<掲示板・議事録>

「河内、木沢長政の墓」つづき

     
  <HAZUさま [東北] 2001/01/31(Wed) 20:20>

こたつ城主 [関東]さま

>>木沢長政だけ知らないんで(^_^;)、検索してみたら、

 ご同輩(^^;) 私もわかんなかった(^_^; アハハ…
 ご説明ありがとうございます。


筈衛



<光源院さま [関東] 2001/01/31(Wed) 21:51>

>城主様、HAZU様
>木沢長政

私の調べたところでは、
木沢はですねぇ。河内守護・畠山義宣の守護代でした。
しかし、晴元に重用され、義宣を追い落とします。
その後、晴元の元で権勢を握るも義晴の警護を願い出て今日に軍勢率いて迫った為、謀反とみなされ
翌年、河内守護・畠山稙長と三好長慶に太平寺で討ち取られました。
(1540年代の最初頃だったかな)
間違ってたらお知らせ下さい。



<河内判官さま [近畿] 2001/02/01(Thu) 00:46>

おっと。意外にみなさま「木沢長政」を知らない。
"信長の野望・天翔記"に出ておったんですが。
……こ奴、すごい悪人です。松永久秀なんて可愛いもんです。

元は畠山氏の家臣、しかし管領家の争いに乗じて勢力を伸ばして
旧主・畠山義宣と対立します。これと合戦になると細川晴元に
泣きつき、晴元は本願寺証如に頼んで一向一揆を動かし、木沢を
援助して、ついに畠山義宣は敗れて自刃します。さらに三好元長
(長慶の親父)をも攻め殺す。今度は一向宗が邪魔になったのか、
法華一揆と手を組んで本願寺を攻める。その後絶大な権勢をふるい
晴元をないがしろにしたために、これと対立します。同じ頃、河内
守護畠山家に内紛が起こり、畠山政国に荷担して遊佐長教・畠山稙長
と合戦に及びます。ところが運の尽き。敵が多すぎました。
ついに1542年、河内太平寺にて戦死します。

いかがですか。ロクでもない奴でせう。恩人をも消そうという
この非情、今日の友は明日の敵。松永久秀が霞みます。



<光源院さま [関東] 2001/02/01(Thu) 09:40>

私には、
将軍家に害を及ぼしてないだけ木沢の方がましです。(たしかに普通に考えたらひどい人ですが)
松永と信長だけは許せません!!
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2001/02/01(Thu) 16:13>

ちなみに皆様(^_^;)、畠山氏の簡略系図をばご披露。

持国−+−政長――尚順――稙長――政国
   |
   +−義就――義豊――義英

スペースズレした場合(^_^;)↓

持国−+−政長――尚順――稙長――政国
      |
      +−義就――義豊――義英

応仁の乱では、政長と義就の間に家督相続争いが起こりますが、どうも今調べた限りでは、この孫の代、稙長と義英の間でも、まだ争ってるんですねぇ(^_^;)。


>HAZUさま

>ご同輩(^^;) 私もわかんなかった(^_^; アハハ…

私も検索しただけ(^_^;)。はははは。



<こたつ城主 [関東] 2001/02/01(Thu) 16:16>

>光源院さま

木沢長政の事、お調べ下さってありがとうございます(^^)。それで、すいません、「畠山義宣」って誰(^_^;)。応仁の乱の畠山政長、義就とどういう繋がり?(これしか知らない(^_^;))

>その後、晴元の元で権勢を握るも義晴の警護を願い出て京に
>軍勢率いて迫った為、謀反とみなされ、翌年、河内守護・畠山稙長
>と三好長慶に太平寺で討ち取られました。

ふむふむ。ありがとうございました(^^)。

>将軍家に害を及ぼしてないだけ木沢の方がましです。
>(たしかに普通に考えたらひどい人ですが)
>松永と信長だけは許せません!!

ぶぶーーーーっっっ(^^;)。いろんな人がいろんな事を言ってくれて、毎日楽しいッス。(ご、ごめん) でも、そうかぁ、将軍家に(だけ)は、類を及ぼしてないのですね。それは見直してあげないと可哀想よネン♪



<こたつ城主 [関東] 2001/02/01(Thu) 16:19>

>河内判官さま

>おっと。意外にみなさま「木沢長政」を知らない。

ええ、全然(^_^;)。遊佐ナントカの方は、昔同じ名前の知り合いがいて、何でこんな変わった名前なのかな〜、と思ったコトがあるんで、覚えがあったんですが。

それにしても、木沢長政、ヤナ奴ですなぁ〜!(爆)
城主は、「戦国トンデモ人」(そんな企画は今の所ナイ)に加えたい気分。上司が気に食わないと、別の上司にくっついて逆らって、又乗り換えて……なんて、今の時代ですら許されない事だもの〜♪ この人、ジョーカーに使いたい。誰がジョーカーを引いたかって、そりゃ、話を聞いてる限り、細川晴元だって気がする(^_^;)。

>さらに三好元長(長慶の親父)をも攻め殺す。今度は一向宗が邪魔になったのか、
>法華一揆と手を組んで本願寺を攻める。その後絶大な権勢をふるい
>晴元をないがしろにしたために、これと対立します。

スゴイよね(^_^;)。使えるカードは全部使うという……。見上げたモンだ。(爆)

