<掲示板・議事録>

水戸藩家臣おもしろ系譜、2

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2002/03/01(Fri) 18:17>

確か、うろ覚えなんですが、水戸黄門は、寺院が、庶民から暴利
をむさぼっているのを見て、「よくない」と考えられたとか。

んで、確かその話しの続きに、
「葬式を寺が独占するなら、結婚式は神社でしたらいい、と神前
結婚を推奨した」というのが続いたはずなんですが、
検索してみると、神前結婚式は明治・大正から始まったという説
しか見つかりませんでした。
神前結婚の生みの親が水戸黄門だったら、おもしろいんだけれど。

んでもって、駐在の人がいればお寺として存続できる・・・って
お話は興味深いですね。
確かに無人の神社はあるけど、無人の寺ってのは、聞かないです
もんね。
やっぱり神社は、「お祭」っていう行事があるから、その時の寄
付等で、無人でもなんとか成り立つのかなぁ?



<テェタレさま [北陸] 2002/03/02(Sat) 01:23>

>こたつ城主さま

>ゲリラやテロを前にする指導者とは、時に病的になる(少なくてもそう見える)ものですね。

そんで、「悪の枢軸」なんて決めつけをして、戦意を鼓舞する?(笑)



<こたつ城主 [関東] 2002/03/02(Sat) 18:40>

>のりちゃん様

>水戸黄門は、寺院が、庶民から暴利をむさぼっているのを見て、

そんな事があったのか……(゚.゚)。

>「葬式を寺が独占するなら、結婚式は神社でしたらいい、

名案と言えば名案かな? でも「貧乏で葬式も出せない」なんてのはよく聞くけど、結婚式はどうだったのかな。

>んでもって、駐在の人がいればお寺として存続できる・・・って
>お話は興味深いですね。

廃仏毀釈の時代なんかはどうだったか判りませんけど(^_^;)。神社合祀なんて、かなり政治的に執り行われたとか聞きますから。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/02(Sat) 18:42>

>テェタレさま

>そんで、「悪の枢軸」なんて決めつけをして、戦意を鼓舞する?(笑)

正邪の区別がハッキリしなくて苦労するのは確かだけど、「悪の枢軸」ほど国ごと括ったら、北陸全域に波及しかねないでしょうね(^^;)。まあ当時は核兵器なんてありませんから、信長もそこまで大括りはしなかったけどね(汗)。
 
     

     
  <ゲイツ親衛隊員・淡麻呂さま [近畿] 2002/03/02(Sat) 19:59>

>戦争時だとアレがどういう話になるのかなぁ。

史実を知っている生き証人がご健在ですから。
今回よりも、クレーム多かったり・・・。
意表を衝いて、K-1の武蔵のドラマにしたりするユーモアはNHKにはないかな?



<テェタレさま [北陸] 2002/03/02(Sat) 21:05>

>こたつ城主さま

>「悪の枢軸」ほど国ごと括ったら、北陸全域に波及しかねないでしょうね(^^;)。

広島あたりにも波及しそうですよね。広島も門徒衆は多いから。



<猛馬飼育係さま [関東] 2002/03/03(Sun) 02:38>

題名:美女と野獣が行く・常陸編

この間我が主君島津舞子姫と常陸まで行ってきました。首都高速湾岸線、常磐自動車道を通ってまずは常陸太田市に行き、佐竹寺を見ました。佐竹義昭が建てた茅葺きの本堂(国宝)は重厚で味わい深いものでした。
その後水戸に出て偕楽園を散策しました。好文亭の3階から眺める風景はまさしく天下の名園に相応しいものでした。園内の梅林はまるで紅白の雲がたなびくようでありました。千波湖は陽射しを受けて輝いており、その向こうには水戸の市街地が慎ましく姿を見せていました。水戸では他に徳川博物館や藩校弘道館も見学しました。昼食としてあんこう鍋や鰯納豆を食べもしました。
ひたちなか市の武田台地にある湫尾神社にも行ってみました。この辺りは武田氏初代の源義清(武田冠者)の館跡といわれています。いわば我ら(?)武田一族の発祥地です。さらに阿字ヶ浦や平磯の海を眺めました。海風は冷たかったですが、間もなく春が怒涛の如く押し寄せてくるという思いを抱きました。



<のりちゃんさま [近畿] 2002/03/03(Sun) 10:11>

>葬式も出せない

少なくとも、葬式の時は、「戒名が欲しい」とか、墓穴を掘る労
働力がいる、とか、それなりにお金がかかりそうですが、結婚は
それこそ身一つでくるということもできるでしょうしねぇ。
実際は、結婚式をあげることができる人って、一握りだったかも
知れないですね。

現代は葬式も「無駄遣いかも・・・」ってなところはありますが(なして戒名つけるのに何十万もかかるのでしょう?????)、
結婚式ほど無駄遣い感はないと思います。
私も始めは、「結婚式あげない」と言ってたんだけど、祖母が、
泣いて反対したので、とりあえず挙げました。
せめて、「お色直しなんかしない」と言ったんですが、
「絶対後悔するから」と、白無垢→色着物→カラードレスと着替
えました。
結婚後5年ですが、結婚式の写真やビデオを見直したことなんか
一度もなく、やっぱり「無駄遣いだったよなぁ」と思います(^^ゞ

神社合祀については・・・。
実は最近まで、合祀令なんてあったのを知りませんでした(^^ゞ
ただ、古い由緒のある神社の場合、祠はいつまでも残り、現在、
再建されてる社も結構あるようですけど、その場でどんな風に、
どこにどれを合祀すると決めたのかは、知りません。
やっぱり力の大きな地主がいるところの神社に、纏められたのか
なぁ?くらいの想像はしてますが。
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2002/03/04(Mon) 17:33>

>ゲイツ親衛隊員・淡麻呂さま

>意表を衝いて、K-1の武蔵のドラマにしたりするユーモアはNHKにはないかな?

