<掲示板・議事録>

孫市@町興し祭り・続報、4

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2004/03/18(Thu) 22:42>

>「鷺の森別院」
今は敷地内に幼稚園だか保育園だかがあって、「お姫様が親の猛反対を押し切って講を聞きにいく」・・・というのがど〜も想像できなかったんですけど(^^ゞ

当時は、ものすごい熱気に包まれてたんだろうな、とウンウン言いながら想像しました(笑)

>「孫市ごっこ」
んじゃねっ、んじゃねっ私は孫市の役〜〜!!
こたつさんには、法専坊の役あげますねっ・・・って誰がお姫様やるんだよ(^^ゞ

っで、矢の宮ですが、具体的には、村人がそこで戦勝祈願をしたら、突然巫女が神懸りして、「○○日の満潮の時に迎え撃ちなさい」と告げた・・ということなんです。
そして、その時に迎え撃つと、果たして大勝した、と。

いつも思うんですが、こういう「具体的」な神託だったらいいですよね〜(#^.^#)
どうも、よく巷で見る「ご神託」やら「予言」やらって、ど〜とでも取れるものが多くて、で、後から、「実はこれはこうだったんだ!」とかこじつける。
そういや、アンゴルモアの大王はどうなったんでしょうね(笑)

>孫市の街様
いろいろ収穫があったんですね。
誰かについて真剣に調べようとすると、不思議なことに、どこからか、手が差し伸べられるもんですよね(#^.^#)
それも、孫市の街様の熱意の賜物か、と。
私たちは、そのおこぼれ狙おうっと(爆)



<こたつ城主 [関東] 2004/03/19(Fri) 21:06>

>のりちゃん様

>>「鷺の森別院」
>今は敷地内に幼稚園だか保育園だかがあって、

こゆ事ってありますよねっ(^^;)! むしろ今は多すぎるぐらいだろうけど。。
私がこの手合いの初体験したのは、新潟の御館城跡です(笑)。
平城なんで、自然の風物とか全然無くて、公園になってるんですが、それもブランコとかベンチとかがあるただの公園なんです(汗)。
あと、やっぱ寺と城はヤバイですよ(笑)。すぐ幼稚園とか動物園にしちゃうんだな。

矢の宮の巫女神懸りの話は、社伝ですか?
映画ではあまり色濃く出て来なかったけど、大河「国盗り」では、小みち(なのかな、あれは)を女神に見立ててという下りに、確かに神懸り的な要素を感じる場面があった気が……。ただその辺りを一番見てなかったので、そこが残念〜(-_-;)。。

太陽に向かって(背にしてだっけ)矢を射るといった話が、確か古事記にも出て来たと思うのですが、そういう色合いが残ってたって事でしょうかね。それともそれに乗っ取ったのか。

>そういや、アンゴルモアの大王はどうなったんでしょうね(笑)

確かモンゴルのどうとかと聞いた覚えが……はるか昔だけど。。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/19(Fri) 23:03>

>満潮に迎え撃つ

すいません(T_T)
もう一回確認したら、かなり違ってました。
巫女の神託は、「敵は干潮を待ってせめてくるだろうから、我は決して潮を干かせない」
というものだったみたいです。
で、果たして、信長軍は、海を渡れなかった。
ということみたいですね。

八咫烏は「道案内」の神ですが、信長軍には、「案内役」がつかなかったということでしょうか。

しかし、なんで「矢の宮」という名前なのかは、調べてみたんですが、説明がありませんでした。
なんでだろ?
やっぱり矢が刺さったとか、八咫烏が矢を運んできたとかそういう伝説でもあるんだと思うんですが???

