<掲示板・議事録>


「各地の姓と武将の子孫(?)」

     
  <宮内少輔さま [東海] 2000/09/12(Tue) 21:04>

どうも、やっぱり久しぶりの宮内少輔です。
きょう、じつは学校に教育実習生がやってきたんですが、なんとその先生の名は海野先生。
「先祖は信州上田の出身ですか?」
という私の馬鹿な質問に、答えは、
「はい」
しかも、
「まさか、海野六郎の子孫ですか?」
というこれまた馬鹿な質問に、答えは、
「はい」
後々調べたところによりますと、架空の人物が多い真田十勇士の中でも、海野六郎はわりと実在説があります。
海野姓って事は、真田の血も引いてるんだよなぁ…。
日本って狭い。



<甲斐の虎さま [関東] 2000/09/12(Tue) 23:50>

題名:真田十勇士

猿飛佐助
霧隠才蔵
穴山小助
由利鎌之助
なんかは架空の人物ですね。

私は高校時代に部の後輩に甘利ってのがいて、「山梨の出身、もしくは実家が山梨だ!」と断じてしまったことが(^^;
ちなみに当たってましたけど(笑)



<紋次郎。さま [関東] 2000/09/13(Wed) 02:26>

下の宮内殿のカキコに反応。(笑)

>海野姓って事は、真田の血も引いてるんだよなぁ…。

もともと、真田家は海野の分家だったと記憶しておりまする。
主家が海野で、それがいつの間にか逆転してしまった様で…
下克上?
海野六郎に関しましては、
実在の人物「海野某」(←申し訳ありませぬ。名を忘れました)というモデルが居たそうにござる。
又、小諸の先に海野宿という宿場跡が今も残り(観光地化されておりまするが)
そこで生活されている方々が居られまする。

信濃は将に、戦国時代を偲ばせる史跡の宝庫にござりまするのぅ!
失礼致しました。



<こたつ城主 [関東] 2000/09/13(Wed) 16:43>

>宮内少輔さま

>「まさか、海野六郎の子孫ですか?」
>というこれまた馬鹿な質問に、答えは、
>「はい」

どわっはっは(^O^)! きっと、それ、よく聞かれるんでしょうね。それでその人、歴史の先生を目指してたりなんかして(^_^;)。

>架空の人物が多い真田十勇士の中でも、海野六郎はわりと実在説
>があります。

そうなんですか(^^)。海野十郎という人が結城合戦に参加していたそうですが。

>海野姓って事は、真田の血も引いてるんだよなぁ…。

幸隆の方が海野氏出身とも言われてますね(^^)。



<こたつ城主 [関東] 2000/09/13(Wed) 16:44>

>甲斐の虎さま

猿飛、霧隠は、術の名ですものね(^^)。他は信州にある名前から付いてますけど、由利はあれかな? 小笠原から出た由利十二頭とこじつけてたりなんかして(^_^;)。

>高校時代に部の後輩に甘利ってのがいて、「山梨の出身、もしくは
>実家が山梨だ!」と断じてしまったことが(^^;
>ちなみに当たってましたけど(笑)

おおお〜(^^)! スゴイですねぇ。言ってみるものです。そういや、私、板垣信方の墓には行けたんですけど、甘利虎泰の墓は見付からなかった。近くにあるはずなんだけど……。


>紋次郎。さま

>もともと、真田家は海野の分家だったと記憶しておりまする。
>主家が海野で、それがいつの間にか逆転してしまった様で…
>下克上?

一応、3説あるようで、良泉寺の矢沢系図では、海野棟綱の娘と真田頼昌が結婚してて、この頼昌の子が真田幸隆。(海野氏の娘の子なのかどうかはわからない)。白鳥神社の海野系図では、真田幸隆は海野棟綱の子。滋野通記では幸隆は海野棟綱の子になっていて、これが、もしかすると、棟綱の娘に婿養子に入った可能性もある、とどこかで読んだ記憶があります。最後のパターンだと海野家の家臣である可能性もありますから(つまり逆玉)、ちょっと下克上っぽいですか……(^_^;)。

海野六郎はモデルが居たんですねぇ(^^)。海野宿も行ってみたいなぁ。

>信濃は将に、戦国時代を偲ばせる史跡の宝庫にござりまするのぅ!

そうなんですぅ〜(^O^)♪
 
     

     
  <甲斐の虎さま [関東] 2000/09/14(Thu) 00:40>

>城主さま
>一応、3説あるようで、

「寒村の一土豪に過ぎなかったが、ペテンでのし上がった」
という説を見たことがあります。

ところで幸綱(幸隆)の弟の矢沢頼綱はなぜ矢沢なんでしたっけ?



<HIGE-MOJARA(DUMMY)さま [外国] 2000/09/14(Thu) 01:10>

題名:(仮)よさらば

>甲斐の虎さん
>ところで幸綱(幸隆)の弟の矢沢頼綱はなぜ矢沢なんでしたっけ?

(NG)永ちゃんのファンだったから。
(OK)信濃国小県郡矢沢に居住していたから。



<甲斐の虎さま [関東] 2000/09/14(Thu) 02:02>

>HIGE-MOJARA(DUMMY)さま

(仮)すら捨ててもはや原型は全く無いですね(笑)

>(OK)信濃国小県郡矢沢に居住していたから。

真田幸綱も単純に真田郷を所領にしたから真田に改名しただけ……
一族揃いも揃って元の姓を変えている(笑)
寒村の一土豪が粋がって海野姓を名乗ってはみたものの周囲の視線が痛くてみんな改名してしまったのかな?(爆)



<太郎丸さま [関東] 2000/09/14(Thu) 09:44>

>海野→真田

海野一族は、かつて武田・村上・諏訪氏らと戦って破れ、一度
郷土を追われた、と伝えられておりまする。
つまり、海野氏にとって武田は仇敵。にもかかわらず、幸隆は
武田家に仕えることになる。しかし、父・棟綱はあくまで武田に
臣従することを潔しとしなかった。
つまりこの時点で、後の『関ヶ原の戦』を暗示するような
親子分立劇が生じていた可能性も考えられますな。
    (そう考えると、なかなかドラマチック)
幸隆が(表向きは)海野姓を名乗らなくなったのも、この
出来事が原因だったのかも。

ちなみに幸隆は嫡男ではなく、海野家の嫡流は信玄の次男・
龍芳が継いでおりますな。



<太郎丸さま [関東] 2000/09/14(Thu) 09:55>

失礼!!

父・棟綱という記述は間違い。
幸隆は海野棟綱の孫(長女の子)でした!



<たまこさま [東海] 2000/09/14(Thu) 13:30>

わたくし、この時代を急遽 勉強致しましたの、↓
信虎、信玄、相当あくどいじゃ ござんせんか!
後の世で高遠城を 失ったのも 大いなる運命か、

真田は一度上州へ逃げたのに、信玄の信濃征服に
全面協力したのでしょ、
謙信殿の義侠心に打たれておれば・・
 
     



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