<掲示板・議事録>

武将の男色〜性神さま談議4

     
  <こたつ城主 [関東] 2001/06/20(Wed) 15:28>

>赤いお母さん様

儒教思想については、戦国時代は学者のみ、江戸時代には武士階級のみ、明治以後は庶民の間に「感覚として」広がってしまった、と思ってます。

また女性(の権利)は戦国時代が一番強く、そこから遠ざかるにつれ弱くなる、と聞いた事があります。どん底は明治時代とか。私もそんな感じがします。儒教というものは、ある程度は学者が世話をしながら広めるものだよな、という感じがします。

>夜ばい、乱交、

村祭りの中でも盆踊りの時期……夏〜秋ごろですね。刈り入れが始まる前。神社は子宝などを祈る場である所もあり、特に「神様に失礼」って事も無かったんでしょうね。

>良く「昔は近所の大人が他人の家の子供もしかったものだ」なんて声も聴かれますが、
>そりゃそうですよ、自分の子供かもしれないんですから(笑)。

あははは(>▽<)! 通気の良い(?)世の中ですよね。私が東京に住んでた頃には、長屋(?)ってのがまだ在りましたよ。でもだんだん住む人が、学生とかワケありの夫婦(?)だけになって、町の雰囲気が一変しました。
学生も今は、下宿暮らしってのさえ不向きですね。一生に一度ぐらい、銭湯に通いながら、三畳一間で壁越しに見知らぬ他人の声を聞きながら生活するのも、良い経験と思うんですがね。

>セクシャリティに付いては大学の教養課程でやった位なのですが、
>こういった父親との例以外に覚えていないんです。

私も同じですよ(^_^;)。ただ、「吸血鬼が怖ければ、自分も吸血鬼になってしまえ」という言い方は面白かったです。

>高貴な家の男子の幼児性を感じてしまいます。
>幼児性と言ってしまうのは現代人の感覚なのかもしれませんが。

現代人が見れば、何らかの幼児性を残したまま成人してるように見えるかもしれませんね。生まれながらにして何らかの支配階級にあるという事は、赤ん坊の頃から、周囲は常に情報が氾濫してる環境です。今の子供や若者と一緒で、一つ一つを消化しきれない内に「締め切り」が先に来る。

ただ昔は今と違って「全員が支配階級」ではありませんから、当然「自己と他の対比」が成り立った点が、今とは違いますね。幼児性も悪く利用されたり、掛け値無しに尊ばれたり、いろいろある中でしか身に付けられない経験もあった、と思っています。

>現在と違い非常に母胎がストレスを感じる危険が多い時代

そんな中でも生まれてきて堂々と生きられた、と見られる時代になら、むしろ学ぶ面が多いでしょうね(^^)。



<こたつ城主 [関東] 2001/06/20(Wed) 15:36>

>守天働児さま

>性神さま

↑って言うんですね(^_^;)。
「田懸神社」が男性器で、「大懸神社」(姫の宮神社)は女性器ですか〜。二つを合体させる祭りなんてのが、昔は流行ったんじゃないでしょうかね。人口増殖は、それはそれで村にとって死活問題ですもの。

去年、信州の荒砥城に行った時も、下り坂途中に巨大な性器を祀ったお社がありました。荒砥城の番をしてる人が、私達に子供が居ないと見て、「帰りにそこに行って、一生懸命祈りなさい、必ず子宝が授かります!」って力説してました。けっこう大真面目でしたよ。


>村上信濃守雅清さま

教養なのか興味なのか……(^_^;)。
歴史の中でも、性に関する事はどこの国でもわかりにくいですものね。

>おもいきり読み込んでしまった・・・

わははは(^O^)! 「18禁」って書いておかないとマズイかな?(爆)


>しら様

しら様、ようこそおいで下さいました(^^)。

米子の「木ノ根神社」は……主人が島根でして、米子には私も宿泊した事がありますが、行ってないですぅ〜。でもハーンはお母さんがギリシャ人だから、神話には国を問わず愛着があったんでしょうね(^^)。
名和長年は、大河ドラマの「太平記」放映中、歴史に疎い主人でも「この人は山陰の人だよ」と教えてくれた名前でした。

>日本人がこの手のことにおおらかでなくなったのは、
>白樺派などが跋扈した大正以降と言われているようですね。

「内気こそ正義」ってのが「文学の鉄則」になりましたからね(爆)。



<こたつ城主 [関東] 2001/06/20(Wed) 15:37>

>のりちゃん様

>名残どころか、そのまんまのとこも結構あるのです。
>関西では「飛鳥坐神社」が筆頭かな?