何かもぉ、NHKに「意表をついて」欲しくない気が……(^_^;)。こないだ受信料の集金に来た人に、インターホンで「今出ます〜」とか言って、そのまんま出なかったなぁ(笑)。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/04(Mon) 17:34>

>テェタレさま

>広島あたりにも波及しそうですよね。広島も門徒衆は多いから。

うん。中国地方は、石見、出雲、安芸、備後の4か国がそうですね。
他には北から、信濃、越中、能登、越前、美濃、三河、尾張、近江、山城、摂津、大和、和泉、讃岐、阿波ですかね。



<こたつ城主 [関東] 2002/03/04(Mon) 17:38>

>猛馬飼育係さま

常陸にいらしたとの事。

>佐竹義昭が建てた茅葺きの本堂(国宝)

国宝なんですね(゚.゚)! これは春から良い物をご覧になられました。

偕楽園ですか(^^)。ちょうど水戸黄門の話が出ていた所です。
私は残念ながら夜に通った事があるばかりで、有名な梅林も見た事ないのですが、「水戸の梅」というお菓子を貰った事がございまして、ちょっと検索したら、
「水戸のお菓子処ふじもと」:http://www.mito-fujimoto.co.jp/
↑こんな所が出て来ました。

あんこう鍋に鰯納豆ですか。イワシ納豆って初耳ですね(゚.゚)。

ひたちなか市の湫尾神社も初耳なんですが、調べてみたら、確かに武田義清の館があったようです! 新羅三郎義光の子ですから、かなり古い時代ですね! ほほぅ常陸なのか……。


>のりちゃん様

>実際は、結婚式をあげることができる人って、一握りだったかも
>知れないですね。

昔は「結婚式」なんて要らなかったんじゃないかな。
縁を結ぶのは「家同志」で、夫や妻を大事にしない事で世間にかける迷惑は、自分達の責任じゃ済まされない大事だったんですね。だから、わざわざ「式」を挙げて大勢に公開したり、神様に誓う必要なんか無かったのですね。

それが今は「個人」を主体にする時代になった。子供が生まれる以上、「イヤになったら別れればいい」というわけにもいきません(^_^;)。それで、神様や仏様に「誓う」必要が逆に出て来たんじゃないでしょうかね。
もっとも宗教心の薄い日本人には、誓う行為なんてあって無いようなものですから、確かに結婚式なんか無駄ですよね。「こんなに金がかかるんだから、滅多に別れられない」と本人同士が思うぐらいの効能(?)ですかね。

>ただ、古い由緒のある神社の場合、祠はいつまでも残り、現在、
>再建されてる社も結構あるようですけど、その場でどんな風に、
>どこにどれを合祀すると決めたのかは、知りません。

これは……地域差がある感じします(^_^;)。それまでひっそり信仰を集めて来た祠が、合祀の際に組み入れられたなんて話も聞きます。その地域にとってどう反映されたかが重要でしょうね。一度総合的な所を知りたい気もしてますが。



<テェタレさま [北陸] 2002/03/04(Mon) 21:41>

>こたつ城主さま

>他には北から、信濃、越中、能登、越前、美濃、三河、尾張、近江、山城、摂津、大和、和泉、讃岐、阿波ですかね。

そうそう、家康も苦労したんだ。(三河)
しかしさぁ、部下と戦わなきゃならないってのも大変だよね。
最近は企業の組合も御用組合化してる所が多いから、管理職対雇用者の対決って風景も少なくなっちゃったんだろうけど、同じ職場で闘うっつうのも気が重そうだ。(笑)



<猛馬飼育係さま [関東] 2002/03/05(Tue) 17:33>

佐竹寺の本堂は本当に風情がありましたよ。もこしの部分は柿葺きとなっており、唐破風には佐竹氏の扇に赤月の丸の紋が掲げられています。

水戸藩はなかなか面白い藩だと思っています。徳川光圀(義公)や斉昭(烈公)といった個性的な藩主を出していますし、家臣団には武田氏・後北条氏旧臣の末裔も多く含まれているそうですから。

そうなのです。武田氏の発祥地は常陸国の武田郷なのです。武田義清の息子清光(黒源太)が常陸平氏大掾氏の一族吉田氏と紛争をおこし、吉田氏は常陸国司に訴え、さらに国司は朝廷に訴えたため、義清一家は甲斐国へと配流となります。ここに甲斐源氏が始まるのです。
 
     



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