で、お城のあった場所やお寺のあった場所に公園や幼稚園が建つというのは、結構あるんですね(^^ゞ
幼稚園なんかの場合は、お寺が経営してることもありますしねぇ。

ただ・・・。ほら、学校の噂で、必ず、「この学校が建つ前はお墓だった」っていうのがありませんでした(笑)??
お寺に学校が建つことが多いなら、かなり信憑性があるかも(~_~)

太陽に背を向けて闘って失敗したのは、神武天皇ですね。
で、その後、八咫烏と知り合って、大和入りを果たします。
つまり、ここらへんで、「太陽を背に」という発想を思い出したってのは、偶然かもしれないけど、何か意味深いものを感じました(^^ゞ



<こたつ城主 [関東] 2004/03/20(Sat) 23:31>

>のりちゃん様

えっ、あるはずの干潮が、1回無かったって事ですか(・・;)?
それ、巫女の占い能力を遥かに凌駕して、物凄い話だと思うんですけど……。。
「雑賀巫女の十戒」って映画が作れるぐらいスゴイですよ。
私、特撮映像に信長や秀吉が晒されるドラマって、「仮面の忍者、赤影」だけだと思ってました。

あ、それで信長軍の道案内ですが、雑賀の里がどれぐらい秘境の里だったかにもよりますが、必要であれば、そこにこそ孫市のような人が求められたのでしょうね。

あ、そうそう、矢の宮とヤタガラスの組み合わせで、私も思い出したのは、
http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/shohin/tour/siseki/146.htm
これです(……もう二年も前か(゚.゚))。

>鶴が矢を咥えて神社に飛来し、矢を落とした。その矢には、住吉神
>の銘があった。そこで住吉の神様を勧請した
↑この話がパッと思い出されました(^^)。

そうそう。私の知り合いのお寺にも幼稚園が中にあります(^^;)。だからおおっぴらに「ちょっとガッカリ」なんて言えないのですが(笑)。
で、学校もそうですが、病院に多いですよね(^^;)。入院してる窓から、ド〜ッと墓が並んでるのが見えたりする。。

で、やはり太陽に背を向けて、の話は神武でしたか。
じゃ、やはり八咫烏の頃と時代的にも近いんでしょうね(#^.^#)。こういう神話は、実は長い時間を置いた事が同時として離されている、なんて話を聞きますけど。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/21(Sun) 17:31>

>特撮映像に信長や秀吉が晒されるドラマ

あははははは(#^.^#)
確かに、大スペクタクルですよね。
海の満ち干が、変わるんだから(#^.^#)

しかし、「伝承」って、多分、何かそういわれるようになった原因があると思うんですよ。
例えば、元寇の時、「神風」が吹いたってのは、本当に風が吹いて、敵が攻めてこれなかったのを、「神の風」だ、と解釈しただけのことですよね。

また、「天照大神の岩戸隠れ」ってのも「実際にある時代に、日食があったんじゃないか」とか、いろいろ言われてますよね。

とすると、「干潮がなかった」ってのも、何かそう思わせるような自然的事件があったのかもしれない、と思うんですよ。
海の潮が何かの原因で干かないなんてことは、科学的にありえるんでしょうかね???

しかし・・・病院とお寺の組み合わせはなんかいやだなぁ(^^ゞ



<こたつ城主 [関東] 2004/03/22(Mon) 19:16>

>のりちゃん様

私も織田軍団襲来の時、本当に干潮が無くなったのかな、とそれが気になりました。
ただ地理がハッキリ判らないので、海の満ち干きについてはちょっと調べようが……(^^ゞ。雑賀崎の辺りですか?

日食のように何年かに一度起こる現象とか、元寇の神風も実は台風だったり、というような自然現象なら、戦国期には、計算済みで攻撃を仕掛けるだろうと思います。
しかし、さすがに今のように情報の把握がされぬいてる時代ではないから、ごく地域的な他にはない現象ならば、それが原因で攻め損なうことはあるかもしれませんね。

例えば水軍戦ならば、その辺りの微妙さは地の利のある側に圧倒的に有利かと思います。
川中島合戦でも、新田二郎さんの「武田信玄」になると、霧の出方を、双方軍ともすごく丹念に探り合う描写が出て来ます。
 
     

     
  <のりちゃんさま [近畿] 2004/03/22(Mon) 22:40>

雑賀崎のあたり・・・と言っていいと思います>矢宮神社

織田軍が攻めてきたのが雑賀崎からだとしたら、「攻められなかった理由」に、「断崖絶壁だから」といのはあるかもしれません。

「鷹の巣」と呼ばれる(でも現実はとんびの巣だった(笑))、本当の絶壁で、今は階段がついてますが、それがなければ、あそこをよじ登るのは至難の業のはず。
地元の人は慣れてることもあるでしょうが、織田軍は、あそこをよじ登れなかったのかも。

