<掲示板・議事録>

     
  「肥後八代」つづき

<rm モッサソ(仮)さま [地球外] 2000/07/26(Wed) 20:31>

>こたつ城主さん
>>岐阜城攻めは細川家好きには痛い合戦なのでパス。
>そうなの(゚.゚)?
重臣がおっ死んだり、負傷して関ヶ原で戦えなくなったり、散々っす〜。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/27(Thu) 13:22>

>rm モッサソ(仮)さま

>>岐阜城攻めは細川家好きには痛い合戦なのでパス。
>重臣がおっ死んだり、負傷して関ヶ原で戦えなくなったり、散々っす〜。

そうでしたっけ(^_^;)。それで田辺城は苦戦? どうも前後関係を把握しとらんなぁ〜。



<ルンソ城代(仮)さま [地球外] 2000/07/27(Thu) 21:31>

>こたつ城主さん
>>>岐阜城攻めは細川家好きには痛い合戦なのでパス。
>>重臣がおっ死んだり、負傷して関ヶ原で戦えなくなったり、散々っす〜。
>そうでしたっけ(^_^;)。それで田辺城は苦戦? どうも前後関係を把握しとらんなぁ〜。

丹後田辺城:細川幽斎、妙庵(幽斎三男)
関ヶ原合戦:細川忠興、興元(幽斎二男)、
      忠隆(忠興長男)、興秋(忠興二男)、
      松井興長(康之二男、岐阜城で負傷し、関ヶ原には陣代を出す)、
      米田是政(求政の子、岐阜城で討死)
豊後木付城:松井康之、有吉立行
という具合で、三箇所にバラけた状態でした。



<たまこさま [東海] 2000/07/27(Thu) 22:22>

細川忠興が 長岡忠興に なってる本が あるのは何故ですか、



<ルンソ城代(仮)さま [地球外] 2000/07/27(Thu) 23:28>

>たまこさん
>細川忠興が 長岡忠興に なってる本が あるのは何故ですか、
父親の藤孝の代に苗字を「長岡」と称したから。
関ヶ原の後(か?)は「細川」に戻し、「長岡」は一族重臣に下賜しました。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/28(Fri) 14:43>

>ルンソ城代(仮)さま

田辺城の幽斎は、三男(妙庵)と一緒だったんですね(^^)。確か幽斎って、側室が居なかったと思うんですけど、男の子三人とも正室の子なのかしら。松井、米田、有吉ってのは家臣?(そういや、松井という名前はやたらと見るなぁ)

>という具合で、三箇所にバラけた状態でした。

関ヶ原の時、細川という名をあちこちで見るんで、一体、どういう過程であちこちに行ったのかしら……と思っていたのですが、散らばってたのね。なるほど、散々ですね(^_^;)。おまけにガラシアまで死んじゃって。鍛えられたのね、細川家は……。

>父親の藤孝の代に苗字を「長岡」と称したから。
>関ヶ原の後(か?)は「細川」に戻し、「長岡」は一族重臣に下賜しました。

松平=徳川と似てますね(^^)。
 
     

     
  <ルンソ城代(仮)さま [地球外] 2000/07/28(Fri) 19:13>

>こたつ城主さん
>確か幽斎って、側室が居なかったと思うんですけど、
>男の子三人とも正室の子なのかしら。
五男四女すべて正室麝香の子です。
麝香は1544年生まれ。最初の子忠興をもうけたのが1563年。20歳のとき。
生年が確認できる最後の子(蓮丸)を生んだのが1587年。44歳のとき。
現代に照らし合わせてもかなりの高齢出産であります。

>松井、米田、有吉ってのは家臣?
細川三家老です。一門衆の次に偉い存在。



<たまこさま [東海] 2000/07/29(Sat) 10:04>

「同腹」 結束が違いますよね、(例外も あるけど それは
親の差別とか)、 細川さまが 堂々 大身として生き残った
のも 納得、 男の子は 何と言っても母親が 好きですから。
越えられぬ父を 持った子も 可哀相、(又 始まった)、
上手に越えさせるのも 父の能力だと 現代の評論家も
言っとった。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/29(Sat) 15:42>

>たまこさま
>「同腹」 結束が違いますよね、(例外も あるけど それは
>親の差別とか)、 細川さまが 堂々 大身として生き残った
>のも 納得、 男の子は 何と言っても母親が 好きですから。

有名な毛利の三兄弟も同腹でしたね(^^)。結束もしやすいけど、揉めたら血みどろにもなりやすかったりして(例:政宗、信長)。

越えられぬ父を上手に越えさせる……ですか。なるほど、深いですなぁ。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/29(Sat) 15:43>

>ルンソ城代(仮)さま

>麝香

よ……読めない(-_-;)。
しかし、20歳から44歳までの24年間で、子供9人を生んだ!! 脅威! 日本一のカアチャンですな! ガラシア〜、頭が高い!(爆)

>>松井、米田、有吉ってのは家臣?
>細川三家老です。一門衆の次に偉い存在。

前、もっさんが(城代にお成りあそばす前(^_^;))言ってた八代松井家(井上・角田・竹田が御家司だったとかいう)は、この松井家と関係あるおウチかしら……。
 
     

     
  <ルンソ城代(仮)さま [地球外] 2000/07/29(Sat) 17:58>

>たまこさん
>「同腹」 結束が違いますよね、(例外も あるけど それは
>親の差別とか)、 細川さまが 堂々 大身として生き残った
>のも 納得、

残念ながら細川家は兄弟喧嘩の末、二家に別れています(汗)
忠興の弟興元は関ヶ原のあと兄の家臣として扱われることを嫌い、
出奔しました。そして幕府の直臣となった後、常陸谷田部藩祖となりました。
残り二人の弟は忠興より先に亡くなってるので特に問題なかったようです。
(享年83の忠興より後に死ぬというのが大変ですけど)

>こたつ城主さん
>>麝香 >よ……読めない(-_-;)。
「じゃこう」でしょう。

>八代松井家(井上・角田・竹田が御家司だったとかいう)は、
>この松井家と関係あるおウチかしら……。

八代松井家は松井康之の二男興長が初代。
ちなみに細川元首相のお父さん、護貞氏の後妻は松井家の出です。



<こたつ城主 [関東] 2000/07/30(Sun) 15:46>

>ルンソ城代(仮)さま

忠興と興元は兄弟喧嘩を……。それでも、お家断絶の憂き目を見ず、幕府の直臣になれたり、谷田部藩(初めて聞いたけど(^_^;))の祖となれたり、細川家って、ホンット世渡り上手よね〜♪

>残り二人の弟は忠興より先に亡くなってるので特に問題なかった
>ようです。(享年83の忠興より後に死ぬというのが大変ですけど)

83歳……(^_^;)。下の二人は、関ヶ原の話でも出て来なかったですね。まだ幼かったのかしら。え〜と、忠興が一番上だったとして、一番下は24歳離れてるんだからぁ〜……それでも59歳! 死ぬ人は死ぬわな〜、当時なら(^_^;)。

>>麝香
>「じゃこう」でしょう。

香の名前でしたね(^_^;)。何と雅なお名前。

八代の松井家というのは、そんなに初期からの分家だったのですね。大家老ですね。護貞さんも後妻という女性は、護煕元首相のお母さんとは違う?
 
     



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