名だったんですね(てっきり通称か何かだと思ってました)。

これは私の想像がかなり混ざってるんで、聞き流して貰えばいいんですけど、「橘」は五位より上の官位には無かった、だったか何かで読んだ事がありまして、藤原と橘の姓って、何となく血筋そのものより、当時として一流と二流の区分け上使われたような感じがしてるんですよね。
まあこれが当たってたとしても、婚姻には必ず身分が関わってきますから、血筋が全く関係なかったとも言いがたいですが。



<さま [関東] 2002/03/25(Mon) 09:31>

>橘三千代
三千代はもともと県犬養氏で文武天皇(軽皇子)の乳母でした。
文武天皇が若くして亡くなった後も天皇家に仕え、文武天皇の母・元明天皇から長年の労をねぎらわれて橘の花を浮かべた杯とともに橘姓を賜ったようです。
今手元に資料がありませんので間違っていたらごめんなさい・・・多分こんなかんじだったと思います。
橘氏の中でも比較的有名な橘諸兄は、三千代が前夫・三努王との間にもうけた子で、母の姓を継いでいます。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/25(Mon) 16:44>

>紫さま

>>橘三千代

ええええ〜! この人って橘諸兄のお母さんだったんですか〜?! そうか、そんな時代か(・・;)。『天上の虹』って漫画に、春日局みたく登場するんですよね、この人。

>文武天皇の母・元明天皇から長年の労をねぎらわれて橘の花を
>浮かべた杯とともに橘姓を賜ったようです。

この逸話は、確か河内判官さまの所で読んだ気がします。橘諸兄から11代だかから楠木氏で、その更に11代だか後に楠木正成って覚えた気が……。

>橘氏の中でも比較的有名な橘諸兄は、三千代が前夫・三努王との
>間にもうけた子で、母の姓を継いでいます。

この三努王って人は、一応、王子か何かなんでしょうか。
 
     



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