それが、「断崖絶壁を攻めあぐね」よりも「干潮にならなかったので」と表現した可能性は・・・ある・・・かも。
でも、何か「干潮にならなかった」というほうにひっかかるんですよね〜。

しかし、戦国ともなると、日食とか、霧の出方とか、ある程度科学的なデータは解明されてたのですね。
・ ・・現代人よりも、戦国武将の方がずっと科学的かも(^^ゞ



<こたつ城主 [関東] 2004/03/23(Tue) 21:31>

>のりちゃん様

なるほど! 断崖絶壁! 満潮になっても容易には近付きにくいですよね。
するってぇと、断崖絶壁を攻めあぐねたと書くとカッコ悪いもんだから、自然現象のせいにしてるという事かな。その伝承って、多少織田におもねってるのかしら。。
しかし階段がついてても、恐くて下りられないトコとかありますよね(^^;)。風が吹いたらビュ〜ッと行っちゃいそうな……。

昨日、干潮とか満潮のイレギュラーな地域は無いかしら……とアチコチ探してみたんですが、パッとは見付からなかったです。
でも、日食が神や魔物の仕業でウンヌンと言われる程、ただただ神秘的に思われてたワケではないと思います。傾向のハッキリしてる気象に関しては特に。
ただ例えば、日食の時の日の光を浴びると不吉だとかいう、そういう迷信じみた感覚ならあったと思います。これって今でも「ジンクス」ってあるじゃないですか(^^ゞ。正月の何日に見た夢が初夢だとか。

霧に関しては、前の夜にいきなり冷えるとか、夕方に薄くたなびくような霧が出るとか、そういう描写だったと思います。
これは現在の気象学的に説明のつく事もあるだろうし、今でも、当時なんでそう言われたのか判らないなんて事もありそうですが(笑)。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/23(Tue) 22:24>

織田信長から逃げてきた一向宗のお坊さんが、雑賀崎に匿われたって話しがありましたよね。
今でも、「上人窟」として残ってます。
これがまた、
「どうやってあそこまで行くんだろう?????」と不思議になるようなところなんですよ。
つまり断崖絶壁の、上からも下からも十分距離があるところ。
今は、工事中ですが、普段ははしごがかかってたようです。

当時は、どうやって上り降りしたんでしょう。
地元の人は、それこそロッククライミングしたのかもしれません。

干潮・満潮のイレギュラーな地域があるかないか、調べてくださったんですね。ありがとうございます(#^.^#)
私は、「イレギュラーな地域があるかも」という可能性さえ考え付きませんでした〜〜〜(^^ゞ
でも、考えてみたら、岩の形とかで、干潮・満潮がずれる場所ってのもあるかもしれないですよね。
雑賀崎は、岩がごつごつと出てるところが多くて、かなり複雑な感じがありました。
・・とはいえ、干潮・満潮をずらすというほどの感じもなかったのですけれど・・・残念ながら(T_T)

気象については、古代ほど迷信じみてはいず、現代ほど割り切ってもいず、という感じかもしれないですね。

ちょっと前のことですが、確か「不思議発見」かなんかで、コロンブスが、メキシコ(だっかどうかは定かじゃないのですけど)の人たちを服従させるために、「私は神である。その証拠に明日、天に異変が起こるだろう」というハッタリをかましたという話しをやってました。
コロンブスの頃には、既に、日食の周期がわかってたんですって。
メキシコの人たちは、果たして次の日、日食が起きたので、驚いてコロンブスに服従したとか。

ここらへん「迷信の残ってる者」と「迷信から解放された者」の明暗がはっきりするエピソードかもしれません。



<こたつ城主 [関東] 2004/03/24(Wed) 20:34>

>のりちゃん様

今そちら見て来たです(^^)。後で行くね〜。

なるほど。信長の弾圧(?)から逃れて来た人を匿うってんで、どんどん一向宗勢力を南に南に攻め広げていく戦況に転じていった、という部分は他にもあったと思います。
(例:足利義昭:爆)

