<掲示板・議事録>

新田荘と津軽氏

     
  <魔矢さま [関東] 2002/01/23(Wed) 19:04>

こたつ城主殿

本日は武田、上杉、北条の三英傑家と地元の勢力が
入り乱れてシッチャカ・メッチャカの争奪戦を繰り広げた
勢多郡の城を三件ほど訪ねてきました。

関東の城の運命は最終的には北条氏、そして秀吉によって
廃城というケースが圧倒的であるということを再認識した
次第であります。上州へドライブに来たら何を見て周りたいか
考えておいてください♪(^−^)



<こたつ城主 [関東] 2002/01/24(Thu) 16:11>

>魔矢さま

勢多郡ですか〜。ん〜……m(。。)m。地図地図……沼田とか赤城あたり?

>関東の城の運命は最終的には北条氏、そして秀吉によって
>廃城というケースが圧倒的である

そうそう! 判で押したように、ザ・パターン!ですよね! これは千葉でも東京でも同じですわ!

上州は日光に行った事があるのみで、後は信州に出るのに妙義山方面を横切るだけなんですよね〜。沼田には行きたいかな〜♪



<魔矢さま [関東] 2002/01/24(Thu) 21:56>

こちらの「戦国武将一覧」でも解説されている
津軽為信ですが、新田荘にも縁のある人物なんですよね。
私の歴史探索の「東楊寺」にも津軽氏の情報が載せてあります。
ご参考までに♪



<こたつ城主 [関東] 2002/01/25(Fri) 18:36>

>魔矢さま

>津軽為信ですが、新田荘にも縁のある人物なんですよね。
>私の歴史探索の「東楊寺」にも津軽氏の情報が載せてあります。

今、拝見しましたー☆ミ 関ヶ原の功績で新田荘八ヶ村が津軽氏の領地となったとか(゚.゚)? はいぃぃ〜、知りませんでした〜!
 
     

     
  <さま [関東] 2002/01/25(Fri) 21:48>

今冬は12月は寒かったけれど1月は暖かいと思っていたら明日から雪になりそうですね。
例年より早く咲き始めた梅が可愛そう・・・
水仙・ロウバイ・梅・沈丁花・・・この季節から早春の花って姿は地味めですが、香りが良くて大好きです。

>沼田
真田ファンになってかなりの年数が経っているというのに群馬県内の真田史跡は殆ど行ったことがありません。
真田町・上田・松代・大阪・九度山・白石と他県はかなり回っているのですが。(笑)
地元ってなかなか目が届かないというか行く機会がないというか・・・
昨年末に「真田太平記」に染めた妹の友人が「岩櫃城に行きたい〜」と騒いでいますので、もしかしたら今年は岩櫃城と沼田城くらいは行けるかもしれません。

>関ヶ原の功績で新田荘八ヶ村が津軽氏の領地となった・・・
後年、その地で関ヶ原合戦で敗者となった石田三成の三女・辰が暮らし、津軽家三代藩主を産むなんて当時は考えてもみなかったでしょうね。
この縁で尾島町と弘前市は友好都市となり、お盆の頃には「ねぷたまつり」(「尾島まつり」の一環)が開催されます。



<魔矢さま [関東] 2002/01/26(Sat) 22:17>

>紫さま

弘前藩二代藩主・津軽信枚(信牧)の側室で大舘御前と
呼ばれていた石田三成の娘・辰姫は三女でしたか。
つまり、第三代弘前藩主・信義は石田三成の孫になるわけですね。
敗者の子孫が意外な場所で繁栄するというのは歴史には
よくあることですが、新田荘にはいろんなエピソードが
あって、興味が尽きることがないですね♪



<こたつ城主 [関東] 2002/01/26(Sat) 22:30>

>紫さま

又々寒くなって来ましたね〜!
でも梅が咲いてますか(゚.゚)。お正月暖かかったから早かったんですね。水仙の花は、たった今見て帰って来ました(^^)。そうか〜、春は香りからやって来るのですね♪

私も沼田と岩櫃は宿題状態です〜。こうなりゃ、今年行きますか〜!
『真田太平記』と言うと、「沼田=信之」はいいとして、「岩櫃=山手殿」という印象のある私(^_^;)。NHKのドラマで、側室がさんざん「岩櫃のお方様がコワイ、コワイ」と言ってたからかなぁ(笑)。

>地元ってなかなか目が届かないというか行く機会がないというか・・・

同じく! 今イチありがたみを感じないんでしょうか……(^_^;)。

>石田三成の三女・辰

おお(゚.゚)?! そういや津軽家に嫁いだ姫が居ましたね。確か津軽家の正室は家康の姪でしたね。と言う事は……新田荘は隠れ家。なるほど〜!
それで尾島町にも「ねぷた祭り」が……! おお〜、これは良い事を知りました!