関東では、下田が有名かも……(^^;)。通称スケベ寺(爆)。(※ここの箇所、下田は関東ではありません。ここを訪れる人に関東の人が多いんですね(^_^;))←編集時コメント

>演技が、リアルなんだけど、いやらしい感じが全然しないのだそうです。

大真面目にやってたんだと思いますよ(^_^;)。前にも書いたけど、昔は子供がジャンジャカ死んだんですね。生んだ数だけ必ず成人するなんて(ある意味異常な)事になったのはつい最近で、どんどん作ってジャンジャン生まないと、村が絶えてしまったのかもしれません。

>この神社は、あちらこちらに、陽石・陰石がごろごろしてまして、
>ひとつくらい持って帰ってもわからんのちゃうか・・・

きっと持ってった人が数知れず居たでしょうね(^_^;)。
男根崇拝は世界規模であるように聞きますけど、そういや女性性器は……どうなんでしょうね。

>聖書でも、「オナン」が、「精液を地にたらしたため」エホバが
>お怒りになった、という話しがありましたね。

う〜ん、キリスト教がユダヤ教を母体にしてるのとは関係ないのかな?
インド「マハバラタ」には、神様を呼び出せる呪文を風呂場で唱えてはならない、と王女に教訓する話が出てきます。で、うっかり唱えてしまうと神様が来て……子供を孕ませると(^_^;)。不義の子なので川に流すんです。あ、またヒルコですね(爆)。
たぶん裸にいる所を神様であっても見せてはならないって教訓なんでしょうね。


>梵天丸さま

>ただし、某には補習が必要なようで・・・

きゃあ! きゃあ! 補修って何やるのかしらっ!(爆)
 
     

     
  <たまこさま [東海] 2001/06/20(Wed) 18:48>

>関東では、下田が有名かも……(^^;)。通称スケベ寺(爆)。

このテの話はネタも尽きぬようで、(^_^;)。
名指しとあれば、致し方なくオズオズと。
了仙寺、通称ジャスミン寺。ジャスミンの香り漂う中に、開国史料と競うが如く、性と宗教が紹介されております。
お年寄りの団体さまも否応なくコース上のこの寺へ。
おまけに、境内より続く小路は、元の遊郭でござりまする。



<石野真琴さま [関東] 2001/06/20(Wed) 20:09>

 伊豆下田の話題が登場しましたね、自分の故郷であります。
 了仙寺に限らず、白浜の方にも同じような神社があるはずです。
 性神信仰は山岳信仰より古く、各地にもっとも広まった信仰の一つ見たいですね・・、やっぱり子供が生まれてくると言う現象は、非常に不可思議でさらに尊いものであったわけで、そこに大きな神秘性が感じられたのでは無いでしょうか?
  伊豆の下田なんぞと言う所は、海上交通が盛んにならねば、陸の孤島であり、唯一の産業であった漁師と言う職業の人は特に信心深く、頑固であった為に古来の信仰が残ったのでは無いでしょうか。



<守天働児さま [東海] 2001/06/20(Wed) 20:44>

スケベ話を一つ。
(こういう話題になると、何故か元気が出るんですね。)
性神で五穀豊穣を祈っていたというのが、主流的な考え方なんですが、亜流的な考えとして、性を楽しんでいたのではないかというのがあるんです。
例えばオーラル○○○などは、文明開化以降とか言われていたけれど、それは違っています。
神様に名を借りて、楽しんでいたのでしょうね。
九州の「ひょっとこ踊り」なんか最高です。
あの、ひょっとこの面が欲しいです。



<黒龍斎さま [関東] 2001/06/20(Wed) 23:59>

> こたつ城主 殿

戦国・江戸時代の「性風俗」に関してですが・・・・・
現代よりも大変〜おおらかな部分があったようですね〜〜

「夜這い」などは、その典型的な一例でしょう。
村の若い青年達に夜這いを通じて「手ほどき」する未亡人
もいたようです・・・・(筆○○○ですかな)
つまり、村社会が人間として生きる為の学校として機能し
ていたという〜「民俗学的」な話しを聞いた事があります。