雑賀崎に残る「上人窟」は、元はただの断崖絶壁の名所だったのかもしれないけど、そうした当時を物語るに相応しい場なのでしょうね。
つまり信長って……今で言う「ストーカー」だったのかも(^^;)。。
しかし、修験者の健脚などを物語る名所って各地にありますよね。私が知ってる場だと、鳥取の「大山」がそうです。

雑賀崎に関係するか、私には何とも言えませんが(^^ゞ、イレギュラーと言うと、鳴門の渦潮なんかはそうではないでしょうか。
「鳴門の渦潮」:http://www.city.naruto.tokushima.jp/kanko/index2.htm
(本州四国連絡橋公団:http://www.hsba.go.jp/index.htmより)

↑によると、干潮・満潮の時刻は東から西へ移動。鳴門海峡を挟んで、北(播磨灘)と南(紀伊水道)で干満の時刻がちょうど正反対。これにより水面に約2mの段差発生。
水位の高(満潮側)から低(干潮側)へ流れ込んで潮流を作るが、鳴門海峡は幅が1.3km程しかなく、狭い海峡に勢いよく水が流れ込んで渦潮の原因となる、とあります。

ことによると、鳴門の渦潮(うずしお)に関わる話が、雑賀水軍に転化されたという事もあるかもしれませんね(^^ゞ。

コロンブスの話、私もふしぎ発見で見たかもしれません〜(#^.^#)。
そうそう。西洋ではとうに理解されている科学の知識とかを、「予言じゃ〜」という具合に披露したとかいう具合でした。これって、いわゆる大航海時代、今の人がタイムトラベラーに乗って昔に行って、昔の人相手に「やってみたいな〜」と思う事を実際やってみたのかもしれませんね(笑)。



<のりちゃんさま [近畿] 2004/03/24(Wed) 22:24>

鳴門の渦潮かぁ!!!
・・・まだ見たことないんですよ〜〜〜。
でも、考えてみれば「不規則性」と渦潮は無縁ではないですね。
しっかし、2mも水面に高さが出るとは・・・。
鳴門の渦潮もナミじゃありませんね。
一度見てみたいもんです(#^.^#)

んで、昔の人相手にやってみたい云々・・・ですが。
私は、それで、「王家の紋章」を思い出してしまいました(^^ゞ

あれって、まだ連載してるんですよね・・・。
やるな〜。
私は始めて読んだのが中学生の時で、最後に読んだのも中学生の時。
あれからどうなったかはさっぱり知りませんが・・・。

私が古代エジプトに行っても、キャロル(でしたよね?主人公)みたいに優遇されないのは目に見えてますね。
水を濾過するための知識はないし、天文学的知識もないし、もちろん、「黄金の乙女(ブロンド)」ではないし(笑)
タイムスリップなどはしないほうが身のためかも(^^ゞ



<こたつ城主 [関東] 2004/03/25(Thu) 19:48>

>のりちゃん様

私ね(^_^;)、鳴門に特徴的なこの渦潮ができる過程つーのを読んで実は、「チンプンカンプンだわや」と思ったんですが(爆)、「干潮と満潮がぶつりかりあう」というのだけは、きっと珍しい現象なんだろうな、と思いました。

信長の海軍はこの海域でも、門徒軍団(主に毛利水軍)と激突してますから、門徒全体に伝わる逸話としては、海の神様が味方して……チックな話は、きっと語り継がれたと思うんです。

「王家の紋章」は、残念ながら1ページも読んだコトがないです(^_^;)。
が、タイムトラベル物の、殆ど王道と言えるのが、現代知識に昔の人が驚嘆して一度は仲良くなるという筋立て。だいたいラストで「現代が失ったホニャララ」と覆されるのですが、それは大航海時代以来の、列強の横暴ぶりへの批判要素もあるのかもしれませんね。

古代エジプト漫画と言うと、私の読んだのは、のがみけいさんの「ナイルの鷹」、竹宮恵子さんの「ファラオの墓」あたりでしょうか。
竹宮さんも大河ファンのようで、話は殆ど「家康が美少年だったら……」物でしたけど(笑)。
 
     



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