>同じ頃、河内守護畠山家に内紛が起こり、畠山政国に荷担して
>遊佐長教・畠山稙長と合戦に及びます。
>ついに1542年、河内太平寺にて戦死します。

この辺、元の畠山稙長、政国の間で親子合戦が起こるってコトですかね。この両者と畠山義宣の関係がちょっとわからないんで、教えてもらえませんか。

>この非情、今日の友は明日の敵。松永久秀が霞みます。

畿内では、こういうコトは多かったのではないかしら(^_^;)。それだけ土地も少ない(?)し、利権絡みの興亡も多くて、何と言いますか、都市部に限って人心が荒廃しやすいってな想像をしがちですが、どうでしょうね……。
 
     

     
  <味舌政宗さま [東海] 2001/02/01(Thu) 23:45>

>河内判官様
木沢長政ってこれだけの事をしておきながら、なぜかマイナーな
武将のひとことで片付けられてしまう。でも本願寺に自らの力を
目覚めさせかつ今度は法華をつかって宗教戦争のようにもってゆく
あたり、なかなかの策士であろうと思います。でもゲームでも、
それほど評価が高くなかったような気がしますけどね。とにかく
戦国時代前期の畿内のキーマンだったと思います。



<河内判官さま [近畿] 2001/02/02(Fri) 00:50>

> この辺、元の畠山稙長、政国の間で親子合戦が起こるって
> コトですかね。この両者と畠山義宣の関係がちょっと
> わからないんで、教えてもらえませんか。

義宣は義英の子供です、義就系。稙長・政国は政長系。
この両者は応仁以降宿命の喧嘩相手です。それで稙長と
政国がどうして争うやうになったか。これは結局担いだ者の
勢力争いってとこでせう。木沢は河内飯盛城を根城に河内
北半分を支配し、遊佐長教は高屋城を根拠に南半分を握って
ゐました。この両者で勢力争いが起こるのは当然です。
木沢は政国を、遊佐は稙長を担いで合戦です。そこに木沢に
恨みを抱く三好長慶が加わってきたのです。
それにしても木沢の悪行、さらにもうひとつ見つけました。
先に一向一揆を抑えるために法華一揆を利用した、って
書きましたが。今度はきゃつめ、法華一揆を抑えるのに比叡山を
使ってゐます。恐るべし。

> 味舌政宗さま

同感です。調べれば調べるほど実は楽しいのですがね。
やっぱり足利将軍家を越えられなかったところに限界が
あったのでせうか。信長は越えてしまいましたから。
ゲームでもわたしは信長が生まれる以前の勢力関係が
好きなのですよ。



<こたつ城主 [関東] 2001/02/02(Fri) 16:56>

>味舌政宗さま

木沢長政はゲームにも登場するんですね(^_^;)。なぜ評価が低いんでしょうね。あまりメジャーな時代じゃないから?(現に私は知らなかった) あと強いて言うなら、それだけの悪行(?)の割には名前が平凡かも……?

でも、ずっと前から一向一揆などの宗教戦争が、かなり本格的な戦闘化をしていった理由というか、背景みたいな物を知りたかったんですが、激化していく段階で、木沢長政のように(元は自身の野心などの為であったにせよ)、力を貸している存在があるんだろうな、とは思っていたのです♪ つい名のある武将たちの華々しい活躍ばかりに目が行きがちですが、戦国時代とは、宗教戦争や一揆の時代でもあるんですよね〜。(ドラマでは悪者扱いだけど)


>河内判官さま

>義宣は義英の子供です、

おおお〜(^O^)! そうだったんですか! ありがとうございます。私の持ってる本では確認できなかったのです。では……

持国−+−政長――尚順――稙長――政国
   |
   +−義就――義豊――義英――義宣

↑こうですね〜(^^)v。

>この両者は応仁以降宿命の喧嘩相手です。

ホントにそうですね〜(^_^;)。これで見ると四代! 立派にモンタギュー家とキャピュレット家(ロミオとジュリエット)状態。でも、両上杉みたいに下手に途中でくっついたり離れたりされない方が、後世の我々としては覚えやすいですけど(^_^;)。ではでは。↓

1、応仁の乱の後、畠山氏は政長派と義就派に分裂したままだった。
2、木沢長政は、主君だった義就派の義宣を細川晴元と一緒に追った。
3、政長派の政国とくっついたが、政国は父の稙長とも仲が悪かった!
4、木沢は息子の政国を担ぎ、遊佐は父親の稙長を担いだ。
5、木沢が嫌いな三好長慶は遊佐に荷担し、木沢側が負けた。

↑これで合ってますか(^^)?

>それにしても木沢の悪行、さらにもうひとつ見つけました。
>先に一向一揆を抑えるために法華一揆を利用した、って
>書きましたが。今度はきゃつめ、法華一揆を抑えるのに比叡山を
>使ってゐます。恐るべし。

まさに「戦国仕掛け人」! 城主は何となく、コノ御仁を表彰したくなってきたのです(爆)。

>やっぱり足利将軍家を越えられなかったところに限界が
>あったのでせうか。信長は越えてしまいましたから。
>ゲームでもわたしは信長が生まれる以前の勢力関係が
>好きなのですよ。

何となく、お二人は気が合いそうな気配(^O^)。
 
     



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