<こたつ城主 [関東] 2002/01/26(Sat) 22:36>

>魔矢さま

ありゃりゃ……ノロノロ書いてる内に追い付かれましたね(^^ゞ。

>つまり、第三代弘前藩主・信義は石田三成の孫になるわけですね。

そのようですな〜(^^)。しかもその育ての母は家康の姪(家康の母於大の子、松平康元のさらに娘)!
私、尾島の「ねぷた祭り」は初めて聞いたのですが、又いろいろ教えて下さいましよ〜♪



<沼田面松斎祐光さま [東北] 2002/01/27(Sun) 10:41>

こたつ城主殿、お久しぶりでございます。
なにやら津軽家のことで盛り上がっておりますなぁ。
みなさま、地元の某よりもお詳しいようで。
石田三成の子孫が津軽家に匿われたということは、地元でもあまり
知っている人はおりません。嘘だという人もおりますし。

>関ヶ原の功績で新田荘八ヶ村が津軽氏の領地となった・・・

大垣城攻めの功績で上州に二千石の領地を新たに家康から
もらったことは周知の事実ですが、実は家康から内々に
川中島十万石への転封の話があったのを断ったとされています。
表向きには西軍として大阪城にいた、長男信建の助命を功績と
引き換えに嘆願したことになっております。しかし、本当は
太閤検地で三万六千石、のちに四万五千石の領地はかなり
裕福であったために、転封されるのが嫌だったからというのが
地元では有力説とされております。太閤検地がはじまる前に
沼田祐光の策を採用した為信は、田畑を破壊し荒地に見せかけて
領地の石高を少なく見積もらせたらしいのです。ちなみに検地で
津軽にやって来たのは、前田利家、前田利益などの武辺者だったので
見破られなくてすんだそうです。確かではないですが、おそらく
その当時で十五万石から二十万石ぐらいの石高があったのでは・・・という人もおります。
これは某が聞いた話でして、確実ではありませんので。
あ、違う方向へ話がそれてしまった。(笑)



<こたつ城主 [関東] 2002/01/28(Mon) 15:26>

>沼田面松斎祐光さま

こんにちはー☆ミ そうそう、意外な所から津軽家の話が出ておりまする〜(^^)。

>石田三成の子孫が津軽家に匿われたということは、地元でもあまり
>知っている人はおりません。嘘だという人もおりますし。

う、嘘かもしれないんですね(^^;)。確かにやや史実性の疑わしい本で知りました。
津軽為信自身は三男信牧とともに関ヶ原は徳川方ですが、嫡子信健は豊臣秀頼の小姓だった関係で大阪(次男は早世)についてて、落城の時、小姓仲間の三成の次男源吾とその妹辰子を津軽に連れ帰った、とありました。
しかしこの筋立てで行くと、辰子を妻にするのは信健という気も……(^^;)。

川中島に領地替えの話は……何で知っただろう。。。直江兼続の小説だったかな(違うかも)。しかし信建の助命と引き換えに断ったって話は知りませんでした。そういや、あの話はどうなったんだ、と思ってましたわ、わっはっは。その話って南部も絡んでませんでしたっけ(東北はとんと疎いんですわ(^^;))。

川中島と言えば、実際川中島に行かされた(ってか「流された」)福島正則ですが、その子正之の妻が正之の死後、津軽信牧と再婚したと聞くのですが、こっちは……本当ですよね(^^;)。これが家康の父親違いの姪にあたるそうです。

石高隠しが地元で有力、というのは、何だか聞き応えのある話ですねぇ(^^)。検地が前田利家だったというのも初耳でしたし☆ミ ふむふむ、なるほど。やっぱ津軽は遠すぎるんですね。ふっふっふ(^。^)。
 
