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<KUBOさま
[北海道] 2001/10/27(Sat) 07:16>
>紫さん
>徳川義季についてはかなり前に地方出版本(確か「消された一族」
>とかいうタイトルだったような)
その本持ってますわ(^^;) 『消された一族 ――清和源氏新田氏支流・世良田氏』(清水 昇、あさを社)ですね。この本によると、義季は「得川」ではなく「世良田義季」で、得川を名乗ったのはその庶長子である頼有であるとしていますが。
<こたつ城主 [関東]
2001/10/27(Sat) 17:35>
>KUBOさま
>『消された一族 ――清和源氏新田氏支流・世良田氏』
>(清水 昇、あさを社)
本当に何でもお持ちでいらっしゃいます(^_^;)。でも、なんで「消された」なんでしょうね。
>得川を名乗ったのはその庶長子である頼有であるとしていますが
新田氏:http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nitta_k.html
ご存知(^_^;)(戦国武将の家紋:http://www2.harimaya.com/sengoku/index.htmlより)
↑ここでは確かに、義季の子の内、頼有から得川、頼氏の系統が世良田になってますね。
<紫さま [関東]
2001/10/28(Sun) 06:31>
「消された一族」は、やはり父の書斎にありました。
今編んでいるカーディガンが編み上がったら読んでみます。
<魔矢さま [関東]
2001/10/28(Sun) 14:30>
>こたつ城主殿
歴史は楽しいですよね。夢とロマンをかきたててくれるし、
想像力を培ってくれる魅惑の世界が広がります。V(~0~)v
>紫殿
どもっす。レスが遅れてスイマセン!
なんと紫殿の母上は世良田出身で叔母上は尾島ですか!
もしかしたら私の先祖とは親類かもしれないですね。
これからもよろしくです♪
鎌倉時代の徳川一族に関しては資料が極端に少なく、
徳川氏を最初に名乗ったとされる義季から先の子孫の
活動はほとんど知られておりません。義季が徳川(得川)という
姓を実際に使ったのか、それとも世良田だったのかという
論争もありますが、真相は歴史の闇の中です。
高崎市の群馬県立歴史博物館に展示されているパネルには
世良田義季と書かれていますし、一門の菩提寺である長楽寺では
徳川義季公と墓前の石塔には彫られています。
義季を徳川氏の祖とするのは、江戸時代に徳川村(現尾島町徳川)
の長をしていた正田家(300石の旗本待遇)に伝わる伝承が
根拠となっているようです。
ところで忠臣蔵で有名な吉良上野介義央の領地が群馬県にも
あったのをご存知でしたか?藤岡市には吉良家の飛地があり、
祈願寺であった龍泉寺や屋敷跡も存在します。私はまだ訪れた
ことがないので、年内にも訪問してみようかと思っています。
<こたつ城主 [関東]
2001/10/29(Mon) 06:39>
>魔矢さま
あまり知られてない史跡とか、小説やドラマになってない面白そうな歴史に出会うと、「うふーっ☆ミ」と思います。
本当に、紫さまとは何処かで繋がっておられるかもしれませんよ! そうだったらステキですネ(^^)。
>徳川氏を最初に名乗ったとされる義季から先の子孫の
>活動はほとんど知られておりません。
もしかして……忍者だったのかも!(きゃあ! きゃあ!(>▽<))
私は世良田という名をガッチリ記憶できたのが『影武者徳川家康』から……という不届き者でして(^_^;)、いずれ世良田と得川は、先祖で枝分かれしたのみならず、深い関係を持っていたのかなぁ……なんて思うのですが。
>一門の菩提寺である長楽寺では
>徳川義季公と墓前の石塔には彫られています。
「徳」の字は、ずいぶん前から使われていたのでしょうかね。何かを憚って「得」にしたとか(あるいはその逆)? 正田家の伝承ですか。ありがとうございました。
そうそう(^^)、吉良上野介は(官位名の通り)群馬に領地を持ってるんですよね。赤穂浪士の一件ではあのようですが、地元では大変な名君として伝わっていると聞き及びました。藤岡が飛び地とは知りませんでしたが、こないだ(初めて車で)通ったので、今度私も行きたいです♪
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