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<のりちゃんさま
[近畿] 2001/08/24(Fri) 21:40>
修験道の開祖、役行者ゆかりの山、葛城山では、未だ
に、山伏姿の人達が登山するのを見ることができます。
彼らはさすがに、足音をさせないですね。
現代の忍者・・・と言えるかも知れません(?)
<こたつ城主 [関東]
2001/08/25(Sat) 12:46>
>のりちゃん様
役小角(えんのおづぬ)は葛城山でしたか(^^)。今でも山伏姿の登山者が……。これはスゴイ光景でしょうね!
アスファルトも車も、よく運動能力の低下を指摘する材料に使われますが、本当は騒音に慣れる事の方が危ないんだそうです。足音を立てずに歩けない、小さな話し声で喋れない、聞き取れない、という人が急増してると聞きますが、実は老化が早いのだとか(^_^;)。
<のりちゃんさま [近畿]
2001/08/25(Sat) 19:15>
役小角は、葛城氏だったと言われていますが、彼が使役していた
と言われる、「一言主」の神様。
古事記では、雄略天皇を畏れさせた、一言ならばなんでも願いを
叶えてもらえるという神様として描かれています。
時代と共に凋落したんでしょうか・・・。
ただ、葛城山の麓にある、「一言主神社」は、ひとつだけなら、
なんでも願い事をかなえてくれるということで、全国から、参拝
者が集まるそうです。
修験道については詳しくはないけれど、山伏が役小角の流れを汲
むのならば、一方では、尊崇されてる一言主を、山伏さんは、使
役されてるのかな??
この神様を思うたびに、「神様も忙しいなぁ」と考えてしまいま
す(^-^;;
それにしても、やはり、あの黒い装束は「目立ち」ますか(^-^;;
ってことは、「赤影」さんは、論外ですね。
<紫さま [関東]
2001/08/25(Sat) 21:52>
>一言主
役小角は山と山の間に橋を架けようと鬼神たちに命令しましたが、一言主の神は醜い姿を恥じて夜しか働かず、怒った小角によって谷底に呪縛されたと言われています。それだけ小角の力が強かったのでしょうが、神すらも呪縛する力っていったい・・・一言主は本来は小角の一族の氏神だったというし・・・
小角は後世「神変大菩薩」と呼ばれ、修験道の開祖として敬われています。
奈良県のお寺には前鬼・後鬼を従えた小角の像が結構ありますね。飛鳥の岡寺にもあったと記憶しています。
吉野山が桜の名所になったのも、実は小角に由来しています。
小角が吉野山(金峯山)で蔵王権現を感得し、桜の木でその像を彫ったところから吉野山に参詣する人たちが桜を植樹するようになったそうです。
<朱天さま [東海]
2001/08/26(Sun) 03:11>
>一言主
すみません。なんて読むんでしょう。
役小角自体はよく聞くんですけど
あんまりよく知らないんですよ。
<紫さま [関東]
2001/08/26(Sun) 18:00>
>一言主
「ひとことぬし」と読みます。
雄略天皇が行列を率いて葛城山に登った時、向こうから寸分違わぬ服装をした行列が来ました。怒った天皇が矢をつがえながら名乗りを求めたところ「吾は悪言(まがごと)も一言、善言も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と答えたので、天皇は大地にひれ伏して自分の衣服や剣や弓を一言主に献上したそうです。
日本人の「言霊信仰」を表した神のようですね。
<のりちゃんさま [近畿]
2001/08/26(Sun) 22:31>
紫様
ありがとうございます。
そうなんです。一言主は、役小角の氏族「葛城族」の氏神であっ
たと言われます。
(別名をアジスキタカヒコネと言うとか、まぁいろいろ言われて
いますが、その昔は大いなる力の持ち主とされた神様です。)
が、役小角には、使役される「使い神」扱いされていますね。
どういった経緯で、使い神になっちゃったのか・・・。
詳しく知りたいところです(^-^;;
さて、今、流行しているのは、陰陽師。
うまくすれば、役小角も流行するのではないか・・・とてぐすね
ひいて待ってる(私は、葛城山あたりの神社ファン)のですが、
まだ来ないですね(・・;)
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