     

     
  <さま [関東] 2002/01/28(Mon) 21:49>

>津軽家
信牧の正室は家康の養女(実の姪)満天姫で初めは福島正則の養子・正之に嫁ぎましたが、正之が亡くなった後に信牧に再嫁しました。
満天姫が信牧に嫁いで来るより前に辰は信牧の妻になっていたようです。
辰が5歳の信義を残して32歳で亡くなった後は満天姫が信義を育て三代藩主としました。
満天姫は津軽家では男子に恵まれなかったとはいえ前夫との間には男子がいましたので「信義を殺して我が子を次代藩主に・・・」(時代劇でよくあるネタ)と考えそうですが、信義を三代藩主にしたということは賢明な女性だったのでしょう。

>福島正則
私は結構正則が好きなので長野県小布施の岩松院に霊廟があると知り見に行ったのですが、松代の真田信之のお霊屋みたいなものかと思っていたらかなりボロボロでした。
ガタガタな石段の上の質素な霊廟には大きな蜂の巣が付いていますし、本堂の隅の遺品が展示してあるガラスケースの中は埃まみれ・・・流罪同然とはいえそのあたりの殿さまの遺品なのだからもう少し大切にして欲しいと思いました。
岩松院は葛飾北斎の天井絵で名高い寺なので、福島正則の霊廟のことを気にする人間はあまりいないのかも・・・



<こたつ城主 [関東] 2002/01/29(Tue) 16:17>

>紫さま

満天(まて)姫でした(^_^;)! 名前が思い出せなかった。。。ありがとうございます〜。

>初めは福島正則の養子・正之に嫁ぎましたが、

確か正之は狂行があったとして、父正則に成敗されるんでしたよね。

>満天姫は津軽家では男子に恵まれなかったとはいえ前夫との間には
>男子がいましたので

直秀という人物ですが……これが福島正則が川中島で死んだ後、福島家の再興を願い出ようとしたため、実母の満天姫に毒殺されたって言うんですね(゚.゚)。これが本当なら、津軽藩の妨げになるからでしょうが、辰子の産んだ信義の将来のため自身の子を犠牲にした、という事になりますね。

小布施の岩松院には私も行きました(^^)。ボロボロ……だったかなぁ。廟のある奥の山沿いの階段を登って振り返ると、眼下に広がる町の景観が素晴らしかった記憶が……特に紅葉の頃だったからでしょうか。一本立ちの大きな銀杏が素晴らしかったです。それと……そうですね(^_^;)。私も北斎の天井絵にうつつを抜かしてたクチですわ。わっはっは。



<河内判官大夫さま [近畿] 2002/01/30(Wed) 01:20>

●福島正則
この系統は代々「正」の字をつけてゐますが、
なんか理由ってあるのでせうか?尾張には楠木氏が
逃げてきた、と云ふ伝承があるので、気になるんでがんす。

>確か正之は狂行があったとして、父正則に成敗されるん
>でしたよね。
え?山中大和守と猫田与助が犯人じゃぁ……(爆)。

ちなみにこんなのがありましたぞ(^o^;!
→ http://www.root.or.jp/MASANORI/



<こたつ城主 [関東] 2002/01/30(Wed) 15:04>

>河内判官大夫さま

福島家の「正」ですか(゚.゚)? そういや正則の父からして「正信」ですね。
んん〜、楠氏がらみの話は聞きませんし、「正」のついてる人は多いです。
石川数正、石田三成の父正勝(のち正継)、兄正澄、稲葉正成、芋川正親、太田資正、加藤清正、福島正成、佐久間正勝、長野業正、福島正則、本多正信……。
まあ言われてみれば、東海、中部に多いですかねぇ。

>え?山中大和守と猫田与助が犯人じゃぁ……(爆)。

そんな話あったっけ(^^;)。真田太平記でしょ? あれは……加藤清正も忍者に毒殺されちゃうからなぁ(笑)。

>ちなみにこんなのがありましたぞ(^o^;!

獣医さんなのね(^^;)。研修実習と解剖学の中にポチッと挟まる、↓
>★戦国武将福島正則について [解剖学教室1996林間ゼミ発表]
という「異色の(爆)」コーナーが笑えました(^^)。
 
     



ホーム