<掲示板・議事録>

横須賀海軍カレー、3

     
  <畠山義綱さま [関東] 2002/10/05(Sat) 17:22>

>こたつ城主様

>原因は結局何だったのですか?

一橋派の老中首座の堀田正睦が日米通商修好条約の勅許を
得る事ができず、ここにきて、南紀派が勢いを増し、南紀
派の井伊直弼が大老に就任するに及んで「安政の大獄」が
起こり、一橋派は弾圧された。ってな具合です。

>海軍カレーってどっかで見たと思ったのですが

最近結構お土産物として見ますよ。多分SAで売っていたのも
見間違いではないと思います。でも、本場の方がおいしいので、
1度横須賀でお試しあれ!

>現在もまだ江戸時代とか(汗)。

ああ!なんか羨ましい。私も現代で老中になりたいですわ。
現在に起きかえれば内閣が「老中」もしくは「大老」で各大臣
が総裁(幕末の陸軍総裁など)にあたるんですかね。
でも民主化されたら、象徴が天皇と将軍と2人もいて出費も
大変そう。しかも、首都は「江戸都」?ああ、妄想は膨ら
む・・(苦笑)



<北畠具顕さま [東海] 2002/10/05(Sat) 19:54>

幕末のいぶし銀の方々もそうですが
最近上杉鷹山もめっきり出てこないと思いませんか?
日本てすぐ昔の人出してきてすぐほっちゃうもんなぁ。
なんか、たまちゃんみたい(笑)



<朱天さま [東海] 2002/10/06(Sun) 01:56>

>前田敏郎様
>大政奉還

あんまり実感としては分らないんですが。当時の常識を越えた凄い
政策だったようですね。これって坂本竜馬→後藤象二郎→山内容堂
→慶喜公と奏上されたという話がありますけで本当なんですかね。
それとも坂本神話の類なんですかね。

>畠山義綱様
>ああ!なんか羨ましい。私も現代で老中になりたいですわ。

老中って結構出費が酷くてただ名誉しか得れないとかいう話ですよ(笑)
でも、やっぱり血筋とかうるさいでしょうね(笑)
格式がどうとか。

>原因は結局何だったのですか?

すでに畠山様が答えてらっしゃいますけど
南紀派(保守・譜代派)一橋派(改革・外様派)の対立で
一橋派老中阿部正弘が死亡し、井伊が大老に就任したことで
形勢が確定したようです。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/07(Mon) 19:21>

>畠山義綱さま

>一橋派の老中首座の堀田正睦が日米通商修好条約の勅許を
>得る事ができず、ここにきて、南紀派が勢いを増し、南紀
>派の井伊直弼が大老に就任するに及んで「安政の大獄」が
>起こり、一橋派は弾圧された。ってな具合です。

『跳ぶが如く』で、13代将軍が大奥の篤姫の所に来て、おもむろに「次は紀州に決まった」と言うシーンだけヤケに覚えてます(笑)。そうか。井伊直弼は紀州側なのか(基本という気がするけど知らない)。

>でも、本場の方がおいしいので、1度横須賀でお試しあれ!

そうでしょうね!(笑)
時々レトルトカレーで本場の味風の物が出たりしますが、食べてみて他のレトルトとの違いがそんなにわかる物ってありませんもの。

>ああ!なんか羨ましい。私も現代で老中になりたいですわ。

私が羨ましいのは、ビルと堅い床とデスクと椅子じゃない所かな。畳の上で仕事がしたいタチでして(笑)。

>しかも、首都は「江戸都」?

それ、ホントにあったかもしれない首都名ですよね(^^;)!



<こたつ城主 [関東] 2002/10/07(Mon) 19:21>

>北畠具顕さま

そうそう(゚.゚)。不況になったら真っ先にドラマ化されると思っていた上杉鷹山センセイ。この頃はもう飽きられてしまったのか、確かに名前も聞きません。

>なんか、たまちゃんみたい(笑)

ウタちゃんも可愛い(#^.^#)。←話がズレとる



<こたつ城主 [関東] 2002/10/07(Mon) 19:22>

>朱天さま

>大政奉還
>坂本竜馬→後藤象二郎→山内容堂→慶喜公と奏上された

途中一人すっとばして、でもしっかり史実だと思ってました(汗)。え〜! 神話なの〜?

>老中って結構出費が酷くてただ名誉しか得れないとかいう話ですよ(笑)

その前に、あの裃ってのが面倒な気が……(←老中以前だろが)。

ああ、なるほど、そうか。阿部正弘が死んだから、井伊大老が出来たわけね。ふむふむ。どうも時間関係を把握してない事を実感。
 
     

     
  <前田敏郎さま [関東] 2002/10/08(Tue) 05:37>

こたつ城主さま

>大船建造禁止という話は、黒船が来ちゃってからよく聞くのです
>が、いつ頃から発布されたのでしょうね。江戸期のかなり初めの
>頃かしら?