年長者の男衆が「農作業」「村の掟]」「村の神事」「酒の
飲み方」や〜「気に入った娘の口説き方」などをレクチャー
していたようです。
特に、「酒の飲み方」「気に入った娘の口説き方」などは〜
村の祭事にて催される「酒宴」にて「女性立ち入り禁止」の
場にて行われたそうです。

逆に女性は〜、「男に口説かれた場合」「男性を受け入れる
場合」や「子育て」などのレクチャーは、「男性立ち入り禁
止」の場にて行われたそうです。
(女性の毎月くる〜某日の処理についても含みます)
ちゃんと「貞操観念」についても話されています。

変な意味ですが・・・現在の学校よりも人間として生きる為に
「生活」に密着した「きめの細かい」人間教育が行われていた
感があります。しかし・・・・迷信めいた部分による非科学的
な教育もあったようですが・・・・男女とも地域社会の一員と
して必要な教育を十分受けていたようです。

現代でいう、「学歴・経歴社会」にて苦労したのは〜「武士」に
生まれた人達かも知れません、「一族・家の名誉」などプライド
を重んじた「武家社会」ですから〜「武芸」「馬術」「漢文」や
「礼節」「作法」など〜当時では「ハイ・レベル」な教育が幼少
の頃から詰め込み教育されており、武家社会という支配階層の〜
「狭い世界」に暮らしており世間に疎い方もいたと思います。

ある意味では、足軽から出世して「天下統一」を最初に果たした
のが「豊臣秀吉」という点には納得できます。
それを横で見て〜ノウハウを学んだ「徳川家康」が更に一枚〜〜
上手のようでした。

では・・・・



<石野真琴さま [関東] 2001/06/21(Thu) 01:01>

そうそう、下田の遊郭は風待ちで動けない船乗り、金山の人夫の為に作られたものらしいです。なにしろ下田は天領ですから江戸時代は。



<赤いお母さんさま [関東] 2001/06/21(Thu) 01:59>

おお、盛り上がっていますね。
日本の風俗の話題で。

こうして考えてみると、庶民というのは実におおらかに、その性を楽しめる環境に在ったんだな・・・と思います。
それだけコミュニティがサポートしていたという事でもあるし、
逆に避妊の無い時代に、そのような事が許されるという事は、
生を全うする事の難しさを感じなくもありません。
子供の死亡率や母体の危険度も高かったでしょうし、
産み育てないと人口が維持できなかったのかもしれません。
逆に今問題になっている子供が増える事による貧困というのもあったのかもしれません。
(口減らしだの良く聞く話ですものね)
大変そうだなぁ・・・。

一方で名のある家に生まれた人間も大変ですね。
女性と関係を結ぶという事は今以上に妊娠のリスクが高いわけで、
子供が出来てしまう事による家に対する影響も政治的に色々とあるでしょう。
そう考えると、対女性の自由恋愛は難しかったのかな・・・と考えてしまいます。
それ故の男色という位置づけもあったのだろうか?
・・・等と想像してしまいます。

こういった中世から近世にかけての風俗の資料って無い物でしょうか?



<のりちゃんさま [近畿] 2001/06/21(Thu) 08:25>

>一方で名のある家に生まれた人間も大変ですね。

何かの本に、名家の婚姻は、必ず、近しい家臣により、「結合」
を確かめた。と書いてあったと思います。
不手際の場合は、助言する者も次の間に控えてたとか。
プライバシーもなにもあったもんぢゃないですね。

>どんどん作ってジャンジャン生まないと、村が絶えてしまったのかもしれません。

あと、御田祭りというのは、名の通り、田植えの前に行われる儀
式でして、男女交合の踊りには、「豊作への願い」が込められて
いたんだそうです。
人間も植物もどんどん交わって、どんどん繁栄してくれという願
いなんでしょうねぇ。

女陰信仰・・・。確かギリシャ神話でもデメテルが女陰を顕にし
て豊作うんたら・・・とかなんとか聞いたような。
「聖なるもの」という感覚はあったのだと思いますが、女陰型の
飾りとかはあまりないかも。男根は結構あるのに。形が単純だと
言うのもあるかも知れませんが。



<村上信濃守雅清さま [関東] 2001/06/21(Thu) 13:23>

>こたつ城主さま

>わははは(^O^)! 「18禁」って書いておかないとマズイかな?(爆)

そうかもしれません(笑)
しかし何処まで続くのか・・・?<風俗ネタ
 
     



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