大船建造禁止令がいつ出されたのかは私もよく分からないのですが、江戸時代の初めの頃ではなかったかと思います。

>だとしたら、本当に古い法を引きずっていたという事に……(^^;)。

おっしゃる通りですね。当初は(いや、かなり長い期間かな)その政策が政権の安定・国内の平和に役立ったのでしょうが、ペリー来航によって不安定要因になってしまうのは皮肉な感じがします。たとえどんなに堅牢なものでも時代の流れと共に手直しが必要ということですね。

>それにしても交渉役が詐称まで行うというのも、異常な事態に思えますね。

異常としか言い様がありませんね。そもそも、異国船が来航すること自体が異常ですし・・・。それに相手側が「偉い人じゃなきゃ会わない!」という姿勢も異例だったようです。切羽詰まった「担当者」の咄嗟の知恵かもしれませんね。香山は応接役から外されたのは奉行所内でかなりひがまれたらしいんです。その後、加増されて江戸城勤務になるのが彼にとって幸せだったかどうかはわかりません。最終的には400石まで昇進したそうなんですけど。

>松戸でも七福神鍋というのがあるのですが、地元の野菜を使わな
>いとダメとか条件があって、もしかしてそちらを真似してたり?(笑)

縁起のいいネーミングですがどんな鍋なんでしょうね。地元の農協が喜びますよ。海軍カレーの場合は材料に地元のものを使わなければならない約束はないみたいですが。

畠山義綱さま
鳳凰丸は長さは約36メートル、2本マスト、10門の砲を装備していたそうです(トン数は分かりませんでした)。それ以前は大船がつくれなかった当時としては最大級だったと思います。私も地元でこんな船を建造していたとは驚きでした。しかも、奉行所が建造していたんです。私のイメージからかけ離れた「業務内容」に浦賀奉行所って一体なんなんだ!と思いました。

海軍カレーはレトルトも食べ比べができます。4社から売り出されています。地元産の牛肉を使ったり、大きな具が入っていたり、それぞれ違う持ち味がありますよ。

>そういえば、横須賀は現首相の出身地ですね。

そうなんですよね。私も横須賀の街で小泉さんを見かけたことがありますよ。もう随分前のことで、大臣ポストに就いてはいなかったと思います。母が手を振ったら(ミーハーです)軽くお辞儀してくれてびっくりしました。最近では「よっ」と手を上げてあいさつするところがテレビに映りますが、まさか頭を下げてくれるとは思わなかったですから。 横須賀のあるデパ地下では「小泉首相まんじゅう」なるものが売られています。カステラ饅頭に微笑む小泉さんの顔のイラストの焼印が押されています。総理を「食えます」。

朱天さま
たぶん、徳川慶喜は大政奉還をしても自分の「政治生命」が終わるとは考えてなかったのではないかと思います。でも、それを自分から言い出すことはできなかっただろうなという気がします。他人から勧められたという「形式」ならば、意見を「採り入れた」ということにできて政権を「投げ出した」という印象は薄くできるのではないかと。そういう意味で土佐藩の建白は渡りに船だったと思います。その過程で坂本龍馬が果した役割は、私は「伝説」ではなかったと思います。今度の連休に高知に行くので、龍馬に関連がある所も見て来たいです。



<こたつ城主 [関東] 2002/10/08(Tue) 19:08>

>前田敏郎さま

黒船が来て目覚めた国家、とはよく聞く話ですが、やはり言われるだけの事はあったのですね(^^;)。まあそれで、その後の造船技術が躍進したのかもしれませんが、無理もしたんでしょうね。

>香山は応接役から外されたのは奉行所内でかなりひがまれたらしいんです。

あ、やっぱり(何となく予測通り(^^;))。

松戸七福神鍋は、以下の「松戸市観光協会」によると、
http://www.intership.ne.jp/~m.kankou/page/10.html
1、野菜など七種類の食材を使った鍋。
2、油揚げに七種類の具を入れた福袋(油揚げの巾着)。
3、「福」の焼印を押した餅やかまぼこ、油揚げなどを入れた鍋。
4、七福神に関連した酒類を併せて提供する。

とありますが、確かこの他に「七福神や宝船を形どった野菜」があったと思います。これの内の何かを満たしていれば良い、という覚えがありますので、使わなきゃいけないって程でもないんじゃないかな。
海軍カレーに使われてる、地元産の牛肉みたいなアイディアをどっかからマネして来たんじゃないのかなぁ?

>横須賀のあるデパ地下では「小泉首相まんじゅう」なるものが

それ、あちこちで見掛けますよ(笑)。土産屋なら何処でも置いてあるんじゃないかな(土地によって置いてる置いてないで世論調査が出来たり(^^;))。

>徳川慶喜は大政奉還をしても自分の「政治生命」が終わるとは
>考えてなかったのではないかと思います。

そういや『徳川慶喜』でも、最後に母に「朝敵の汚名を着た事、申し訳ありませんでした」と手をついて謝るんですよね。母への恨みが全編を貫いていただけに、このラストにはちょっと重みを感じました。



<朱天さま [東海] 2002/10/09(Wed) 00:23>

>前田敏郎様
>徳川慶喜は大政奉還をしても自分の「政治生命」が終わると
>は考えてなかったのではないかと思います。

多分そうでしょうね。
 
     



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